『西洋建築が、ダンス文化を育てた!』
西洋建築では、玄関ドアを入ると、吹き抜けの広いホールがあって、その場所が建物の入り口と言うよりも、中庭の如き開放感があります。
『実は、西洋建築の、この様な特性が、ダンス文化を誕生させたのです!』
…時は、1920年頃、場所はアルゼンチンの港町、ブエノスアイレス!
『この頃、アルゼンチンには多くの移民がやってきました。』
イタリア、イギリス、フランスからは、新天地を求め、多くの男達が、この街にやってきました。
『一時、男性ばっかりだった様です!』
そこで、今も昔も、悪い連中が居て、若くて綺麗な女性を騙して、アルゼンチンまで連れて来たのです。
『アルゼンチンでは、女性秘書を多く必要としている。大金を稼ぐチャンスだ!』
…そうやって、女性を騙して、女性を船に乗せ、船がブエノスアイレスの港につくと、女性達が連れて行かれるのは『売春宿』でした。
『一番多い時で、ブエノスアイレスだけで、5000人を超える娼婦が居たそうです。』
そして、女性達は、自分の母国に帰る事も出来ず、売春宿から逃げ出す事も出来ずに、人生を終えたのです。
『たとえ、売春宿から逃げ出しても、ヤクザから賄賂を貰う警察官が、逃げた娼婦を捕まえ、また、売春宿に送り返すのです。』
…警察が信用出来ないのは、今の日本と同じですね!!
…そして、そんな売春宿で、いよいよ、タンゴが誕生します!
当時の売春宿は、玄関を入ると、まず、吹き抜けのホールがあり、そこには、妖艶なセニョリータが居ります。
…そこで、男性客は、気に入った女性を見つけると、代金を支払い、二階の女性の寝室に、女性に伴われて向かうのです。
この情景を曲にしたタンゴが、日本題『淡き光に』です。この光は、売春宿の女性の寝室からもれる、薄暗い明かりの事です。
この様な売春宿も、お客の入らない時間帯や、曜日があったようで、売春宿にたむろする街のヤクザが、自分の管理する娼婦とダンスする様になったのが、タンゴの始まりです。
…そのうちに、売春宿の玄関ホールでは、『男性客と娼婦』がダンスをしてから、どの女性を選択するかを決める様になりました。
『そこで、娼婦は、自分を指名してもらいたいので、男性客の脚や体に、ふくろはぎや太ももを擦り付ける様なステップを考案しました!』
…これが、今のアルゼンチンタンゴのステップにみられる、『ガンチョ』と言うステップです。
アルゼンチンタンゴダンスの、あの色っぽい衣装や、ステップは、全て売春宿の玄関ホールから誕生したのです。
『建物が文化を生み、建物が人間の一生までも見つめ続けるのです。』
私自身、アルゼンチンタンゴに出会って、人生が変わってしまった一人です。
きっと、皆さんも、一度人の心をとらえると、二度と離さない、タンゴの魅力を知る事でしょう。
『そこには、出口の無い、男と女の人生が濃縮されているからです。』
…このブログを読まれた皆さん!
『ユーチューブで、アルゼンチンタンゴダンスを見ましょう!』
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