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高松宮邸

2015年08月16日 | 東京のお散歩
高松宮宣仁親王は、大正天皇の第三皇子で、特旨により有栖川宮の祭祀を継承しました。

殿下のお住まいは、有栖川宮邸をそのまま継承していましたが
昭和に入ってから、それまで高輪御殿として使われてきた離宮に移られました。



高輪御殿は、大正時代に皇太子であった兄宮である迪宮殿下(のちの昭和天皇)の
東宮御所としても使われた由緒ある場所でもあります。

また御一新以前は肥後細川家の下屋敷として、大石内蔵助良雄の切腹地という史実や
古典落語「井戸の茶碗」の舞台の一つとしても知られた場所でもあるのです。

敷地の一部は民間や港区などに下賜され、マンションや区立高松中学校となりました。
また邸内のプールは、お子様のいらっしゃらなかった高松宮ご夫妻のご厚意で
近隣の子どもたちに開放されていました。

高松宮宣仁親王の薨去後は喜久子さまがおひとりでお住まいでしたが
喜久子さま薨去後は、高輪皇族邸として無人のまま宮内庁管理の下、残されています。

また、有栖川流の書は喜久子さまご健在の頃より文仁親王が継承しており、
有栖川宮家高松宮家両家の祭祀についても、文仁親王が当主である
秋篠宮家が継承しています。

伊皿子坂

2015年08月15日 | 東京のお散歩
三田台から芝・品川の海へ降りてゆく坂が、伊皿子坂です。

(伊皿子坂)

麻布から魚藍坂を登りきると、狭い三田台(月の岬)の尾根道を挟んで、
すぐに伊皿子坂で海岸へ向けて降りてゆく格好になります。

(伊皿子交差点)

伊皿子の名の由来は、この地に住んでいた明国人の伊皿子(イン ベイス yi mintzu)
とされる説が有力で、伊皿子の墓も、坂の南にある正源寺に遺されています。

(正源寺への下り坂)

伊皿子交差点付近には東京歯科大の前身である高山歯科医学院が
高山紀齋によって明治二十三(1890)年に設立された事から
歯科医学教育発祥之地碑が東歯大によって設置されています。

(東歯による記念碑)

高山紀齋は、豊前中津出身の小幡英之助や、その弟子の伊澤道盛、
野口英世がまだ清作の名だった頃からの支援者であった血脇守之助らとともに
日本歯科医会を設立した日本の歯科医の父として知られています。

魚籃坂

2015年08月14日 | 東京のお散歩
三田と高輪の境、古川の谷から三田台の北端付近に位置する坂が魚籃坂です。

(魚籃坂)

上記のような地形なので、付近には坂が多く、幽霊坂や蛇坂といった
独特な名前を持つ坂も多く、坂道マニア・地名マニアなどには堪らない場所です。

(蛇坂)

(幽霊坂。坂名碑も味がある)

魚籃坂は、その中腹にある魚籃寺という寺が、その名の由来となっています。

魚籃寺は、三田山水月院魚籃寺という浄土宗寺院で
承応元(1652)年に、この地に観音堂が建立され、
豊前中津の円応寺から本尊である魚籃観世音菩薩像を移した事が
寺の由緒とされています。

(魚籃寺)

慶應義塾創設者である福澤諭吉先生も中津の下級武士(生誕地は中津藩大坂蔵屋敷)

三田と中津は縁があるようです。

三田界隈

2015年08月13日 | 東京のお散歩
慶應義塾のお膝元、三田は古川の谷と、月の岬と呼ばれた三田台という
風光明媚な場所として江戸時代から知られていました。

(慶應義塾大学)

大名屋敷や御家人の屋敷が建ち並んでいたこの辺りは
明治以降も徳川、松方、蜂須賀、澁澤、三井といった名士の屋敷地となり
徳川邸は慶應女子、松方邸はイタリア大使館、蜂須賀邸はオーストラリア大使館
澁澤邸は三田会議所、三井邸はそのまま三井倶楽部となり
現在に至っています。

(桜田通りから三田演説館を望む)
*高台の上、樹々の間に見える海鼠壁が演説館。手前の黄色い看板は、ご存知「ラーメン二郎 三田本店」

イタリア大使館は松方邸になる以前、つまり江戸時代には久松松平家の屋敷で
忠臣蔵の大石主税良金は、この地で切腹しています。

三田二丁目付近は平安時代の武将、渡辺綱(源綱)の出生地とされ
かつては三田綱町と呼ばれていました。

(綱町の風景)

現在でもイタリア大使館と三井倶楽部の間の坂は綱坂と呼ばれ
旧来の風情を残した坂道となっています。

(綱坂)

三十年

2015年08月12日 | 徒然
十年をひと昔というならば…
と、昔の作家は名作の書き出しに記したけれど
あの物語が〈「ふた昔半」も前〉だとすれば、
日航機の事故は、三昔も前の事になる。

あの年にはつくば科学万博もあったっけ。


最近、三十年前の事をよく思い出す。

生まれてから今日まで、基本的には東京で暮らしてきたから
東京のいろんな場所に、思い出がある。

三十年前の東京は、今よりも混沌としていた。
「戦後四十年」という言葉が、あちらこちらから聞こえた。

三十年後。
戦後百年になる。
日航機事故からは六十年。

私は七十歳目前で、息子は三十歳。
二度目の東京オリンピックから四半世紀。

その時、東京はどんな街になっているんだろう。

東池袋中央公園

2015年08月11日 | 東京のお散歩
池袋のサンシャインビルに隣接して、樹々に覆われた公園があります。



この場所は、警視庁監獄巣鴨支署として巣鴨監獄が設立されて以来、
巣鴨刑務所、GHQ巣鴨プリズン、東京拘置所と、管轄や名称の変遷を経ながら
一貫して監獄として使われてきました。

都市再開発によって拘置所跡地にサンシャインビルが完成すると
その一角、処刑場のあった周辺には東池袋中央公園が作られ
公園竣工の翌年、戦犯慰霊碑が建立されました。





今は、多くの猫やコスプレイヤーが集う、平和な一角となっています。

日比谷公園

2015年08月10日 | 東京のお散歩
江戸時代以前は入江だった日比谷。
家康入府後は大名の屋敷地となりましたが、明治時代には再び更地となり、
陸軍練兵場として使われていた場所が都市計画公園として整備された
西洋式公園が日比谷公園です。

(大噴水)

(心字池と石垣)

(花壇)

噴水や花壇、公会堂や音楽堂は、色々なメディアでも使用されるので
誰でも一度は目にしたことのある公園です。

(公会堂)

(園内にはレストランなどもある)

(松本楼は園内レストランでも歴史ある店)

西ヶ原みんなの公園

2015年08月09日 | 東京のお散歩
戦前、海軍の火薬工場があった場所に、終戦後間も無く東京外語大ができました。
2000年に府中市のキャンパスへの移転が始まり、2年後に完全移転すると
もともとキャンパスのあった北区西ヶ原は、公園になりました。



これが、西ヶ原みんなの公園で、循環式の水遊び場やビオトープ、
防災拠点として活躍しています。

また、古石神井川(藍染川)の谷に面しているので、眺望もよく
スカイツリーなどが綺麗に望むことができます。


高橋是清翁公園

2015年08月08日 | 東京のお散歩
第二十代内閣総理大臣、高橋是清は赤坂御所(青山離宮)の向かいに住んでいました。
二・二六事件で反乱軍将校に撃たれたのも、この自宅です。



建物は小金井市の江戸東京たてもの園に一部移築されていますが
邸宅地の一部は、港区立高橋是清翁記念公園として残されています。



公園内には燈籠や池泉、飛石などが残り、往時を偲ばせます。

明治記念館

2015年08月07日 | 東京のお散歩
明治神宮外苑や赤坂御所に囲まれた地に、明治神宮の結婚式場である
明治記念館があります。



本館の建物は明治十四(1881)年に、赤坂仮御所の別殿として
現在の迎賓館の場所に建てられた建物で、明治二十一(1888)年に
明治憲法草案審議の御前会議が開かれた建物でもあります。



以来、憲法記念館と呼ばれていましたが、昭和二十二(1947)年に明治記念館と改称し
結婚式だけでなく、お食い初めや七五三、成人、還暦や叙勲などのお祝いに
明治神宮の宴会場として、日本の精神を大切に守りながら
広く親しまれています。

金刀比羅宮

2015年08月06日 | 東京のお散歩
オフィス街虎ノ門の高層ビルの狭間に、古い社が堂々と鎮座しています。



この神社は「こんぴらさん」で有名な金刀比羅宮で
讃岐丸亀の京極高和が、江戸屋敷に金毘羅大権現を勧進したのが由緒となっています。

当初は三田にあった屋敷は、その後虎ノ門の当地に移り、
その際に金毘羅大権現も遷座しました。

維新後は神仏分離令により事比羅神社となり、明治二十(1887)年に
現在の金刀比羅宮に社号を改めています。



現在の敷地は三井不動産による虎ノ門琴平タワーと一体化しているものの
社殿は昭和二十六(1951)年に、伊東忠太の設計校閲によって再建されたものそのままで
高層ビルの隣に建ってはいるものの、たっぷりの存在感で、
周辺企業に勤める人々の信仰を集めています。

国際文化会館

2015年08月05日 | 東京のお散歩
麻布の鳥居坂を登りきると、東洋英和女学院の瀟洒な建物の向かいに
国際文化交流を目的として、ロックフェラー財団等の支援によって設立された
公益財団法人国際文化会館という施設があります。

(東洋英和女学院)

(国際文化会館)

名前や由来は堅苦しいですが、一般にはレストランや結婚式場としての利用のできる
庭園が美しい施設だと思ってもいい程の施設です。

江戸時代には讃岐国多度津の京極家屋敷だった場所で
明治に入り侯爵井上馨が所有し、邸内にて天覧歌舞伎を供した場所でもあります。

(庭園)

明治末期の一時期、久邇宮邸となった時代には
良子女王殿下(のちの昭和天皇皇后・香淳皇后)がお生まれになっています。

その後、戦前まで赤星鉄馬邸、岩崎小彌太邸と所有がうつり
庭園については岩崎小彌太の本邸であった昭和五(1930)年に
「植治」七代目小川治兵衛によって作庭されました。

(小川治兵衛作庭の池泉)

建物は昭和三十(1955)年に、前川國男・坂倉準三・吉村順三の共同設計によって旧館が、
昭和五十一(1976)年に前川國男によって新館が造られました。
建物と庭とが、平安様式、桃山様式、近代様式という
多様な日本の美の調和によって創り上げられています。

毛利庭園

2015年08月04日 | 東京のお散歩
六本木ヒルズの足下には、長門長府侯毛利甲斐守の屋敷地であった
毛利庭園が広がっています。



現在の庭園は、ひょうたん池と呼ばれる池と、そこに注ぐ流れで構成されています。



毛利邸は、元禄の時代には赤穂浪士の討入り後、浪士10名の預け先となり
この屋敷で切腹しました。

幕末には邸内侍屋敷にて、乃木希典が誕生しています。

その後、個人宅となったあとにニッカウヰスキー工場となり
テレビ朝日(当時全国朝日放送)が、日本教育テレビから社名変更の際(昭和五十二年)に
同地を買収しました。
このため、その頃を知る人は、この池をニッカ池と呼んでいたりします。

毛利庭園は、六本木ヒルズの一部として各種イベントも行われるため
日本庭園というよりはイベント会場のような雰囲気ですが
高層ビルに囲まれた緑の空間は、癒しの空間でもあります。


盆踊り

2015年08月03日 | 東京のお散歩
地元の盆踊りは終わってしまいましたが、都内では盆踊りシーズン真っ只中。
もっとも都内はお盆を7月に行う家が多いので、夏祭り的なイベントですね。

いまでは宗教行事としての色は全くなくなっているので
我が家周辺では神社の境内や自衛隊の基地などでも、盆踊りが行われます。



ちなみに近所には商店街を挟んで南北に二つの公園があって、
南ではこの時期に「盆踊り」、北では秋祭りの際に「祭礼音頭大会」を行います。
主催の町会は異なりますが、子どもにとっては楽しみが2回来る、いい街です。

いたばし花火大会

2015年08月02日 | 東京のお散歩
昨夜は、いたばし花火大会でした。
毎年対岸の埼玉県戸田市の戸田橋花火大会と同時開催なので
打ち上げ数は両岸合計12000発。仕掛花火や尺五寸という都内最大の玉など
毎年見応えのある花火大会です。







終了後は埼京線や三田線が終電まで大混雑となるので
間違っても電車で近くへは行きませんが、穴場の撮影スポットも
年々人が多くなってきているので、そろそろ新規開拓しないといけないかも…。