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地名の話

2012年02月17日 | 徒然
地名には、その土地のいろいろな由縁が込められていて
しかしながら合併や統廃合、新住居表示などで
失われて至った地名なども少なくないようです。

よく「水」や「砂」に関わる地名は地盤が良くない
とは言われるものの、住居表示では昔の地名もわからず
判断が難しいのが現状。

ウチの周りは住居表示では
「池袋本町」「西巣鴨」(豊島区)
「滝野川」「西ヶ原」「王子」(北区)
「板橋」「加賀」(板橋区)
という地名が現在のもの。

池袋本町は、もともとの「池袋」といわれる場所があったと推測される場所で
谷端川の谷底に広がる湿地だったようです。
池袋の中心が、現在の池袋に移ったため「本町」をつけたと考えても
おかしくはないでしょう。
豊島は、このあたりを治めた秩父平氏の豊嶋氏に由来しています。


王子は王子権現が和歌山から勧進されたためにつけられた名前。
滝野川は、石神井川の旧称で源平盛衰記などにも記述が見られます。
このあたりは流れが急で滝がいくつもあったことから
この名前が付きました。このため、別名として音無川とも呼ばれます。

なお、現在の地名の滝野川は三軒家(戸部・越部・榎本という3件の地主がいた)と
谷端(谷の端を流れる谷端川が流れていた)、狐塚(狐が棲む穴のある古墳があった)
御代の台(小碓尊=ヤマトタケルが、東征の際にここから武蔵野を眺めた説と
明治天皇がここから川越方面を眺めた説の2説あり)
という地域が含まれ、その字のとおり、狐塚、三軒家、御代の台は
板橋平尾(これも谷端川と石神井川に挟まれた平たい尾根)から続く高台にあります。
台地上は西から山上、平尾、鴻ノ臺、御代ノ台、三軒家、西ヶ原
南の谷は雲雀谷、谷端、堀ノ内
北の谷は金澤、浮田、本久保、宮ノ下、谷津と言う地名でした。

平尾を「下宿」「下板橋」と呼ぶのは、土地の高低ではなく
京側から江戸に向けて上宿・仲宿・下宿と名づけたことに由来します。
ちなみに板橋は古来より滝野河(石神井川)に架かっていた橋の名前で
加賀は加賀藩の下屋敷があったことに由来し、旧地名は金澤と言います。。

写真の沈殿池は、バス停の名前になっている「掘割」の名前の由来になっているもので
淑徳巣鴨高校の横にある公園に今でも給水のバルブが保存されています。
住所で言えば豊島区西巣鴨にあたり、旧地名では新田と言います。
この千川は、上水として取水している地、千川(現在の仙川)に由来しています。

水に関係する地名ではあるものの、江戸時代に掘られた上水道なので
吸水性の少ない地盤で、なおかつ尾根のサミットを通しているため
このあたりの岩盤はかなり安定しているようです。

現在の地名だけでは、なかなか地盤の安定性のことまでは想像できないようですね。