goo blog サービス終了のお知らせ 

東京モノレールの車窓 大井競馬場

2015年10月29日 | 車窓
東京モノレールの線路は、建設当時の海岸線のさらに海側に作られましたが
現在は埋め立て地が増えて、運河上を走る線形となりました。

その、建設当時の海岸線も、実は埋め立て地なのです。

勝島は、支那事変(日中戦争)当時に埋め立て地が進められていた地で
戦勝祈願の意を込めて、海軍省によって「勝島」と名付けられました。

戦後の昭和二十五(1950)年に、この地に大井競馬場が開場しますが、
公営ギャンブル場の所在地が「勝島」というのも何か因縁めいていて面白いものです。

(大井競馬場)

勝島といえば、昭和三十九(1964)年に発生した勝島倉庫爆発火災も忘れてはいけません。
火災第四出場が指令され、19人もの消防吏員が殉職した大火災です。

この時の爆発音や火炎は、遠く池袋でも確認できたそうです。
この時には既に東京モノレールは建設中でした。
もし、すでにモノレールが運行を開始した後であったら、
一般人の被害が多く出ていたかもしれません。

対岸の埋め立て地には渚が作られ、野鳥もやってくる、古い大森の海のような
穏やかな風景が広がっています。


東京モノレールの車窓 バス、新幹線、そして新線

2015年10月28日 | 車窓
東京モノレールの車窓からは、いろいろな乗り物も眺められます。

(都営バス港南支所)

首都高速をはじめ、都営バスの港南支所(はとバスへ業務委託)や、
東海道新幹線の回送線、そして東海道線の貨物支線などが車窓から眺められます。

(JR線の高架橋との交差部)

東海道貨物支線は、浜松町から東海道新幹線の回送線に並走して
東京貨物ターミナル駅まで、休止状態となっている路線です。
東京貨物ターミナル駅からは、羽田空港付近の地下をトンネルで通り
川崎の塩浜経由で武蔵野線や東海道本線に合流する、貨物の大動脈路線です。

この貨物支線を、羽田空港アクセスの旅客線として復活させようという計画もあり
そうなると、湾岸エリアの人の流れも、また大きく変わるのかもしれません。

東京モノレールの車窓 レインボーブリッジ

2015年10月27日 | 車窓
JR線からわかれて、運河とビルの間をすり抜けるように走ったモノレールは
いよいよ東京湾に近づきます

建設当時の海岸線に沿うように右にカーブする頃、
左側の車窓にはレインボーブリッジが見えてきます。

羽田空港からであれば右側に見えるその白い姿は、「東京に来た」実感を沸かせてくれる
最初のランドマークでもあります。


東京モノレールの車窓 芝浦

2015年10月26日 | 車窓
東京モノレールは、浜松町から羽田空港(羽田空港第2ビル)間17.8kmを結ぶ
アルヴェーグ式モノレールです。

開業は前回の東京オリンピック開会式の23日前。
どんどん悪化する東京の道路事情の中、空港から都心へのアクセス鉄道として作られました。

その車窓風景は、開業からの50年間で様々に変化しました。
今日から数日にわたって、その沿線の車窓風景をご紹介します。

浜松町を発車したモノレールは、JR線を大きく跨ぎ、しばらく並走したのち
左にほぼ直角にカーブして海側へ進みます。

(JR在来線と新幹線を越える)

左側の車窓には、ビルの間に運河が走っているのがわかります。
この運河沿いには、日本の経済成長を象徴する場所がありました。

一つは、ジュリアナ東京。
バブル景気を象徴するディスコとして有名なジュリアナ東京も
実は、たったの3年3ヶ月ほどしか営業していない、まさに伝説のディスコでした。

(運河の奥、左側にジュリアナはあった)

もう一つは、テレビ番組でもお馴染みであったボーリング場、田町ハイレーン。
こちらは昭和四十七(1972)年にオープンし、今年3月に閉館するまで
多くのドラマやバラエティー番組、ボーリング番組の収録に使用されていました。

(左が田町ハイレーン跡)