M's Print Diary

ようこそぴょん!お疲れ様です。ところで前向きってどっち向き?

体験したから言えるオール電化のデメリット

2011年05月15日 | Weblog
子供や高齢者のいる家庭では調理器具や給湯を電化する安全上のメリットは非常に大きいと思いますが、すべてを電化するのが本当はどうなのか?

我が家でのオール電化の経緯は、ガス+灯油に比べてコストがそれほど高いわけではない、安いことは期待していないがガス、灯油に比べて安全であるという理由からです。



特にIH調理器は調理部に触っても大丈夫なので、ガス、灯油に比べて安全で子供や年寄りがいると特にやけどや火災の危険がない。

給湯は深夜電力を利用してますが、非常時には電気温水器のタンクお湯が使えるといった理由からでした〔東電やメーカー側の説明〕。

ところが今回の震災を受けて、ライフラインの一本化は駄目だって実感しました。

電気温水器のタンクの下の排水口から利用できる水は滞流水ですから錆臭くて飲料水としては飲めません、はっきり言って東電やメーカー側の説明は嘘でした。

それで結局はお隣の井戸水が頼りになりました、沸騰させれば飲料水としてもなんとか飲めます。

もちろん電気がきませんからIHでの調理も残念ながら完全にアウトになります。

そして実際に震災の後に一番活躍したのは事務所にあったコンロ型の石油ストーブでした。

 

これがあったから料理もできたし暖もとれて助かったのです、震災時にに活躍したのはすべてアナログでした。

オール電化は停電時にはどうしようもないことが分かりました、デメリットだけで震災に役立ったのは「ハイテク」でも「デジタル」でもなく「アナログ」だったってことです。

今回は灯油などの代替エネルギーが無いと停電時には非常に困るなということを実感しました。

オール電化で商売しているみなさんには申し訳ありませんが、今まで東電は嘘の省エネ、つまり電力を使わせようとしていたのです。

ということの反動で本当の省エネ、照明消したり、エアコン止めたりと無駄な電気を節約するハメになるとは何とも皮肉なものだなぁと感慨深いです。

それにしても、やっぱり電気無いと本当に不便。


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9 コメント

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経験の差が… (S)
2011-05-15 14:02:10
いまどきの子供は何でもスイッチ一つで用が足りる文明生活をしています。摩擦で火をおこせとは言いませんが、マッチで火をおこして料理することはたぶん今の子供にはできないでしょう。/便利なものがないのでローテクで生活していましたが、それを当たり前だと思っていました。不便だとは思うようになったのは文明の利器に慣れてからのことです。昔の生活を知っている者は比較できますが、今の生活しか知らない者は比較できません。昭和30年代や40年代の生活は彼らにとって弥生時代のようなものでしょう。/そうかといってサバイバル生活ができない人たちを責めることもできません。ローテクな生活をさせなかった保護者にも責任はあるでしょう。この震災は水のありがたさとか今までの贅沢な生活とか気づかなかったことを教えてくれました。/息子は肥満のため暑がりで夏場はエアコンに依存していました。今度の夏は節電のため扇風機にするそうです。やせたらもっと省エネになるのですが…。/省エネと被災者のことを思うと今までのように大音量で音楽を聴く気になれません。
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S様へ (maki)
2011-05-15 19:31:34
IHクッキングヒーターの近くに、本やノートを置いても燃えることはありません。
そのお宅では火事になることはないでしょう。
しかし火の出ないIHクッキングヒーターやストーブも使わないオール電化の家庭で育った子供が危ないのです、火を見たことも触ったこともないからです。火の怖さを理解していなかったばかりか、「火」その物を見たことも扱い方も知らなかったのではないでしょうか。この世代の子供には、親は子供に火が危険な事を教え、対処法をも教えなければなりません。これからの子供の常識は火を使わないのです、おかしな時代です。
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Unknown (S)
2011-05-15 20:44:08
拙宅でもIHクッキングヒーターにしようかと思ったこともありました。親が年取ってきたので火事が心配になったからです。でも様子を見ているとまだたいした不始末はしないので今日までのびのびになっていました。そこへこの震災で停電になり、プロパンガスで煮炊きは出来ました。オール電化にしていたら食料があっても食べられない羽目になっていたかも。ファンヒーターも使えなくなりましたが、灯油ストーブがあって助かりました。/田舎で生活していると都市部よりは自給自足の面があります。都市生活者は何を手に入れるにも金が必要です。逆に金があれば何でも手に入ると錯覚するかもしれません。田畑があれば当分の食料はありますし、枯れ枝を燃やせば煮炊きはできます。井戸から水も汲めます。動植物もまわりにたくさんあります。卵を産まなくなった老鶏は首を締められ羽をむしられ切り刻まれて食料となり最後のおつとめを果たします。しかしそれを見て「かわいそうだ」とは思いませんでした。生活の中で自然に食物連鎖のなんたるかはわかっていきます。/火傷をしたり刃物で怪我したり打撲で痛い思いをしたりしながら身につく知恵があります。その次は「人の振り見て我が振り直せ」です。身近に見本がなければ本を読んでもいいのですが、本で読んだ知識はすぐに血肉になるわけではありません。実行もせず机上の学問で出来たつもりになる人もいます。例えば夏目漱石は田んぼで稲が育つことを見たことがなかったそうです。実際の場で試して初めて実用になります。生活体験がある人は本を読んでもすぐ理解できます。そういう意味で幼少期は田舎で育ったほうがいいように思います。/あんがい文明生活はもろいものだとこの震災で感じました。
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S様へ (maki)
2011-05-16 09:18:46
起きてしまったことは受けとめるしかありませんが、震災後からはこれを大きな転換点と捉え、これからは自給自足がより注目を浴びてくると思います、だって、これからの方向性はどう考えてもそっちでしょう。あれだけの被害が出た危険な地域に今からまた復興と言う名目で前と同じ状態に戻すことは意味が無いと思いますし、たぶん戻せないと思います。自分の理想は町で働いて田舎で生活することです、人が自由主義経済を安定化させたのは十八世紀以降でしかありません。それ以前は農業中心で絶えず自然の影響が大きかったからです。災害が起きた場合には、金ではなく、現物が重要になります。逆に言えば、自由経済とは、なんでもお金で買えるように安定して物が供給されるとても高度なバランスによってしか成立しない微弱な経済ということです。私の仕事も今回は材料不足でかなりのダメージを受けました、材料が無ければ生産は出来ません、今回の震災によって長期的に電力が不足し続けるなら、自給自足の生活へと半分シフトしてもいいのではないかと思います。田舎の土地に住み、食料は自分でつくる半農の自給自足生活をすればいいし、最低限の衣食住には困らないでしよう。考え方一つで水は井戸水、炊事は薪ストーブ、灯りはランプでもそれを楽しめるならば最低限暮らせるのです。金さえあれば何でも手に入る自由主義経済から抜けられるかどうかは個人の問題でしょうが、生活が自給自足のようなスローライフになり、自然とともに四季を感じながら生きることが人間の本来の姿で何よりの幸せなのかもしれません。


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Unknown (S)
2011-05-17 10:05:41
人が作ったもの(商品)を買って消費する生活は制約があります。金があるか、商品が売っているかです。もちろん何から何まで自給はできません。たとえば普通の人には真空管は自作できません。しかしできるだけ自分でやれば消費のサイクルから抜け出すことができます。/今の世の中では人々はたえず消費意欲を刺激され無駄なものを買わされてしまうのです。そのときは欲しいと思っても後になれば無駄だと気づくことがあります。/最新情報を追いかけているといつの間にかこの消費のサイクルに乗ってしまいます。少し遅れて情報に接すると離れたところからものごとを判断できます。/オール電化は消費のサイクルの一つだったかもしれません。私も太陽光発電を考えているのですがこれもその気にさせられているのだろうかと考えてしまいます。余った電力を売るときに相手が地域独占の電力会社だけしかないという制度は不合理ですね。/田舎で自給自足生活を実行している人をTVで見ると仙人あるいは世捨て人のような生活です。自分一人ならともかく家族には耐えられないでしょう。都市部で生活しているならなおさらです。「定年後は田舎でそば打ちして暮らしたい」と夫が言えば妻は「自分一人でやれば」と言うでしょう。あと体が弱ってきたときに医療をどうするかという問題もあります。/子供は田舎の自給的な環境で育てば自分のことは自分でできるようになり、将来都会に出てもそこの生活には適応できるでしょう。しかしその逆はできないと思います。
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S様へ (maki)
2011-05-17 15:21:43
私的な見解ですが...
太陽光発電が普及しないのはコストの問題だといわれています。太陽光発電の法定耐用年数は17年です、さすがに壊れるには短いと思うので20年は故障無しとします。しかし初期設備資金とメンテナンス費用をかけても元が取れるか?と聞かれれば、多分儲かりません。仮に300万で太陽光発電を初期投資して補助金を差し引いて20年で元が取れると単純計算ができても、本当に20年間壊れなければ私も買います。でも壊れない保証ってないですよね。壊れてもメーカーが無料で修理してくれるならとんとんくらいにはなるでしょう。しかしメーカーの20年保障はありません、外国では太陽光を推進するためにメーカーの20年保障をつけているらしいのですが、日本のメーカーも頑張ってやってほしいと思います。
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Unknown (kiyo1122)
2011-05-31 17:36:23
やはり子供時代の経験は貴重です。農業、酪農、港湾事業等など
。小中生頃は田植えの苗代かきは私の仕事、一人で2町歩のたんぼを1日がかりでしました。トラクタ-のため代かきが終わってからクロウハリまで一人ですよ。酪農は学校に行く前、朝4時起きで自分の背丈ほどの背負いかごに上から踏みつけて2杯の草刈り、それが終わったら飼えば切り餌やり、乳搾り、それから朝食、集乳所に納めながら学校へ通った。それが私の収入でした。4224
その他ラジオ作り、あるときは一晩で一気に5台のラジオを1列に5台分を並べ1種のパーツは順次横並びに今の流れ作業です。これが私のアルバイト料でした。
 港湾事業も三宅島で夏休みに毎年やり、怖いおじさんも皆仲間に、はしけ(工事用の小舟)も操縦し後にそれが役立ち
小型船舶3級合格、油壺で実地試験。今では4級が出来て3級はと中々とれません。書き換え更新しなかった?。
こちらに来て近所の空き地、なんとか農園借りて色々作った事がある。隣を借りてた百姓のじいさんがネギというのはそんな作り方ではよいのができない、来年は良いのが出来るように教えてやる。と言ってたが,イザできたら私のが太く白身が一番長く出来たのを見て爺さん何も言わなかった。
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Unknown (kiyo1122)
2011-05-31 17:57:19
今回の震災、何が無くても水が欲しかった。5時間並んで4㍑のタンクの一つ。家内と並んで二つ。お水は大事だよ!!
3日目からは自衛隊のポンプ車が配給してくれたのでたすかった。水さえあれば他はストック品でまかなえた。
 昔のだるまストーブは家内に内緒で物置にしまって置いた。それが非常に役立った。適当な照明と適当な加湿がほどよく聞いていた。気がついた頃にはご飯が炊きあがり、昔は色々とよいこたがあったな~と独り言!欠点と言えばレコード鑑賞が全く出来ず早寝早起きに徹していた。
 ラジオを聞く楽しみを覚えた。そこで昔の9球式超微弱電界級のラジオよりチャイナ式ラジオの方が良かった、勿論AMもFMも良かった。これは決してチャイナの技術が良かったのではなく、今の技術が進んでいたのだ!と言うことだ。即ち良い設計が出来ていれば誰が作っても良いモノは出来ることになるのであろう。
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kiyo1122様へ (maki)
2011-06-09 16:41:46
それにしても、色々経験してきたのですね~、いまの若い人は車にもバイクにも興味がなく、女にも夢中になれない 危ないことはやらないそんな若者が増えています。時代は変わってしまったのです。
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