下流社会
三浦展さんの「下流社会」です、数年前にベストセラーになりました。
私もこの本のなかの「自分らしく生きる」には興味を持ちました。
以前Chikirinさんも久々に「おもしろい!」本に“あたり”ました。三浦展さんの「下流社会」という本ですと紹介してます。
Chikirinさんは何がおもしろかったかというと、まずは
「自分らしく」症候群が、「下流社会」の源泉である、という洞察。
いわゆる団塊ジュニア層=30才中半の人の層が、“やたらと”「自分らしく生きたい!」と言う傾向が強いと。
ではこの「自分らしく症候群」はどこからきたのか、という話が新しい。
実は団塊世代(これから定年する世代です)が、最初に「自分らしく生きたい!」を言い出した世代なんです。
したがって、その世代の人達にとって「自分らしく生きる」のは、単に歯車になりさがるのにくらべて圧倒的に大きなエネルギーが必要とされる生き方であり、社会との戦い、抵抗運動のスローガンとしての生き方論、だったのです。
で、この団塊世代の人たちが親として教師として子世代を育てる際に「自分らしく生きることの価値」を強く説いた。そのために、団塊ジュニア世代に「私らしく症候群」が受け継がれた。
ところが団塊ジュニア世代は親世代と違って、「お国の復興のための歯車たれ!」などというプレッシャーは全く受けていない。
だから「自分らしく生きる」のは、団塊世代にとっては“社会への抵抗”であったのだけど、この世代にとっては“社会がどうであれ、自分には関係ない”みたいな生き方として伝わってしまった。
説得力あるなあと思いました。なるほどね~です。
「自分らしく生きること」の難易度が時代で大きく変わったわけですね。
昔はすごくエネルギーが要る生き方だったのに、今はすごくエネルギーレベルが低くてもよい生き方になった。
エネルギーレベルの高い昔の「自分らしく生きた人」は勝ち組(中の上の層を獲得)となり、エネルギーレベルの低い今の「自分らしく派」は下流となっている、というわけです。
そして「自分らしく派」が口にする「自分探し」だとか「自己実現」などという言葉を忌み嫌っています。
「甘えてる」とか「世間知らず」と言ってね。
ここでも「親の世代の意識」が「子供世代の意識」に引き継がれているように思えます。
もうひとつおもしろい点。
下流というのは経済力の話としてよく語られますが、この本の中で、経済力は「結果」であり、むしろ「上昇志向」「エネルギーレベル」がないのがそもそも“下流になる原因”だと指摘されています。
で、結果として経済力がなくなるのだが、それを気にするそぶりもない層のことを下流と呼ぶのだと。
そうなると、極端なこと言えば「引きこもるのが俺らしい生き方なんだ」という理屈もありうるわけです。
この理屈に沿えば、自分の子供をニートやフリーター、それを含む下流層にしたくなければ、「自分らしく生きろ」とか「自分のやりたいことを見つけろ」とか言わない方がいい、ということになります。
とにかくこの本では「自分らしく症候群」が下流社会発生の根本原因としてとりあげられており、それが親世代の育て方から影響を受けたものだと解説されています。
この点はおもしろかったです。とChikirinさんの日記に書いてあります。
さて・・・私の感想です。
自分らしくって?時代とともに変わったのでしょうか?
自分らしく生きるとは一体どんなことなのでしょうか?
これが非常に分かりにくいのです。
だれにでも「こんな自分になりたい」という理想があるはずですから、それをもって「自分らしく生きたい」と思うのですが。
しかし現実は自分らしい生き方が簡単にできるほど世の中は甘いものではありません、むしろ現実は自分の思い通りにはならないほうがおおいのです。
人の幸不幸は他者に左右されることがよくあります、ほとんどの人が多かれ少なかれあるはずです。
人はひとりでは生きていけません、多くの人のおかげで幸せに暮らすことができます。
一方、人のために不幸になることもよくあります。
人や家族の意向や期待を裏切れないと、自分がやりたいことや自分が望む生き方ができなかったりもします、でも、人に左右されすぎて幸せに暮らせないのは問題です。
時代が変わっても変わらないものは、それは「自分を持っていること」だと思います。
「自分は自分」と思えるためには、「自分について知る」ということが大きいような気がします。
自分にとって大切なものがわかっていれば、それを大切にすることで自分らしく生きることができるのです。
余計なものはいりません、身軽になれます。
物事に対する自分の価値観がはっきりしていれば、それに従って自分で判断ができます。
また、自分にとって大切なもの、自分が好きなもの、自分の幸せなどを自覚していることも「自分を持っている」ことだと思います。
自分らしく生きるためには、「自分で選ぶ」ということが基本ではないかと思えます。
自分にとって大切な人がいるなら、どうでもいい人のことより、大切な人を幸せにすることのほうが大事で他人にかまっている暇などはありません。
自分が本当にやりたいことを持っていて 自分の夢や目標があってそれに一生懸命に向かっている人は、人に影響されてフラフラすることもないと思います。
「自分がどうしたいか」がわかっていれば、やりたいことがやれる、自分にとって大切な人、大切にしたいもの、それを大切にすることが「自分らしさ」につながるような気がします。
私にはやりたいことがいっぱいあります、でも、実際にやれることは限られていて、やれないことのほうが多いのです。
でも、私は「やりたいことをやって生きている」と言えます、そんな自分を幸せだと思います。