明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



維新直後の東京はほとんど無政府状態だったようである。商店はことごとく店を閉じ強盗が横行している。参勤交代していた諸藩は去り土地はほとんどタダ同然。それでも買い手がいない。そこで土地に板囲いすることを条件に唯で配られた。三井などに引き受けさせたがあまり喜ばなかったが、板囲いもせず、それが後に巨大な財産になったという。  昨年、深川江戸資料館の歌舞伎展に守田座座元であった12代守田勘弥の手書きのキャスティング表を提供したが、この人物は興行師として明治期の歌舞伎の黄金時代をプロデュ-スした大立者であったが、エライ横着者であったらしい。役者を大勢集めて「マア皆さん聞いておくんなさい。有難いことに、俺は今借金が八十五萬円ある。あと十五萬円で百萬円になる。」“死ぬときには何百萬円借金を残したんだか判らない。当時は世間が物騒で、金をウンと持っていると大刀(だんびら)を突きつけられて、奪取(ぶったく)られるか、斬取されるかと云う世の中だから、そんな危ないめをするより、性(しょう)の知れた人にかして置く方が安全だといふわけで、無闇に貸したのでせう。”そういえば河原崎座の座元に一時養子に入った九代目團十郎は、養父が強盗に切り殺される断末魔の声を隠れていて聴き、その声は生涯耳から離れなかったという。
HP

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