明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日のブログを書いていて、小4で知った一休の〝門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし”にずっと支配され続けて来たのではないか?と気が付いた。作りたい物が途切れずある分、死の床で、あれもこれも作れば良かった、と悶え苦しむに決まっている、と長年嫌で仕方がなかった。最近、先の目標を持たずに目の前のことだけに集中することで途中挫折を防ぐということに気がついたばかりだが。一休像を描いた弟子の曽我蛇足の描いた臨済宗開祖、臨済義玄の激しい表情が面白く作ってしまった。   やはり上の方でシナリオ書いている何者かは在るらしい。核心に向かって導かれている実感がある。それもこれも〝考えるな感じろ”で行かないとこうは行かないのも判っている。そして個展会場では後付の解釈なのに考えて作りました。という顔をしてしまう私である。明日から鎌倉は建長寺開山、大覚禅師、蘭渓道隆師の胴体部分に着手する。



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