明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



陰影を排除した石塚式ピクトリアリズムはどうせなら、この手法でなければ手掛けられないであろうモチーフを手掛けたい。生来出無精ではあったものの、コロナや酷暑、坐骨神経痛により外出し難い状況も、この手法がそうさせたのではないか?と疑いたくなる。 完成まじかの達磨大師、中国人だと思い込んでいる人が多いので、インド人を意識してみた。少林寺の岩窟内にいるのに照明を当てたように明るい。我が国の絵画にはかつて月が昇っていたり行燈があれば夜である、というルールがあった。最近まで実行していた作家に蛭子能収がいたけど。 見たまんま、それがまことであり世界だ、などとは野暮というより野蛮である。もしかしたら私は生まれた時からずっとそう思って生きて来たのではないのか?そう考えると私に関しての、全ての説明がつくような気がする。


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