永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

恋はみずいろ。

2008-02-24 08:12:59 | 日記・エッセイ・コラム
1960年代となると、よく洋楽を聴いていました。中学生のころラジオから流れるビッキーの♪恋はみずいろ♪がよかったですね。ビッキーのハイな声色ははつらつとしていました。子どもながらに、恋をしたらハートがみずいろになるのかなと思いましたものね。このころの映画もフランス映画が多かったですね。ビッキーは♪悲しき天使♪もよかったですね。ペギーマーチの唄にものめり込んでいました。ペギーマーチは日本で人気があったから、日本の歌謡曲をカタコトで唄っていました。♪いつでも夢を♪わすれないわ♪若いってすばらしい♪。甘くせつなく机の上のラジオから流れる声を、勉強するふりしてじっと聞いていました。ジュリーロンドンの♪ミスティ♪も良かったですね。この方は容姿もバツグンでした。'60年になると当然ビートルズですよね。♪シーラブズユー♪にはじまり、ミーハーになって聴いていました。小さいポータブル蓄音機に友だちからレコードを借り回しです。親からはもちろん“こんなもん聴くな!”です。それでもどこ吹く風。ほうきをギター代わりに俺はポールだ、俺はジョージだなんて、かわいい中学生でしたよ。そろそろ`70年を迎えるのですが、ビートルズは♪リボルバー♪あたりから他のミュージシャンを寄せつけない求道者みたいになっていきました。いよいよ、高校生のころはいわゆるビートルズ狂いですよ。ビートルズは聴くものの精神的なものに音を打ってくるから、こちらのほうとしては精神的な部分を開放しなければなりません。♪サージェントペパー♪なんかになると、もうビートルズは神様みたいなものです。ちょっと風邪なんかひいたりしても、病院にいんないでもレコードを聴いていたら治りました。その後、♪レットイットビー♪にいくわけですが、そのころになるとジョンはアート思考にいくわけで、映画を観ても4人のバラツキ感がありましたね。スタジオでのジヨンは完全に孤立。我が道をいくでしたね。ポールは相変わらずエンターティメントを発揮して俺のビートルズだという感じでした。ポールの唄う発音は♪レルピー、レルピー♪と、僕の聴覚に入ってきました。写真のスケッチブックの絵は1970年の12月、僕が19歳の頃描いたメンバーの絵です。先日物置きを整理していたら、ひょっこり出てきました。絵の線は今も当時と同じです。今思えばよく飽きもせず毎日絵を描いていましたね。我ながら馬鹿じゃなかろうかという位描いていました。だって、絵を描くのが一番楽しかったのです。写真集を見て描きました。こうやって絵にすることによって5人目のビートルズになれるのではないかと思っていました。ビートルズはやはり音楽もですが精神的なものであったのですね。今から振り返れば成人前のかわいい19歳ですよ。Rimg0033



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