永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

故郷。面影と残像。

2009-04-08 09:33:25 | 日記・エッセイ・コラム
人には故郷がある。それは具体的な貌としての生れ育った土地そして風景であり、また、こころの中の精神的な心象風景なのかもしれない。友人のTさんと一年ぶりに会う。積る月日の話しに、Tさんは、小倉の足立山の峰の貌がいつもこころの中にあると言う。僕は小倉のことを知っているようで、意外と小倉の大地にそびえる足立山の貌は観ているのだが、僕のこころの中には定まつていなかった。僕は少ししっとを憶えた。そう言えば、僕の先輩で、現在はホノルルに移住しているSさんもよく足立山のことを話していた。時々の電話でも「インターネットで小倉の街を検索して、足立山の画像を見ているんだ」と話していた。作家の松本清張さんも「半生の記」で、足立山のことを書かれている。小倉の地形を眺望すると、どのポイントからも足立山は、まるで母親が子どもを抱いているように小倉の街を包み込んでいる。それは母の胎内のようでもあると、Tさんの話しを聞いていてそう思った。人はいつでもこころの中に風景を持っている。それはその人だけの風景になる。
Tさんが、「小倉の香春口あたりを歩こう」と誘ってくれたので連れのう。香春口のモノレール沿線は都会の何の変哲もない乾燥しきつた風景だが、昭和町の方へ一歩は入ると、そこは町の名前のとおり、昭和三十年代の光景がそのまま面影を残していた。Tさんの話しによると、黄金町から中島、馬借方面へ真直ぐ走る道が、昔は日活通りと言っていたそうだ。この町の中心に日活の映画館があつたそうだ。建物や居酒屋の名前に日活の名前を付けているとところが何件かあったが、住民の思いとしての残像が屋号になっているのだろう。狭い路地裏を歩くと、道を互いの家の軒先きがせめぎあっている。ああ、これは子どもの頃、日常では当り前の風景だつたことが記憶に甦り、郷愁として頭の中がぐるぐると一気に回転しだして、どの親もが必死になって働き子どもを育ててくれた時代へと帰ってしまつた。その後、Tさんと別れ小倉の中心に入ると高層ビルの壁が僕を脅迫して現実に引き戻してしまつた。足立山はもちろんビルが視界を遮ってしまった。僕の小倉はしっとりとした古風な町の風景しかこころのスクリーンに写っていない。Rimg0002
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