今日の毎日新聞夕刊文化欄を読んでいましたら、ある大学の学長さんが、芥川龍之介が上海を旅したことを書かれていました。旅立ちは大正10年3月に門司港だつたそうです。芥川龍之介と門司港。きっと西海岸から旅立ったのでしょうね。当時、門司港は上海経由ヨーロッパ行の船が出ていましたから、その船に乗って行ったのでしょうか。門司港は、戦前、戦中と数多くの著名人が外国を行き来していますから、その中のひとりなんですね。何だかロマンを感じます。でも、門司港は国際都市。これが当り前の風景なんですね。昨年、西海岸のある施設で出征兵士の記録展を観たのですが、俳優の故・加東大介さん(若い人には、知らないかもしれませんが。昔、東宝映画に出ておられました。黒澤明監督の映画には必ず出ておられました。)も出征は門司港だそうです。展示されていた記述に「日本の国土(加東さんの記述を読んで門司港をそう表現されていたように記憶しています)から船が出る時、万感迫るものがあった」とありました。海峡のことで言えば、わたくしごとの話しですが、その昔、僕が描いたポスターの絵を目にされた読売新聞の学芸記者の方が評して、「海峡という言葉には、人のにおい、息づかいがある。海を挟んだ生活と生活がぐっと近づき、混じり合って膨らむからだろうか。(中略)人の心には川が流れている。関門海峡の流れは心の川につながり、夢を運んで悲しみを押し流す。」と、新聞の書評に書かれました。時代や社会は縦横に変化しても、土地と人は変らないですね。
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