永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

幻想都市、MOJIKO。

2011-07-17 10:03:21 | アート・文化
Rimg01

MOJIKO 〈C〉著作権者:永野宏三・ひろみプロ

全国的に門司港と云えばひとつの地名に思われているふしがありますが、行政区のひとつである門司であり、実際には門司港と云う地名はありません。門司港という名称を使っているのは鉄道駅の『“門司港”駅』だけであります。
明治以来、国策として国際港を築港してきた港を門司港と云い、この港に直結した基点の駅が門司港駅となり、それが街のイメージを形成してきたのでしょう。
門司に住んでいる住民からすると、この区を大別して門司港地区と大里地区に分けて認識しています。
門司区には三つの駅が存在していて大里地区には門司駅があり、日常生活には便利なところです。
大里地区の海岸線沿いには古いレンガ建ての建物が今も残ります。砂糖工場や酒造工場・鉄鋼工場、かつては製粉工場・ビール工場など幾つもの製造関係の工場がありました。これらは戦前に日本の大商社であり大財閥の鈴木商店が興したものだと云われています。
町の古老から聞いた話ですが、北九州市に新幹線の駅をつくる時に、この大里にある門司駅をホームにすると云う計画があったそうです。門司駅の地下に新幹線駅をつくり、現在の駅前にひろがる商店街あたりを東京の銀座のような街にすると云う壮大な計画が立てられたそうです。
話しは門司港に戻りますが、門司港の街はエネルギー・交通の変革と、そして先の大戦といつの時代もいろんな場面で翻弄されてきた街と云えると思います。
いつの時代もですが、時代は夢を見て時代を動かし時代をつくる。かつての門司港もそうであったように、大正から昭和初期にかけてのGNPが東京よりも門司港が高かったそうです。人がどっと集り、さぁ~っと退いていく。当時、全国各地から夢を見て集ってきた人々が門司港、そして門司という幻想都市を一時代につくったのかもしれません。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿