凡そ、平凡。-ohyoso,heibon.

副業的サラリーマンの競馬バカが、そんなコトとは全く関係なく、日々のうつらうつらしたことをあーだこーだと語る、趣味の駄文。

読後感。

2008年12月23日 | 雑記
てなわけで、BDレコーダー『あくせる』(DIGA)活躍中。
「鉄のラインバレル」も「ガンダム00」も土日の「競馬」も録画で見ました。
そして、「間に合えー――!」の勢いで録画した、最終回二本。


TBS『流星の絆』と『ブラッディ・マンデイ』。


まず、『流星の絆』。

本日、相方から「原作とはラストが違う」という話を聞きました。
原作では真犯人が死んでしまうらしく、多分…自殺?…と。
これ聞きましてね、ぶっちゃけ、「原作を読む」言っていた仕事場の御姉様に、このドラマを薦めなくて良かった、と。
また、自分では「放送中に原作を読んでみようかと興味を持ったが、思い止まって良かった」と思いました。

ワタシ的にはドラマの出来に満足しております。
なんつうんですかね、

「クドカンが作っても東野圭吾テイストは失われないし、東野圭吾を取り上げてもクドカンドラマはクドカンドラマ」だと。

むしろ、クドカンが書かなければ観なかったかも知れないドラマですから。
観て良かったと思える分、満足でございます。

東野テイストの「ちょっとなぁ」な部分については「容疑者Xの献身」でも書きましたが、「自分」と「被害者」の命が軽い、ってこと。
真犯人を敢えて「死なせなかった」ことで、ここらへん、クドカンは上手くクリアーしたわけです。

「そんなんで納得できるわけねーだろ」という、劇中・二宮君の台詞のごとく。
ただ、東野テイストの魅力の一つでもある「やるせなさ」みたいなものを求めるなら、あのラストは納得いかないでしょうが…。

でも、「死にたい位辛くても生きて、ただ生きて、遺族が笑ったり泣いたりする姿を見続ける」という、『償いの条件』は逆に、「どんなに親しくなって、信頼すべき相手であっても、やってしまった罪の一点については、一生かけても許さない」という意思表明みたいなもので、これはある意味、三人の兄弟がこの先幸せになればなるほど、、加害者の「罪の意識」はつのるような気がするのですよ。

加害者視点ならば、「死んでしまう結末」よりも、この方がある意味ツライ。

しかして、ワタシはその方が話のまとまりとして良いと思います。

てな話よりも。

「妄想係長 高山明伸 年末スペシャル」…って、おい。
「幸せの黄色いポストイット」…って、おい。

この最終回でもそこまでやるのか、クドカン。

さすがお笑い胃潰瘍。



で、変わりまして、

『ブラッディ・マンデイ』。

こちらは放送中に、ちょいと「原作マンガ」を読んでしまい…
「なんじゃこりゃ?」てな感じ。
そういう意味じゃ、「もっと原作を無視しても良かった」んじゃないか、と。

演出的にはなかなか良かったと思いますし、三浦くんの「藤丸」にも、成宮くんの「J」にもなかなか味がありました。

しかして…

これ、映画で続編とかやんないの?

なんか、随所に未解決な部分が…

まあ、原作マンガ終わってないですからね。

「血の月曜日=宝石箱を開ける=中性子爆弾」てぇ流れにしてもね、「K=安斉真子」つう解答にしてもね、ちょっ…と、伏線が無さすぎたっつう気が。
要するに、クライマックスに至るまでがちょいと弱かった感じがするのですよ。
なんか、…消化不良つうか。
むしろ、こっから話が始まるような。
「ガンダム00」のファーストシーズンに似たような勿体なさ感が。

話的に、藤丸君や新聞部の二人、サードアイの面々は、「全てに関わってしまった為に、これから何が起きても途中抜けできなくなった」わけで。
どっかで決着をつけなきゃならない筈ですよねぇ。

そして、真の黒幕は健在で身近にいる、と。


どーも最近のサスペンス物はエンディングを引っ張りますが…
これは未解決感がデカすぎ。

てなわけで、ワタシ的には続編を希望しますな。
しかも、「縛りのない感じで作っていただきたい」と。

まあ、そんな感じです。


さてさて、来年の連ドラ視聴は未定。
BDレコーダーだと、ブッキングとか録り忘れなど気にしなくて良いですが、あまり乱録したくないし。
まあ、ある程度吟味したいな、と。