凡そ、平凡。-ohyoso,heibon.

副業的サラリーマンの競馬バカが、そんなコトとは全く関係なく、日々のうつらうつらしたことをあーだこーだと語る、趣味の駄文。

「何かが変わるまで生きろ」

2008年09月08日 | 映画
えー、ワタクシ、やっぱ「オタ」かも。

「魔法の天使 クリーミィーマミ」というアニメに、「星井 守」というキャラクターがいました。
頑固一徹で融通の利かないディレクター。
…このキャラのモデルが、後の「世界の押井 守」であることは言うまでもありませんが、「うる星やつら」でどの話を作ったのかわからん以上、ワタシが初めてみた「押井作品」は、この「クリーミィーマミ」だと思います。

以降、「うる星やつら」での「メガネの長台詞」に爆笑し、劇場版「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」に感動し、「天使の卵」に頭を抱え…
「機動警察パトレイバー」にハマる、という。

信者ではありません。
が、
「この人にはかなわん」と思いました。

さて、今回のネタ。

押井 守監督・映画最新作『スカイ・クロラ』。

和訳すると、「空飛ぶ羽虫」だとか。

内容からするとですね、…まさにピッタリのタイトル。

えー、今回の作品は、小説の映画化。
四冊ほどシリーズで出版されているそうで、純粋に「押井ワールド」かと言われると、…多分、違う。

しかして、押井監督が一貫してテーマとしているものは同じ。
「劇場版 機動警察パトレイバー」の中の台詞。

「我々は何処から来て、何処に行くのか」

ローマに攻め行った野蛮人の将軍の言葉だそうで。


人間、生まれたときの記憶はありません。
成長するにつれて、思い出は沢山できますが、その記憶は時が経つにつれて曖昧になります。
時が経てば、自分が知っているモノ・事柄・風景は変わって行きます。
形を残さず消えて行くものもあります。
自分が一体何処で生まれ、何処で育ち、何を見てきたのか。
一部が鮮明に残っていたとしても、それがいつの何だったのか…。

ふと振り返った時、それは果たして「自分の記憶」なのか、それとも「人から聞いた話」なのか、「誰かに見せて貰ったものなのか」。


そして、まちがいなく言えるのは、「明日自分がどうしていて、何を感じるのか」わからない。
むしろ、「明日いる自分が、今の自分と同じ『自分』なのか」、そんな確証すらない。

なのに、何故、人は懐かしいがったり、今日を生きようとしたり、明日に希望を持とうとするのか。


その答えは…。


『スカイ・クロラ』もそういう話…と言って良いでしょう。


つうか、押井監督の作品はよく『観念的』であるとか、『退廃的』であるとか言われます。 
まあ、多分、それも当たってますが…。

長いこと氏の作品を観て気付きました。

「ああ、言いたいことって一つしかないんだ」と。
だから、やたら『意味を探ったり』してもしょうがねぇんだ、と。

要するに、

『答えは自分が観て感じたこと、そのものだ』と。


えー、ワタシとしましてはこの『スカイ・クロラ』、いつになくリラックスして観れましたし、いつになく話にすんなり入れました。
観ている間、ずーっとα波が出てた感じ。

哀しい話ではありますが、救われない訳ではない。
何も解決しないかもしれないが、何も変わらないわけではない。

そういう話です。


何もない平原に、佇むようにある基地。
行きつけのイン(ダイナー)に向かうまでの、ただ、真っ直ぐな田舎道。
海の底にも、宇宙にも似た、上も下もない空。

なんか、あり得ないんですが、懐かしい風景に見えました。

そういう映画です。