かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 141

2014年12月26日 | 短歌一首鑑賞

【非常口】『寒気氾濫』(1997年)75頁
            参加者:石井彩子、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
             レポーター:石井 彩子
            司会と記録:鹿取 未放


174 裁判所のできあがりゆく床下にとじこむるべき闇がきている

     (レポート)(2014年12月)
 法治国家の威容を示すがごと、裁判所が出来上がりつつあるが、所詮、人が人を裁く場である。様々な人間模様が繰り広げられ、時には法の名のもとに、国家権力によって指揮権が発動され、あるいは冤罪だって生じるかもしれない。敗れた者たちの怨嗟の声や不条理な情念を、あらかじめ閉じこめ、葬り去るには、既に闇が覆う床下は恰好の場所だ。裁判の負の面を床下の闇と視覚に転換しているのは氏らしく、巧である。(石井)  


     (意見)(2014年12月)
★裁判所の床下というのは、一度閉じられると建物が壊れるまで覗かれることがない。そこに闇が
 閉じこめられているというのはよく分かる。裁判所は本来真実を明るみに出して人を裁くものな
 のに闇に葬ってしまうという面もありうるわけで、そういうところを捕らえているのが面白い。
     (鈴木)
★下の句に注目しました。裁判所が出来上がっていく進行形の状態で、葬り去るべき闇が来ている
 という、同時に引き込むような、闇と常にセットであるような、こういう歌い方があるのかと注
 目しました。(真帆)
★石井さんが、裁かれて敗れた者の怨嗟の声というところまで想像を働かせて解釈していらして、
 すばらしいと思いました。ただ、終わりから2行目の「既に闇が覆う床下」というところは気に
 なりました。建てかけの床下は確かにもう闇かもしれないけれど、まだ閉じられてはいない。歌
 は「とじこむるべき闇がきている」だから、これから裁かれて葬られるに違いない諸悪とかもろ
 もろの情念とかが押し寄せてきているって読みました。(鹿取)


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