馬場あき子の外国詠 P(まとめ)(2010年3月)
【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)P164~
参加者:Y・I、N・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放の7名
レポーター:T・Hさん、レポート部分は省略。
司会とまとめ:鹿取 未放
※レポートに追加する意見だけを載せているので、元のレポートがないと不十分なのですが、
お許し下さい。お申し出くださる方には、元のレポートをコピーしてお送りします。
195 蜃気楼の国のやうなる西域の飛天図を見れば夜ふけしづまる
この歌は現地に行って飛天を見ての感慨か、蜃気楼の国のようだと考えていたその西域に正に自分が旅しようとして、あこがれの飛天図を写真か何かで眺めている図か、二通りに考えられる。四首めに富士が出てくる構成から考えると、行く前のあこがれの気分と読んで欲しいと作者のメッセージかもしれない。夜は更けて静かだが、自分はあこがれの飛天図を飽きもせずに見入っている、と読みたい。
196 靡くもの女は愛すうたかたの思ひのはてにひれ振りしより
靡くものを女は愛するようになった。はかない恋の思いの果てに領巾を振ったあの昔から。
万葉集に載る「ひれを振る」歌を幾首かあげてみる。
a 松浦県佐用姫(まつらけんさよひめ)の子が領巾(ひれ)振りし山の名のみや聞きつつ居ら
む(巻5・868) 山上憶良
b 遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負ひし山の名 (巻5・871)
作者不詳、一説に山上憶良とも
c 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫(巻5・874)
大伴旅人
これらの歌はいずれも佐賀県唐津市に伝わる佐用姫伝説をもとにして後世の歌人達が詠ったもので、伝説はこうである。
537年、百済救援の為、兵を率いて唐津にやってきた大伴狭手彦(さでひこ)は、軍船建立まで滞在した長者の家で、長者の娘佐用姫と恋仲になった。やがて狭手彦は出航し、姫は鏡山に登って領巾を振り続けた。その後、七日七晩泣き続けてとうとう石になってしまった。そこで領巾を振った鏡山を領巾振山(ひれふりやま)と呼ぶようになった。そうして今も唐津市に鏡山(領巾振山)は残っている。ところで憶良や旅人は7世紀後半から8世紀前半にかけて活躍した歌人だから、領巾振山の伝説からは既に150~200年の時が経過していたことになる。
ともあれ、馬場のこの歌は万葉集のこれらの歌を背景におきながら、悲恋の姫に想いをよせ、そこから女のはかなげな習性を思っているようだ。
197 風早(かざはや)の三保の松原に飛天ゐて烏魯木斉(うるむち)に帰る羽衣請へり
「風早の」は「三保」に掛かる枕詞のようなもの。(万葉集に「風早の美保の浦廻(うらみ)の白つつじ」(437)などとある。)三保の松原に飛天がいて烏魯木斉に帰る羽衣を返して欲しいと言った。
飛天伝説は日本各地にあるが、近江、丹後、三保の松原のものが特に有名である。これは飛天が目の前にいるかのような現在形で書かれているところが面白い。飛天が請うのが作者らがこれから尋ねようとしている烏魯木斉に帰るための羽衣だという断定もほほえましい。烏魯木斉近くの洞窟に描かれた飛天がどうのこうのというよりも、馬場あき子特有の断定で、面白がっているととっておくほうがが楽しい歌になるように思う。
★烏魯木斉の字面のおもしろさを狙っている。(慧子)
198 富士よ富士しだいに小さく日本は沈みゆき濃きスモッグに満つ
三保の松原あたりも過ぎ、日本一高く秀麗な富士の山も小さく小さく遠ざかってゆく。そうして飛行機の彼方にはスモッグに満ちた日本そのものが小さく沈むように遠ざかってゆく。スモッグに満ちた日本の国に対する悲しみと哀惜。
199 おお天山その新雪のかがやける静かなる身もて機窓に迫れ
全体に昂揚した詠いぶりである。新雪を被った天山の偉容に圧倒されている作者が見えるようだ。もっと間近で見たい、もっと機窓近く迫って来いというのだろう。あるいは、「迫れ」は命令形ではなく、「こそ」という係助詞の省略された已然形ととることも可能である。その場合は、新雪かがやく天山が機窓に迫ってきたことよ、というような解釈になる。
ネパールで、「夢と思ひしヒマラヤの雄々しきマチャプチャレまなかひに来てわれを閲せり」と詠われいるが、この天山の歌よりおよそ5年後のことである。
★どちらが迫ってくるか錯覚。ネパールの山の歌と歌いぶりが違う。(慧子)
200 匂ふといふ色雪にあり烏魯木斉の空に天山は暮れ残りゐつ
夕暮れの天山の被る雪を「匂ふといふ色」と捉えたところがすばらしい。「匂ふ」は美しい色つやを言う語だが、今でも「匂うような黒髪」などの言い回しに意味の名残がある。真珠のような淡いピンク色をしてぽっかりと空に浮いているのであろうか。いやいや、真珠とかピンクとかオレンジ色とかいえない、曰く言い難いからこそ「匂ふといふ色」なのであろう。
201 烏魯木斉に天池(てんち)あり標高二千なり西王母の雪風に匂へり
その名もズバリ天池という風光明媚な池が烏魯木斉にある。標高二千という高度にあって、周囲には雪を頂いた山々が連なっている。山々の峰には雪が積もっていて、風に乗って雪が匂ってくる。それは西王母の降らす雪であって、清新このうえもない。
というのだが、西王母は仙女で実在の人ではない。彼女は崑崙山に棲んでいて、その庭には3000年に一度実る桃の木があるという。その桃は不死あるいは長命の効能があり、ために西王母はその桃を武帝に与えたという伝説がある。
2句め「あり」、3句め「なり」と二箇所に切れがあり、結句は「匂へり」とi音の脚韻を踏んで力強くシャープなリズムを生み、作者の感動の強さを伝えている。もっといえば2句めの「あり」は音数上は「天池あり標」と句割れになっており、さらにそれが切れ目でもあるという複雑なリズムを作っている。
ところで作者が訪問した時の天池は、ひっそりして人もまばらだったのだろうか。
いまや観光地化してレジャーランドのようなにぎわいだと聞く。土産物屋などもたいへんな数のようだ。
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