かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 O(まとめ) 中国その2

2013年07月04日 | 短歌の鑑賞


 馬場あき子の外国詠 O(まとめ)(2009年11月)    
    【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
   参加者:K・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放の8名
               レポーター:T・Hさん、レポート部分は省略。
        司会とまとめ:鹿取 未放
 
 ※レポートに追加する意見だけを載せているので、元のレポートがないと不十分なのですが、
  お許し下さい。お申し出くださる方には、元のレポートをコピーしてお送りします。
  

178 肥りたる青年に遇はざりしこと人民服とよぶ紺の春

 ★革命以前はステイタスのシンボルとして男性も女性も肥っていた。だから、偉い、よくがんば
  っていますねという感銘。(T・H)
 ★感銘ではなく、思想統一に驚いている。指導力・政治力。(T・K)
 ★全体主義の恐ろしさ。(曽我)
 ★日本では脂ぎった青年が増えてきた頃なのに、中国は食が貧しくすがすがしく痩せている。
  (慧子)


179 上海の青葉どきなる夕暮を静けき紺ぞ人民服は

 ★写生の歌。(藤本)
 ★思想統一に逆らえない人々の静けさ。(T・K) 
 ★「静けき」は喧噪がないということではなく、精神の静けさなのだろう。統率されて声を上げ
  ることの出来ない人々、飼い慣らされている人々の表面的な静けさ。(鹿取)


180 魯迅の時計止まりたるまま古びをり歴史とは少しずれし抒情に

 一行が魯迅記念館を訪問したのは魯迅死後50年近く経ってからである。展示されている魯迅の時計も止まって古びている。この時計と魯迅の思想は「歴史」といっているのだから関連はあるが、あまり緊密に結びつけて鑑賞する必要もなかろう。魯迅が意図したようには中国は動いて来なかったが、そういう思想や政治とは離れて、目の前の時計は抒情的に存在しているというのではなかろうか。(鹿取)

 ★背景はあまり考えなくとも良い。(藤本)


181 老爺笑み媼は多くきげん悪しき自由市場の干し果肉はも

 ★楽しい市場風景(金子)
 ★日本の習慣やサービスとの違い。ほほえみも習慣で違う。(藤本)
 ★スケッチ。「はも」の感動も「干し果肉よ」くらいの意味。買うとか買わないとかいう問題で
  はない。おじいさんがほほえんでおばあさんが機嫌悪いのも特別の意味はなく、それを作者は
  面白がって観察しているのだろう。(鹿取)

182 銭塘江逝くともみえず後漢書の春も白木蓮(はくれん)咲きたるかなや

 「逝く」というのはどういう意味かとの疑問をもつ会員が多かったが、「逝くものはかくのごときか」という論語の言葉を思い出せば水が流れてゆくという意味だと分かる。銭塘江は杭州湾に注ぐ全長688㎞の浙江省内を流れる河川である。蛇足だが、この杭州湾を横断し、上海と寧波を結ぶ35.6㎞の杭州湾海上大橋が2008年開通したそうだ。
 銭塘江がゆったりと流れ、岸辺には白木蓮が美しく咲き誇っている。遠い後漢書の時代の春もこんなふうに美しく白木蓮が咲いていたんだろうなあ、という感慨。後漢書と銭塘江の関係は、私に知識がなくて不明だが、「漢倭奴国王」の金印に関連があるかと言われる有名な記述が後漢書にある。すなわち「建武元(57)年、倭奴国奉朝賀す。……」日本の使者が漢の光武帝に印綬を受けたあの時代の春も……という気分なのだろうか。史実かどうかも確定していないので、この時の日本からのルートなどもちろん分からないが、8、9世紀の遣唐使の航路は、五島列島を経由して現在の中国の明州、紹興を通り銭塘江をわたって杭州へ行くルートだったらしい。そういうわれわれの祖先が見た風景を懐かしんでいるのかもしれない。
 ともあれ、銭塘江の美しい春景色に酔っているような雰囲気の歌である。83年の中国旅行での春景色は夢のように美しかったと馬場先生から聞いたことがある。(鹿取)

183 彼方越ここは呉地なる六和塔の十三層上春たけてをり

 ★ 呉越同舟(N・I) 

 六和塔は、かつての呉の地に立っているらしい。その十三層は60メートル近くあるということだから上れば越の国だった地が見渡せるのであろうか。呉越同舟の語源になった争いの地が両方ながら見渡せる高層に登って、何事もなかったかのような春景色の広がりを眺めていると、さまざまな感慨がわくのであろう。「春たけてをり」の結句に寂しいような明るいような茫漠とした気分がにじんでいる。ちなみに呉越の戦いは春秋時代の話で、呉が滅亡したのはBC463年のことである。また、紛らわしい話だが、六和塔は970年に〈呉越〉という国の王が建てたものだそうだ。
(鹿取)

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