五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

時代はパーシャル

2019年11月14日 | 雑記
はいこんばんは。

blog放置気味になると、「生きてんのか?」と思われそうなので…

風邪なのか、睡眠の秋なのかなんなのか、少し体調を崩していて寝ておったのです。
怖い夢を見て吐き気を堪えながら…

パニック障害が小康状態で、食事も少しはとれるようになっているんだけど。
「こんな、自分を誤魔化していていいんか?もっと病気と正面から向き合うべきなのでは?」

そんな問いかけがふっと頭に浮かんできまして。
病気と向き合うことは、病気を自覚し、発作も起こして我慢することか?

おかしな話だ。
余計なことを考えずに済んで、体調が小康状態ならよかろうに。
なんでそんな小難しいことを考えるんだろう?

それが病気なんだよ、と言われればそれまでだけど……自分からドツボにはまるべきだと考える自分は発狂しかかっているんじゃないかと思ってしまう。。

「もっといい加減に生きられたらいいのにね」
最近、とある友人にそう言われた。まったくもってその通りだと思う。

カチンコチンに凍らないから旨い、時代はパーシャル。
そういうCMを思い出した。
頭ン中、カチンコチンではいかん。

具合が悪くなっても気にしない、そういう日もあるさ、また良い日もあるし。
重く受け止めない、チャランポランさが今の私には足りないのだと自覚した。

30年前、不登校のまま進学せず浪人していた私に、教育相談の先生が
「僕のいい加減さを少しずつ●●君に移してやろうとしてる」
と言われていたのを思い出した。

誰が見てもガッチガチのビンビン、勃起しまくった神経質、クソ真面目、自信のなさ。
自覚はなくもなく、自分なりにいい加減さを気取っていたつもりだったが…

スタプリ映画を観に行きたい、なら行っちゃえばいいじゃん……ドキドキプリキュアみたいにジコチューにされればどれだけ幸せかと思う。

映画館は、電車やバス、床屋と同じように恐怖の対象の最たるものだ。
具合が悪くなると逃げ場がない。これを医学用語で「広場恐怖」という。

好きなことなら、多少の荒療治にも耐えられるかもしれない…
だけど、30代後半から発作のダメージが抜けにくくなって、あとを引くようになったから踏み出せないんだ…

その「だけど~」ってのがダメなんだ。
他人に勧められたことも、その「だけど」でストップしてしまう。

学生の頃は、その「だけど」が災いして『付き合い悪いやつ』の烙印を押されてしまった。
しぜん、学校を卒業すれば孤独になった。

…などという自分語りは自己憐憫に繋がりやすいから、もうこのへんでやめよう。
読んでもつまらん話だし、ここまで読んだ方がおられたら申し訳ないと思う(当て逃げ)

人生の大半を病んで過ごした中年男のタワゴトでした。