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cuminseed

ちょっとだけスパイシー

ちょっとヘン(視覚障害者)

2007-03-05 | 障害者
今日、会社の帰る途中、
地下鉄梅田駅のエスカレーターに乗って、
改札を出ようとしたら、
黒い皮のコートを着た30歳ぐらいの男性が、
階段を下りているのが目に入った。

歩き方が、
ヘンなのである。
私のような身体障害者のような歩き方でなく、
一歩いっぽ階段を確かめるように、
小さくゆっくりと、手摺りを持って、
階段を下っている。
手には、黒色の長く、
握る部分に赤の布を巻いた傘を持っている。
傘の先の部分には杖の先につけるゴムが付いている。

様子がおかしいし、階段で転ぶといけないので、
エスカレーターで上まで行って、
また、階段を降りて
「大丈夫ですか? お手伝いしましょうか?」
と声をかけ、傘を持ってあげようとした。

「目が見えないので困ってるんです。
 傘は杖の代わりなので持たないでいいです」

その時、電車がホームに到着し、
たくさんの乗客が降りてきて、
階段やエスカレーターに向かってきた。

人にぶつかってはいけないので、
男性の前に出て、
「すみません。視覚障害者です」
と言いながら手摺りをつたって、
階段の下までゆっくりと降りれるように
降りてきた乗客を誘導してあげた。

階段の下まで来てから、
近くにいた駅員に
「あの方、視覚障害者で困っています。
 助けてあげてください」
とお願いしたのだが、
その男性は、階段の下で一歩も動けず、
立ったままなのである。

駅員は何処の駅まで行くのかと訪ね、
様子を見ていたようだが、
不安に思ったのだろう、
もう一人、駅員を呼んで来て、
肩をつかむ様に指示をし、
次に来た電車の中にまで連れて入った。

降りる人の影になって、その後は見えなく、
確認することが出来なかったが、
駅員も付いていっしょに、
乗ったかも知れない。

視覚障害者(盲人)が外に出るなとは言わないが、
せめて
「白い杖」
ぐらい、
持って欲しいものである。

それが自分自身の安全と、
周りの人達の安全にも、
つながるのだから。
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香瑠鼓(かおるこ)バリアフリーライブ

2006-11-28 | 障害者
日曜日の午後に、
大阪ドーンセンターで開催された

香瑠鼓(かおるこ)バリアフリーライブ
 ~Miracle Wind(奇跡の風)~

を観に行って来た。

主催の
NPO法人PAG・CAT(パグ・キャット)
さんからのお誘いを受けての舞台観賞だ。
PAG・CATさんは、12月9日
大阪府堺市にある
国際障害者交流センター(ビック・アイ)で行われる
中国障害者芸術団(千手観音の方が有名)」公演
も手がけている。
これに、私たち夫婦もお手伝いすると言った間柄だ。

『香瑠鼓(かおるこ)』ってまったく知らなかったが
CM業界ではカリスマ女性振付家として、有名な存在だそうだ。
ライブの最初に、香瑠鼓の振付作品が上映された。
良くテレビのCMで見かけるものばかりだった。
一番の代表作は、
ピアノ売ってちょうだい!の
『タケモトピアノ』だ。
これを知らない人はいないだろう。
そしてライフワークとして、
障害者を含めたダンス指導も行っているそうだ。

カオルコエクセルの踊りや歌、
それに
「世界最強即興集団」の踊り
を加えたライブが繰り広げられ、

途中から、車椅子や脳性麻痺、知的障害など、
24名の障害者が参加しての、
楽しいライブとなった。

香瑠鼓が東京から来たため、
参加した障害者は、
3時間ほどしか練習していないそうだ。



それでも、生き生きと舞台の上で、
パフォーマンスを繰り広げる。

私の横に、舞台に参加している
知的障害の女の子の両親がおられた。
舞台が終わり、拍手をしながら、
涙ぐんでいるようだった。

ライブも良かったが、
障害児を持つ両親の涙が、
私の感動をもっと深いものにしてくれた。
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韓国障害者自立生活体験研修in日本

2006-10-24 | 障害者
21日東京で
日本に、自立生活体験研修に来た
韓国の障害者たちとの交流会に参加してきました。

バリアフリーや、障害者の生活保護などでは、
日本の方が進んでいるようですが、
国民の障害者に対する意識や姿勢は韓国の方が、
進んでいるような気がしました。

残念ですが、最近騒がれている、
イジメや虐待等などが、別の方面で、
身近に起こっていても、不思議ではないですね。

当然ですが、今回日本に来られた障害者は、
重度であっても、人生を前向きに生きようと、
頑張って生活しておられる、
選ばれた方がたとは思いますが、
みんなが明るく良い人ばかりでした。

その中でも、特に親しくなったのが
『ジュンチャン』で、
身体の体形や機能だけでなく、骨折しやすい体質で、
日本に来る数日前に腕を骨折したにもかかわらず、
痛みを表情に出さず、明るく元気に振舞っていました。
彼らとの交流で、元気をたくさん貰うことが出来ました。





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インクルーシブ教育

2006-08-04 | 障害者
昆明や大理の市内見学に歩いていると、
小児麻痺で杖を突いている子供や、車椅子の方が、
健常者の、同世代の子供達や、若者達と遊んだり、
買い物をしたりしている姿をたくさん見かけました。

日本では、そんなにたくさん見ることの出来ない光景です。
日本だと障害者同士であったり、街を歩いていてもほとんどが、
ヘルパーや保護者であったりします。
障害児や障害者が、健常者に混じって地域の生活に溶け込んでいる光景でした。

日本では原則として、
障害のもつ子どもと障害のない子どもを分けて教育しています。
盲・ろう・養護学校に普通の小・中学校での「特殊学級」などで、
「分ける」ことを前提とする原則分離教育の制度に固執しています。

国際社会では、障害者の社会への完全参加と平等、違いを尊重しあい、
ともに生きるという理念と実践を
「ノーマライゼーション」「インクルージョン」といい、
この考え方は1980年代にすでに国連で議論され、主流となっています。
国連での障害者権利条約草案では、
「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育の確保」
「障害のある人が障害を理由に一般教育制度から排除されないこと」
と書かれているそうです。

私には教育などと難しい事は解かりませんが、日常生活での出来事から考えると、
障害者の「健常者の友達が出来ない」
「人間関係がうまく行かない(主にコミュニケーション)」
「人付き合いが苦手」という話をよく聞きます。
私の場合は生まれてからほぼ40年。健常者として育った為、
今まで出来たことが出来なくなったというコンプレックスと、
障害者と認めたくないという意識があって不安定な時期はありましたが、
人間関係や人付き合いが苦手ということはありませんでした。

私の会社には、小・中学校と「特殊学級」で過ごしてきた身体障害者の方がいます。
学校で学んだことに、障害者=しなくて良い・出来ない、という意識があったようです。
社会に出ても、甘えが発生し「責任を持った仕事」「普通の道徳的行動」が出来ない状態です。
これからの障害者雇用は、生まれ付きでなく中途障害者にしようと話がでるほどです。

自分が住む地域の普通の、通常の学級で、障害のない子どもと「ともに学ぶ」ことが、
学習教育だけでなく、障害児のこれからの人生に取って、
人付き合い・コミュニケーションなど社会教育にも重要なのではないでしょうか?

中国の北京では、40年前にはすでにインクルーシブ教育が行われているそうです。
昆明や大理での光景が納得出来ました。
障害者だけでなく、健常者にも「ノーマライゼーション」「インクルージョン」の考えがあるようです。
(中国には盲学校・聾学校などもありますが、
障害を持つ当事者や関係者の意思で決める事が出来るそうです。)
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大阪カップ中国チーム

2006-02-20 | 障害者
中国チームの選手が、この大会で一番関心を持ったのは、
競技用車椅子のようでした。
日本や他の国の選手の競技用車椅子は、
各選手の特徴に合わせ、自分専用の車椅子を使っているようでしたが、
中国選手はほとんどが、所属しているチームや団体の車椅子で、
体格や特徴など関係なく使用されているのだそうです。
この点でも、大きく他のチームとの差がでたようでした。
3位決定戦の日本との試合では、途中でタイヤが曲がってしまったり、
スポークが取れてしまうと言うアクシデントも発生しました。
(良くある事らしいのですが予備のタイヤが無かった)

中国政府は北京オリンピックに向けての強化は進んでいますが、
パラリンピックでも陸上や水泳などと違い、
車椅子バスケットボールは認知度が低く
手がまわっていないのが現状だそうです。

もう一つの問題点として、
中国の障害者雇用問題もあるようです。
背番号10、ヤン・レィ選手は両親が障害者で
健常者で生まれたときは大喜びでしたが、
事故で片足を無くしてしまい途方にくれた日々を送っていたそうです。
車椅子バスケットボールと出会い立ち直ったものの、
未だに就職できず、不安な毎日を過ごしているそうです。
彼とは送迎バスでいつも隣に座り一番仲良くなった選手です。
プレイも、エースとして中国で一番活躍していたと思います。
何か手助けをしてあげることができれば良いのですが・・・

中国チームの写真をアップしました。
http://www16.ocn.ne.jp/~taaya/2006osakacup/osakacupphoto.html
コメント (2)
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