読者の皆さん、お久しぶりだったのだ
酷暑が続いているが如何お過ごしだっただろうか?
約一ヶ月半ぶりの投稿なのだ
おかげさまで私は体調を崩すこともなく生きていたのだ
「ブログ止めたんじゃね?」
と思った常連さんも少なくないと思う
投稿は出来なかったが就寝前に毎日チェックしていたのだ
有り難いことに無投稿にも関わらず連日訪問者数1,000人前後という安定した数字を維持していたのだ
ここ最近は学生さんの夏休み効果もあると思うがやはり軸になっているのは手堅い常連読者さんの存在だと思う
当ブログも11月には終了してしまうが十年以上にわたり数々の『伝説』を残せたことは本当に良かったと思う
数年前のコロナが流行った時期には訪問者数が3,000人を超えた日が何日も続いた
音源をアップ出来ていた頃には多くの読者の皆さんに実際のギターの演奏をお聴きいただくことが出来た
本当の意味でギターを愉しんでいる人間がいるということを知っていただくことができたことは良かった
当たり前だがギターは弾くもの弾いて楽しむもの
分かっているようでコレクターで留まってしまう人も多いのが現実
ギターを買った頃には高い志を持って取り組んでいたのだと思う
ギターはそんなに甘くない
自由自在にギターを弾く為には相当な苦労が不可欠だということ
頭では分かっているがそれを具現化できる人は少数だと思う
ギターやエフェクターは持っているが弾けない人を私は知っている
私の知り合いの大半がそんな感じなのだ
”ギターが弾ける・・”
とはどのようなレベルだろうか?
簡単なコードを押さえてガチャガチャと弦をかき鳴らすことだろうか?
ヨタヨタな感じでペチペチとギターソロを弾くことだろうか?
ギターの楽しみ方は千差万別ではあるが基準はあると思う
上達の目安はあるということ
説明無しに他人の前で演奏をしてみると良いと思う
相手の表情を観察してみると良い
自分が知っている曲には敏感に反応を示してくる
さらにその演奏がプロ並みに上手ければその目はキラキラになる
他人の評価は適正だと思う
時に自画自賛で自分の背中を押すことも大事だが客観的に自分がどうなのか?
それを知っておくことも大事だと思う
実際のところ、何を弾けば良いのだろうか?
自己満足なのか?
他人に評価されたいのか?
希にその両方を両立できる曲もある
個人的にはレッドツェッペリンの『天国への階段』がそんな曲だと思う
あのイントロ部分は誰もが知る名フレーズ
半音で音が進行してくフレーズは音楽では鉄板だが楽曲に昇華させたペイジ氏はやはり天才だと思う

四枚目のアルバムに収録されているのだ
レッドツェッペリンの初心者にお勧めするならこのアルバム
因みに私は一枚目が好きなのだ
テレキャスの可能性に挑戦している姿勢に感銘を受ける
レスポールのイメージが強いペイジ氏だが実際にはキャリアの後期から使用が始まった
大手のレーベルを離脱して自分たちのレーベルを立ち上げた時期と重なる
以前にもお話したがペイジ氏のレスポールの音は独特
かなり高音が強めでカリカリとしている
配線でフェイズアウトさせている
さらにエフェクトで低音域をカットしているのだ
その音作りの目指す先は初期のレッドツェッペリンの音であるテレキャスの音
ドラゴンテレキャスのあの音なのだ
氏もインタビューで答えているのだ
遡れば氏はヤードバーズの頃からシングル派だった
ヤードバーズ期の数々の名曲もテレキャスを使っていたのだ
長くなるのでこの辺で・・・
ジミヘンばかり聴いて(弾いて)いたのだが少し飽きてきたのだ
好みは巡るなのだ
また、レッドツェッペリンが聴きたく(弾きたく)なってきたのだ
振り返れば一ヶ月くらい前の話なのだ
理由は不明なのだ
突然、そんな衝動に襲われたのだ
愛車の中でもジミヘンとレッドツェッペリンを交互に聴いているのだ
ここ最近はレッドツェッペリンの比率が高い気がする
今更だがペイジ氏は天才だと思う
作曲もさることながら、バンドとしてのアレンジやプロデューサーとしてのセンスや力量は相当だと思う
ジミヘンの天才っぷりとは畑が異なる
ジェフベックやクラプトンと共に三大ギタリストに数えられるがペイジ氏は頭ふたつくらい抜けていると思う
好き嫌いというレベルではない事実なのだ
プラント氏のハイトーンボイスもバンドに欠かせない
違うボーカルだったらあんなに売れなかったと思う
ジミヘンの場合にはギターにばかり耳が吸い寄せられるがレッドツェッペリンはバンドとしてのトータルの音を楽しみたい
ジミヘンもアコギを弾いたが凝ったことはしていない
一言で表現するならエレキと同じ弾き方なのだ
良くも悪くもストレートなのだ
一方のペイジ氏は良い意味で変態なのだ
変則チューニングをロック界に浸透させたことは大きい
氏のアコギの演奏は変則チューニング比率が高い
氏が生み出したオリジナルのチューニングも多々あるのだ
大元は黒人ブルースマンのチューニングにあるのだと思うがそれを独自の世界に昇華させる技量と搬送が賞賛に値する
ペイジ氏の上手さや凄さは実際にコピーしなくては分からない
コピーする人の多くは美味しいフレーズだけを少し真似て満足してしまう
そんな代表曲が『天国への階段』なのだ
超有名な導入部分が弾ける人は意外に多い
読者の周囲にもいるのではないだろか?
しかしながら、イントロからエンディングまで弾き切れる人はどのくらいいるだろうか?
後半の超名演のギターソロを完コピできる人がどのくらいいるだろうか?
実は私も数年前までは軽めのコピー派だった
とにかく、あのフレーズはどんな場面で弾いてもそこそウケが良い
少しだけ鼻高々になっている自分がいた
要するに井の中の蛙なのだ
あまりギターが弾けない人の前で自慢したところで何の意味も持たない
弱い相手を見つけて喧嘩を売るような感じに近い
そんな中途半端な自分が嫌になってきたのだ
そんな気持ちが芽生えてからは完コピに徹するようになった
とにかくイントロからエンディングまで弾き切るを合い言葉にコピーに取り組んだ
そんなこんなでこの曲も勢いそのままに後半に取り組んだ
ギターソロを含む後半は中級以上の技術が必須だと思える
外野から文句を言う人が多いが・・
実際にコピーが完了してから言ってほしいと思うことが多々ある
私の知り合いにもそういうタイプが多いのだ
天国への階段はやり甲斐がある
アコギ弾きエレキ弾きも楽しめる
バンドとして取り組むにもやり甲斐がある曲だといえる
長い曲だがリスナーを飽きさせることなく完結させられるか?
そういう意味でも素人が取り組むには難易度が高い曲だといえる
今はDAWを卒業してしまったが時間があるならばドラムなども打ち込んで一曲丸ごとコピーしてみたくなる
エレキ弾きがアコギを弾く際にもお勧めできる
エレキ弾きが何となく目的もなくアコギを買ってしまうことがある
弾けもしないのにそこそこ高価なアコギを買ってしまうことがある
成金趣味のエレキ弾きに多く見られる傾向
弾けない自分に嫌気が差してしまうことも多い
そんな感じでアコギが嫌いになっていく
アコギから遠ざかっていくのだ
ケースの中で弦だけが悲しく錆びていく
そんな悲しいアコギをたくさん見てきた
エレキ弾きが多くのアコギ曲を弾く必要はない
ここ一番という場面で披露できる曲があれば良い
みんなが弾けるフレーズのその先の世界を披露するのだ
一瞬で仲間内の人気者になれる
鬩ぎ合うプロの世界とは素人の世界は異なる
少し上手く弾けるだけでヒーローになれる
少しの工夫と努力で人気者になれる
斜めにものを見るような層からは嫉妬されると思う
趣味の世界においてはそんな嫉妬も悪くないと思う
嫉妬する側は辛いが嫉妬される側は意外に気分が良いものなのだ
またまた脱線しが・・
この曲はとりあえずエンディングまで弾ける
ペイジ氏がライブで披露するようにエレキ一本で聴かせるアレンジを考えているのだ
前編に渡り多順録音されているのだ
二本のギターをどのように一本にまとめるのか?
アレンジ力が問われる部分なのだ
ひとり弾きが好きな私は常にソロ演奏を考慮してアレンジしているのだ
その元になるのはオリジナルなのだ
時間がある時にコツコツを練習を積み重ねてきた
いつから? どのくらい?は良く分からない
とにかく時間がある時に気になる部分を練習するというスタイルなのだ
納得できない時には早起きしてギターを練習することもある
徹底してコピーした曲は忘れない
ブランクが出来ても忘れないもの
そのくらい根詰めて取り組むべきだと思う
余談だがランディローズの『DEE』もそんな曲のひとつなのだ
「こんな難しい曲を弾くのって無理じゃね?」
を超えていくのだ
練習は自分のイメージを超えることがある
人間に無理はない
不可能なことはない
プロギタリストも人間なのだ
そう思えば気が楽になってくる
ギターを極める為に不可欠なことがある
それはギターを生活の最優先にすること
スマホを弄っている時間があるならばギターのネックを握るのだ
愚息を握る時間があるならばギターのネックを握るのだ
「なんでそんなにギターに入れ込むの?」
という愚問を投げる人がいる
ギターを趣味とする人間としては悲しい(情けない)気分になる
年代でその目的やゴールは異なる
若い年代ならギター上達は人生を変える
信じられないくらい女子にモテるようになることもあるかも?
中年以上の層は残念だがギターが上手くてもモテない
まぁ、モテる必要もないと思う
人生の後半に向けて充実した趣味を持つ大切さを知ることになる
休日の中年おじさんの独り言
「家族も出かけちゃったし暇だなぁ」
「スマホ弄っても買う金もないしなぁ」
「一人で出かける場所もないしなぁ暇だ」
傍らにギターが横たわっているが遊び相手にはなってくれない
当たり前だが弾けないギターはオモチャにはならない
遊び相手にはなってくれない
「弾けないから集めちゃうかぁ?」
必要もないギターや機材をポチってしまう
狭い部屋に積み上げられた不要なエフェクターやギターに溜息をつく
機材など少数で良いと思う
究極はマルチ一個

勢いで買ったファズも最近はそれほど使っていない
二個目を買わなくて良かったと思う
ファズ一個でジミヘンからレッドツェッペリンまでいける
クリームの『サンシャインラブ』などにも使う
良い感じなのだ

時間がある時に部屋で鳴らして楽しんでいるのだ
ちなみに二個目のエフェクターは不要に思える
話は変わるが塗装剥がれのテレキャスだが良い感じなのだ

新品とはいかないが良い感じに馴染んできた
修理時よりも塗装部分が馴染んでいるのだ
見る角度によっては修理箇所が分からないほど
つまりはこの猛暑で微妙にラッカー塗装が変化しているという証
スタンドのゴム部分が悪さをするらしい
綿を巻いているのだ

ストラトも転ばぬ先の杖で処理しているのだ
いまのところは問題はないのだ
スタンドに当たる部分の塗装が少しザラついている
逆に弱い塗装にリアリティを感じる
当時と同じ塗装の方法に拘りを感じる
ラッカー塗装を言いながらもバキバキに硬質な塗装には疑問をいだく
経年で塗装が変化することも計算にいれているフェンダー社の発想には大いに賛同できる
経年で塗装が変化することもギター弾きの楽しみだと思う
久しぶりの投稿は楽しかったのだ
今回はこの辺で・・・😊