3月22日、池袋のライブハウス「鈴ん小屋」にて、にしやまひろかずさんの企画「星座にまつわる夜伽」を聴いてきました。
にしやまさんはクラシックギターを奏でながら歌う方です。このブログで拙詩の感想を書いてくださったことで知り合いました。今では、にしやまさんの作曲と、私の詩をコラボさせた歌もいくつかあります。
そんな縁で、にしやまさんが東京でライブを開くお知らせをいただき、聴いて行きました。
出演者は次の4名。
【ライブ「星座にまつわる夜伽」出演者】(敬称略)
にしやまひろかず(おひつじ座)
赤い靴(水瓶座)
アカリノート(スコーピオン)
山田庵巳(天秤座)
出演の順番に感想を。
・にしやまひろかずさん
3回ほどライブを聞きに行ったり、音源を聴いたりしているので、耳なじみのある始まりホッとする。珍しく、アップテンポな曲も歌っていて新鮮でした。
私が詩を書いた「春の挨拶」と「歌枕」を歌ってくださり、歌い慣れた感じがあって嬉しかったです。
・アカリノートさん
鹿児島出身とおっしゃっていて、鹿児島をテーマにした歌を歌われていた。
心に残ったのは、1曲目に歌われた歌(タイトルを失念!すいません)と、ビールの歌です。
力づよさと広さを感じる歌声とギターの音色から、アカリノートさんの故郷の雄大な自然を感じました。
・赤い靴さん
普段は福岡で活躍しているそうで、とにかくパワフルな歌とギターに圧倒される!
今の時代に、それぞれが抱えているモヤモヤを代弁してくれるような歌詞が、ふと、自分の第一詩集と重なる感じがあって、親近感がわきました。昭和歌謡っぽい曲もあれば、今のポップスっぽい曲も。トークも独特の味わいがありました(笑)。
・山田庵巳さん
山田さんの歌を聴くのは二度目。一昨年くらいの夏に、江古田のライブハウスで聴いた以来です。突き抜けるような綺麗な高音の歌声と、巧みなギターテクニックに目が釘付けでした。
山田さんがトークの際に、「人は別れから歌を作るのかな」というようなことをおっしゃっていて、本当にそうだなぁと。語るような歌い方は、一つの演劇を見るような心地です。
こう、言葉が音楽の節に乗ると、途端に口ずさみやすくなるのが、詩を書いているものとしては羨ましいところで。
音楽の節がつくと、言葉は言葉を解放される感覚がある、というのを、このライブを聴いて思いました。言葉が、もっと純粋な音になっていく感じです。
言葉が音にほどけていくことが、歌うことや歌を聴くことの心地よさなのかもしれない。
私が個人的に詩の朗読をするのが難しいと感じるのは、言葉を保ちたいのか、音にしたいのか、迷う部分があるからだと思う。活字で読むときは言葉を保ちたいし、朗読するときは音を重視したい。
そんなことを考えた3月22日の夜でした。
にしやまさんはクラシックギターを奏でながら歌う方です。このブログで拙詩の感想を書いてくださったことで知り合いました。今では、にしやまさんの作曲と、私の詩をコラボさせた歌もいくつかあります。
そんな縁で、にしやまさんが東京でライブを開くお知らせをいただき、聴いて行きました。
出演者は次の4名。
【ライブ「星座にまつわる夜伽」出演者】(敬称略)
にしやまひろかず(おひつじ座)
赤い靴(水瓶座)
アカリノート(スコーピオン)
山田庵巳(天秤座)
出演の順番に感想を。
・にしやまひろかずさん
3回ほどライブを聞きに行ったり、音源を聴いたりしているので、耳なじみのある始まりホッとする。珍しく、アップテンポな曲も歌っていて新鮮でした。
私が詩を書いた「春の挨拶」と「歌枕」を歌ってくださり、歌い慣れた感じがあって嬉しかったです。
・アカリノートさん
鹿児島出身とおっしゃっていて、鹿児島をテーマにした歌を歌われていた。
心に残ったのは、1曲目に歌われた歌(タイトルを失念!すいません)と、ビールの歌です。
力づよさと広さを感じる歌声とギターの音色から、アカリノートさんの故郷の雄大な自然を感じました。
・赤い靴さん
普段は福岡で活躍しているそうで、とにかくパワフルな歌とギターに圧倒される!
今の時代に、それぞれが抱えているモヤモヤを代弁してくれるような歌詞が、ふと、自分の第一詩集と重なる感じがあって、親近感がわきました。昭和歌謡っぽい曲もあれば、今のポップスっぽい曲も。トークも独特の味わいがありました(笑)。
・山田庵巳さん
山田さんの歌を聴くのは二度目。一昨年くらいの夏に、江古田のライブハウスで聴いた以来です。突き抜けるような綺麗な高音の歌声と、巧みなギターテクニックに目が釘付けでした。
山田さんがトークの際に、「人は別れから歌を作るのかな」というようなことをおっしゃっていて、本当にそうだなぁと。語るような歌い方は、一つの演劇を見るような心地です。
こう、言葉が音楽の節に乗ると、途端に口ずさみやすくなるのが、詩を書いているものとしては羨ましいところで。
音楽の節がつくと、言葉は言葉を解放される感覚がある、というのを、このライブを聴いて思いました。言葉が、もっと純粋な音になっていく感じです。
言葉が音にほどけていくことが、歌うことや歌を聴くことの心地よさなのかもしれない。
私が個人的に詩の朗読をするのが難しいと感じるのは、言葉を保ちたいのか、音にしたいのか、迷う部分があるからだと思う。活字で読むときは言葉を保ちたいし、朗読するときは音を重視したい。
そんなことを考えた3月22日の夜でした。