詩集をまとめたあと、その次の作品をどんな雰囲気で、スタイルで書こうか、あれこれ考えてしまう。
私は運よく、2013年に第1詩集を出した3年後、2016年に第2詩集を出せた。
2013年から2016年の約3年の間に、たまたま、詩を断章形式で書く機会があった。
断章形式は、イメージを区切る場所が作りやすいことに気付いて、イメージのピントが合いやすい感覚があった。
それが、書くときに感じた心地よさで、このスタイルの作品を集めた詩集を作ってみたいと思った。
断章形式の作品は、言葉を額縁に入れるように、1から10までの番号を振ってみた。
今度は、額縁風の番号を取っても、凝縮した言葉が彫刻のように見える作品を書けたらなと、ぼんやりと思う。
あるいは、カルピスの原液みたいに、作品の言葉はギュッと凝縮しているけれど、読む人ごとに好みの濃度が味わえるような作品を書けたら、とも思う。
凝縮の濃さと、希釈の自由さを意識したい。
と言いつつも、詩を書きながらまた別の雰囲気を見つけるかもしれない。
萌えの気持ちが詩を書く原動力というのは、たぶん変わらないと思う。
とにもかくにも、詩を書くということは、私が生きていることになる。
詩を書きながら、この世界を生きようと思える日が、一日でも多くあったらいいなぁ、と今は思う。
※私が繰り返し言う萌えという感覚・感情は、綺麗とか可愛いとか素敵とか、あらゆるときめきを凝縮した言葉だと、勝手に想定して使っています。
私は運よく、2013年に第1詩集を出した3年後、2016年に第2詩集を出せた。
2013年から2016年の約3年の間に、たまたま、詩を断章形式で書く機会があった。
断章形式は、イメージを区切る場所が作りやすいことに気付いて、イメージのピントが合いやすい感覚があった。
それが、書くときに感じた心地よさで、このスタイルの作品を集めた詩集を作ってみたいと思った。
断章形式の作品は、言葉を額縁に入れるように、1から10までの番号を振ってみた。
今度は、額縁風の番号を取っても、凝縮した言葉が彫刻のように見える作品を書けたらなと、ぼんやりと思う。
あるいは、カルピスの原液みたいに、作品の言葉はギュッと凝縮しているけれど、読む人ごとに好みの濃度が味わえるような作品を書けたら、とも思う。
凝縮の濃さと、希釈の自由さを意識したい。
と言いつつも、詩を書きながらまた別の雰囲気を見つけるかもしれない。
萌えの気持ちが詩を書く原動力というのは、たぶん変わらないと思う。
とにもかくにも、詩を書くということは、私が生きていることになる。
詩を書きながら、この世界を生きようと思える日が、一日でも多くあったらいいなぁ、と今は思う。
※私が繰り返し言う萌えという感覚・感情は、綺麗とか可愛いとか素敵とか、あらゆるときめきを凝縮した言葉だと、勝手に想定して使っています。