citron voice

詩人・そらしといろのブログ~お仕事のお知らせから二次創作&BL詩歌まで~

3月9日のスケッチ

2007-03-09 22:59:29 | つくりばなし
掲示物が無くなったコルクボード。
そこにあるのは画鋲の跡だけ。


筆跡の無い、深緑が綺麗な黒板。
そこにあるのは黒板消しだけ。


空っぽの机と椅子。
そこにあるのは誰かが彫ったイニシャルだけ。


誰もいない教室。
そこにあるのは皆の面影だけ。


クラスプレートだけは、そのまま。


4月には新しいクラスが始まる。
4月には新しい教室が生まれる。
皆がいて私がいた教室はもうすぐ消えてしまう。
賑やかな声や足音の気配が消えてしまう。
全て、生まれ変わってしまう。


足を一歩踏み出すと木の床がキシリと鳴る。
窓から春の麗かな光がたっぷりと差し込んでいる。
ギィギィ軋む引き戸をゆっくり閉めた。


閉じられた扉は終わりの印ではない。
再び開かれるための、始まりの印だ。
私はそう信じて、扉から手を離した。


歩き出した廊下は明るすぎて、今は何処へ進んでいるのかわからないけれど。

39……!!

2007-03-09 22:34:53 | 日記
という事で、卒業式でした。
きっと泣くだろうと思っていたのに、一瞬ジワリと涙がうるんだだけでした。
今の段階で私自身があまりにも卒業を実感していないから、泣けなかったのだと思います。

まだ何処かで続いていけるように感じるのです。友達、クラスメートの皆とこれから先も一緒にいるような気がします。
実際、同窓会などで顔を合わせる機会があるでしょう。でも、今の私はちょっと大きな駅やよく買い物をする街で、皆とすれ違えると思っているようです。
もしかしたら、(そうではあって欲しくないけれど)今日で本当にこれから一生、顔を合わせることもすれ違うこともないクラスメートがいたのかもしれません。
これこそ被害妄想ですが、そうであって欲しくない故に、大丈夫、皆とはまたいつでも会える、と思い込んでいるのです。
変な話、お葬式に参列している間はあんまり泣かなくても、暫くしてふと故人の顔を思い出したりすると、ワッと泣けてくるのに似ています。
本当に居なくなってしまったんだ……と認識せざるを得ない状況だからです。
早ければ今夜、遅くても4月の新生活が始まった頃に泣きたくなるのかと。
今回はお別れと言っても皆がそれぞれ生きて何処かへ向かうのですから、また少し違いますが、今はこんな風に卒業を捉えています。

部活の後輩から色紙をもらいました。後輩と顧問が寄せ書きをしてくれまして、本当に嬉しかったです。部活をやっていて良かったと思いました。
部費が部員数の割りに少なすぎるとか、曲決めの意見が別れたり、喧嘩というかそんなことが色々ありましたが、全てを振り返ってみると、あんな事で意地を張らなければ良かった等々、反省もあります。
たまにはマンドリンさんのところへ遊びに行きましょうね、マンドリン関係の皆さん。

また話は戻りますが、意外にも男子が結構泣いていました。
目をこすりすぎて真っ赤に腫らして、卒業証書を手渡されていました。
男女問わず、就職組はこれが最後の学生生活となる訳で、私とは違ってもっと思い入れがあったのかもしれません。

今日は話が前後して申し訳ないです。

高校生活の面白みが分かってきたのは3年生になってからでした。
1、2年生の時にはつまらないと思っていた競技会も3年生ではマジになってやったり、文化祭も色々な模擬店を見て回りたいと意識したり、後夜祭に出てはしゃいだり、今まで恋愛の“れ”の字も知らなかった人間が異性を意識してみたり……
色んな事をちゃんと感じて経験したのは3年生での出来事がほとんどです。
それまでは、ただ毎日学校に来て気の会う仲間と話したり部活をしたり、それだけで楽しかったのに、今年は欲張りにも仲間もクラスも学年も全部楽しみたいと日々感じていました。

とにかく、商科の皆に、ありがとうと伝えたいです。

君が居てあなたが居たから、私はこんなに楽しい3年間を過ごせたのです。
最初に揃ったのがこのメンバーじゃなかったら、また全然違う3年間だったのです。
出会ったからには別れがあると分かっていても、この高校で過ごした3年と言う月日は今日の別れがあるからこそ成り立っているのです。
ありがとう、商科の皆が大好きです。

これで奴とも同窓会以外では会うこともないでしょう。結局、一方的に伝わってしまっただけでした。けれど、やっぱり嫌いにはなれないので、達者に生きていてくれればそれで良いです。長生きしてください。

今日の卒業式を持って区切りがつくはずなのに、何ででしょう。
高校生活からまだまだ卒業できない私がいます。。。