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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(28)

2015-04-07 | 旧中山道run!!


8月。
暑い暑い!
まさに夏の真っ盛り!
今日もまた、コスモタイガーは、平日休みなのだ。

こんな時は、避暑代わり?長野県方面。
そう、中山道だ!!

といいつつ、避暑なんて洒落込む経済的な余裕はないんだけどね。
何と言っても、中山道ははるかかなた、長野新幹線「佐久平」駅からスタートだからね~。(旧中山道編27参照)

ちなみに、この佐久平駅が、コスモタイガーとしては、「御嵩」「下諏訪」に次ぐ、3番目のポイント地点と想定していた駅。
一応、新幹線の駅だしね。

ノーマルな経路としては、「しなの」で長野駅に出て、長野新幹線に乗り換えて、佐久平駅下車。(※何度も注釈してますが、2010年現在にタイムスリップ中です!先日、金沢まで開通し、盛り上がってる北陸新幹線ですが、このブログの時点では、長野が始発・終着の、「長野新幹線」ですね)

でもさ、お値段的にちょっとね(泣)
それに、ノーマルじゃないルートにも、あえて挑戦してみたい!

いろいろ検索してみると・・・。
あるんだね、それが。

長距離移動は鉄道だけじゃない。
鉄道だけでチマチマやってる鉄チャンと違い、格式高い?時刻表オタクは、鉄道だけじゃなく、バスにも船にも目配せしているのさ。!

早起きして、自宅から、バス・地下鉄を乗継、7時前に名古屋駅隣の、名鉄バスセンターへ。
ここで、名鉄バスの中央道特急バス(名古屋~松本・長野線)。

市販の時刻表では、主要停留所しか掲載がないけれど、実は松本や長野に近づくと、こまめに停車する。
このまま乗り続けると、川中島古戦場を経由し、長野駅前、そして終点は善光寺なんだけどね。
でもさ、そこまで行っちゃ、ダメなのよ。

長野市街地に入る手前の「長野インター前」で途中下車。
名前からして予想してたけど、周囲はコンビニが1軒あるだけで、よく言えば見渡しの良い、悪く言えば何もない、長野市郊外に1人、降り立つこととなった。

コンビニで買ったサンドイッチを頬ばったりして、30分ほど時間をつぶすと、やってきたのは、何度か利用した「千曲バス」。
この千曲バス運行の高速路線(長野線)があるんだよね。

長野県庁を始発とし、長野駅・長野市街地をこまめに経由した後、この長野インター前でも停車。
そのまますぐに高速に乗り、佐久インターを経由し、佐久平駅、そして終着の臼田(佐久総合病院)へと向かう路線だ。

この路線に乗り換えるには、接続を考慮すると、市街地に入る前の、長野インターで乗り換えるしかないのさ。
「わかりやすいから」といって、長野駅バスターミナルで乗り換え、などと考えると、この千曲バスは、すでに発った後という状況になってしまう。

この乗り継ぎルートを発見した時は、まさに自分で自分を褒めてあげたい心境になった。
(※ただし、その後の中央道特急バス時刻改正のため、2015年現在、この方法は不可能なようです。)

上信越自動車道という、我々名古屋人にはあまり馴染みのない道路を快調に飛ばし、佐久平駅に降り立ったのは、13時少し前。

高速バス乗り継ぎなどというウルトラCを敢行し、すでに満足感いっぱいのコスモタイガーだけど、本来の目的は、もちろんここから。
とはいえ、時間的にのんびり散策する余裕もなく、さっそく、トレーニング開始とする。

国道142に出て、南下すると、前回のゴール地点「浅間病院西」の交差点。
もう一度、確認の意味で、シャメだけ撮っておく。

ここで左折し、国道142を渡って、再会した中山道を走る。
すぐの交差点が「浅間病院入口」。

名前の通り、正面に大きな病院が鎮座する。
まずは最初のチェックポイント、「相生の松」がそこにひっそりと生えている。

中山道は、ここで升形なのか?
まるで病院に敬意を払うかのように、左折・右折しながら進む。

左手やや離れたところに、JR小海線「岩村田」駅が見える。
その駅の反対側が、陸上の名門校、佐久長聖高校だ。

道なりに進み、小海線の踏切を越えると、家並みが増えてきた。
左手には、何やらドーム状の建物が見える。

「こども未来館」。
科学館のようなものなのか?
時間があれば顔出してみたいところだけど、タイトなスケジュールのため、中山道に専念!

「相生町」の交差点。
ここを左折し、県道9号を北上することになる。

この辺りが、岩村田宿の中心になるようだ。
県道9号の交通量も、それなりにある。

幸い、ちょっとした商店街になっていて、歩道とアーケードで整備されている。
ほんの一瞬だけど、直射日光を遮ることになり、ホッとする。

しばらくはこの県道に沿って走る。
沿道から少し東に入ったところに、「龍運寺」などと、ドラゴンズファンの心を揺さぶる名前のお寺もあったりするが、それ以外、街道らしさを示す、史跡らしきものはない。

元々、本陣がなかったとされる、小ぶりの岩村田宿だけど、それにしても、街道らしさがない。

しばらくは、県道9号をひた走る。
今も中山道は、現役の主要道路として活用され、結構な交通量だ。
っていうか、これ、さっきバスで走った道なんだけどね。

「佐久IC東」の交差点。
名前の通り、西側には、上信越自動車道の佐久インター。
バスはここで自動車道を降りて、佐久平駅前に向かったんだね。

その自動車道の上を通り、さらに中山道は進む。
「食肉センター入口」のY字路を過ぎると、しばらくして、左手に、大手中華レストランがあり、その隣のこんもりとした繁みに看板が立っている。

「鵜縄沢端一里塚跡」。
看板が立ってなければ、ただの繁みとして、素通りしてしまいそうだ。

その後、再びこれといったチェックポイントもなく、ただただ道なりに走る。
さすがにインターに近いせいか、様々な飲食店が散見し、どこにでもある郊外の雰囲気で、旧街道らしさはない。

でもY字路の信号になり、県道は左へカーブ。
そのまままっすぐに、旧道らしい道が直進している。
間違いない!
こっちが中山道。

県道から外れたため、少しだけ静かさを取り戻し、足は快調に前に進む。
両側の看板に「小田井○○」なんてのが目に入ってきて、小田井宿が近いことを知らせてくれる。

最初に「相生町」で左折してからは、とにかく道なりに走ってるだけなので、地図で確認する作業もほとんどなく、足取りは順調なんだけど、少々単調な風景でもある。

と、思っていたら、右手に「小田井簡易郵便局」。
この辺りから、小田井宿の町並みが始まるらしい。

この小田井宿は、比較的、昔を偲ぶ事ができる町並みだ。
簡易郵便局を過ぎると、問屋場跡、本陣後、と続く。
いずれも当時の建物がそのまま残っていて、威風堂々とした和風建築に目を癒される。(冒頭写真)

やがて信号があり、県道137と交差。
小田井宿はこの辺までかな?

中山道はそのまま直進。
再びのどかな田舎道の風情となった。

気持ちよく足を進めていると、「栄町」の信号に出た。
名古屋市民にとって、「栄」といえば有名な繁華街だけど、もちろんそんな雰囲気はない。

ただ、左手にはしなの鉄道の御代田駅があり、御代田集落の中では、もっとも栄えた築なんだろうね。

ここで道は行き止まり。
中山道はしなの鉄道に阻まれ、わずかに消失。

でも地下通路が作られていて、案内板に従い、線路の下を潜ると、反対側から再び中山道が復活。
ここからはまた道なりに走る。

200mほど走ると、左手に、「御代田一里塚」。
片側だけが現存している。

大山神社という、かなりの古社を通りすぎると、しばらくは、特段見どころもなく、runに集中。
田舎道をひたすら走る。

徐々に、周囲がには、事務所や研修所が目に入るようになり、大きな別荘風の建物も散見されるようになった。
そういえば、何やらちょっとした高原チックな感じだ。

そう、軽井沢が近いんだね~。
こんなところを、日帰りで走りに来てるなんて、ホントに俺はアホだね。

大きなホテルも見えたりして、いよいよ観光地の雰囲気になったと思ったら、国道18号に合流。
はじめまして!国道18号さん。
しばしの旅のお供をお願いします。

本当に久し振りに遭遇する「1級国道」。
一気に交通量が増えた。

100mほどで、左手に大きな石碑と灯篭が立つ。
これが街道フリーク的には有名な「分去れの碑」。

要するに、北国街道との追分。
今走ってる国18が中山道、左後方に分岐しているのが北国街道で、ここから国道18号に沿って、小諸や上田に向かっている。

コスモタイガーの脳裏には、信濃のコロンボこと、竹村警部の勇姿がよぎったりしている。
「追分殺人事件」では、この「分去れ」も重要な舞台となって登場。

鉄チャンということで、コスモタイガーは、よく、「好きな推理作家は西村京太郎ですか?」なんて聞かれるけどね。
もちろん、西村京太郎、言わずと知れた、十津川警部シリーズも、確かに好きな作品群の1つだけれど・・・。

なぜか、推理作品の世界でもっとも好きなのは、内田康夫。
鉄チャンにも関わらず、ソアラで全国を駆け回る浅見光彦クンや、信州で名推理を発揮する、竹村警部、そして警視庁の岡部警部がたまらなく好きなのだ。

おっとっと、またまた脱線!
すぐに信号があり、左に旧街道が分岐する。
分岐点には、「升形茶屋つがるや」の建物が、当時のまま残っている。

ここからが、そのまんまの名前、「追分宿」の始まりらしい。

国18に近い割には、静かさが残り、なかなか楽しいrunを楽しめそうだ。
江戸を偲ばせる史跡は結構残ってるんだね~。

泉洞寺、諏訪神社を過ぎると、宿場の中心に近づいたらしい。
高札場が復元され、すぐに、本陣土屋家跡。
続いて、脇本陣油屋。

少し進んで、追分本陣東門。
現在は「堀辰雄記念館」の北門?になっているらしい。

ごめん、堀辰雄、全然知らない。
小説家ってことぐらいはどこかで聞いたことあるけどさ。

手元の資料によれば、名著「風立ちぬ」が有名で、云々・・・、とある。
それ自体、読んだことないからわかんないんだけどね。
昔、松田聖子の歌にそんなタイトルなかったっけ?

当然、寄るつもりはなく、素通り。
でも名前からして、この辺りが追分宿の東の端だったのかな?

すぐに現れた左の公園には、石仏や灯篭が集められ、「追分宿郷土館」が併設されている。
寄り道するなら、こっちの方だけど、毎度のことながら、トレーニングの最中。

そして再び、国18に合流。
その合流地点にあるのが、追分一里塚。
一級国道にも関わらず、両側とも現存しているのは、素晴らしい。

約700m。
蕎麦屋を正面に見て、中山道は右へ分岐。
再び静かな旧道となった。

「借宿」という名の集落らしい。
街道らしいうねりが続く。

左手に、立派な神社が見えてきた。
「遠近宮」。

変わった名前だね~。
浅間山を御神体とし、読み方も「おちこちぐう」ということらしい。

右手に、「女街道入口」の案内板。
当時は、「入鉄砲、出女」と言われるぐらい、女性の通行には厳しい時代。
そんな女性たちが、関所や人ごみを避けるために、裏道を通った。
その裏道が、ここから分岐していたんだね。

またまた国18に合流。
ここで国道は、軽井沢バイパスが分離するため、インターチェンジのようになってるから、少々ややこしい。

地図を再確認し、国道の下をくぐる形で、左側の歩道に出て、直進。
(間違ってバイパスに入らないように!)

そこから約400m。
右手に「ゆうすげ温泉」の文字がある、1軒宿を過ぎてから、中山道は右へ分岐。

左に秋葉神社を見て、どんどん進むと、何となく一軒家が増えてきて、ちょっとした街の雰囲気になってきた。

国18とランデブー状態になり、この辺りからが沓掛宿、ということになるらしい。

残念ながら、江戸を偲ばせる雰囲気はあまりないけれど、それでも注意深く走っていると、忘れられたように、小さな石仏が道端にあったりする。

保育園があって、そこで国18に合流。
それにしても国18は、ますます車が増え、結構な交通量だ。
歩行者もそれなりにいて、中山道を感じる雰囲気はない。

すぐに、「中軽井沢西」の交差点。
そう、沓掛宿は、現代では、「中軽井沢」、通称「なかかる」のこと。
今や、別荘地や観光地として有名になってしまった?軽井沢の、西側の入口ともいえる場所なのだ。
どうりで国18の交通量が多いわけだね。

すぐ次の信号が「中軽井沢」で、その手前の「八十二銀行」が、脇本陣蔦屋跡で、駐車場奥に、石碑も立っていた。

道路の反対側に、普通に建っている、1軒屋。
実はこれが本陣土屋家の跡で、現在も、「本陣」「土屋」の表札が掛けられている。

「中軽井沢」の交差点を右折すれば、すぐにしなの鉄道の「中軽井沢」駅。
今日は、予定通り、ここをゴールとする。

今日は何となく体が重かったこともあり、いつもよりややスローペースで、距離もやや少なめ、17~18kmといったところかな?

そう、予定通り。
時刻も、ほぼ予測どおりで、16時を少し廻ったところ。
ここまで来ると、「気ままに」ゴールは、かなり厳しい。

鉄チャン的には、次のポイント地点は、信越本線横川駅。
ここは外したくないんだよね。
何と言っても、かつての「ヨコカル」の起点だもん。

往復のアクセスと、実際にrunに使える時間、そして次回以降の道のり、等のバランスを考慮しながら、予定を組んでるのさ。
今回も、それを考えて、この中軽井沢をゴール!

さて、今日は何となくいつも以上に疲れた。
しなの鉄道の鈍行に乗車。

上田で長野新幹線に乗換、1駅で終点、長野駅到着(※2010年現在ね♪)
あとは「ワイドビューしなの」。
そう、乗継割引で、「しなの」の特急料金は半額ね。

今日は車じゃないからね、特急の車中でビールで一人乾杯しながら、のんびり帰宅したコスモタイガーであった。

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2 コメント

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上りと 下り  (もののはじめのiina)
2019-01-22 09:52:59
(コスモタイガー)さんのブログ・タイトル下に「時刻表検定1級」と挨拶されていました。
       さすがな「鉄ちゃん」です。

長野の中山道も、なかなか歴史が通っていますが、すべて流し読みさせてもらっています。
ハイ、前回の碓井峠の次が、此方でした。

> 中山道も、横川駅を過ぎると、峠越えもなく、江戸へ向かってゆっくり下っていくだけです。
いまは、東京から向かう先は総て「下り」ですが、江戸時代までは「江戸へ下り」でしたね。
    そういえば、北陸線が大阪から富山方面に東京に近づくのに「下り」でした。



上下 (コスモタイガー)
2019-01-25 11:38:56
iina様

いつも訪問ありがとうございます。

そうです、時刻表検定1級です。
すでに現在は検定試験はなくなってしまいましたが。

そうです、日本の歴史は、その大部分は京都を中心として、関西(というより大和)が中心でした。
江戸へ行くのは「下り」ですね。

現代の鉄道は、ちょっと複雑な経緯があったりしますし、正直私も理解できておらず「何となく感覚で」の部分もあったりします。
よって詳細は省略しますが、概ね「大きな都市かある方に列車が向かうのが上り」になってます。

東京が絡んでれば、言うまでもなく東京方面が上りですが、上の北陸本線は、米原~金沢間の路線(大阪~米原は東海道本線)です。

が、多くの列車が大阪を起点にしていること。
基となる東海道本線の「米原」で分岐しているとの事情から、大阪を中心に据えているようです。

よって、米原方面が「上り」です。

ちなみに関西本線は、名古屋へ向かうのが「上り」です。

ややこしいですね♪

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