この道は府道67号だ。
一文橋を渡れば、道なりに左へカーブし、小畑川に沿う。
ただし、西国街道はカーブ直後の横断歩道を渡り、右側の一段低いところに寄り添う小道になる。
といっても300mほどで再び府道に合流だけど。
馬場1丁目の交差点に出た。
変則の6叉路になったてるからややこしいが、よく見ると左手前方に分岐する、それらしき道があり、石畳風の舗装がされ、案内板も建てられている。
長岡京市の中心街に向かって進む。
この辺り、住所自体が「一里塚」らしいから、きっとこの辺りに一里塚があったんだろうね。
残念ながら正確な場所を示すものは何もなさそうだ。
左手やや離れた位置に、JR東海道本線の長岡京駅。
まだ着任して2週間だけど、職場から直接名古屋へ帰省する際は、この駅を利用することになるんだろうね。
(※実際、この後何度も利用しました)
さらに進むと、いかにも昔から住んでるであろう大きな屋敷もあらわれ、旧街道であることを実感できる。
右手、神足(こうたり)公民館。
長岡京市を名乗る前は、この辺りは、神足という集落だったのさ。
さっき通ったばかりの長岡京駅も、もともと神足駅だった。
その神足駅の駅名標が、公民館の前に掲げられている。
100mほどで右手に立派な町家造りの建物が。
「石田家住宅」。
現在は「長岡京市立神足ふれあい町家」、まぁ要するに、簡単な喫茶室もある集会場になているらしい。
さらに100mほど先で、「神足商店街」のアーチをくぐり、右へとカーブするのが西国街道。
当然そのまま…、と言いたいけど、ちょっと寄り道ね。
分岐する道を左折。
そこにはひっそりと当時の道標が残っている。
そこら中に「2020年大河ドラマ主人公!明智光秀ゆかりの地・勝竜寺城」という趣旨の幟や案内板が立っているから気になるのさ。
そういえば再来年は明智光秀が主人公なんだな!
(※だから2018年4月現在ね!)
案内板に従い、到着した大きな公園が「勝竜寺城公園」。
文字通り、城跡は立派な公園として整備されている。
そしてその門の前には、勝竜寺城の説明書きと、「明智光秀公三女玉お輿入れの城」の石碑が誇らしげに立つ。
いわゆる細川ガラシャ夫人ね。
そう、光秀の三女、玉さんはこの城で細川忠興さんに嫁いだんだよね。
悲運とされるガラシャ婦人ではあったけど、政略結婚でありながら、夫婦仲は非常に良かったとされている。
公園内には、夫婦仲睦まじい姿を見ることができる。(冒頭写真)
そういえばお父上の明智光秀公も、側室すら持たない愛妻家だったそうだからね。
いつの時代も、子は親を見て育つんだなぁと感慨に耽ったりするのは、年を取った証拠だね。
庭園も綺麗に手入れされ、思わずシャメを撮ってしまう。
さらに隣接しているのが、勝竜寺。
もともとこの寺があったからこその「勝竜寺城」なわけだけど、どういう謂われか、ボケ封じにご利益あるとされる。
教科書にも出てきた空海が開基、とあるから、9世紀ごろの話なわけで、とっても古いお寺らしい。
しかもご本尊は重要文化財。
この辺りの住所も「長岡京市勝竜寺町」というのも納得だ。
本当ならもう少しゆっくり散策してみたいところだけど、トレーニング中なんだよね。
街道に戻らなきゃ!
ってことで、街道に戻るとすぐに「片泓」の交差点で県道といったん合流し、50mほどでまた左へ分岐する。
しばらくは見どころもない住宅街。
緩やかなカーブが、旧街道であることを教えてくれる。
左手に立命館高校を見て、道なりに右へ。
「調子八角」というややこしい交差点に出た。
名前の通り、8叉路。
しかも真上に高速が通り、右手少し離れたところに阪急電鉄「西山天王山」駅のロータリーが見えている。
この西山天王山駅は、2014年に開業した新駅で、長岡京市としては新副都心として売出中(ちょっと大げさすぎ?)の場所で、駅前ロータリーには複数の高速バス路線も停車。
立派な停留所も設けられている。
西国街道も、交差点の一角が小さな公園のようになっており、「調子八角」という石柱と立派な案内板が掲げられている。
相当にややこしい交差点だけど、コスモタイガーは着任2週間で、すでに数日前から通勤ランを復活させててね。
ここからの西国街道はその際に1~2回、走ってるのさ。
というより、今、ものすごく職場に近いところにいるんだよ(笑)。
(※この後、何十回と走ることになります、はい)
だからもう地図の確認もしない。
高速(京都縦貫自動車道)の下を潜ってから右に分岐する府道67号が西国街道ね。
道なりに左にカーブすると、あとは1本道。
すぐに小さな川(小泉川)を渡ると、長岡京市とお別れで、ここからは大山崎町。
今度は名神高速を潜ると、大山崎町役場が左、右には大山崎小学校。
さらに200mほど走った先に、「石敢當」と「大山崎の東黒門跡」の説明板がある。
石敢當、とは一種の魔除けで、中国に由来するものらしい。
旧街道らしい道が続き、テンションも維持できる。
ここからしばらくはコスモタイガーじゃなくても地図は要らないぐらい。
道なりに走るだけ。
聞法寺、安養院、山崎聖天宮と、いかにも旧街道らしいお寺が続けざまにあるけれど、いちいち寄ってたらトレーニングにならないからね。
快調に進んでいく。
右手、家並みの後方には、あの天王山が見えている。
新幹線高架が左手に寄り添う。
手元の資料によれば、ここで一瞬だけ高架下を潜った反対側の道に出るらしい。
でもすぐに行き止まりだからね、元に戻るんだけど。
元に戻ったところにあるのが、大山崎町立歴史資料館。
天王山の合戦や明智光秀に関わる資料も多くありそうだ。
もちろん見たい!
でもそろそろ疲れた!
だってもう13時半過ぎてるもん。
資料館見学は次回に回すとして、そろそろゴールにしよう。
…と改めて言うほどでもなく、100mもしないうちに阪急電鉄の大山崎駅。
さらに200mも街道を進めば、JR山崎駅。
ここまで散策・寄り道含めて13~14kmといったところかな?
旧街道runとしてはちょっと短めながら、朝から動いてるからね、ちょっと早いけどここで店仕舞いとしよう。
着替えを済ませ、駅周囲を眺めてみると、こんな駅前にも歴史遺産が結構あったりする。
駅舎に隣接するようにある、小さな神社は「離宮八幡宮」。
現在ではどこにでもある「村社」のようだけれど、かつては広大な敷地を持っていたらしい。
そういえばさっき通った「大山崎の東黒門跡」も、この神社の門だったようだ。
あ、もう1つ発見!
妙喜庵。
千利休が作ったとされる茶室が今なお、そして唯一現存してるらしい。
とはいえ、拝観には1か月前に予約が必要とかで、そんな準備などしてないからね、当然門は閉まってました。
記念?に、垣根にある案内板のシャメだけしておこう。
さて、この駅発着で天王山めぐりのハイキングコースがあり、道標なども整備されている。
当然興味はあるんだけど、今から登山という気分にはなれない。
それにまだ社宅も片付いてない。
次回、時間があれば…ということにして、今日のところは退散するとしましょうか。
阪急の方が若干便利ではあるけれど、せっかくJRの駅前にいるんだから。
それに阪急は毎朝乗ってるし、これからも数えきれないぐらい乗るでしょ!
ってことで少しだけ新鮮?なJRを選択。
幸いにも座ることもでき、寄り道もせず社宅へ帰還。
こうして、関西初の旧街道runは無事終了したのであった。