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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(1)~前編

2022-02-25 | 旧東高野街道run!!

御幸橋たもとに戻ってきた。
ここが東高野街道の起点なのさ。
振り返れば目の前には今登ってた男山。(冒頭写真)

右折が旧東海道57次(京街道)で、現在のコスモタイガーの通勤ランのコースでもある。
東高野街道は直進で、まさに今走ってきた道を進むことになる。

だからあえて脇目も降らずに黙々と走ってきたさ。
楽しむのはこれから!
今走ってきた道は見なかったことにしよう(笑)

ということで、ようやく旧街道runをスタート!
線路を渡れば石清水八幡宮の正門鳥居で、記念のシャメをしておく。


まだ汗もかいてない段階で見所満載でね、先へ進めない。
左手はさざなみ緑道として整備され、八幡八景なるものの1つらしい「安居(あんご)橋」が残されている。

1本道で、道標も整備されているのが嬉しい。
相槌神社という可愛らしい神社の前で升形のようになっている。
それにしても神社お寺が並ぶようにあるから、いちいち気にしていたら前に進まない。

その中でもひと際目立つた佇まいは徳迎山正法寺。
参道の先にある正門(唐門)は重要文化財に指定されている。

忙しいなぁ!
200m程で「京街道里程標碑」。
要するにここは追分になっていて、左の道は「在所道」ということらしいね。
もちろんコスモタイガーは直進。

さぁ、ようやくエンジンが掛かってきた。
300mほどで「一区公民館」が左にある。
ここを過ぎてすぐ、Yの字分岐で、ここは右の狭い方を行くらしい。

民家の間に「血洗池の碑」なんてあるから、かつてこの辺に薄気味悪い池でもあったのだろうか。
で、ここでまた狭いながらもY字分岐になってて、今度は左。

そのまま走れば広い道路に出た。
渡ったところには京阪バスの停留所(大芝・松花堂前)がある。

少し寄り道。
この広い道を100mほど東に行けば、バス停の名前通りの八幡市立松花堂庭園・美術館。


何だかお弁当の名前みたい…、と思っちゃうわけなんだが、実はそれは大当たりなんだよね。
コスモタイガーもリサーチして初めて知ったクチだから偉そうなことは言えないが、江戸初期の僧侶兼茶人兼書道家(芸達者!)の松花堂昭乗さんという方がここに庵を構えたということらしい。

そしてその松花堂さんが好んだ茶器や器などをベースに、後世、料亭として有名な「吉兆」があやかって作成されたものが松花堂弁当、になるとか。
松花堂さんご本人が考案したわけではなさそうなので、由来というにはちょっと微妙なものを感じるが、ともかくここには当時の立派な庭園などが今も残されている。

ぜひ観賞を…!と言いたいところだが、何と先日の大阪北部地震によりここも一部被災しているらしく、臨時休館中。
うーーん、残念。

あの地震、コスモタイガーも出勤途中、阪急電車の中で、しかも震源地近くの高槻市近くでまともに遭遇したからなぁ…。
こうして走っていられる平穏な日々に感謝感謝。
それに、お天道様に「寄り道するな」と言われてるのかもしれない。

街道に戻って南下を続ける。
しばらくするとさっき一区公会堂で別れた道と再合流。
この辺りは閑静な住宅街で、特段何もない。

400mぐらいかな?
信号のない横断歩道、右手前方にカラオケ喫茶があるT字交差点に出た。
ここはホントに目立たないからぼーっとしてると直進してしまいそうだけれど、実はここで右折。
そして緩やかに坂を登っていくことになる。

恐らくこの辺りは厳密な意味での街道は消失してるんだろうなぁ。
フツーの住宅街の中、直線の道が続いている。

幹線道路と思しき立派な道をトンネルで潜る。
街道は緩やかな左カーブを描いた先にあるのが、達磨堂円福寺。
約3万坪という広大な境内を持つ名刹らしい。

でもね、トレーニング中なのさ!
それに達磨さんについては、中山道の高崎市を走ってるときに楽しませてもらったからさ!(※旧中山道編31参照
外見だけ拝ませてもらって、先へ急ごう!
記念に案内板だけシャメしておく。


そのまま道なりに…と言いたいところだけれど、ここで旧街道は境内に沿って右折するらしい。
寄り道?して直進してみる。
100m弱で国1(京阪国道)に出て、そこに「洞ヶ峠茶屋」なる和風建築の蕎麦屋がある。

そう、ここがあの「洞ヶ峠」の頂上(といっても標高63m)で、現在も県境(京都府八幡市・大阪府枚方市)となっており、東高野街道はここから大阪府枚方市に入るわけだね。
決断せずどっちつかずの態度を取る日和見な人のことを「洞ヶ峠を決め込む」なんて言うけど、その語源となった場所。

山崎の合戦の際、明智光秀と羽柴秀吉双方から援軍を要請された筒井順慶は、とりあえずここ洞ヶ峠まで来て陣を構えたにも関わらず、どっちの味方に付くか迷っているうちに肝心の戦が終わってしまったという逸話から来てるんだよね。
もっとも最近の研究では、この逸話、創作の可能性が高いらしいけれど。

現在の洞ヶ峠は、この蕎麦屋が何となく雰囲気を残しているだけで、他に見るべきものは何もない。
目の前は国1(京阪国道)で、何の迷いもなさそうな車が結構なスピードで行き交っている。

さぁ、街道runに戻ろう。
境内らしき森に沿って走れば、両側とも何の変哲もない団地が建ち並ぶ住宅街の中。
京阪国道の1本西の裏道というイメージだ。
たまに右に左にうねるカーブがわずに旧街道であることを教えてくれる。

はい、また広い道に出て行き止まり。
ここは右折すると、すぐに西松屋高野道店がある。
この辺り、住所自体が「高野道」という字名なんだね。

で、西松屋を過ぎてすぐ左へ分岐するのがその高野道(東高野街道)。
この道はちょっと落ち着いた感じのうねり道で、街道の雰囲気がわずかに感じられる。

大きなショッピングモールの裏を走ると、やがてT字路で正面に工場らしきものに塞がれ、はい、またジ・エンド。
ここで旧街道は消失していることは明らかだ。

ってことで、しばらくはどこを走っても問題ないような状況だけど、一応リサーチ通りここは左折し、さらに100mほどで道なりに90度右折。
すぐ左側に国1(京阪国道)が寄り添う。
この辺り一帯は、枚方企業団地というそうで、町工場が連立してるだけの中を道は直線的に進んでいる。

信号に出ると、目の前に「ニトリモール枚方」。
ここで国1に出ましょうか。

残念ながらしばらくは街道らしさ0の京阪国道を走るしかなさそうだ。
涼しげな大型ショッピングモールに目もくれず、ひたすら足を進めるコスモタイガー。

1km以上、我慢の国道run。
曇ってるとはいえ、余計に暑さを感じるシチュエーション。

「出屋敷北」の交差点。ここでやっと左に分岐する。
300mほどは静かな道。

突き当たると府道144号で、結構な交通量だ。
正面には広大な山田池公園。

約1200年前にできたため池(山田池)を中心に整備された府営公園で、総面積73.7ヘクタール。
ジョギングコース・展望台・バーべQ広場なども設置されている。

せっかくのジョギングコース、しかも涼しそうな公園で、走っていきたいのは山々だけど、それじゃここで終わってしまいそうだ。
入口だけシャメしておこう…。


「暑いなぁ…」と心底思いつつ、旧街道に足を進めるコスモタイガーなのだ。

※後編に続く

コメント (2)
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コスモタイガーのつぶやき(24)~選抜高校野球の選考に思う

2022-02-04 | つぶやき/更新中

やっと2022年初更新!
まとまった時間もなく、どうしたものかと思案していたところ、選抜高校野球の方で一騒動あるようだ。
それもわが地元、東海地区が震源地になっているようなので、久しぶりに呟いてみよう。

春の場合、歴史的なことはいろいろあって長くなるので省略するが、多くの高校野球ファンがそう認識しているように、3年生引退後の各ブロックで行われる秋季大会の結果によって28チームが選ばれる。
要するに事実上の予選になっているのが現実だ。
「選抜」といっても、何かしらの根拠がないと選びようがないからね。

それ以外に明治神宮大会の優勝チーム(1チーム)と、21世紀枠(3チーム)を合わせた32チームによって行われるのが春の選抜大会だ。

これも様々な経緯があってそうなったらしいのだが、そもそも28校の割振りが公平ではないってところにも根っこがあるんだけどね。
選挙に例えるなら「1票の格差」みたいな話なわけだが、東海ブロック(愛知岐阜三重静岡)には450校を超える高校が高野連に加盟しているらしい。
これは中国四国ブロックとほぼ同数。
にも関わらず、中国四国は5枠、東海は2枠。

根っこをさらに辿ると、そもそもこのブロック分けって地域事情と合ってるのか?という疑問もあるわけだが、議論が錯綜してしまうので、それはちょっと横に置いておくとしよう。

さて、今年の東海の2枠。
秋季大会優勝の日大三島(静岡)、準優勝の聖隷クリストファー(静岡)。
1位と2位なんたから、誰が見ても明確な結果である。
多くのマスコミも春夏通じて初出場となるはずの聖隷クリストファーに取材訪問し、その瞬間を待った。
東海地区の多くのファンもそう思ってた。

選ばれたのは…。
日大三島は順当にしても、もう1校は、ベスト4で敗れた大垣日大(岐阜)!
マスコミはどこも来てなかったらしいし、大垣日大の関係者ですら選ばれると思ってなかったらしく、ビックリ仰天!

違和感というか、茫然としてしまうのが、選考に関わった人たちの発したその理由。
大別して、①「客観的に判断した」②「選手個々の力が大垣の方が~」③「甲子園で勝てるチームを選んだ」
はぁ~~??
そんなあいまいな基準で選抜してたのか?

唯一真っ当な理由と思われる「地域性」については、選考委員が即座に強く否定。
え?じゃ、ますますあいまいだ。
(※実際、東海地区と一言にいっても、東海3県+静岡県、のイメージありますからね)

案の定、球界やスポーツ界から物言いがつく。
ダルビッシュ投手や巨人OBの上原投手、ロッテOBの里崎捕手、はては前スポーツ庁長官の鈴木大地まで…。

あのね、会社のレクとかは別にして、スポーツの世界で順序付けするのに「あいまいさ」は許されないのさ。
いや、昔はそれでもまかり通ってたのかもしれない。
我々一般人には限られた情報しかなかったからね。
納得はしてないが、明確に反論する材料も手段もほとんどなかった。
だから黙ってやり過ごすしかなかった。

でもさ、某新聞の記事にもあったけど、ネットが一般の我々でも普通に使いこなせるようになってすでに4半世紀近い。
秋季大会や地区予選の結果なんて、ちょっとコアな高校野球ファンなら簡単にネットで検索して知ることができる。

知るだけじゃない。
最近ではfacebook、SNS、インスタ等を通じて、知りえた情報・自分の意見を簡単に発信することもできる。

今回だって、両チームの試合ごとの得失点差とか、どの投手が何イニング投げて何点取られたとか、いくつ盗塁をした等の随分詳しく分析された上での実に鋭い批判をしていて驚いたものだ。
どうやら聖隷は何かの事情でエース投手が登板できず、2番手・3番手投手をやりくりしながらの準優勝ということも価値を高めているようだ。
こういった様々な背景から、あらゆる面で聖隷の方が大垣を圧倒していることも明確だ。

上原やダルビッシュも指摘している通り、個々の力が劣るなら、なおのこと団体の力で勝つことが団体競技の醍醐味なわけで、こんなところで②の個々の力云々を持ち出す理由がさっぱり理解できない。
むしろ個々の力が劣ってる(と断じること自体、エース不在で準優勝した聖隷に対して失礼な話だが…)にも関わらず準優勝したのであれば、それこそ称賛されるべき話である。
あれほと高校野球は教育の一環!と言っている高野連が、団体の力を結集した準優勝より「個々の力」を優先させるとは、支離滅裂な話ではある。

①もおかしい。
限られた数人が密室に集まり、極秘資料を片手に、議事録もない閉鎖的な状態を「客観的」とは笑止千万な話である。
そもそも「客観性があるか否か」は受け取る側や第3者がそう思うかどうかという話。
選ぶ側が自ら「客観的に選びました」と自慢げに語るのは白々しいどころか、むしろそんな自画自賛の態度こそ、「私は客観的な人間ではありません」と自ら告白しているようなもの。
それに先にも書いたように、ネット社会の現在、選考委員の皆さんが大事に手にしている程度のデータは、すでに「極秘資料」でも何でもない、コアな高校野球ファンならとっくに知ってる話の可能性が高いわけさ。

③、ますます何が言いたいのかわからない。
昔、自分のやってた駅伝でも似たようなことよく聞いた。
「本番で走れる人を」

予選突破した段階で、「このチームは本選で勝てる、このチームは勝てない」なんて上から目線で断じるなど、何を根拠にしてるのか、あるいは特殊な予知能力でもあるのか、不思議で仕方ない。

言えることは、(聖隷の場合)現時点で予選で準優勝できる実力がある、ということ。
他のチームは、準優勝すらできなかったということ。

予選すら突破できないチームが本選たる甲子園で勝てると言うのであれば、それを示すデータを明示する義務があるし、結果にたいしても責任を負うことになる。
でなければ、聖隷に対しても、応援している多くのファンに対しても失礼すぎる話だし、大垣日大は「勝てるチーム」として敢えて順番を飛ばして選ばれたわけだから、当然そういう目で見られるわけで、とんでもない十字架を背負ってプレーすることになる。
(もちろん背負わせたのは選考に関わった大人たちだ)

繰返しになるが、予選での枠が2つあれば、1位と2位のチームを選ぶのが順当であり、一般の人たちも含めて多くの人間に受け入れられやすい結論だ。
その「順当な話を曲げて、敢えて順当ではない方法」を通したいのであれば、通したい側の人たちが、「順当」のどこが間違いで、なぜそうしなければならないのかを、キチッと検証し、誰もがすぐ理解できるようなデータを示し、さらには結果に対しても責任と義務を負うのは当然だと思っている。
が、実際にその責任と義務が粛々と果たされたシーンをコスモタイガーは見たことがない。

「俺(俺たち)が選んだ!」と爪痕を残したい人たちにとっては「数字をただ並べるだけ」だと自分たちの存在価値に疑問を感じるんだろうか?
でもプレーしてる側は、その人たちの存在価値のためにプレーしてるわけじゃないしね。

数字は物を言わない無機質な存在であるけれど、嘘はつかない。
結局、目の前にある数字を並べていくことが、「誰にとっても余計なストレスがかからない」状態だと個人的は思う。

情や情けを否定するつもりはさらさらないし、むしろ大切なものだとは思うけれど、こういうのって優劣つけられないじゃんね!
優しい人と冷たい人、と言ってもさ、優しいと冷たいの境目なんて決めようがないし、何をもって優しいとしているのかもわからない。

目の前に10人の人がいて、優しい順番に並べなさい、と言われたら誰しも困るだろう。
人によって感じ方が違うだろうし。

意識とか仲間とか、言葉としては素晴らしいけれど、意識の高い低いも同じで、どういう状態が高くて、どうだと低いのか。
その境界も定義もあいまいで、これで一部の人間だけで順位付けしようなんて無理筋だわな。
そもそもそんなにプライベートで深い付き合いなく、自分のことをすべて知っているわけでもない人たちに、自分の知らないところで勝手に順位付けされてもね…。

順位付けできないものをいくら並べたって順位(優劣)はつけられないのだ。

でも競技スポーツの世界では、時に順位をつけなければならない。
ならば順位を表す(誰が見ても判る)明確な物差しを使うしかない。
そして「順位を表す明確な物差し」として数字以上のものはないと思うのだが。

中途半端な美辞麗句やもっともらしい屁理屈より、目の前の数字を素直に評価することが、結局は誰にも余計なストレスが掛からない、もっとも近道だと思うのは自分だけではあるまい。
いずれにせよ、実に後味の悪い選考であったことは間違いない。

急造な文章でまとまりがなくなってしまった。
今回はこの辺にしておこう。

(文中敬称略)
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