cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(26)

2014-12-26 | 旧中山道run!!

6月に入ったばかりのある日。
平日ながら、勤務変更でまたしてもコスモタイガーはお休みなのだ。

にも関わらず、今日は朝5時過ぎから始動して、6時過ぎには家を出る。
普段の出勤より早起きで、何ともしんどいなぁ・・・。

そう、「中山道も遠くになりにけり」でね。
特に今、交通機関的には、もっとも不便な「空白地帯」なわけで、数少ないバスに合わせて行動するため、こんな時間から動くしかないんだよね。

空は青く晴れ渡り、今日は暑くなりそうだ。
和田峠を越えたとはいえ、まだまだ涼しい長野県の山あいを走るわけで、まぁ、ちょっとした避暑にはなるかもしれないな。

毎度毎度の大高駅に車を置く。
さすがに通勤ラッシュにはまだ早く、人影もまばらな中、いったん名古屋駅に向かう。

名古屋からは、7:00ちょうど発、「ワイドビューしなの」1号。
「1号」の名が示す通り、これが「しなの」の始発。
これに乗らないと、今日の行程は成立しないのさ。

鉄チャンなら気づくかもしれないけれど、大高駅からなら、金山駅で中央本線に乗換え、千種駅から「しなの」に乗ることも可能なわけだけど、大高駅発の時刻も、値段も同じだからね~。
それなら、始発の名古屋駅から乗るほうが良いとの判断なのさ。
自由席利用だしね。

予定通り乗車できて、まずは第一関門クリアー。
ホッとする。
やってきた車内販売で、コーヒーを購入し、フー、やれやれ。(※2010年現在:2013年3月15日、JR東海の在来線特急の車内販売は廃止されました)

下車したのは篠ノ井駅。
ここから前回帰路にも利用した、しなの鉄道ね。

前回の帰路を逆に辿れば、スタート地点に立てるはずなんだけど、今回は接続が悪く、それが成立しないのさ。
あまり遅い時間になっちゃ、意味ないしね。
とにかく現地に早く着きたい!

ネットや時刻表を駆使し、あれこれ考えた結果、やっとの思いで発見したのが、「上田駅」下車。
上田から路線バスを3台!乗り継いでいくのさ。

上田といえば、名将「真田幸村」が連想される。(正確には真田信繁ね)
コスモタイガーも大好きな武将の1人だ。
駅前に降り立つと、幸村が馬に乗って出迎えてくれる。(冒頭写真)

高校時代、「真田太平記」をむさぼるように読んだことが懐かしい。
その後、NHKでも放送され、こちらも大変面白かった記憶がある。

でもさ、史実的にはこの上田は、幸村よりも、兄の信之、父昌幸の方がふさわしい気がしないでもない。

この上田の地は、真田昌幸・信之が拠点とした場所。
幸村は若かりし頃に、上杉や豊臣に人質とされ、この上田とはあまり関わりがなかったんだけどね。
まぁ、確かに知名度や人気は幸村が圧倒的だけどさ。

おっとっと。
真田一族については、延々と語ってしまいそうな奥深さがあるからね、この辺にしておこう。

時刻表オタク的には、上田なら、「しなの」号で終点長野まで行き、長野新幹線で1駅、上田駅下車の方が安くなることは当然チェック済みなんだけど。
新幹線(長野~上田間800円)を使えば、在来線特急(今回の場合、しなの号が2300円→1150円に)の特急が半額になるんだね。(※2010年現在の金額です)
時刻表にも説明されている、「新幹線乗継割引」というやつだね。

でもさ、長野新幹線、本数が多くないからね~。
長野駅で結構なロスがあり、結局、篠ノ井駅乗換えの方が、10分少々上田に早く着くことはリサーチ済み。

慣れない乗継だからさ、駅前散策がてら、バス乗り場とかチェックしたいし、軽く腹ごしらえも済ませておきたいからね、300円程度の違いなら、早く着く方を選択したのさ。

この上田市内を観光するだけでも、1日つぶせそうなワクワク感があるけれど、本来の目的は、中山道!
じゃない、中山道を利用した、真面目なトレーニング!!

30分ほどの待ち時間。
まずはここから乗車するのは、中山道run初登場!
「千曲バス」の、鹿教湯(かけゆ)線。

名前の通り、この辺りでは有名な温泉地へ向かう路線なんだけどね。
コスモタイガーは、途中の「丸子駅」停留所で下車。

「駅」といっても、鉄道は来ないけどね。
ちょっとしたバスターミナルなんだけど。

「丸子町」は、この辺りのちょっとした集散地という感じで、歴史もあるらしい。
そういえば、丸子実業という名の甲子園常連校もあったような気がする。
のんびり散策したいところだけど、そこまでの時間はない。

ここからは前回の帰路を辿る形。
JRバス関東の長久保行に再会し、終点長久保到着。

ここで接続しているジャンボタクシー、じゃなかった、男女倉行の長和町コミュニティバスに乗り換える。
平日ということもあるのかな?
前回と違い、今日は7~8人の乗客もいる。
(恐らく)全員が地元のお年寄りらしく、何だか肩身が狭い。
しかもこっちはジャージだしね。

上和田停留所で下車。
やっと着いた!
前回のゴール地点!
見覚えのある「本亭旅館」の和風建築がすぐ前にある。

あ~疲れた!
来るだけでも大変だ!
ここまで、東海道本線・中央本線、しなの鉄道、千曲バス、JRバス関東、長和町コミュニティバスと、すでに6つの交通機関に乗ったことになるんだね・・・。
会社も違うのに、上手く繋がったもんだ!

こんなルートを探し出し、一人ほくそ笑む自分が大好き♪
拍手してあげたい。

とはいえ、すでに時計は13時になろうとしている。
家を出てから7時間近く経ってるんだね・・・。

前回も入りそびれた和田宿本陣など、周辺をのんびり拝観していきたいところだけど、ゴールした後の交通機関も、決して便利とは言えず、「予定通り」に先に行くとしよう。

のんびり散策しようと思ったら、どこかで宿泊するしかないかな。
そもそも名古屋から、こんな山奥を日帰りで走って帰ろうとするコスモタイガーが変人なのだ。

本亭旅館前をすぐにスタート。
すぐに右手が、その気になる本陣ね。
左手が「かわちや」。

さぁ、ここからが前回の続き。
1本道だから、迷うことはない上に、少しづつ下っているから、足取りは順調。
左手に小さな神社があり、隣り合うように和田小中学校(併設)が見えてきた。

前回、いったんお別れした国142と久々に再会。
そこには「是より和田宿」の石碑が。
江戸から来ると、ここが和田宿の入り口なんだね。

またすぐに国142から分離。
道なりにしばらく進むと「芹沢一里塚跡」。
「江戸から四十九里」の文字。
まだ200km近くあるんだね~。

さらに少し先には、「八幡社」。
本殿は立派で、江戸中期のものらしい。

道なりに走り続けると、石碑がいくつか並んでいる。
詳しいことはわからないけれど、「三千僧接待碑」。
名前の通り、ここを通る3,000人の僧を接待したことに由来するらしい。

コミュニティバスのバス停が藁葺き屋根になっており、とても大切にされていることが確認できる。
数少ないバスも、地元の人にとっては、欠かせない足なのだ。

右手に、小公園が現れ、休息できるような東屋も設置されている。
そこが「青原」の交差点で、国142と合流。

100mほど先で再び右に分岐。
続いてT字路も右。
中山道を示す、ブルーの道標の存在がありがたい。

今度は国152にぶつかる。
ここは左折。

国152と国142がぶつかったところが「大和橋」。
わずかばかりの家並みがあり、「落合」という集落らしい。

落合といえば、トラゴンズ!
今年こそ、優勝してもらわんと!
なーんてこと考えながら、交差点は国142に沿って右へ。

デイリーマートの手前で左に分岐するのが、中山道らしい。
すぐに国道と再合流。
その合流の手前にあるのが、「四泊(よとまり)一里塚跡」の説明版。

でもさ、何で中山道に背を向け、国道の方を向いてるの?
ドライバーを意識したのかな?
でもビュンビュン走り去るドライバーの皆さんが、この看板に関心を持ち、わざわざ車を止めるとは思えないけれど。
周りこんで、シャメだけはしっかり撮っておこう。

国道runがしばらく続く。
といっても、周囲の風景は、山に囲まれ、退屈はしないけどね。
交通量も少ないから、それなりに快適なrunだ。

ここは国142と国152の重複区間になっているらしい。
その2つの国道が、1kmほど先でそれぞれに分離する。
142は右、152が左。
中山道は、142の方ね。

そのまま走ると「長久保横町」の信号に出る。
紛らわしくて、思わずつられてしまいそうだけど、「中部北陸自然歩道」というものが、この辺りでは所々で中山道と重複しているらしく、ここでも、信号の手前で右折するように指示している。

中山道は、あくまでも中山道。
この「横町」信号に出て、左折するのが正解ね。

静かな田舎道の雰囲気になった。
案内板に従い、民家に沿って走る。
長久保宿に入ったようだ。

長久保宿は、「L」字型の構造で、この先、直角に右折する。
その右折地点にあるのが、旧旅籠の「濱田屋旅館」。
現在も、旅館業が続いているらしい。

この右折地点を直進する道も、旧道の雰囲気がプンプン匂う。
きっと追分だったんだね。
足元を見ると、小さな道標も残っている。
方角的に、バスで通ってきた、丸子や上田に向かう古道だったに違いない。

濱田屋旅館から少し進んで、長和町の指定文化財、釜鳴屋竹内家住宅。
かつての造り酒屋ね。

その反対側が、長久保宿本陣の石合家で、こちらも町の文化財にになっているらしい。

鉄道や高速道路にも置き去りにされたこのエリアだからこそ、当時のままひっそりと残ったんだね。
観光客が押し寄せることもない、静かな山間の田舎町。
やっぱり中山道は素晴らしいなぁ!!

さて、せっかく和田峠から下ってきた中山道だけど、ここからはまたまた登り坂。
そう、次なる峠越えを目指すことになるのさ。
長久保宿は、その手前に位置してるってことやね。

すぐに今度は、長久保宿歴史資料館。
ここもかつての旅籠だったものを、保存し、見学できるようにしてあるんだけど。
コスモタイガー、毎度の事ながら、泣く泣く先を急ぐことにする。

道なりに進むと、左に小さな神社があり、右手からは国142が近づき、いったん合流。
・・・と言いたいところだけど、ここに立つ表示板は、左に分岐する旧国道を行け!と示している。

当然、表示板に従い、旧国道へ。
もっとも走り出してすぐ、いかにも車仕様のヘアピンカーブがあり、これは本来の中山道の姿じゃないことは、旧街道オタク?なら一目瞭然。
きっと、この道を国道にした際、車仕様に、付け替えられたんだろうなぁ。
本来の中山道は、すでに消失したものと思うしかない。

再び現国道142号に合流。
随分と高度を上げてきた。
国道沿いには、標高780mの看板も発見!

平日ってことも関係あるのかな?
今日はここまで、誰ともすれ違っていない。
静かな山間を、少しだけ国道run。

200mほどで、再び左へ分岐する旧国道。
今度は少し長めで、1km以上、旧国道を走る。
さっきと同じように、少しづつ高度を上げながらのヘアピンカーブだ。

そしてまたしても、国142に合流。
そしてここからしばらくは、国道runで、峠を目指す。
その峠とは、「笠取峠」。

国道runとはいえ、周囲の山々の連なる風景は、間違いなく人里離れた感、充分。
ここは、道路の付け替えるスペースもなかったのかな?
中山道が、そのまま国道になっているようだ。

登りきったところが、どうやら笠取峠の頂上らしい。
そのまま下りになるだけで、眺望はさっぱりだけどね。

和田峠を越えてきた身には、たいした峠にも感じないけれど、ここで暑さのあまり、旅人が笠を取ったことに由来する名前らしいから、かつては難所の1つだったのだ。

ちなみに標高は900m。
これでも、東海道最高所の箱根峠より高いんだもん。
そりゃ、客観的には厳しい峠越えだったに違いない。

行政区域も、長和町から立科町へ。

しばらくして左側、笠取峠の一里塚跡。
繁みらしきものが残るものの、原型はほとんど留めておらず、案内板がなければ気づかないな。

国道runはまだまだ続く。
下りは得意なせいか、足取りは快調だ。

1kmぐらいかな?
右斜めに分岐する道。
これ、中山道やね。

でもすぐに再び国142に再会し、そのまま斜めに横断。
さぁ、ここからは、笠取峠の松並木。

暑さを和らげてくれる上、途中には藁葺き屋根のトイレも設置され、実に気持ち良い散策(ランニング?)コースのように、整備されている。
もっとも、周囲は人家すらほとんどなく、こんなところを平日昼間にjogする人間は、自分以外には見当たらないようだけど。

松並木が終わると、今度は左手に常夜灯が現れ、そこで散策路?は終了。
国142にぶつかる。

いったん国道を走り、その先の交差点(芦田宿入口)を右へ。
手元の資料に従い、すぐに左折すると、中山道が復活する。

交差点にも合った通り、この辺からが「芦田宿」ね。
現在では「立科町」の中心らしく、そっちの名前の方が普通なのか?
周囲に「芦田」の文字が少ない。

でも、しばらく進むと、小さな交差点名は「芦田」。
少し進むと立派なお屋敷が。

「金丸土屋旅館」。
かつての旅籠で、こちらは現在も現役で旅館として機能している。

和田宿では宿泊できなくなった今(※旧中山道編25参照)、宿泊で中山道に挑む方々の重要な拠点になりそうだね。

「芦田中央」の交差点を直進したところにあるのが、土屋家本陣。
現在も土屋さんがお住まいらしい。

隣り合うように、脇本陣山浦家跡。
こちらは、小さな石柱が建っているのみ。

さて、時計を見るとまだ15時半だし、走った距離も15~16kmといったところで、少々短めだけどね。
まだまだ余力はあるけれど、今日はここをゴールとする。

というより、「足の確保」を考えると、この辺りでは、この芦田宿がもっともマシな?状況なのさ。
次回もあるし、何より移動が大変!

一応、立科町の中心地。
すぐ南側には、立科町の役場があり、その駐車場の一角が、バスの車庫兼ターミナルのようになっている。

あわよくばここから大屋駅行の千曲バス(正確には、その傘下の東信観光バス)路線に乗ろうと企んでいたものの、残念ながら数分前に出たあと。

次の大屋行は、約1時間後。
それはちょっとつらいなぁ。
周囲は、町役場だけがデンと構えているだけで、あとは普通の集落で、喫茶店らしきものもなさそうだし。
しかもさっきまで晴れ渡っていたはずの空から、なぜか突然、雨降ってきたし。

仕方なく、30分後の千曲バス中仙道線、岩村田行に乗車するとしよう。

バスが来た。
同乗は地元(と思われる)の若い男性が1人。

この路線は、望月、八幡、塩名田と経由して、終点は岩村田。
あ~あ、いずれ走るであろう、中山道の宿場の名前だよ。
まぁ、「中仙道線」て云うぐらいだもんね。
こういうシチュエーションは、できるだけ避けたいんだけどね。
このルート、遠回りの上、経済的にも少々余分な出費になるし、大屋行に乗り遅れたのは痛かったなぁ。

で、途中の「佐久平駅」で下車。
JR小海線と、長野新幹線が交わる要衝駅ね。

のどかな田園風景から一転、突然現れたターミナル駅の雰囲気で、駅前は大型ショッピングセンターに面している。

まぁ、小海線も長野新幹線も、我々都会育ちの身には、随分と閑散とした本数だから、逆に妙にだだっ広い印象だ。

さぁ、中山道run初、というより、人生初の長野新幹線♪(正確には長野行新幹線ね。)
名古屋に住む人間にとっては、東京-長野間を行き来する機会なんて滅多にないからさ、こんな機会でもないと、今後も利用することはなさそうだからね~。

当たり前だけど、名古屋から長野に行くなら「ワイドビューしなの」で1本だし、中央道高速バスもある。
わざわざ東京廻りで長野に行くことは、マニアでもない限り、ありえないしね。

やってきました、長野新幹線!
わずか20分あまりの乗車ながら、テンションMAXで、終着長野駅に到着。

さぁ、あとは「ワイドビューしなの」。
もちろんこれは「乗継割引」適用で、ちょっと得した気分。

さすがに移動疲れはピーク。
でもこれで実質旅行モードは終了。
千種で普通電車に乗換え、金山からは東海道本線普通。
やっと大高駅に到着。

帰路も往路に負けてはいない。
バス1台に、鉄道が4つ。
全部あわせて、鉄道7つ、バス4台を乗り継いだことになる。
これは自分の人生でも新記録かも?
帰宅したころには22時半近く、パタンキューのコスモタイガーであった。

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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(23)追記

2014-12-11 | 旧東海道run!!
旧東海道編(23)の地図を作成しました。(ここをクリック

旧東海道編(23)本編末尾にもリンク貼りました。
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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(6)

2014-12-03 | 旧伊勢街道run!!

さぁ、今日は伊勢街道!
残りは旧街道だけなら、恐らく10km少々。
起伏も相変わらず、ほとんど無し。
ってことは、ほぼ確実に、今日で伊勢街道完全走破!となるはずだね。

どうも中山道に比べると、気が抜ける部分があるせいか、今日ものんびり出発で、9時半ごろに自宅を出発。
大高駅に車を置く毎度のパターンで、「青空フリー」を購入後、本日のスタート地点の、JR「宮川駅」に到着した頃には、12時半を過ぎちゃってるんだよね。

ホームで記念?のシャメを撮り、早速ゴールに向けてスタート!

駅前の少し広めのメインストリート?を直進すれば、約200mほどで、伊勢街道に再会。
前回と少しだけ重複するけれど、ここを右折し、約100mで「紀州藩高札場」ね。
ここからが、純粋に前回の続きやね。

地図で云うと、「県道428」がそのまま伊勢街道になっているから、案外わかりやすい。
伊勢街道は、ここを左。
格子窓の古い家並みが残り、いきなり街道オーラ満載だ。

升形になっているらしく、150mほどで今度は突き当たりを右折。
すぐまた左折。

街道らしい雰囲気が続く中、小さな川を渡る。
「宮古橋」の名前が付いているらしい。

渡ってすぐ、左手に自動車学校があり、大きな川(宮川)の堤防にぶちあたる。
かつての伊勢街道はここから河川敷を直進していたらしいけれど。

現代では、すでに消失しているらしく、堤防に沿って右折。
JR参宮線の下を潜ると、その先に車も通る「宮川橋」があり、対岸に渡るしかない。

でもここから遠くに山々が見える風景は、何気に綺麗で、思わずシャメに納めてしまった。

渡り終えたところで、旧伊勢街道が復活することになるらしく、そのまま直進。
左には、さっき潜ったはずのJR参宮線が、やや距離を置いて寄り添ってくれる。

特段、見所はないけれど、明らかに旧道オーラを感じる、うねった道で、なかなか楽しいrunが続く。

大きな幹線道路の高架下をくぐり、道なりにくねくねと進むと、商店街の連なる、主要道に出た。
県道37号、ということらしい。

ここで伊勢街道は、いったん消失。
本来の旧街道は、県道に合流手前の三叉を、直進していたらしい。

仕方なく、県道を少し走り、「浦口」の交差点を右折。
2本目を左に折れ、すぐ右へ。
「筋向橋」の交差点に出る。

ここから再び伊勢街道。
でも肝心の橋は?
実は、橋どころか、その下の川も現在は地下水路になってしまったらしく、1849(嘉永2年)製の欄干が残るのみ。

ここは変則の交差点になっていて、伊勢街道は、右斜めに進む、県道22号を行くのが正解。
この一角は、何の変哲もない、街中の県道runだけど、600mほど走ると、左側に忽然と古い和風建築に遭遇。
明らかに、この建物だけが、雰囲気が違う。

「小西万金丹薬舗」。
名前の通り、かつての薬屋さんだね。
江戸当時のまま、現存されているらしい。

斜め前には、某電話会社の大きなビルが、無粋に立ちはだかっている。
そのすぐ後方には、こんもりとした森がある。

いよいよ到着!
伊勢神宮!

といっても、まだゴールじゃないよ。
これは「外宮」ね。
伊勢街道の終点とされる「伊勢神宮」は、内宮のこと。
その内宮までは、まだ4kmほどある。

どちらも過去にも訪問済みではあるけれど、せっかくここまで来たら、「片参り」にするわけにはいかない。
ということで、外宮にも挨拶していこう。

あまりにも有名な伊勢神宮。
格式でも、全国津々浦々にある神社の、№1に君臨しているそうだけど。

ちなみに外宮というのも通称で、正確には「豊受大神宮」と称するらしい。
広大な社域と背後の深い森に、背筋は引き締まる。

もっと時間をかけて参拝したいところだけど、一応、トレーニング中だから、メインとなる正宮を拝殿して、伊勢街道のrunに戻る。

神社の前の幹線道路を走る。
「御木本道路」と呼ばれる、メインストレートだ。

300mほどで、左側に「マリア保育園」。
日本古来の神様の総元締の前に、別の神様の保育園が普通にあるのもなかなか凄い話だね。

この保育園の脇を入っていくのが、伊勢街道ね。
一気に静かな、街道らしい雰囲気となった。
小さな川を渡り、小さなお寺や塚を目にしながら、足を進める。
幸い、道なりに進むだけだから、迷うこともなく、快調な足取りで、ゴールを目指す。

「古市」の町並みに入った。
この辺りは、かつての遊郭街だったんだね。
そこかしこに、歴史を感じさせる民家や古寺が残っている。(冒頭写真)

JR参宮線の上を渡り、しばらくすると、今度は伊勢自動車道の上を渡る。
その手前にあるのが「伊勢古市参宮街道資料館」。

いや~、無茶苦茶寄って行きたい心境なんだけど。
気持ち良く走ってる最中だし、トレーニングだし!

ということで、ここも泣く泣くパス。

下り坂に差し掛かる。
左手は、小高い森になっている。
いよいよ伊勢街道もラストスパート!

小玻美術館、という、個人の可愛らしい美術館があるけれど、残念ながら、絵心はなくってね。

そこからさらに100m少々で、「宇治浦田西」の信号に突き当たり、左折。
御木本道路に再会したというわけ。

すぐ左手、猿田彦神社。
手を合わせるだけで、先を急ぐとしよう。
もう、ここまで来たら、早くゴールしたい!

次の信号が「宇治浦田」。
といってもピンと来ないけど。
そのすぐ先の、賑やかな参道を右折。

そう、内宮の門前町、「おかげ横丁」の入り口やね。
一気に人口が増えた感じだ。

交差点を過ぎてすぐ、右へと入るのが「おかげ横丁」=伊勢街道。
両側は土産物店が立ち並び、観光客が溢れている。

その中を黙々と走るコスモタイガー。
ちょっと恥ずかしいけど、こんなシチュエーション、今までにも何度か経験済みだし、もう慣れたわ!

事前リサーチに寄れば、両側の建物自体も、昔の面影を色濃く残しているらしいけれど、何せ凄い観光客で、情緒を味わうどころじゃない。
人並みを掻き分けるように、ゴールを目指す。

その中でも、ひときわ目立つのが、かの有名な「赤福餅」の本店ね。
もはや全国区の人気となった、定番の和菓子だけど、ここが本家本元。
地元伊勢が生んだ金メダリスト、野口みずき選手も、大好物だったとか。

さぁ、ラスト400m!
おかげ横丁をひたすら走る。

ちなみに横丁や裏路地のような狭い道のことを、伊勢では「世古」と称したらしい。
現在でも、「せこ」は伊勢をはじめとして、三重県に多い苗字やね。
往年の名ランナー、瀬古利彦選手も、そういえば三重県出身だ。

さぁ、目の前で、おかげ横丁が行き止まりになっている。
その先には、立派な鳥居が見えてきた。

着いた!
伊勢神宮内宮!
そして伊勢街道の終点。

時計はまもなく15時になろうとしている。
ここまで来て、このまま帰る手はないよね。
トレーニング?はここで終了とし、ゆっくりと「お伊勢参り」をしていこう。

鳥居を潜り、すぐに五十鈴川を「宇治橋」で渡り、神域へ。
内宮も通称で、正確には、「皇大神宮」。
神様の中でももっとも偉い?天照大神が祀られている。

難しいことはコスモタイガーにも判らないけれど、簡単に言えば、格式で一番上が、伊勢神宮。
それに次ぐのが、熱田神宮と出雲大社になるのかな?

そしてこの3つの神社に共通するイベントがある。
「駅伝」ね。

10月の「出雲大学駅伝」(全日本大学選抜駅伝)。
11月の「全日本大学駅伝」。(熱田神宮→伊勢神宮内宮)
特に全日本大学駅伝は、熱田神宮と伊勢神宮を結ぶという格式高いもので、学生駅伝の最高峰と位置づけされている。

え?箱根?
だから、箱根は、格式じゃ、この2大会には及ばないよね。(旧東海道編35参照)
そもそも「全国大会」じゃないし。
実態はともかく、一新聞社の販売戦略上、いかにも「全国大会」という報道になちゃってるけどさ。

広大な内宮をのんびり参詣・散策し、途中、横を流れる五十鈴川で水と戯れたりしながら、まったりとした時間を過ごした。

さぁ、これにて「伊勢街道run」は、ホントに終了!
さっきの鳥居まで戻り、1本西にある広い道沿いのバス乗り場から、三重交通バスに乗り、「伊勢市」駅に出るのさ。
ちなみにその広い道は、国道23号。
ここは国23の、終点でもあるんだね。

2010年5月16日、中山道のオプション?として走り始めた伊勢街道も、これにて完全走破。

伊勢市駅からは「快速みえ」に乗車し、一気に名古屋へ。
車中、充実感に浸りつつ・・・と云いたいところだけど、残念ながら?空席がないほどの繁盛振りで、約1時間40分、ひたすら立ちっぱなしで車窓を楽しむコスモタイガーなのであった。
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