cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(16)追記

2014-07-25 | 旧東海道run!!
旧東海道編(16)の地図を作成しました。(ここをクリック)

旧東海道編(16)の本文末尾からも入れるようにしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(15)追記

2014-07-23 | 旧東海道run!!
旧東海道編(15)の地図を作成しました。(ここをクリック)

旧東海道編(15)の本文末尾からも入れます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(2)

2014-07-18 | 旧伊勢街道run!!

HappyNewYear!
2010年を迎えました。

若干雲多めながら、冬の澄んだ青空。
まさに「街道日和」?

そういえば今日は成人式だ。
行きかう人々の中に、可憐な振り袖姿の若い女性たちがちらほらしている。

そんな華やかさとは無縁?のコスモタイガー、今日も鳴海駅に自転車を置き、名鉄→近鉄のルートで、白子駅に降り立った。

だだっ広い濃尾平野の中を動いてるだけだから、中山道runを思うと拍子抜けするような感覚だ。
このルートは、トンネルすらない。

あえて街道の反対側、西口から駅を出て、白子駅周辺をしばらく散策する。
若かりし頃、仕事や研修等で何度も来たり、長期間過ごしたりという経緯があり、懐かしさを感じたりする。

駅前を直進すると、左手に某電話会社の白子ビルが見え、すぐに国道23号に出る。
この辺りが当時の「マイコース」の一部だったりするんだけど。

適当にぶらぶらして駅前に戻ると、何やら観光案内所のようなスポットが出来ており、ちょっと覗いてみる。
白子周辺の歴史案内などもしてあり、数枚のパンフレットもいただいておく。

さて、駅構内を通って反対側、東口(海側)に廻り、そろそろ今日のトレーニング開始としよう!

駅前の広い県道(551号)を進み、300mほど先で旧伊勢街道に再会。
右折してすぐに、前回のゴール地点、「鈴鹿白子本町局」という小さな郵便局、そしてその隣が、旧河芸郡役所跡を利用した児童公園だ。

ここは枡型になっていて、そのまま道なりに進む。
この辺りも前回の続きという感じで、白子宿の面影を残す町並みだ。

小さな川を渡る。
「和田橋」というらしい。
ここも枡型になっている。

右に「久留間(くるま)神社」。
名前の通り、「車」関係にご利益があるらしい。

そのすぐ先で、三たび枡型になっていて、その正面にあるのが「唯信寺」。
真宗高田派の寺院で、立派な門が印象的だ。

どうやらこの辺りが、白子宿の南端らしく、あとは直線的に進むことになった。
とはいえ、そこは旧街道、微妙なうねりをかすかに残している。

左手前方に何やらグラウンドが現れたら、左折する。
この奥にあるのが、子安観音。

安産の観音様として、地元でも信仰されている。
不断桜というのが有名らしいけれど、まだ桜には早すぎる。
それよりも、三重塔が映え、美しい境内に、思わず写メを撮る。

ここは「寺家」という集落で、裏路地のような狭い道が入り組んでいる。
伊勢街道はその一部だ。

曲がり角には道標がちゃんと残っているのはありがたいけれど、リサーチしておいた方が無難な区間だ。

先ほどグラウンド前で別れた道に再度ぶつかり、右折。
すぐに大きな川が目の前に。
「堀切川」ということらしい。

堤防に突き当たるところに「右いせみち」の道標が現役で?存在しているからありがたい。
わずかの区間ながら、この堀切川の右岸に沿って走ることになる。

近鉄の線路をクロスし、国23に出る。
23号で橋(堀切橋)を渡って対岸に。

この堀切橋の正確な場所は、現在では不明らしいけれど、今走った堤防沿いのどこかで、対岸に渡っていたんだね。

200mほどで、堤防を駆け下りる左の道を選択。
そのまま道なりに。

23号の1本西の抜け道のような形だけど、これが旧伊勢街道。
両側に、大きな屋敷が散見され、なかなか歴史を感じられる一角だ。
磯山集落というらしい。

磯山の中心、八幡社を右に見て、さらに進むと、23号に吸収されてしまった。

そのまま23号で、中ノ川橋を渡る。
下を流れるのは、中ノ川、そのまんまやね。
そしてこの小さな川が、鈴鹿市と津市の境なのだ。

左側に工場が見えてくると、歩道だけが車道から少し離れ、すぐに今度は左に分岐する道が現れる。
これが旧伊勢街道なのは、もう感覚でわかる。

100mぐらいで今度はY字分岐。
立派な地蔵堂が立っていて、ここが旧街道であることを教えてくれている。
ここは右。
ちなみに左は、「巡礼道」という信仰の道だったらしい。

この巡礼道も、詳細は不明だけど、何やら伊勢街道に寄り添うように存在していたらしい。
その上、旧街道に付き物の神社やお寺は、ここからしばらくは、巡礼道の方に面しているらしいから、街道に拘らなければ、こっちの方が楽しいのかもしれないけれど、コスモタイガーのコンセプトはあくまでも「旧伊勢街道」!

ごく普通の古い集落の中を走る感じで、約700m。
斜め右の道を選択し、近鉄の「千里」駅前に出る。

国23の信号(千里駅前」を横断し、100mほど先で左にカーブ。
すぐにまた立派なお地蔵さんを発見!
「田中地蔵」というらしい。

右後方からやってきた県道(645号)に合流し、橋を渡る。
大蔵橋の名前が付いている。

県道に沿って右に行く。
かつての「上野宿」で、ここもまた、立派な屋敷が残り、微妙なうねりとともに、旧街道の雰囲気を残している。
気持ちよく走れるなぁ。

右側に上野小学校、左に上野公民館。
さらに少し先には「最勝寺」という何やら縁起良さそうな立派なお寺もある。

さらに200mほど走る。
この辺りが上野宿の中心だったらしく、本陣や問屋場もこの辺りにあったらしい。
現在も、所どころに、武家屋敷風の建物が残っている。

ここに「上野城跡」の標柱があり、右手奥に入るように案内している。

小山の上に小さな公園があり、それが城跡ということらしい。
「本城山青少年公園」として、整備されている。

この上野城は、1569(永禄12)年、織田信長の弟、信包(のぶかね)が5万石で入城し、一時は、妹のお市の方とその3人の娘たちも住んだとされている。
夫、浅井長政を兄信長の手により滅ぼされ、信包を頼って、この上野城に3人の娘を伴って逃げてきたんだね。

お市の方自身も数奇な運命を辿る、悲劇の女性ではあるけれど。

その3人の娘、長女が「茶々」で、のちに豊臣秀吉の側室となり、嫡男秀頼を生む。
秀頼可愛さのあまり、大坂夏の陣で、悲劇的な最期を遂げる。

次女の「初」。
のちに京極高次の正室となる。
実像はどうか知らないが、史実的には、3人の中ではもっとも地味な?存在ではある。

3女の「江(ごう)」。
3人の中では最も激動の人生だったかもしれない。
2度の結婚→離縁・死別を経て、最終的には、徳川家2代将軍、秀忠の正室となり、嫡男家光を生む。

何やら来年(2011年ね!)のNHK大河ドラマは、この「江」を取り上げるとかで、複雑な彼女の人生がどう描かれるのか、楽しみではある。

そして、それだけに結構立派な城だったらしく、天守台跡、本丸跡、二の丸跡と、それぞれ案内が行き届き、なかなか楽しい「プチクロカン」だった。
公園内には展望台も設置されており、本城山からの絶景も楽しめる。

さて、予想外に随分楽しんじゃった!
展望台には資料館も併設されているけれど、さすがにそれはパス。
っていうか、まじめなトレーニング中だし!(またそれかよ)
伊勢街道に戻り、先に進もう。

道なりに進むと、「一色南」の交差点を斜めに渡り、確かに道は続いている。

「中瀬」という集落らしく、ここも街道オーラが充満した、趣ある道筋が続く。
右手に「高山地蔵尊」、またすぐに今度は「松林寺」、と、古くからの信仰を忍ばせる史跡が続く。

名前の通り「中瀬」の交差点に出て、国23に吸収される。
しばらくは国道runやね。

800mほどで、パチンコ屋の前で、右に分岐する道が出現!
もちろんこれが伊勢街道。

現在、この辺りは「津市栗真小川町」。
江戸の頃には「粉川」と呼ばれた集落で、特にこの辺りからは、伊勢地方特有の「妻入り」という形式の古い民家を見かけることができる。
要するに、出入口(玄関)が、屋根の妻のところにあるから、パッと見て、確かに変な感じがしないでもない。

くねくねと続く街道を気持ち良く走る。
約1kmほど、素敵な景色が続く。
その間にも、善行寺、観音寺といった名刹があり、道標も残っている。

左手に逆川神社。
一応、ここらでは名のある神社らしく、集落の南端を守っているようだ。

さらに400m、久しぶりの信号で県道(410号)にぶつかり、いったん伊勢街道は消失、ということらしい。
実際には、信号すぐ手前の、小さな十字路のところから、左斜めに突っ切ってたんだろうね。
そこには現在、某材木店が存在している。

信号を左折すれば、またすぐに右へと、旧街道が伸びている。
ちょうど、この先の「栗真中山町」の交差点をショートカットするような形だ。

国23を斜めに横切るのが旧街道だけど、渡る手段がないため、いったん「栗真中山町」の交差点に迂回して、続きを走る。

コンビニの裏を通り、再び国道と離れた静かな街道runだ。

約600mで、左後方からやってきた、これまた何やら街道オーラ漂う道と合流。
実はこれ、前述の「巡礼道」。
追分になっていて、ここで再び巡り合ったわけだ。

追分地点には、当時から目印として、松の木が植えられ、今も「名残松」として大切に守られている。(冒頭写真)

静かな道が続き…、と言いたいところだけど、突然前方から「ガガガ…!」とけたたましいドリル?の音がする。
道路工事のようだ。
車も片側交互通行になっていた。

工事の脇を抜け、すぐに伊勢街道の最たる目印、常夜灯を発見!
1854(嘉永4)年建立とされる。

右にカーブすると、すぐに「三重大前」の大きな交差点に出て、国23と再会。
名前の通り、左手には三重大学の広大なキャンパスを望むことになる。

ここは国道がそのまま伊勢街道になっているらしく、国23を走る。
先のことを考え、信号で、反対側に渡っておこう。

「江戸橋北詰」の交差点。
ここから右前方に分岐する道がある。
もう、これが伊勢街道であることは一目瞭然で、地図を確認するまでもない。

志登茂川を渡る橋が、「江戸橋」。
参勤交代の際、江戸に向かう藩主をここで見送ったとされ、それが名前の由来になっている。

渡り終わった十字路のところに、今度はかなり立派な常夜灯がある。
1777(安永6)年建立のもので、津市の指定文化財にもなっているらしい。

実はとっても意味ある常夜灯で、この地点が伊勢街道と伊勢別街道の追分となっていて、それを示しているのだ。

ここで左(南)に曲がるのが伊勢街道。
逆に、右(北)へ向かうのが、伊勢別街道で、東海道の関宿へと向かっている。

で、コスモタイガーは、ここをゴールにし、多分、後年になって出来たであろう、最も平凡な道を歩き、近鉄名古屋本線「江戸橋」駅へと向かった。

平坦で地味ながら、天候にも恵まれ、結構あちこち楽しめるコースだった。
街道自体では15kmぐらい?
実走17~18kmかな?

「江戸橋」駅は、特急こそ通過するものの、急行も停車する主要駅の1つで、先ほど前を通った、三重大学の最寄駅でもある。

名古屋方面の急行に乗れば、あとは眠気を誘う列車の揺れに身を任せるだけ。
1時間少々で、終点の名古屋駅だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(14)追記

2014-07-09 | 旧東海道run!!
旧東海道編(14)の地図、作成しました。(ここをクリック)

旧東海道編(14)本編末尾にもリンク貼りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(1)

2014-07-04 | 旧伊勢街道run!!

鳴海駅に自転車を置くのも久々だ。
名鉄で名古屋駅に出て、近鉄に乗車。
四日市で、あの可愛らしい「内部線」に乗換える。

懐かしいなぁ、内部線。
2年半という時を超えて、またこれに乗ることになるとは…!((旧東海道編10、13参照)

で、今日は途中の「追分」駅下車。
駅を出れば真ん前は旧東海道。

ここを走った頃は、まだ完全走破なんて思ってもいなかったしねぇ。
それが今じゃ、東海道を走り切り、中山道すら半分を超えている。
何やら今、東海道に再開すると、懐かしさとともに、大仕事をやり終え、凱旋して戻ってきた気分になって、小さな自己満足に浸ってたりする。

旧東海道を戻れば、200mほどで見覚えのある「日永の追分」の繁みが見えてきた。
湧水人気は相変わらずで、入れ代わり立ち代わりで地元の方々(多分)が、水を飲んだり運んだりしている。

この癒し空間で、写真を撮ったり、しばし湧水を楽しみ、小休止したところで、伊勢街道run、いざ出発だ!

左手の国道1号が、旧伊勢街道ね。
で、これまたすぐ、300mほどで、「大治田1」の大きな交差点。
インターチェンジのような立体交差になっている。

国1自体はここで、上の道に合流し、右の方へ行くけれど、伊勢街道は、このまま立体交差をくぐって直進。
県道103号線になる。

いきなり殺風景な県道runだけど、1km少々走ると、右斜めに分岐する道が出現。
当然こちらが旧街道。

でも300mほどで、川の堤防にぶち当たってしまう。
かつてはここに「河原田橋」が架かり、直進していたらしい。

仕方なく、堤防沿いに走り、さっきまで走ってた県道103に出て、現在の河原田橋を渡る。
ちなみに下を流れるのは、内部川。

渡ってすぐ右折、反対の堤防道路を走り、すぐに駆け下りて、田園の中を直進するのが、伊勢街道の続きだ。

すぐの道を右折し、ちょっとだけコースをはずれたところに、大きな常夜灯を発見!
江戸末期の1843(天保14)年建立、ということらしい。

街道に戻り、さらに南進。
左手に小学校が見えたら正解だ。

道の両側には、広い平野に田園が広がり、視野が広い。
何せここのところ、旧街道といえば、木曽路信濃路の山の中走ってたからね~。
この広がり感が、新鮮なのさ!

やがて県道103を斜めにクロスし、狭くなった旧街道が続く。
すぐに関西本線をトンネルで潜り、右にカーブする。

さっきクロスしたばかりの県道を再びアンダークロスすると、また堤防沿いの道に。
今度は「鈴鹿川」。

200mほど堤防道路を走り、「高岡橋」を渡る。
この辺り、本来の伊勢街道は消失しているらしく、かつては、この鈴鹿川を斜めに渡っていたとされる。

橋を渡って右へ。
今度は南岸の堤防道路を約300m。
またまた常夜灯が現れた。

手元の資料によると、建立は1807(文化4)年。
これを目印に堤防を駆け下り、左にカーブして、伊勢街道が復活。

伊勢街道は、幕府管理の東海道や中山道と違ってね、定められた宿駅とか一里塚がなかったらしく、ちょっと寂しい気もするけれど、代わりに常夜灯が多く残り、それをつないでいく感じだ。

平坦な土地のせいか、街道も直進的なところが多いなぁ。
ここも直線的に南下。
1kmぐらいはそれが続いたかな?

そしてまた右手に常夜灯があり、道は右に緩やかにカーブ。
この辺りから、神戸(かんべ)集落へ入る。

それを示すのが、「神戸見附跡」。
当時、夜間通行禁止で、時間になると門を閉めていたらしい。
現在も、わずかに石垣が残る。

急に家並みが増えてきて、その街並みにも、古き良き面影が残り、なかなか雰囲気が良い。
右側にある和風建築は、今も旅館として営業を続けている、旅籠屋「かみ亭」。

それ以外にも、左右所どころに古い民家が現れ、しばらくは目を楽しませてくれる。

やがて、線路(近鉄鈴鹿線)を超え、「神戸8丁目」の信号を渡って約100m。
「札の辻」に到着。

ここで道は左右に分岐するけれど、伊勢街道は左だ。

神戸集落の中心らしい雰囲気になった。
左手やや奥には、近鉄の「鈴鹿市」駅がある。

伊勢街道は駅には寄らず、そのまま道なりに。
「栄橋西」の交差点を過ぎてすぐ、真宗高田派別院の立派な建物が目に入る。

突き当りを左折。
いかにも旧街道オーラの道をどんどん走る。
左手にまた常夜灯だ。

「矢橋1丁目」の交差点をそのまま直進、今度は「鈴鹿駅入口」の信号に出る。
名前の通り、すぐ北に、伊勢鉄道の「鈴鹿」駅がある。
どうやらこの辺り、地理に疎い人にとって、鈴鹿市駅と鈴鹿駅が混同し、さらに解りにくいエリアになっているようだ。

両側は静かな住宅だけど、所どころに鳥居や灯篭があったりして、わずかに街道を忍ばせつつ、道は続いている。

左に小さな道標を発見!
「右若松道」。

そういえば、ここから東の方に、近鉄名古屋本線の主要駅、「伊勢若松」があるからね、そこのことを言ってるんやね。

国道23号に出た。
「肥田町」という名前の交差点だ。

渡ってそのまま道なりに。
といっても、伊勢街道、ここで右にカーブし、23号から見ると、斜め左に分岐しているような感じだ。

200mほど南下した地点に「天白神社」。
「天白」といえば、名古屋市民にとっては、「天白区」や「天白川」を連想させるけど…。

実は「天白信仰」なんてものがあるらしく、神道に由来するものだとか。
長野県や静岡県を発端にして、日本全国に広まったとされる民間信仰ということで、実は詳細不明らしいけれど、伊勢地方を中心に、「天白神社」が多く残っているとされる。

コスモタイガー、残念ながら、煩悩の塊で、人並みに手を合わせる程度の宗教心しか持ち合わせていないため、こっち系の話は詳しくない。
まぁ、でも神道と関わり深い伊勢神宮のおひざ元だからね、そう思えば不思議でもないかな。

そういえば、東海道でも四日市と内部の間にも「天白川」「天白橋」があったし(旧東海道編10参照)、長野県といえば、中山道では、南木曽駅近くに「天白公園」があったなぁ(旧中山道編17参照)。

しばらく走ると変則のT字路で突き当りとなる。
ここに、現存する小さな道標。
「右さんぐう道」と刻まれているようだ。(冒頭写真)

道標の示すとおり、右折し、すぐに左にカーブし、再び南進。
「西玉垣町」の交差点で国23に出るけれど、その直前で左折するのが伊勢街道だ。
ここにも「左さんぐう道」の道標が立っている。

200mほど先の小さな十字路を右へ。
しばらくして左側に、また道標が残る。

こんな感じで、それなりに旧街道関連の史跡が点在し、結構楽しい。

東玉垣の信号を過ぎるとすぐ、左手に大きな工場(フジクラ鈴鹿工場)が現れた。
しばらくはチェックポイントもなく、道なりに走るだけ。

普通の住宅街の中だけど、この道が由緒あるお伊勢さん参りの道だったこと、住民の皆さんにはどれだけ意識されているのだろうか?
ただ、微妙なうねりは確実に街道の面影を残している。

やがて近鉄名古屋本線の線路に出た。
踏切を渡る。

渡ったところに、立派な祠がある。
「北の端の地蔵」と称され、鎌倉時代のものらしい。

こんなアーバンライナーや伊勢志摩ライナーも通る、近鉄の大幹線沿いに、堂々と残っていることが素晴らしい。
伊勢街道、侮りがたし!

「北の端」っていうんだからさ、言い換えればここが北側の入り口。
何の入口かというと、白子宿の入り口。

ここから実質的な白子集落(白子宿)の街並みってことやね。
お地蔵さんの前の道をすぐに90度右折。
枡方になってたんだね。

そしてこの道は県道6号に指定されているらしい。

そのまま県道を走り、「江島本町」の信号に出た。
ここでちょっと寄り道。
左折して100mほど。

「江島若宮八幡宮」。
単に江島神社と称することが多いらしいけれど、白子宿の象徴ともいえる神社で、海上交通の神様として、地元でも厚く信仰されているとか。

ほんの少し先には海が見える。
晴れていればもっと景色は良かったかもね。

「本能寺の変」の後、徳川家康は、有名な伊賀越えで、命からがら脱出し、ここ江島の海岸から船に乗り、対岸の知多半島に上陸したとされている。

残念ながら現在、神社以外にそれを思わせる史跡はなさそうだ。

伊勢街道に戻ろう。
この江島地区は、常夜灯も残り、ところどころには古い民家も見かけられ、かつての白子宿の面影を強く残している。

右手には青龍寺という、何とも気になる名前の立派なお寺がある。
2009年も、ドラゴンズは2位で、ジャイアンツに屈してしまった。
来年こそV奪回だ!
青い龍の仏様に、心を込めて祈願しておく。

ここ白子宿は、江戸時代、伊勢街道一帯では最も栄えた港町。
ここから南にある松坂が、商人の町。
松阪商人が手掛けた衣類がここに集積し、港から各地へと運ばれていったとか。
当然ながら、衣服問屋や廻船業者が財を成し、随分と華やかだったとされる。

300m弱で幹線道路を渡ってすぐ。
枡方になっていて、右折してすぐ左折、の構造になっている。
そこに小さな郵便局があり、隣に児童公園がある。

その公園の前にあるのが「旧河芸郡役所跡」の碑。
今日はここをゴールとしよう。

中山道慣れ?したせいか、随分と地味な印象だったけど、距離はそこそこ走ったかな?
多分実走20kmぐらいかと。

さっき渡ったばかりの幹線道路(県道551)が、いわゆる駅前通りというやつで、そこを歩けば10分弱で近鉄白子駅に到着…のはずだけど、その手前を左折し、少し歩くと「伊勢型紙資料館」なるものがあるらしい。

無粋な人間のため、残念ながら型紙に関しては心得がないけれど、この資料館は、白子宿隋一の型紙問屋、寺尾家住宅を資料館として開放したものだ。

16時閉館なので、駆け足で中を見学し、駅に向かう。

さて、白子駅。
近鉄名古屋本線の主要駅で、特急も停車する、鈴鹿市の実質的な中心駅だ。

そしてこの白子駅周辺は、コスモタイガーが若かりし20代の頃、公私にわたって何度も利用した場所で、今日は久々に再会し、とても懐かしい。

周辺を散策し、当時の思い出に浸りつつ、時間をつぶす。
当時は若くてねぇ、こんなにじっくり散策した記憶はないなぁ…。

名残惜しいけれど、次回もある…と思うから、ぼちぼち帰ろうか。

白子駅からは急行でも近鉄名古屋まで約1時間。
随分近く感じられるね~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする