旧中山道runも、ここまで来ると「朝のんびりと」というわけにもいかなくなってきた。
いつもの「青空フリー」利用とするなら、中津川発10:10の普通列車に乗ることが目安となってきた。
この列車を逃すと、約2時間後の列車になり、現地(上松駅)到着は13時前後となってしまうのだ。
まぁね、この先、ますます家から遠くなり、もっともっと早起きして行くことになるであろうから、これぐらいでどうこう言ってちゃアカンけどさ。
朝、平日同様に早起きし、家を8時前に出て、大高駅に向かう。
空は気持ちの良い秋晴れで、走りやすいコンディションになりそうだ。
「青空フリー」を片手に、予定通り10:10の列車に乗り、上松駅到着は11時少し過ぎた頃。
久々に「午前中」のうちに現地に着いたのは嬉しいけれど、まだ一歩も走ってないうちから、少々お腹すいたのさ。
かといって、満腹じゃ走りづらいしね~。
駅から上松町役場の方向に適当に歩くと、小さな喫茶店を発見!
ここで今日の行程を再チェックしつつ、軽く腹ごしらえ。
休日のこんな時間に喫茶店なんて、この辺りでは珍しいのか?
客は自分一人だった。
何やらいきなり休んじゃって、緊張感のない感じになり、ウォーミングアップ代わりにのんびりと前回のコースアウト地点、「下町」交差点まで歩く。
この道はつい最近まで、国道19号。
それが最近、バイパスが出来たお陰?で(旧中山道編18参照)、静かさを取り戻したかのような、上松の中心街だ。
「下町」交差点の1本奥の歩行者専用道が中山道ということで、今日はここをスタートとする。
300mほどで突き当たって、右折。
狭い生活道路然とした道だけど、左にカーブした地点にあるのが「本町一里塚跡」。
ちなみにこの右折左折が、かつての枡型でもあるわけね。
そして、この辺りが上松宿の中心でもあったらしい。
すぐに左側、立派な門構えの家が、かつての脇本陣跡らしいけれど、それ以外には取り立てて見所もないのが残念。
小さな橋を渡った所が「十王橋」の信号。
多分、今渡った橋の名前なんやろね。
資料によれば、かつてここに十王堂があり、上松宿の東側出入口だったらしい。
現在も、静かに石仏が並んでいる。
さて、周囲には、数カ所にわたって、「歩行者の皆様へ」とする注意書きの看板が。
要するに「このまま道なりに進むと、危険なので、なるべく中央本線の左側に迂回しろ!」ってことなんだけど。
迂回といっても、周囲の状況や事前の下調べから察するに、5kmぐらい「迂回路」を走ることになるらしい。
当然その道は中山道とは無関係なわけで、「旧街道」を意識している以上、ちょっと受け入れられないなぁ。
いろんな方のHPを見ても、やっぱりここは「中山道」にこだわって直進している方が多い。
そりゃそうだよね。
当然、コスモタイガーも迷わず直進!
といいつつ、ここから先、中山道はしばし消失、ということらしい。
一部は、そのままJR中央本線にそのまま流用されたということだ。
でも中山道に極力近いルートを!となると、やっぱりこの目の前の旧国19を行くしかない。
約1km走ると、今度は右手後方から、トンネルから出てきた国19バイパスと合流。
当然そのまま道なりに進む…わけなんだけど。
実はここがさっきから「危険」と注意されている地点なんやね。
国19バイパス、つまり「木曽高速」の両側には歩道がなく、1mにも満たない路側帯が引かれているのみ。
ネット上でも、「中山道の現代の難所」とされているようだ。
一級国道だしね~、大型車両も多く、かなり飛ばしている車の脇を、怯えながら走る(歩く)ことになる。
確かに怖い!
コスモタイガーのすぐ横を、大きなトラックが爆走していく!
運転手の方も、「こんなところにランナー(歩行者)が!」と思ってるんだろうけれど。
道路を敷設する際に、どうして歩行者を想定しなかったんだろう?
「こんなところ歩く(走る)奴なんかいるか!」と思ったのかな?
「迂回」といってもねぇ、都会のようにいくつも選択肢があるならともかく、木曽川の対岸を5km以上迂回させられては困るしね~。
しばらくはこの「木曽高速」を、細心の注意を払って走るのみ。
NHKの「街道てくてく」をはじめとする、昨今の旧街道ブームの影響か、こんなところでも数人の歩行者とすれ違うんだよ。
って文字にすれば簡単だけど、すれ違うスペースもないから、背後から車が来ないことを確認して、僅かの間隙にササッと!…という感じだからね~。
自動車専用道じゃない以上、当然我々ランナーも歩行者も通行する権利はあるわけで、「注意書き」の気遣いはありがたいけれど、それで済む話ではないように思う。
まぁ、コスモタイガーのような「走る」のは奇特だから別にしても、最低限、「歩行者」の安全は確保してもらいたいものだ。
前方左手に、古い吊り橋が見えてくると、やっと歩道が現れ、ホッとする。
ここだけで結構疲れた!
さらに木曽高速を走る。
やがて左に渡れる橋が見えてくる。
中山道はこのまま木曽高速走るんだけど、あえてこの橋をいったん渡り、木曽川対岸に出る。
対岸からしか見られない名所なんだ。
ここから木曽高速(というか、中山道)を見ると、その下に、石垣のようなものが組んである。
「木曽の桟(かけはし)」ね。
当初の中山道は、険しい崖沿いの窪地の上に、丸太を組んだ筏(いかだ)橋のような道だったらしい。
ところが、旅人の松明が原因で燃えてしまったため、尾張藩が、石垣を建設。
その上に中山道を敷設し直したということだ。
国19になった今も、中山道時代同様、石垣が現役で利用されている。
この対岸からの風景を松尾芭蕉がとても気に入ったらしく、「桟や 命をからむ 蔦かづら」の句碑が残されている。
さて、中山道(というか国19)に戻ろう。
500mぐらい?進んだところ、右手に「沓掛一里塚跡」。
生い茂る草に埋もれてしまいそうな、小さな碑があるのみ。
ここから分岐して登っていく、未舗装路を選択。
この先、すぐに中央本線の線路にぶつかる。
何だか某鉄道会社の敷地に侵入するような不安に襲われるけれど、線路脇の草むらに入ってすぐ、「馬頭観音」を発見!
そう、この草むらの道こそ、旧中山道だ!
ってか、正確には、線路上かもしれないけれど。
ここからは舗装された道がゆるやかに左に折れて続いている。
この辺りで、行政区域が上松町から木曽町(旧木曽福島町)に代わったようだ。
再び19号に合流。
と思ったら、すぐまた右に分岐。
中央本線の下をくぐり、今度は線路を左に見る形で進むと、「御嶽神社」。
もう、御嶽山が近いんだね~。
しばらくは山の中の小道をこのまま走る。
線路を再びくぐって、国19に出た。
すぐに信号のある交差点(元橋)がある。
左に分岐する道路は県道20号で、このまま御嶽山の方へと通じている。
中山道は当然、そのまま国19ね。
でもすぐに右に分岐するけどね。
で、ここでも本来の中山道は消失しているのさ。
分岐した田舎道は左にカーブし、線路に沿ってるけれど、かつてはこの奥の方に直進し、大きく迂回していたらしい。
現在は、自然に還ってしまっていて、走行(歩行?)困難な状態となっている。
仕方なく、線路に沿って走る。
目の前に、古いトンネルが現れた。
当然、江戸時代の遺跡ではないことは明らか。
実はこの道は、中央本線旧線だったらしく、トンネルもかつての鉄道トンネルだったらしい。
現在は、たま~に(多分)車や歩行者が通るのみ。
資料によれば、このトンネルの真上の山を中山道は通っていたらしいけれど、現在も一部が整備され、残されているらしい。
ということで、少し面倒ながら、トンネルをそのまま潜り、いったん国19に出て、反対側から迂回しながら山の上へ。
登りきった所が少し広くなっていて、公園のようになっており、なぜか大きな時計が設置されている。
そこに、中山道がモニュメントとして、保存されているのだ。
山道をそのまま下る。
道順は若干ややこしいけれど、資料や案内板を頼りに走り、国19を超えて、県道461(旧国道19)に沿う道に出る。
そのままいったん県道461に出て、すぐに右の道に分岐。
50mほど先に日産のディーラーがあるのが目印だ。
ここはくねくねと独特のうねりがあり、旧街道らしいオーラを残す道だ。
左手奥、国19沿いに木曽町の合同庁舎が見える。
と、思ったら、右!
まるで民家の庭石のように溶け込み、うっかり通り過ぎそうなシチュエーションで、「塩渕一里塚跡」。
少し先の分岐は右へ。
整理事業?の工事中になっていて少々ややこしいけれど、標識に従い、町役場前を通過、そのまま「木曽福島」駅前に出た。
さぁ、木曽福島駅!
「ワイドビューしなの」も停車する、木曽路の代表的な駅だ。
宿場としても、木曽路最大規模を誇ったとされ、江戸期も現代も、木曽路の中心的な存在だ。
駅前の中山道は、旧街道を意識して薄茶色の舗装が施され、土産物屋や旅館も並んでいる。
特急停車駅で利便性も抜群のため、観光客も多いからね、久々に活気ある風景だ。
そのうちの1つ、威風堂々とした日本旅館「つたや」。
その前で道は二手に分岐。
どっちかっていうと、右の方が中山道に近いらしいけれど。
正真正銘の中山道は、どうやら中央本線の敷地内に眠っているらしい。
つまりこの分岐、どっちも本物の中山道ではないってことやね。
案内板に従い、このまま左(県道269)を選択し、トレーニングを続行!
700mほどて、中央本線の上を渡る形になるけれど、その手前で左折し、川を渡るのが正解だ。
ここから中山道が復活。
そしていよいよ本格的な宿場風景となる。
この宿場も枡型がおおいからね~、案内板を注意しながら走る。
橋渡って突き当たりを左折、すぐに右折。
この辺りが「上之町」(または上ノ段)と呼ばれ、最も旧街道らしさを残す地区とされる。
高札場も復元されている。
道なりに走って、十字路を右折。
今度は「本町」というらしい。
100mほどで、「支所前」の交差点。
ここでちょっと寄り道。
左折し、木曽川を渡った所にあるのが、「山村代官屋敷」。
当時のままの姿で保存され、資料館として整備されている。
ちなみにこの渡った橋、江戸期から山村屋敷往来のためにあったため、かなりの歴史もあるらしいけれど、何度も洪水に遭い、1926(昭和11)年、世界初のコンクリートローゼ桁橋として建設されたとか。
現在では「大手橋」の名前が付いている。
ところで「コンクリートローゼ」って何や?
ごめんね、それがわからないから、凄さを理解できない。
理数系大嫌いなコスモタイガー、そこはスルーさせてね。
それよりも山村って誰?って話の方が俺、好きだなぁ。
元々は木曽氏(木曽義仲の末裔)の家臣だったものの、徳川の世になってからは、木曽の代官としてこの辺りを治めた一族やね。
資料館、見学したい気持ちはあるものの、今、トレーニング中だし!(はいはい)
のんびりし過ぎて、後で慌てるのも困るしねぇ。
ってことで、外から建物を拝見するだけに留めておく。
再び「支所前」の交差点に戻り、中山道を先へ。
今度は右の道に入り、やや高い位置にあるのが「福島関所跡」。
こちらも当時の姿のまま復元され、中を見学できる。
東海道の新居関、箱根関、中山道の碓井関とともに日本の4大関所と云われ、取締りが厳しかったとされる。
この関所を管理したのが、さっき寄り道した山村氏。
この関所があったからこそ、それを前にした福島宿が大きく発展した、というわけだね。
碓井宿は、いずれ巡り合うことになりそうだけど、あとの2つは、すでに東海道編で通過済み。(旧東海道編8、36)
といっても、ホントに素通りしただけなんだけどね。
今の時代に生まれて、有難いことやね。
ってことで、ここでも関所破り!
写真だけ撮ってトレーニング継続!
すぐにさっきまで走ってた道に合流し、直進すると、「関町」の信号で、国19バイパスに吸収される。
100mほどで左の小道に分岐。
そのまま直進すると、200mほどてまた分岐があるからここを右。
頭上には立派な国道(361号)が通る。
さらに200mほどで、再び国19バイパスに吸収。
左手、木曽警察署が目印だ。
「矢崎橋」の信号も直進。
いかにもバイパス的な感じで、中山道らしくない。
きっとここも、山側(中央本線側)に入り込んで、絶壁を縫っていたんだろうね。
400mほどで、右手にコンビニが出現したところで、左の道に入っていく。
すぐに保育園がある。
残念ながら、足を止めるほどの見所は、しばらく期待できない。
というより、この保育園から先も、資料によってバラバラで、どうやら、本来の中山道は中央本線敷設時にかなり破壊されたらしい。
山間に囲まれたわずかなスペースに、いろんな物を建設してきた苦労が偲ばれるね。
案内板が要所にはあるから迷うことはないけれど。
そして手元の資料等を頼りに、いったん国道に出て、線路を越えてからすぐ左折。
この辺りからは再び中山道となる。
のどかな山村風景の中に、ポツンと小さな森があり、入口に鳥居が建っている。
「手習天神」。
木曽義仲の守役、中原兼遠なる人物が、「義仲坊ちゃんが勉強できますように」と願って勧進したということらしい。
さぁ、そしてここからの道順はややこしいんだ。
しっかりリサーチしたはずのコスモタイガーでも、若干迷いつつ進む。
右にカーブした地点にカーブミラーと自販機があり、その間の未舗装の道を下る。
まさに、地元の人が農作業でしか使わないような草道なんだけど、正真正銘の中山道らしい。
民家の庭みたいなところを走らされ、右にカーブすると、小さな橋。
下を見るとちょっと怖い!
川を渡ってすぐ右折、すぐに左折して、草むら?としか思えない悪路へ進入。
ホントにこれで良いのか?と不安いっぱいだけど、道は左に大きく曲がり、資料の通り、ガードレールの隙間がアスファルト道に出る。
あとは鋭角に右後方へ、このアスファルト道を進む。
こんな鋭角は不自然だから、ここもかつては草むらの道が直進し、自然な形でこの地点に出てたんだろうけど。
アスファルト道を進むと、右手に小さなスーパーがあり、すぐに右後方からやってきた県道267と合流する。
周囲は山に囲まれ、のんびりした気持ち良い道だ。
500mほど走ると、忽然と看板が現れる。
町内会の掲示板かと思いきや、「中山道中間点」の文字。(冒頭写真)
京・江戸両側から、67里38町(約268km)。
ついに中間点までやってきた!
あと半分なんだよな~。
と、感慨に浸ってしまいそうだけど、それは地図上の話。
ここからの残り半分の方がはるかに過酷なんだけどね。
ここまでは、なんやかんやと言いつつ、名古屋から比較的近いしね、大きな峠といえば、馬籠峠ぐらいでしょ。(旧中山道編15参照)
ここから先、鳥居峠、和田峠、碓氷峠と、主だったところだけでも3つの厳しい峠越えが待っている上に、そこまでの往復を考えると頭が痛い。
400mほどそのまま走ると、左手にポツンと小さな駅舎が見えた。
「原野駅」。
普通しか停車しない、無人駅で、周囲は売店や自販機の類もない。
今日は過激な峠越えとかもなかったから、まだまだ余力はあるけれど、時計を見るとまもなく15時半になろうというところ。
電車の時刻も考慮しないといけないからね、ここをゴールとする。
今回も20kmぐらい走ったかな?
でも中山道だけなら15~16kmというところか?
自分以外には利用者は誰もいない。
もとい、一人ならぬ一匹居た。
ネコちゃんがベンチの上でのんびりと寛いでいた。
起しちゃったかな?
ごめん。
着替えてから、駅舎の写真をおさめ、あとはまもなくやってくる電車を待つのみ。
周囲には自販機すらないから、冷たいジュースも飲めないけどね。
定刻通りやってきた普通列車に身を任せ、鈍行列車の旅を楽しみつつ、帰路に着くコスモタイガーであった。
9月も半ばを過ぎ、思えば中山道runも、三条大橋をスタートして1年を過ぎた。
でもまだ半分も走破していない。
それどころか、この先、名にし負う峠越えの連続だし、往復のアクセスもこれから先、どんどん名古屋から遠ざかり、まだまだ中山道の過酷な道のりは、これからなのだ。
「川西古道」も相変わらず気になってるんだけどね。
とはいえ、中山道とは直接の関係はないし、さすがに南木曽駅とのお付き合いにも飽きてきた。
ボチボチ先に進みたい。
そういうわけで、「川西古道」は、またいつの日にか、ってことにして、前々回のゴール駅、大桑駅を目指すことにしよう。
毎度おなじみの大高駅で「青空フリー」を購入し、乗継で中津川駅に到着。
南木曽駅以東まで運転される普通列車はさらに減り、日中は概ね2時間に1本程度。
よって、走るだけじゃなく、そろそろ「時刻表」のリサーチも、真剣に必要となってきた。
30分少々で大桑駅に到着。
前回同様、周囲は静かな集落が横たわるのみ。
時計はすでに12時半を過ぎている。
特に散歩するほどの状況でもなく、早々に今日のトレーニングをスタート!
駅前の1本道を南下。
すぐに十字路に出る。
この横切る道が中山道であり、前回の終了地点やね。
50mほどで2叉。
これを右に行くらしい。
右手に小さな小川を従えて、集落のはずれへと走っていく。
案内板に従い、やや奥まった所にあるのが「天長院」。
ここも古くから地元の人々の信仰篤い古刹らしい。
リサーチ通り、門前には、子を抱く小さな観音様があり、「マリア観音」と呼ばれているらしい。
そう!
名前の通り、ここも隠れキリシタンゆかりのお寺だったのだ。(旧中山道編12参照)
正面に保育園が見えると、2叉に分岐。
ここは左を選択。
1本道で、大桑中学校を左に見ながら走る。
すると十字路に出る。
左右の道は、県道265号ということらしい。
ここを右折、県道=中山道、となる。
まぁ、案内板も要所要所に設置されてるし、迷うことはないけれど、しばらくは県道265に沿って走ることになる。
道なりに左にカーブし、橋を渡る。
橋の上からは、右手前方の高台に、立派な木造建築を見上げられる。
「木曽の清水寺」と称される、岩出観音だ。
ちょっとだけ街道をそれる形になるけれど、折角だから寄り道していこう!
本堂に登って少し休憩。
うん、いい景色だなぁ。
中山道(県道265)に戻り、さらに足を進める。
右なりにカーブし、JR中央本線と国19が左側に寄りそう構図となった。
しばらくして中央本線を踏切で渡る。
はい!第9仲仙道踏切」ね!
すっかり忘れかけていたけれど、壮大なカウントダウンみたいで、楽しいな。
いかにも旧街道らしい、うねりが楽しい。
やがて左手に大きな工場?のような建物が現れ(※2014年現在、大型ショッピングセンターになっているようです)、それに沿って左折するのが中山道らしい。
すぐに交番が見えたら正解だ。
さらに交番から約200mほど先、ここは目印らしきものもなく判りにくいけれど、小さな案内表示だけを頼りに右折。
もの凄く狭い、水路脇の道だけど、立派な中山道。
「鍵屋の坂」といって、須原宿西口の枡型として設けられたらしい。
すぐにさっきの県道265に出て突き当たる。
ちょっと右に戻る感じだけど、大きな階段と、その上には立派な山門が鎮座している。
「定勝寺」。
1430(永享4)年、木曽親豊により建立、とあるから、相当の歴史があり、須原宿の象徴的な存在だ。
山門が立派なのは道理で、国の重要文化財に指定されているらしい。
再び県道265を走る。
さぁ!須原宿だ。
正面には木曽の山並み、そして静かな宿場町の懐かしい建物たち。
見事!
ここまで、馬籠宿・妻籠宿など、それなりに素晴らしい宿場風景を見てきたけれど、観光地としての知名度もあり、良く言えば明るく、活気があった。
対する須原宿。
知名度では、完全に太刀打ちできないけれど、目前に広がるその光景は、静かで素のままの街道風景だ。
道の両側に水路があるのも、それを引き立たせている。
もちろん個人的な好みもあるけれど、はっきり言って、妻籠や馬籠よりはるかに素晴らしく、引き込まれるような懐かしさを感じる。
観光地化されていないため、土産店や飲食店もないから、デートや家族旅行には向かないのかもしれないけれど、本当の意味での宿場町の素晴らしさを伝えている気がする。
木曽路の素晴らしさを実感できるスポットだ。
江戸当時の旅籠も一部そのまま残り、営業しているらしい。
かつて7つあったとされる水舟(水場)、現在でも5つがそのまま残っている。
ここも湧水豊富な宿場町なのだ。
近江路の醒ヶ井宿を思い出すなぁ…。(旧中山道編6参照)
脇本陣跡も、現在は「西尾酒造」という立派な酒屋さんで、真ん前には正岡子規の句碑が建っている。
さらにすぐに本陣跡。
残念ながらここだけが普通の民家で、「本陣跡」を示す木札が建つのみだ。
右手にJRの須原駅が見えた。
ここも、うっかりそのまま道なりに走ってしまいそうだけど、左に階段を下りて行く狭い道がある。
まるで、すぐ横の民家の勝手口にでも入っていきそうな雰囲気だけど、実はこれが中山道。
半信半疑で降りて行くと、すぐに国19に出た。
資料によれば、この辺りに一里塚があったらしいけれど、走りながらのせいか、見過ごしてしまったらしい。
めずらしく?人が歩いている。
見た感じ、60過ぎのおじさんが、重たい荷物を背負っている。
追い抜いてすぐ、ちょっと立ち止まって地図を確認していると、すぐにおじさんが追いつき、声を掛けてきた。
彼もきっと人恋しかったに違いない。
どうやら、京都から「宿泊&連続」で、中山道を歩いているらしい。
こっちは、全て「日帰り&ブツ切り」のrunningだからね、瞬間スピードは速いけど。
ウサギとカメなら、こっちは休んでばかりのウサギやね。
ウサギは先に行かせてもらおう。
すぐに右に分岐するのが中山道だ。
しばらくはこれといった見所はないけれど、周囲の風景こそが何よりの気分転換だ。
中央本線と国19に挟まれた狭い道(というより、車道から離れて作られた歩道?)を行く。
800mほどで、国19に吸収される。
あとはひたすら国道run。
1500mぐらいは走ったかな?
道路の反対側、左手に喫茶店が見えてきた。
といっても、喫茶店、閉店してるけどね。
ただこれが目印。
信号も横断歩道もない「木曽高速」だけど、ここは覚悟して渡るしかない。
幸い、ここまで来ると、交通量はそんなに多くはない。
この喫茶店の脇から分岐するのが、中山道。
でも苦労して渡った中山道も、600mほどで再び国19に吸収。
で、またしても国19、反対側(右側)に、注意払って渡る。
迂回しようにも、近くに横断歩道とかなさそうだしね~。
100mほど先で、今度は右へ。
といっても、何やら地図にも載って無さそうな悪路だけど…。
線路を渡ってすぐ、一応舗装された田舎道に出る。
けれど、すぐにまた右折。
ここはもはや獣道状態だ。
リサーチ通り、一人がやっと通れる獣道をくねくねと走り、完全なクロカン状態。
でもこれまた別の舗装道に出て、両側に小さな池があったら正解。
これを降りて行くと、さきほどの田舎道に出る。
さらに降りていく道があって、JRの線路に出るんだね。
でもさ、ここは柵とか囲いとかないし、踏切設備もないからね。
近くに迂回できる道もなさそうだし。
幸い?、電車の本数は、名古屋近辺に比べてグッと少ないけど、それでもここはキチッと確認し、速やかに渡る。
すぐに国19に出て、なにやらホッとする。
それにしても、随分難解なコースだ。
かつて、木曽川沿いの険しい崖に沿って、細々と道が続いていた名残なんだろうなぁ。
200mほどで小さな川を渡ると、行政区域が「上松町」になる。
すぐに左側、またまた閉鎖した、「ていしゃば」という名の喫茶店がある。
とりあえずここでまた国道を横断し、喫茶店の駐車場に降りる。
実はこの喫茶店の建物と国19の間の、従業員しか通らないような狭い通路がある。
ここが中山道なのだ!!
人の気配もなく、何やら不気味だけど、恐る恐る走って(歩いて?)建物の裏に回ると、田んぼのあぜ道としか思えない草道があり、かろうじて繋がっている。
ちょっと信じられなくて、何度も手元の資料を見直すけれど、やっぱりこの道に間違いないらしい。
いや~、もうこの辺は、東海道には絶対なかったシチュエーションだ。
結構、こんな状況を楽しんでたりする。
ってか、このオリエンテーリング感覚こそ、旧街道フリークの好奇心を刺激するところなんやろね。
再び国19に吸収。
歩道は道路右側しか設けられていないため、渡って歩道を走る。
約100m、思わず「あ!」
反対側が、ちょっとしたパーキングスペースになっており、「倉本一里塚跡」の碑が見えた。
また渡るのは面倒くさいなぁ。
ちょっと遠めだけど、ここから写真だけ撮っておこう。
ここで今度は自転車の青年を追い抜く。
へばってるようで、かなりのスローペース。
自分の足で走ってる俺より遅いけど…。
大きな荷物や持ち物からして、恐らく「旧中山道自転車行」かと。
いや、それにしても、その様子じゃ、ここから先、自転車じゃ~、相当きついぞ。
お先に失礼します!
それにしても今日は、同種?の人間に良く会うなぁ…。
久々の信号があり、左手には「ドライブイン木曽」。
懐かしい響きやね~、ドライブイン。
最近は「道の駅」にすっかりお株を奪われちゃってるけどね。
小さな川を渡ると、右に行く道がある。
ここを右折し、中央本線の下を潜って川沿いに走る。
もっとも、地形的に明らかだけど、旧街道がこんなに鋭角に突然曲がることは考えにくい。
恐らく、先ほどの一里塚辺りから、徐々に右にカーブし、中央本線の東側を通っていたと思うんだよね。
現在では、そんな道は存在せず、自然に還っちゃってるんだね。
案内板が、狭い小道を左折して一気に登れ、と指示している。
登りきって、これまた狭いながらもアスファルト道に出た。
道は曲がりくねっているけれど、確かに繋がっており、常夜灯があってホッとする。
でもそれ以外は目印もなく、どう見ても農村の中の生活道だ。
ちょっとした高台を走っているせいか、しばらくすると、左手下方に、中央本線を見下ろす形になった。
駅舎らしきものが見える。
倉本駅らしい。
道は急激に左にヘアピンカーブ!
って、こういうカーブは、旧街道的には不自然なんだよね。
もう、カンでわかるんだよ。
資料によれば、案の定、ここは目の前の民家の庭?みたいな通路を直進する形らしい。
ちょっと行ってみたけど、すぐに行き止まりになっていた。
仕方なく、左折して一気に降りると、倉本駅の脇を通り、国19に突き当たる。
右折して、約1km、再び単調な国道run。
木曽川に沿って、左に分岐する小道があった。
迷わずそちらを選択。
すぐに、吊り橋があった。
国19と交わるところに、信号があり、渡って反対側に行くと、すぐにまた右へと分岐する道がある。
この道も300mほどで終了し、国19へ。
すぐに、右に分岐する狭い坂道がある。
ここを登って行くのが正解らしい。
この辺り、「宮戸」集落という古くからの集落らしいけれど。
線路を越えると、道は未舗装、というか、1人がやっと通れる程度の、草の道。
どうみても、この辺りの住人の専用通路にしか見えないんだけど。
またまたオリエンテーリング模様で、再度資料を確認し、間違いないことを確認。
完全に数件の民家の庭先(のような草道)を走る形になる。
NHKの「街道てくてく」の影響もあって、住民も慣れてるのかな?
でも予備知識なく、突然庭先に、知らないおじさんが、汗ダクダクのジャージ姿で現れたら、驚くよね、絶対!
といいつつ、ちゃっかりシャッター押す余裕があったりする。
幸い?誰にも会わず、通報されることもなく、無事通り過ぎた。
途中から道は舗装になる。
すぐに右に分岐し、さらに山の方へとはいる道がある。
その分岐点には「木曽古道」の案内板が建っている。
案内板の地図によると、この奥のさらに山岳部分を縫うように、中山道以前の古道が残っているらしい。
非常に興味をそそられるけど、我慢我慢。
(ちなみにすでにここは、東山道とは離れている。旧中山道編14参照)
再び線路をくぐり、ようやく国19に合流し、何だかホッとする。
500mほどで再び右に分岐、またすぐに合流。
そこにあるのが、「萩原一里塚跡」。
それを示す碑が残るのみ。
ここからまたしばらく国道を走るわけだけど、しばらくすると何やら前方に、車が数台駐車し、何人かが立ち尽くしている。
良く見ると、少しだけ路側帯が広くなり、パーキングスペースになっている。
右手には大きな滝。
「小野の滝」やね。(冒頭写真)
コスモタイガーも、過去に19号を車で通行したり、中央本線で通過した際にも何度かチラ見して、「こんなところにこんな立派な滝が…」と思いつつ、気にしていた滝なのだ。
こうして走ってきて、目の当たりにすると、うん、やっぱりマイナスイオンたっぷりで、気持ちいいな。
こんな滝が、一級国道やJRの大幹線沿いにあることが、木曽路の険しさを物語っているようだ。
ちょっと走ると、信号があり、ここから右折するらしい。
これまた不自然なヘアピンカーブで、線路をくぐり、坂を登っていく。
ここも資料によると、小野の滝あたりから緩やかに右に曲折し、線路をくぐった辺りの民家の庭に繋がっているらしい。
良く見ると、ヘアピンカーブを登りきった辺りの右脇の崖に、らしき痕跡が残っている。
あとはしばらく道なりだ。
国19と中央本線から離れ、木曽川の支流、滑川に沿って、山の中に入っていく。
その滑川を渡る。
橋の欄干には、「國道十九号」の表記が…。
ここがかつて、国道だったことの名残やね。
上松(あげまつ)中学校の校舎が見えるけど、中山道はそこを避けるかのように大きく左に旋回。
まぁ、道なりだから迷う所ではない。
やがて、右側に「寝覚簡易郵便局」。
その斜め前方辺りに、いかにも重鎮的存在の木造古民家がある。
「たせや」と「越前屋」。
かつての立場茶屋だったとされる。
ここに茶屋がある理由。
それは、やっぱり「寝覚ノ床」だよね。
この2軒の間の道をしばらく降りていくと、寝覚ノ床を見下ろせる、絶景ポイントに出るらしい。
コスモタイガーも、そうしたいのは山々なんだけどね、そりゃ、なんといっても上松と言えば寝覚ノ床というほどの名勝地だもんね。
でもさ、降りてのんびり拝見するには、ちょっとここまで時間掛け過ぎちゃってさ。
「オリエンテーリング」を楽しみすぎちゃったのさ。
中央本線の普通は、この辺りでは2時間に1本。
乗り遅れると、時間つぶすのに困るからさ、先を急ぐとしよう。
まぁ、残念だけど、すでに過去、2回ほど訪問してるし、あくまでもメインは「中山道」だもん!
「え?トレーニングがメインじゃないの?」
そんな突っ込み、しないでよ、今、急いでるんだから!
ペース挙げるよ!
と思ったら、国19の上を通る。
こんなところに国道あったっけ?
どうやらリサーチした資料が古く、最近、国道19号のバイパスが開通したらしい。
この先、バイパスはすぐにトンネルへと入っていくようだ。
なんかもったいないよね、折角の景色なのに。
バイパスとか高速道路って、時として、旅をつまらないものにしちゃうよね。
小さな川を渡ると、2手に分岐。
右の登り坂を選択。
右手に上松小学校が見えてきたら正解。
で、そのちょっと手前にあるのが、「尾張藩材木役所跡」。
ごめん、マジ、時間ない!
写真も撮らず、素通りする。
さぁ、道なりにラストスパート!
いつしか上松宿に入ったらしく、家並みが増えてきて、「下町」の交差点に到着!
目の前は、バイパスができるまでは国道19号だった、主要道だ。
中山道はこの手前にある、歩行者専用道を右折していくらしいけれど、今日はここでコースアウト!
そのまま直進すればすぐに「上松駅」、ここをゴールとする。
速攻で駅舎の写真だ着替えを済ませ、やってきた電車に飛び乗る。
何やら最後は慌ただしくなってしまったけど、「中山道を走った」事実は間違いない。
中山道だけで16~17km、「オリエンテーリング」も結構楽しんだからね~、20kmぐらいかな~?
しかも全体として登り基調のコースだったし、最後は予定外のビルドアップ走!
結構な強度のトレーニングだったと自己満足しながら、車中、うたた寝のコスモタイガーであった。