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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(4)~後編/最終回

2023-03-20 | 旧東高野街道run!!

川西駅前は変則の5叉路になっている。
小児科医院の右を抜けていくような小道、それが東高野街道だ。

その先、100mほどむのYの字分岐は右で、すぐ行き当ったら左折。
升形、というやつだね。
方角的には一瞬南下することになる。

周囲の住宅より一段高い所を走る旧街道らしからぬ風景となるが、すぐに右手斜めに分岐道があるので、その道を選択。
ちょうど分岐するところ、左手には地蔵菩薩が安置してあり、花も手向けられてある。

片側2車線の立派な国道309に沿って、一段高い道を走る。
すぐの信号を左折し、国道を横断。
そのまま南下する旧街道。

平凡な住宅街の中にも、時折立派なお屋敷が現われたり、小さなお地蔵さんが安置してあったりと、所々に街道らしさを感じつつ、軽快に足は進む。

延命地蔵尊が祀られ、その先Yの字分岐を右に行く。
要するに登っていく方。
しばらくは道なりに。

錦織北遊園、という児童公園に出た。
ここも別の道と斜め交差しつつ直進。
道の右端にグリーンのラインが引かれているのが格好の目印となる。

近鉄の滝谷不動駅が近いはずだが、それを示す標識もなさそうで、コインパーキングがあることで何とか駅近を感じられる。

と、思ってたら左側に古い道標が!

大峰山三十三度満願碑。
丁寧に説明書きも添えられていて、1860(蔓延元)年、塔本嘉兵衛という人が33回も大峰山に登ったことを記念して建てられたとある。
大峰山といえば、熊野古道の一部になってる険しい山のことかな?
だとしたら凄いモチベーションだな!

そういえばこの辺り、塔本という表札が多いから、何か関係あるのかもしれないね。

すぐ先のT字路、左に目をやると、滝谷不動駅。
ここでランを止める選択肢はないものの、記念に写メしておこう。


その先の小さな十字路にはポストがあって、その横にも道標が現存している。
「すぐふじゐ寺」と読める。

藤井寺は今日のスタート地点、土師ノ里や道明寺が藤井寺市だ。
うーん、現代人の感覚では「すぐ」とは思えないけどね…。

街道らしい小さなカーブが続く。
近鉄長野線を越え、久々の府道20号に再会し、このまま府道を走る。

はい、見えてきたのが錦織一里塚。(冒頭写真
現存するのは東側のみであるが、大阪府の史跡に指定されている。
そして府道20はこのままゆるやかに左へカーブするものの、旧街道はいったん消失。

ここで少し腰を据えて地図を確認!
少し進んでわずかな繁みの切れ目、強いて言うなら左側に「1H2,680円」の怪しげなホテルがあるところで、歩行者専用の小さな踏切があり、ここで近鉄長野線を渡り、線路の西側を並行する道が旧街道だ。

この道を少し戻ってみる。(北上ね)
小さな水路(小川?)に遮られ、行き止まりになっている地点。

恐らく先ほどの一里塚あたりから緩やかに右へカーブして、この地点に出ていたんだろうね。
近鉄長野線建設などの事情で焼失したと思われる。

そしてこの小川が市境にもなっているらしく、この地点からがいよいよ東高野街道最後の市町村、河内長野市となった。
残りはあと3kmほどだ。

踏切まで戻って街道runを続ける。
右手にひっそり立つ祠は孝子地蔵と称するらしい。

その先の分岐は右へ。
しばらくは街道らしいのどかな田舎道、車1台がやっとの道がくねくねとうねりながら続いている。
自然とペースも上がってしまう。

ところどころにお地蔵さんが現れるから良い目印だ。
下水管が置かれた児童公園を左に見て、道が広くなり、視野が広くなった感じ。
この十字路で一瞬戸惑うものの、よく見ると直進の道の左角に、可愛らしくも古い道標があることを確認する。


100mほど進:むと祠が右手にあり、逆に左側にある階段(というよりスロープ)を降りるのが正解だ。
何のことはない、さっきの十字路で迷った道と一緒になるんだけどね。

と思ったら、50m先でまた左折し、小さな橋を渡る。
道なりに走れば、またまた何度目かの府道20に合流するのも束の間、またしても左へ分岐。

300mほどしたら、また府道に合流し、またすぐ分岐。
さぁ、あと一息!

近鉄線を渡り、またまた線路を右に見ながら走る。
家具屋さんを過ぎた所で変則交差点に出た。

目の前の道(オレンジのセンターライン)はここで激しく折れ曲がっている。
右折して、菊水町の交差点に出て、府道20と再会となる。

高架となった近鉄線をくぐり、信号をそのまま直進。
左にカーブする府道とは別に、直進する旧道らしき道。
そう、これが東高野街道だ。

いよいよ河内長野市の中心に近づいているものの、裏路地のような静かな風景は何やら昭和チックで、情緒を結構感じたりする。


足を進めれば商店街らしき雰囲気となった。
右にコンビニ、左にショッピングモールを見て商店街の中の十字路。

ちなみに今までたどってきたのは東高野街道。
それなら西もあるのか?と聞かれそうだけれど、はい、正解♥。

ここで交わる道が実はその西高野街道ね。
ここからは東西両高野街道の重複区間で、左折してゴールを目指す。

南下すること約100m。
少し離れた所に河内長野駅の駅舎も見えてきた。

府道20号と交わる交差点。
ここに「高野街道の碑」とモニュメント!
 

ゴール!
本日のトレーニング終了。
一般的な呼称としての東高野街道・西高野街道はここまで!
よってこれにて東高野街道完全走破!

街道としてはまだまだ続いており、ここからは単に高野街道と称されるようだ。
他に主だったところで中高野街道なんてのもあるらしく、こちらは途中で西高野街道に吸収される。

要するにここ河内長野市は、大阪周辺の各地を発端とするいくつかの街道が集約しており、ここから「高野街道」に1本化されて、一気に高度を上げていくんだね。
そのため多くの往来があったことで発展してきた街ということらしい。

目の前はロータリーになっている。

ロータリーの向こうは河内長野駅。
近鉄長野線の終着駅であり、南海高野線の主要駅でもある。

走行距離、14~15km、寄り道分も加えると16~17kmといったところで、やや少なめではあるけれど、ここは鉄ちゃん的にも旧街道的にも間違いなく1区切りの場所ではある。
時計を見ればまもなく14時半を少し回ったところ。

さて、ここから社宅に戻るには大きく2つのルートがあって迷う。
近鉄長野線に乗って近鉄電車を乗継、阿部野橋(天王寺)に出るか。
南海高野線に乗って難波に出るか。
線路幅はどちらも狭軌(1067mm)でJR在来線と同じ、というのも迷いをさらに深める。

コンビニでおにぎりとビールを購入し、休憩しつつ、どっちのルートにするかを考える。
最終的に選んだのは、定番?の南海高野線。
やっぱり疲れてるからさ、難波まで乗換なし、を選んじゃった!

さぁ、当たり前だが明日は仕事。
次回、どこの街道を走ろうか?このまま「高野街道」に入ろうか?など、いろいろ妄想しつつ、途中でスーパーで晩飯用の買い物を済ませ、社宅に戻ったコスモタイガーであった。
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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(4)~中編

2023-02-20 | 旧東高野街道run!!

さあ、緑多き池を1周して癒され、給水も済ませた所で、再出発!
再び県道に戻り、南下を始める。

次の信号が「中野町3丁目」で、変則の5叉路になっている。
左斜め前方の細い道、もう慣れてるからね、はい、これが旧街道。

通学路になってるのかな?
道の左側には狭いながらもグリーンの歩道帯が設けられていることが、わずかに旧街道らしさを感じさせる。
ただし、足を止めるほどの見所は、残念ながらしばらくはない。
とはいえ、この先当分道なりだから、走る方に集中!

1km少々走っただろうか、左手前方にいかにも町のタバコ屋さんがあって、そこは変則の5差路になっている。
ここはYの字でいうなら左の道が正解らしい。(冒頭写真)

くねくねと裏道のようなところを走れば、家族経営の小さな弁当屋さんが幟を出して頑張っている。
もう13時過ぎてるけどさ、我慢我慢。

すぐに府道705にぶつかった。
楠公道路の愛称がついているようだ。
右手の交差点で信号を渡り、そのまま南西へ。

緩やかに左へカーブし、南に向きを変えると、いよいよ!
いよいよ始まった!

富田林市寺内(じない)町である。
旧街道はそのうちの1つ、「亀ヶ坂筋」を行く。

一気に空気が変わった。
町内にある興正寺別院の、文字通り寺内町として戦国時代に誕生・発展した町並みで、大阪府唯一の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。


ここだけで一日終わってしまいそうなぐらいの見所たっぷりの場所だけに、とにかく旧街道からそんなに外れない程度に、駆け足で見るしかない。
いきなり現れたのが「佐藤家住宅」

江戸時代から続く紅梅梅味醂醸造の家で、現在も敷地内に多くの蔵が残っている。

続いて約100m。
中内眼科医院。

看板通り、もちろん今も診療している眼科であるが、建物は大正時代の銀行を再利用したもので、登録有形文化財となっている。

亀ヶ坂筋はそのまま真っ直ぐだが、東高野街道はここで右折するんだね。
1本西側が「城之門筋」で、まさに寺内町の中心と言っても良い道筋で、両側には立派な寺社が並び、圧巻の光景ではある。

右側角にあるのが「田守家住宅」で、こちらは「綿」を生業としてきたらしい。

道を隔てて反対側が「杉田家住宅」で、その間を城之門筋が通る風景は素晴らしいの一言だ。


城之門筋を南下するとすぐに妙慶寺で、江戸初期の1603年建立の歴史を持つ。


コスモタイガーはいったんここ妙慶寺の角を右折し、休憩を兼ねて寄り道。

突き当たったところにあるのが「じないまち展望広場」。
名前の通り、高台からの絶景を拝みつつ、給水タイムとする。


さぁ、5分ほどリラックスして、再スタート。
先程の妙慶寺を通り過ぎてすぐ、右手にあるのが、寺内町の発祥となった興正寺別院である。

どうやら京都にある興正寺の別院、ということになるらしいが、本堂や鐘楼など多数の重要文化財を有している。

田守家住宅まで戻る。
西へそのまま向かうのが旧街道で、すぐの十字路を左折。
ここは富筋だ。

関西に住んでみて気付いたことは、どうやら南北の道を今も昔も「筋」というんだな、と。
大阪市内の御堂筋、松屋筋、堺筋、も皆、南北の道だからさ。

名古屋は逆に東西の動きがメインになっていて、「通り」と称している。
広小路通、錦通、桜通、とあり、地下鉄もそれを中心に発展してきた。

だから関西で生活すると、頭の中を90度反転させるような感覚になるところが、若干わかりにくい気がする一因なんだろう。

富筋を南下してしばらく。
ここも圧巻の家並みで、両側とも風情いっぱい。

左側が「仲村家住宅」。

右側が「上野家住宅」。


説明するまでもなく、どちらも寺内町を代表する名家である。

さて、寺内町の素晴らしさに心を打たれ、名残惜しいところではあるが、本題に戻らんと…。
そのまま南下したT字路で時代劇のセットのような寺内町は終了。
右折するのが旧街道だ。

しばらくは道なりに、南西に向かう。
富田林高校を過ぎたところで、右斜めに入る狭路があって、それが旧街道だな。
もっとも500mほどで再び合流するんだけどね。

さらに道なりに進めば、何だか久しぶりの旧国道170(府道20)に再会だ。
そのまま横断したところが近鉄長野線の「川西」駅の真ん前となる。


ここでゴールしたい心境にもなるけれど、先々のバランス、また鉄ちゃんとしてのこだわりなどを思うと、ここはちょっと中途半端なんだよね。
もう少し頑張るぞ!

少しだけ給水タイムを取り、ラストスパートに入るコスモタイガーなのだ。

(後編へ続く)

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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(4)~前編

2022-12-18 | 旧東高野街道run!!

【2018年10月某日】

10月に入り、随分と涼しくなってきた。
業務の都合などもあり、平日休みとなった秋晴れの一日。
こんな日に社宅で一人過ごすなんてもったいない!

ってことで、慌ただしく朝食と洗濯を済ませ、本日のトレーニング?のために社宅を出る。
最寄りの駅は淀屋橋。
ここは大阪市の官庁街なんだよね。
だから出勤してくる人たちを尻目に地下鉄御堂筋線→近鉄南大阪線と逆の行動。

前回のゴール地点からだと、このまま道明寺駅下車なわけなんだけど、最後の素敵な街道筋を慌ただしく終わった気がしてね。
わずか300mほどの重複にはなるけれど、1駅手前の土師ノ里(はじのさと)駅で下車。


まだ10時を少し回ったところだから、ゆっくり落ち着いて走れそうだ。
ここも普通のみ停車の無人駅だが、記念(証拠?)に駅看板をシャメしておく。(冒頭写真

さて、駅前の府道12号を線路伝いに歩き、約3分。
最初の踏切を渡るところが前回も通った東高野街道。

渡った先に、街道らしい素朴な景色が続き、期待感が膨らむ。
ここを本日のスタート地点とする。

といいつつ、最初の300mほどは前回と重複なんだけどね。

はい、前回のコースアウト地点、道明寺到着。
ここは前回にも寄ったけどさ、平日の昼間、実に静かな佇まいを素敵に感じつつ、トレーニングの無事を願い、再度手を合わせて行こう。


さぁ、ここからが実質の前回の続き。
街道は1本道で南下、案内板も整備されていて走りやすい。

300mほど走った先の十字路に案内があり、気になったので少し寄り道とし、右折する。
西名阪をくぐった先にある、整備された広場が「大鳥塚古墳」。

古市古墳群の一角にある代表的な前方後円墳でありながら、埋葬者が誰なのか詳細はわかっていないらしい。
そのおかげ?で限定的ながら敷地内に立ち入ることもでき、墳丘を眺めることができる。


街道に戻り、さっきの十字路から再び南下。
ここでも西名阪自動車道を潜る。
行政区域が藤井寺市から羽曳野市に変わる。

府道20を斜めに横切った先には誉田中学校があり、その前に石道標が今も残されている。


道なりに走るだけだからね、快調に足を進める。
次のチェックポイント?は、誉田八幡宮。

祀られているのは応神天皇で、すぐ北側には応仁天皇陵がある。
ちなみに日本最古の八幡宮ということらしい。

あの道明寺合戦で、豊臣方の薄田隼人がここに陣を構えたとされるため、境内の一角には「誉田古戦場跡」なんて碑も建っている。

随分立派な社殿ではあるが、トレーニング優先(笑)のため、手を合わせるだけにして先へ進むとしよう。
しばらくすると升形になってるんだね、左折してすぐ右折。
白鳥神社の鳥居を右に見て道なりに進むと、国道166号と交わる交差点に出る。


この交わる国166こそ、わが国最古の街道「竹内街道」なのさ!
交差点の左隅に隠れるように道標が残っている。

この竹内街道も単身赴任中にぜひ…!と思いつつ、今日はそのまままっすぐだ。

大乗川という小さな川を渡り、道なりに。
近鉄南大阪線の線路を渡り、右側に見えてきたのが「安閑天皇陵」を示す案内板。


さらに進むと左斜めに歩道だけが分離する極細の道へ誘導され、その先左手にお庭のような一角がある。
そこにあるのが「高屋城址」の案内板。

そう、この古墳の跡に、応仁の乱後に畠山氏によって築かれた平山城なのさ。
正確には古墳だけではなく、この周辺一帯が城跡なのだ。

古墳時代や戦国時代の史跡が同時進行で現れるから何だか忙しいけれど、それこそかつての都が近かったことが実感できるよね。

再び府道20(旧国170)に合流し、と思ったら50m程度先で再び左へ分離。
街道は府道20に寄り添うように南下を続ける。

高屋神社を通り過ぎると、しばらくこれといった見所はない。
とはいえ、街道そのものは1本道で続いてるからね、迷いようがなく、快調に足は進んでいく。

国道165号バイパス(通称南阪奈道路)を潜り、郊外の住宅地といった風景のまま、行政区域は羽曳野市から富田林市へ。
「貴志」という変則交差点で府道20に合流すれば、あとはしばらく府道runだ。

そのまま約500m。
車が行き交う県道脇に、「櫻地蔵尊」が現れ、久しぶりの街道らしさを実感する。


さらに府道を走れば、「桜井」の信号交差点で、ふと右手を見ると神社と鳥居があり、その先緑茂る空間が見える。
何だろう?

入った先には粟ヶ池。
公園として整備されており、遊歩道も設けられていた。


給水とストレッチを兼ねて小休憩ね。
10月上旬、まだまだ走れば暑いのさ。

さぁ、まだまだ今日のトレーニングの先は長い。
気分を入れ直し、足を進めるとしよう。

(次号へ続く)
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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(3)~後編

2022-11-08 | 旧東高野街道run!!

(中編より)

安堂駅前で旧街道はいったん消失。
土手を上がり、大和川沿いを走る国道25に出るしかなさそうだ。

1704(宝永元)年、中甚兵衛という人を中心に大規模な付け替えが行われた。
国道沿いには中甚兵衛さんの道標が建つ。

新大和川で大和川を渡る。
柏原市から藤井寺市へ。
ヤマトの上を走るコスモタイガー♥、なーんてね。(ゴメン、マニアネタ)

そしてその横には近鉄の誇る?ローカル線、道明寺線が寄り添っている。

渡りきったところにあるのが「新大和川付替起点碑」で、詳しい説明が書かれている。(冒頭写真)
ここで左折して堤防沿いの道へ。
この辺で東高野街道は復活しているようだ。

広々とした河川敷公園には野球場もある。
右手、藤井寺市の給食センターがあって、そこで右斜めに進み、堤防を降りる形。

小学校を過ぎてしばらく、T字路で突き当り。
正面には国府八幡神社が鎮座する。
旧街道は左だけど、気になる案内板に従い、ちょっと寄り道。

500mほど走れば、国府遺跡に到着。



縄文~弥生時代の遺跡ということらしい。

それにしても神社にしても遺跡にしても「国府」なんて名前が付いてるからね。
この辺にかつての国府があったことは容易に推察できる。

八幡神社に戻り、旧街道runを続ける。

さすが大和の国。
実はこの神社の裏側、こんもりした森が見えるけど、それは前方後円墳で、市野山古墳(允恭天皇陵)というらしいけど…。
細かい?史跡チェックしてたらキリないし、本来の目的!(笑)のトレーニングにならないからね。

近鉄南大阪線を踏切で渡ると、さらに街道らしき風景となった。
くねくねとわずかにうねりながら南下。
途中、小さな道標が旧街道であることを示している。

右手に立派な山門が現れた。
その名も道明寺。

手元の資料によれば、真言宗の尼寺で、菅原道真公の祖先、土師(はじ)氏の本拠地、となっている。
とはいえ、男性立入禁止、というわけでもなさそうなので、本堂に手を合わせておく。

さぁ、今日のトレーニングの終わりは近い。
100mほど進んだ交差点が、旧街道runとしては本日のゴールで、ここで左折しコースアウト。


すぐ左手には道明寺天満宮。
梅の名所として関西では有名らしい。


そりゃそうだよね。
菅原家先祖の地の天満宮。
これで梅がなかったらおかしいよ。

本当は道明寺と天満宮は広大な1つの敷地の中だったらしいが、明治政府の神仏分離令により、別々の敷地になってしまったとか。

200mあまり走ると、着きました!
近鉄南大阪線道明寺駅。
本日のゴールは、どうしてもここにしたかったのさ。

何と言っても駅前には「大坂夏の陣道明寺合戦記念碑」!


歴史好きからすれば、道明寺と聞けばお寺以上にこっちの方が有名だもん。
あの戦いはこの辺りが舞台なのだ。

後藤又兵衛が激しく戦い、真田信繁(幸村)と伊達政宗が死闘を演じた有名な激戦地も、今は普通電車しか停まらない静かな、そしてちょっと古びた住宅街の雰囲気。

さぁ、本日のトレーニングはこれにて終了。
だいたい20kmぐらいになるから、量的にもちょうど良かった。

といいつつ、もう1つ、楽しみが残っている。
いや、このためにゴールをここにしたのさ。

今更ながら、コスモタイガーのホームグラウンドは歴史ではなく、時刻表!!
こんな小駅から分岐するミニローカル線があるのさ。

さっき大和川渡った時に寄り添ってた、近鉄道明寺線。
これに乗りたいんだよ。
この道明寺駅から分岐する、わずか3駅(起終点駅含む)・2.2kmの超ミニ路線。

ぶっちゃけ、単に帰宅するだけなら、南大阪線の方に乗って天王寺(阿部野橋)まで出て地下鉄乗った方がどう考えても早いし安いんだけどね。
あえて道明寺線!!

こんな可愛らしい路線でも、日中ほぼ30分毎のダイヤを死守しているのが嬉しいね。
頑張れ、道明寺線!

車両そのものはお馴染みの近鉄カラーだけど、とにかくローカル私鉄とか、私鉄のローカル線とかは萌えるなぁ♥


乗車時間わずか4分、2駅で終着柏原駅に到着し、テンションMAXのミニローカル線の旅は終了。
そしてこの柏原駅はJR大和路線(関西本線)の駅。
道明寺線はその一角を間借りしているのさ。

さぁ、これにてトレーニングも鉄旅もおしまい!
すでに17時半を過ぎ、日が暮れかかっている。
大きな峠越えもなかったため、それほどの疲労感もなく、心地よい高揚感の中、大和路線→大阪メトロ(地下鉄)でまっすぐ帰宅するコスモタイガーであった。
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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(3)~中編

2022-10-05 | 旧東高野街道run!!

(前編より)

その箱殿東の交差点西側に、古い道標が今も残る。(冒頭写真)
まぁこれも暗峠越奈良街道で見てるんだけどね。

さあ、このややこしい交差点も、とにかく真っすぐ南下する東高野街道。
やがて緩やかに右へカーブし、国170(旧道)へと合流。
ここから国道はアーケード付きの商店街で、歩行者天国になっている。


結構な人通りではあるけれど、車を気にせず走れることはありがたい。
瓢箪山商店街というらしく、その名前にも懐かしさを覚える。
実は名古屋市守山区にも瓢箪山があってね。
ここに1年ほど住んでたこともあってね。
庶民的な感じも似ているわ~。

少し進んだ先、商店街の中ほどに近鉄奈良線「瓢箪山駅」がある。
ちなみに名古屋の瓢箪山にも名鉄瀬戸線「瓢箪山駅」があるからね。

駅を過ぎればすぐ、左側に瓢箪山稲荷神社への参道が分岐している。


さらに南下すれば左手に繩手小学校があり、隣接するかのように「繩手遺跡」の看板が建つ。


東大阪市立発掘ふれあい館も併設されており、入場無料なので少し覗いてみると、立派な竪穴式住居が復元されていた。


ドラッグストアの前で再び旧街道は左に分岐。


とはいえ、この道は再び府道20号(旧国170)へ吸収される。
しばらくは何の変哲もない、片側1車線道路が続き、ちょっと不安にはなる。


でも南下し続けると、いつのまにか八尾市に入り、やがて右側に某電話会社の千塚ビルが現れて、少しホッとする。


この電話会社のビルや交換所も、何気に旧街道沿いにある場合が多いのさ。

しばらくはこの府道20を走るしかなく、迷いようがない。
近鉄信貴線高架を潜ると、少し鄙びた感のある教興寺集落へと入った。

天理教教会を過ぎた十字路には、古い道標が静かに残されている。

左折の道は、信貴山へと向かうということらしい。

約200m進み、JAの角にあるのが「垣内村一里塚」

なんか、めっちゃ久しぶりの響きだわ~。

府道runはさらに続く。
南高安中学校を過ぎると右斜めにわずかに旧街道が残るものの、200m少々で再び府道へ合流。

しばらくすると左手に大きな鳥居が見える。

これはその奥にある恩地神社のもの。
1500年を超えるという神社らしいが、700mほどあり、しかも登り。
残念だが、寄り道もほどほどにしとかんとね、と思い、スルーする。
そうそう、目的はトレーニングだから(笑)

ただこの十字路にはかつての道標が2基、今も残されており、行き交う人々が多かった繁栄の跡を今に伝えている。


さらに100mほど進んだところに地蔵堂が安置。
シュミイ地蔵。
1544(天文13)年、地元の人たちによって建立されたものらしい。


大阪平野の東部になるわけで、起伏もほとんどない。
府道に沿って南下するのみ。
途中で八尾市から柏原市に入ったようだ。

シュミイ地蔵から3kmぐらい走ったかな?
「太平寺」の信号で久々に府道から分岐する。


幹線道路から少し離れただけなのに、案外静かな住宅街だ。
右手に児童公園(安堂公園)があり、その先の十字路を右折すれば、近鉄大阪線「安堂駅」だ。

ここもゴールの候補地ではあったんだけどね。
普通しか停車しない小駅ではあるけれど、大阪線だからね。
上本町や難波まで1本だからね。

でもさ、腹案があってさ。
もう少し頑張るのさ。

ってことで、十字路も直進。
でも100mほど先で、旧街道はその近鉄大阪線に遮られ、強制的に左へカーブさせられている。


というわけで、ここはいったん戻って安堂駅に挨拶しておくしかなさそうだ。
踏切を渡って、はい、安堂駅。


9月の日中。
暑い中走ってきて、ゴールにしたい誘惑を抑えつつ、記念のシャメだけ撮って、さらに足を進めるコスモタイガーであった。

(※次回へ続く)


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