cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

身近な気になる古道たち①

2013-04-24 | 身近な旧街道run!!
東海道編終わったら、さぁ次は中山道!

と言いたいところなんだけど、何せボリュームありすぎて。
ちょっと一服したい心境。

まぁ、いずれは中山道もupしたいとは思うものの、今はちょっと軽めの話でつなぎたい心境。
ランナー的には、メインにしていたフルマラソンを走り終わった状況なのさ。

ってことで、2007~2008年にタイムスリップしていたこのブログ、タイムスリップはいったん解消し、閑話休題。

というより、このブログ自体のタイトルは、「コスモタイガー発信!」に敢えてしたわけで。
ブログ開設のきっかけは旧街道ランにあることは間違いないけど、それだけに特化しようとは思ってないんだけどね。
つれづれなるままに、いい加減?なことを書くこともあるかも。

最近は広い幹線道路では、歩道を走ってるランナーをたくさん見かけるようになった。
夜遅い時間帯などは安全も考えて、(特に女性ランナーは)その方が無難な気もするけれど。
自分にはどうも変な癖(へき)があるらしく、日頃から1本入った裏道とかが好きで、裏道走ってると、信号も意外に少ないし、静かだし。
特徴ある家があったり、花壇が手入れされていたりして、変化があって楽しい。
名もなき古道(らしき道)を発見したりして、結構楽しい。
しかも日々異なった裏道を選ぶからね、マイコースはあるようなないような…。

通勤ランも同様で、決まったコースはなく、裏道走ることが多いかな。
幹線道路は雑音多いから、ラジオが聴きとりにくいってのもあるけどね。
せっかくのドラゴンズの勝利のシーンも、車のエンジン音にかき消されてはね。
(え?そんなシーン、少ないだろって?そりゃまぁ、確かに今年はね…)

また、最近は忙しくてそんな時間もないけれど、時間がある際は自宅出発で、ワンウェイでひたすら走り続けるといのも、たまにやる練習で、大好き。
LSDってやつだね。
どうせやるなら、公園の中をぐるぐる走ってるより、「どんどん走って行ったらどうなるか」というのは好奇心をかきたてられて楽しそうだと思ってるんだけど。
幸い?鉄チャンの端くれのため、地名やバス停・駅などの知識は人並み以上に持ってるつもりなので、かなりの僻地がゴールになっても、帰ってこれる自信もあったりする。
そんでもって、これが旧街道ランを思いつくきっかけにはなったわけなんだけど。

前置きが長くなってしまったけど、そんな自分が普段走っているエリア内で、東海道以外の気になる旧街道(古道)なんかもあったりして、ここで何回かに分けて、さらっと紹介しようかな。
あくまでも不定期で。
(できれば地図を片手に)

★豊明市下高根周辺
ここは自宅スタート、自宅ゴールで結構走ってるかな。
明和という交差点から、下高根公会堂があり、スガキヤ食品(スガキヤラーメン)の工場の前を通る。
小所公民館周辺は、街道オーラがプンプン。
「大久伝」地区も静かで、右手に八幡社がある。
この辺りは鎌倉街道と交差しているから、古くから人々の生活があったことは間違いない。
さらに進んで、名鉄豊明駅前で国道1号(=旧東海道)にぶつかって終点。
何の道かな?
ご存知の方、ご教授を。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(エピローグ)

2013-04-15 | 旧東海道run!!

日本橋にゴールしたものの、あえて「完」としなかった。
エピローグとして、まとめをしてみたい。

1.印象に残った風景BEST3

③蓮華池公園
東海道とは直接関係は無い施設ですが、沿道なので…。
水面に移る陽の光、広大かつ静かな緑の公園。
素敵な公園でした。

②箱根宿~畑宿
雪、雪、雪…。
家出るときは晴天だったのに…。
特に峠越えの際は、現地の天気を必ず確認しましょう!
終わってしまえば当たり前のことなんですが…。

①白須賀宿
そして栄光の第1位は…!
「気楽」に「ちょっとワンウェイで走ってくる」はずが、初の県境越え!
妙なドキドキ感がありました。
下り坂の途中にある、静かで時計が止まったような風景は、今も昨日のことのように思えます。
観光地化されていないところも◎。
ぜひ再訪してみたい!

2.旧街道ランの楽しみ方&注意点
 
もちろん、楽しみ方は人それぞれだし、拘りだしたらキリがありません。
また、わずかばかりの経験で偉そうに言えた話ではないため、あくまでも、コスモタイガー自身が気をつけていたことや気付いたことを書いてみます。

①雨天中止。
といいつつ、関宿みたいに強行してたりするんですけどね。
まぁ、基本は雨天の際は自重した方が無難です。

②1回あたりの走行(実走)距離の上限、20km前後を目安。
「マラソン練習なら、もっとLSDとして長い距離走れば良いのに」
そう突っ込まれそうですけどね。
もちろん何度も考えたんですけど。
近場なら可能でしょうけど、遠くなれば遠くなるほど、往復するだけで意外に疲労感が残ります。
単独行動ということも考え、また、現地での観光や、往復の移動を楽しむ余力も残したい(というか、実はこっちがメイン?)、という思いもあり、私の場合、20km前後を目途にしました。
とはいえあくまでも目途。
道に迷ってしまったり、最終回のように、ゴールまで中途半端に残すことを嫌ったりして、状況により長めに走ったりしてますが。
この考えは、この後の中山道等にも受け継がれます。(って、中山道、書くのか?)

③地名の規則性を知る。
文中にもあるように、地名には何となく規則性や歴史があると気付かされます。
全国津々浦々で、区画変更だの区画整理だのといった名目で、どうでもいい名前の地名に変えられたりするのは悲しいです。
由緒ある地名は、これからも残してもらいたいですね。

④街道のヒント
今、自分が走っている道が本当に旧街道なのか?
不安になることもあったけれど、ある程度進んでくると建物にもある種の規則性に気づき、よい目安となり、助かりました。
・郵便局
・小中学校
・地域の公民館
この種の建物は、その地域にとっての象徴的な建物であるため、当時の幹線道路沿(つまり旧街道沿い)に存在する可能性が高いのです。

3.利用した交通機関(鉄道のみ)
JR東海、JR西日本、JR東日本、名古屋鉄道、近畿日本鉄道、近江鉄道、京福電鉄、京都市営地下鉄、岳南鉄道、箱根登山鉄道、小田急電鉄、京急電鉄、
その他、各地で路線バスも利用。
詳細は本文をご参考ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(42)

2013-04-08 | 旧東海道run!!

もしかして今日が最終回?
一応、日本橋までのリサーチだけはしておいたけどね。
あとは体調次第かな?

自宅を出て、今日はいつもの前後駅ではなく、あえて鳴海駅まで自転車にする。
鳴海から名鉄で豊橋へ。
豊橋で「こだま」に乗換。

だんだん遠くなって、とにかく少しでも早く現地入りしたいからね、素直に新横浜駅まで利用する。
当然、普通乗車券の券面は「豊橋→横浜市内」となるわけなんだけど。

「新横浜駅」。
東海道本線に接続してないから不便なんだよね。
横浜駅に出るのにもっとも便利なのは、横浜市営地下鉄ブルーラインなんだけど。
それじゃ切符が新横浜駅で回収されちゃうからね。
せっかくだから、横浜市内は極力、JRで移動したいよ。

で、こんな場合の裏ルート(というほどでもないか?横浜市民なら当たり前?)、新横浜駅でJR横浜線に乗換、横浜駅の1つ手前、「東神奈川」駅で下車。
ここでJRの切符とはさよならね。

実はこの駅の真ん前が京急「仲木戸」駅なのさ。
全然違う駅名だから、よそ者には分かりにくいけどね。
仲木戸駅で京急の切符を購入、普通列車で4駅(150円)で、前回のゴール、「生麦」駅に到着。

「隣接駅なのに全然名前が違う」例は、全国にも何箇所かあって、いずれも「地元の人には当たり前」なんだろうけど。
特に私鉄王国関西地区に多い気がする。

隣接の関係にありながら、会社が違ってたりして、それぞれ別々の駅名をつけたりしてるから、利用者としてはややこしい。

近鉄阿倍野橋駅とJR天王寺駅、JR大阪駅と地下鉄・阪急・阪神の梅田駅はその代表例かな?
大阪の街をややこしく感じるのは、こんなところにも原因があるかと。

愛知県では、JR東海道本線「三河塩津」駅と、名鉄蒲郡線「蒲郡競艇場」前駅が有名?やね。

先入観を取り払って時刻表を眺めると、いろんなことが分かって面白い。
ちなみに名古屋や大阪等から新幹線で来て、羽田空港(東京国際空港)を利用するなら、東京や品川なんか行かずとも、この「新横浜」駅下車が最も便利なのも、意外と知られていない。

羽田行特急バスが30分に1本程度出てるんだけどね。
(所要35~50分)

何となく、品川か東京に出て、山手線に乗換、さらに浜松町からモノレールのイメージあるけどさ、遠回りだし、乗換は多いし、運賃は余分にかかるし。
「東京国際」という名に惑わされ、「東京都内」を通るものと思い込んでしまうけど、それは先入観というやつさ。

さて、東海道。
まずは生麦駅周辺をウロウロした後、本日のトレーニング開始!!

南下してすぐ、前回の終了地点、ビール工場の通用門前で突き当たる。
ここからが東海道やね。

左折して東海道を東に向かう。
街道らしいオーラの残る道だ。

県道をわたってすぐ、左手民家に「生麦事件現場」の解説板が掛かっていた。

こっちが現場?
じゃ~、前回の「生麦事件の碑」は何?

薩摩藩の大行列と、英国人グループが接触したんだ。
逃げ回ったりもするだろうし、1か所ではなく、この辺り一帯で凄惨な事件が起こったと理解しておこう。

しばらくは道なりだ。
特段見所はないけれど、もともとこの辺りは漁村だったせいか、沿道沿いには魚屋さんが多い。
時間帯によってはかなり活気があるかもね。
ただ、今は静かな生活道路の感がある。

しばらく走ると、線路の下をくぐるけど、左を見ると何とも薄暗い雰囲気の通路がある。
いかにも高架下の昭和の雰囲気漂う商店街跡の雰囲気だ。

鉄チャンなら知っている、あの有名なJR鶴見線「国道」駅だ!
記念に写真だけ残しておこう。

そもそも「国道」という駅名、この通路の反対側に国道15号(第一京浜:かつての国道1号)が通ってるから付けられた名前なんだけど。
でも国道なんて日本中にあるし、国道沿いの駅だって他にも多々あるから変なんだけど。
とにかくここはそういう駅名なのだ!

そしてこの素晴らしく時間が止まったような情景は、見るものの心を奪うらしく、度々映画やドラマのロケにも使われたりしている。
最近では、昨年(2007年ね!)、キムタク主演の「華麗なる一族」でも使われたとか。

しばらくうろつきたい心境だけど、トレーニング中だしね。
先に行くとしよう。

「下野谷町入口」交差点で、国道15号を斜めに横切り、そのまま直進する。
「京急鶴見」駅の前に出た。

この駅によって東海道は寸断されている。
よって、左折して、駅の反対側(東口)に出るしかないな。

で、歩道橋を渡り、横浜銀行前を入っていくのが正解さ。
しばらく走って左の分岐道を行くと鶴見神社があるらしいけど、少し東海道から外れてるからパス。

そのまま広い道に沿って走る。
「鶴見駅東口入口」の交差点もそのまま直進する。

鶴見川を渡る。
鶴見川橋(旧称鶴見橋)、ここにもかつて関門があって、外国人や攘夷派を取り締まっていたらしい。(旧東海道編41参照)

しばらくはまた道なりだ。
左手に「市場一里塚跡」を発見。
日本橋から数えて5番目、つまり残り20kmはすでに切ってるってことだね。

右手に京急本線が再び寄り添ってくるとすぐ、八丁畷(はっちょうなわて)駅前。
再度踏切を渡り、そのまま線路を左に見て走る。

この辺りから、川崎宿が始まるらしいけど、残念ながら、当時の面影は皆無に近い。
元々、神奈川宿~品川宿には宿場が無かったけど、距離がありすぎて不便ということで、1623(元和9)年に追加された小さな宿場だったらしい。

現在も、横浜と首都東京に挟まれ、地味な印象の川崎市だけど、まぁ、それでも政令指定都市には違いないからね。

「小土呂橋」という交差点を過ぎると、道は少し左に傾く感じ。
街そのものに面影はないけれど、解説板は比較的整備されているのが嬉しいね。

佐藤本陣跡。
そして続けざまに「砂子の里資料館」「宗三寺」。
資料館は川崎宿関連の資料が豊富に残っているらしいけど、トレーニングの中断はまずい!から素通り。

田中本陣跡。
ここも案内板のみが残る。

直進を続けると、「本町」の信号、ここも直進。
国道15号の下に出る。

ここをそのまま国15の下をくぐっていくと、2kmちょっとで有名な「川崎太師」なんだけど。
余裕があれば寄りたかったけれど、東海道とは直接関係ないしね。

国15の下をくぐってすぐのところに「六郷の渡し跡」。
ここから東海道は目の前の多摩川を舟で渡ってたわけだ。
今も釣り船らしき小型船が数隻、停泊している。


さすがに現代、渡し船は存在しないだろうから、そのまま国15の右側の歩道に登り、橋(六郷橋)を渡るしかないけどね。

橋の途中で「東京都大田区」の看板!!
ついに神奈川県も制覇!
最後の都道府県「東京都」に入ったよ。

先々を考慮し、このまま右側の歩道を走ろう。
右側歩道がそのまま東海道になっている感じかな?
ほんのちょっとだけ国道から離れた感じになるけれど、これがわずかに残る旧東海道の痕跡らしい。

左手奥に京急本線が寄り沿い、小刻みに駅があって、良い気分転換になるけれど。
ひたすら国道15号(第一京浜)を走るしかない。

京急蒲田駅前を通過、大田区体育館前を通る。
道の反対側に小さな公園が。
「梅屋敷公園」。

昔はここ、梅林で、茶屋もあったらしいから、この名がついたんだね。
ちなみにその梅林を作ったのが、「和中散」で大儲けした商人らしい。
懐かしいね~和中散。
石部宿やね。(旧東海道編26参照)

「大森警察署前」の交差点、国道131号との合流点でもあるんだけど、この先、右に分岐する細い道が旧東海道らしい。
久々ながら、旧街道らしい演出もされていて、癒されるねぇ。

大森スポーツセンタを超えたところで、再び国15に吸収される。
「しながわ水族館」前を通過。
家族連れがちらほら。

その先、300mほどで、再び右に分岐する細い道。
これが東海道なんだけど、その分岐点にあるのが、「鈴ヶ森処刑場跡」。
名前の通り、ここで罪人を処刑していたらしい。
現在も磔台や火炙台等が残されているらしいけど、あんまり気持ちの良いものじゃなさそうだから、外からの見学にとどめておく。

右手奥には「品川区民公園」があって、普通に走るなら絶対そっちの方がお薦めだけど、東海道にこだわってるからさ、あくまでもこの街中の道路を走るのさ。

でも左手に、ちょこちょこと神社やお寺が散見され、ここが東海道であることをかすかに示している。

左手に鮫洲駅。
この辺りから何やら少しづつ街道らしい雰囲気になってきて、どうやら最後の宿場、品川宿に入ったらしい。

左手に現れたのが「品川寺(ほんせんじ)」。
江戸六地蔵の1つとして有名らしく、立派な境内で活気もある。
少し立ち寄ってお参りしてみる。

品川宿は、東京都の街中にも関わらず、観光客をターゲットにした案内所もあり、案内板等も整備されていて、走り心地が良い。
また、人通りも多く、賑やかな界隈だ。

品川神社、聖蹟公園(本陣跡)等、丁寧に解説してあり、楽しいひとときを過ごすことができた。

問題はここですでに実走距離、ほぼ20kmぐらいかと。
最寄駅はこの先すぐの京急「北品川」駅がある。

でもなぁ、ここまで来ちゃったしね。
日本橋まで推定で6~7kmぐらい?
それだけのためにまたここまで来るのもアホらしいしね。

じゃ、頑張って走るか!!

気にしていた「北品川」駅を素通りすると、広い道にぶつかってしまう。
せっかくの街道らしさが突然途絶え、都心の雰囲気に引き戻されるけど。

ちょっとややこしいけど、とにかく京急本線に沿う形で走り、「八ツ山橋」交差点で再び国道15号に合流、横断歩道を渡って、大幹線と化した国道の左側の歩道を走ることにする。

バカでかいJR品川駅前(高輪口)を通過。
首都東京、しかも新幹線の駅もある代表的な玄関口の1つだけど、道路の反対側のせいか、意外にゴミゴミした感じがない。
かの有名な?品川プリンス&グランドプリンスは左側だ。

1kmほど進んで「泉岳寺」の交差点。
こりゃ、歴史好きなら誰でも1度や2度、耳にしている有名なお寺だ。
特に忠臣蔵のファンなら泣いて喜ぶスポットだよね。
ちょっと疲れてきてるけど、コスモタイガーもここは外せないな。

左折して少し入ったところに、その泉岳寺がある。

本堂の奥にある墓所。
ここに大石内蔵助以下、赤穂浪士47士が眠っている。

さて、まだ先があるからさ、国道15に戻って東海道ランを続ける。
といっても、もうここまで来たら地図は要らない。
日本橋までこの道を走るだけだもん。

今度は右側を走る。
すぐに道路脇に石垣とこんもりした繁みみたいなものが…。
「高輪大木戸跡」。
こんな都会のど真ん中に良く残ったものだね~。
そしてここからいよいよ江戸の街に入ったってことだね。

「札の辻」交差点も直進。
名前からして東海道やね。

地下鉄(都営浅草線)三田駅を超えたところに、三菱自動車の本社。
ここに記念碑が建っている。
「勝海舟・西郷隆盛会見之地」。

この会見により、江戸城無血開城が実現したんだね。

この辺りは、昨年(2007年)より開催されている東京マラソンのコースにもなってるような気がするけど。
もっとも凄いランナーの数らしいから、こんなもの、のんびり見て走る人はいないだろうけど。

「芝4丁目」の交差点で、国15は緩やかに左にカーブし、北上する形になる。
首都のド真ん中を走るってのも楽しいね。

休日だし、昨今のランニングブームの恩恵?なのか、ランナーとも数人すれ違い、こんな街中走ってても奇異の眼差しを感じないのはありがたいね。

「大門」の交差点。
ここでいったん東海道をはずれ、左折する。

300mほど、参道らしき界隈を走ると、「増上寺」がある。

上野の寛永寺とともに、徳川宗家の菩提寺やね。

と同時に、浄土宗の大本山でもあるらしい。
広大な境内を擁していて、緑も多く、結構楽しめた。
背後に東京タワー、というアンバランスさもまた良い。
ただし、残念ながら本堂は工事中!

国15に戻る。
新橋で東海道本線を潜る。
っというより、ここまで来たら、山手線とか京浜東北線と書く方が一般的かな。
あくまでも正式には東海道本線なんだけど。

すぐに「銀座8丁目」の交差点。
ここから先は歩行者天国になっていて、一般的に言われる「銀座」に入るんだね。

もともとは幕府の鋳造所があったため、そこを中心に両替商(今で云う銀行)が集まった。
それが「銀座」と呼ばれる所以なんだけど。
まさに日本における「銀行発祥の地」でもあるんだけど。

今では国内外を問わず有名なショッピング街&歓楽街に変貌した銀座。
休日だからね~、歩行者天国だからね~。
やっぱりそれなりに多くの人がいる。
ちょっと走るのは恥ずかしいけど、仕方ない。
ここが東海道なんだから!!

ここがかつての旧東海道だってこと、行き交う人々の中のどれほどが知っているのであろうか…?


右手に大きな百貨店、松坂屋。
あぁ、名古屋の匂いがする。

三越、松屋、その他、おしゃれな店やビルが続々並ぶ中、良く見ると銀行だってたくさんある。
そう、やっぱり歴史を知る者にとって、銀座には銀行がないとね。
君たちこそ、この銀座の正統派なんだよ。
自信もってお仕事してね♪

歩行者天国はほどなく終了。
首都高(八重洲線)の下を潜る辺りが「京橋」。
ここも日本橋同様、慶長年間まで遡る由緒ある橋なんだけど、現在は記念碑が残るのみ。

そして、旧東海道も残り1kmを切った。
終わりが近いのが逆にちょっと寂しい。

右手に高島屋。
さらに進んで…。

見えてきた首都高(都心環状線)。
そしてその下が、「日本橋」だ!

高速の下で何やら薄暗い雰囲気だけど、ここが正真正銘、旧東海道ランのゴール!!
これにて旧東海道完全制覇!!
時に2008年6月15日。

そしてここは、東海道だけじゃなく、中山道・甲州街道・日光街道の起点でもあったのさ。

現在も我が日本国の道路全体の中心とも言える場所で、「日本国道路元標」が、真ん前の道路の中央に埋め込まれている。

と同時に、歩道には記念碑的に、レプリカの「道路元標」が埋め込んである。
とりあえずレプリカを記念に撮影しておく。

さらに目を移すと「東京市道路元標」。
かつて存在した東京市も、ここを道路行政の中心にしてたってことやね。

せっかくだからレプリカじゃなく、本物も撮っておきたい!
という気持ちは抑えきれず、信号が赤になり、車の途絶えたわずかな瞬間に、道路の中心に行き、ササ!っと撮影!(冒頭写真)
ついでにカメラを手に、周囲を少し散策する。

こうして、旧東海道ラン、全てが終わった。
すでに時計は17時を回っている。

今日はたくさん走ったなぁ。
27~28kmは絶対に超えてるよ。
さすがに少し疲れを感じてはいるけれど。

前後駅前から気楽に始めたはずの東海道ラン。
次回、次回と思って走って繋いできたからね。
途中からは随分と大がかりになってきたけどさ。
その「次回」が無いってのがね、何だか寂しいね。
と同時に、不思議な充実感に浸っているコスモタイガーなのだ。

さぁ、時間も時間だし、最後ぐらい、ちょっと贅沢しようか。
東京駅までは徒歩10分ぐらい。

途中、金券ショップに寄って名古屋までの切符を購入。
これが東海道ラン最初で最後の「のぞみ」号利用なのであった。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする