cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧紀州街道編①~後編

2024-06-05 | 旧紀州街道run/更新中
空腹もそれほど感じることなく、道なりに足を進める。
くねくねと緩やかなカーブが街道らしさを伝えてくれてはいるが、これといったシャメポイントはない。
 
3kmぐらい走ったかな?
右手やや奥まったところに神社らしき森が見える。
久々のシャメポイントを期待して、立ち寄ってみる。
 
「石津太神社」
 
わが国最初の戎様、ということらしく、相当の由緒があるそうだ。
かつては広大な社領を持ち、太閤秀吉の手厚い保護もあったそうだけれど、今は住宅地の中にひっそりと存在している。
 
手だけ合わせて街道に戻る。
すぐに石津川を渡る。
 
その渡り終えたところにあるのが、北畠顕家戦死の地。..
南北朝時代の悲運の名将として、歴史ファンなら知っている。
最後は足利尊氏の右腕、高師直(※旧西国街道編4参照)との戦い(石津の戦い)に敗れ、ここで討たれてしまったんだね。
 
さぁ、ここもそのまま道なりに進む。
右手少し離れて南海本線「諏訪の森」駅がある。
 
しばらくするとあれれ、その南海本線の線路に遮られ、行止まりになってしまった。
 
でも地図で確認すると、線路の向こう側に明らかにそれとわかる形跡が残る。
いうまでもなく、南海本線によって旧街道は寸断されているわけね。
 
仕方なく少し戻って踏切で線路の反対側に廻り、広い幹線道路(府道204)にいったん出る。
 
斜め前方に何やら大きな公園があるが、とりあえず視線を左に移せば、旧街道の残骸ともいうべき脇道が100mほど残っている。
 
 
さて、右前方の大きな公園は、浜寺公園だ。
1873(明治6)年に完成という歴史ある公園で、「名松100選」といわれる松林と広大なバラ園も有している。
 
などという説明不要なぐらい、関西地区の人はおそらく誰でも知っているスポットではなかろうか。
そしてコスモタイガーも大好きなレースの一つ、毎年2月開催の「泉州国際市民マラソン」のスタート地点でもある。
(※残念なことに、2023年2月を最後に開催休止となりました)
 
なのでこの公園自体はコスモタイガーはすでに5~6回目になるのさ。
でも走る前の緊張感ある風景しか知らないからさ。
 
せっかくだからちょっと散策run。
こんなにのんびりした浜寺公園は初めてさ。
 
 
何せ広大な公園で、このままずーっと公園内走ってても飽きないぐらいの場所ではあるけれど、それじゃ紀州街道runにならないからね。
 
ちなみに最寄駅の南海浜寺公園駅は、私鉄最古の駅舎として保存されている。
しかも初代東京駅舎と同じ、辰野金吾氏デザインのものであって、鉄チャンとしては外せない場所ではあるものの、これまた泉州マラソンで何度も利用してるからね。
旧街道runの趣旨からは外れるからスルーしておく。
 
厳密にいえば府道204に戻るところだけれど、旧街道らしいところは何もなく、しかも泉州国際市民マラソンのコースとして何度も走っている幹線道路を走るだけのシチュエーションだから、ここはそのまま公園内を南に走る。
道沿いには古い消火栓も残され、公園としての歴史を伝えている。
2つある野球場と交通遊園を後にして、ボチボチ公園を脱出。
すでにここは高石市に変わっている。
 
すぐに左折して、まずは旧街道(府道204)に復帰。
そのまま府道runすれば、線路下を潜る。
南海電鉄高師浜線だ!
ここも鉄チャンとして、特にローカル私鉄大好き人間としてはぜひ乗りつぶしておきたい路線ではあるが、今日のところは鉄オタの衝動を抑えてこのまま走る。
 
その先すぐに、高師神社前という信号で、左斜めに分岐するのが旧街道。
 
そしてこれだけあちこち旧街道走ってくると、地名には一定の「くせ」みたいなものがあって、「高石」は「高師」の転訛したものだろうという見当が付いてくるよね。
 
ここから再び街道らしさをわずかに残すうねり道となる。
1.5kmほどで再度府道に合流し、今度は右に分岐。
 
堺泉北有料道路をアンダークロスしてしばらく。
右手にいかにも歴史ゆかしき大きな屋敷が!
 
登録有形文化財「助松本陣田中家住宅」。
 
ここ助松は宿場では正規の宿場ではないから、いわゆる御休処としての本陣だね。
なんて知識も、元々は旧東海道の岩淵地区を走ったりしてるうちに身に着けた知識だ。
まぁそれでもお殿様用の建物には違いなく、荘厳な佇まいである。
残念ながら内部見学は不可らしいので、未練たらしく?周囲をウロウロ。
別アングルでシャメしてみたりする。
 
 
ここから先、まだまだうねるように街道が続く風景に思わずパチリ。
 
迷うこともなく、うねる道を走る。
さぁ、そろそろ今日は終わりにしたい。
 
300mほど走った先にあるのが、助松村境石造物群として、隣接の延命地蔵尊とともに今も大切に保存されている。
府道38号をアンダークロスして少し走れば、右手に松ノ浜温泉。
といっても、要するに昔ながらの銭湯ね。
 
時計は15時を過ぎた。
銭湯すぎると街道は府道204に吸収されたから4、ここを本日のゴールとしよう。
南海本線松ノ浜駅はこのまま府道を渡って直進すれば徒歩でも3分とかからない。
 
ホッと気を抜きつつ歩いていたら!!
とある商店のウインドーケースに目が惹きつけられた。
 
ヤマト!
ヤマトがいるぞ!
戦艦大和じゃなくて、頭に「宇宙」が付く方のヤマト♪ (冒頭写真)
 
その隣には、ヤマトの艦載機、コスモゼロとブラックタイガー。
またの名を「コスモタイガー」
 
なぜこんなところに置かれているのか全く不明ではあるが、思わず足を止めて立ち尽くす。
ご本家?の「コスモタイガー」に出会えてテンション爆上がり。
 
艦載機のように縦横無尽に飛びまくりたい(走り回りたい)と思って名乗りだしたのがハンドルネームの由来なんだけどね、もはや年齢的に縦横無尽とは言い難い状況ではある。
 
なにはともあれ、心地よい疲労感の中、そろそろ帰りたい。
 
松ノ浜駅到着。
 
鈍行しか停車しない目立たぬ駅ではあるが、本線だからね。
運転間隔は心配なく、途中で急行に乗り換える。
寄り道もせず、いったん社宅へ戻ろうかな、と。
洗濯物、ベランダに干したままなのさ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧紀州街道編①~中編

2024-04-09 | 旧紀州街道run/更新中

南下してすぐにYの字分岐。
左の道を行く。

というか、この辺りは資料によって異なっていて、阪堺電車(路面電車)の道をそのままとするものもある。

でも現地走ってみるとそれはしっくりこないんだよね。
今走ってる1本西の道が、万葉歌碑もあるし道のうねり具合からしても正解な気がする。

自分の感覚を信じてそのまま道なりに。
Yの字分岐から約200m。
少し道が左へカーブして行き止まりになる。

手元の地図と現地の状況からして、(すでに消失しているが)恐らくこのまま道は斜めに進み、この先の住吉警察署の敷地内を通り、路面電車の道へ合流するように感じるんだけどなぁ。

ってことで、左折してとりあえず電車道を南下することとしよう。
住吉警察署を過ぎてしばらく、「さんけい道石碑」なんてあったりするから、自分のカンもまんざらでもないな。

こっちはあっちこっちの旧街道走ってるからね~。
習うより慣れろというやつで、実戦感覚では結構イケてる気がする。

そして目の前に現れるのが、関西人なら恐らく誰でもお参りしているであろうメジャースポット、住吉大社だ。


さすがに季節外れなだけに、露店はないが、静かな参詣客も多い。
外国人にも人気スポットのようだ。


かつてはこの住吉大社の前、まさに紀州街道沿いに大阪湾が広がっており、ここから遣唐使も旅立っていったんだね。
駆け足で神社をめぐり、街道に戻り、トレーニングを続ける。

路面電車は左の専用軌道へとカーブし、しばしのお別れ。
と思ったらすぐに目に入るのが小さな木橋。

「おはらいばし」と称したらしく、傍らに紀州街道の案内板が寄り添っている。(冒頭写真)

ただひたすら南下する直線道。
迷うとこではない。
国479を渡る。

しばらくして右手に可愛らしい神社。
「霰松原神社」

ん?何と読むんだ?
「あられ」だとさ。
そして松原、という名が、この辺りが海岸線だったことを示しているよね。

そのままアーケード街に入った。
安立商店街ね。
恥ずかしいけど、真面目なトレーニング中です!!

そして商店街を抜けるとすぐに「大和橋」。


橋の上からの景色って、何気に好きだなぁ。
そしてここで大阪市に別れを告げ、こんにちは堺市、ということになった。

師走の穏やかな休日。
人の行き来も落ち着いている感じで、足も快調に進む。

大和橋渡り終えて約300m。
左手に寺院風の建物と祠がある。

「風間寺」。

詳しく知らないが、風間六右衛門という人がここで自刃したことに由来するそうな。

手を合わせてさらに足を進める。
堺市に入ってから、この道は「大道筋」という別称も付与されているらしく、所々に街道らしき風情を残しているのが嬉しいな。

またすぐに表れた立派なお屋敷。
榎並屋勘左衛門芝辻理右衛門屋敷跡。


堺といえばかつては鉄砲鍛冶ね。
織田信長が大量の火縄銃を入手できたのも、ここ堺を抑えていたから。
その鍛冶屋さんを営んでいた鍛冶屋さんのお宅ね。

その先、交番があって、阪堺電車と再会。
その線路を渡れば道幅は広くなる。
まさに大道筋にふさわしくなった。

何やら案内板があり、ちょっと寄り道。
左折してまもなく。

「山口家住宅」。

かつての庄屋さんのお宅で、堺市立町屋博物館として運営されている。

はい、トレーニング中!!
毎度のことながら内部の見学はスルー(笑)。
ま、似たような施設、あちこちで見てきてるからね。

すぐに引き返し、大道筋に戻る。
で、100mほど走ればまた案内板。
郷学所跡。


名前の通り学問所で、いくつかの寺子屋を集約し、幕府の援助により運営されていたとされるから、堺が裕福であるとともに、重要な地点であったことが窺い知れる。

またしばらくは阪堺電車とのお付合い。
大道筋は古くからの堺の街の南北の大幹線道路だったらしいからね。
今も片側3車線で歩道も広い。(まぁ、多少の拡張はあったと思われるが…)

しばらくすると左手に大きな某電話会社の大きなビル(堺ビル)があって、道路の反対側に見えるのが「ザビエル公園」。


言うまでもなく、あのフランシスコ・ザビエルに由来するものであろうことは明白だが。
帰宅後調べてみると、ここは元々豪商日比屋了慶という人の屋敷跡らしい。
そこにザビエルは招待されたという。

そう、招待されてしばし居候しただけ。
うーん、微妙だな、それなら「日比屋公園」のほうがしっくり来そうなもんだけど。
でもそれだと東京の有名な公園とかぶっちゃうから(でも「屋」が違うけど…)気になったのか?

そして大道筋もこの辺りでは某電話会社によって綺麗に手入れされており、それを示す看板が誇らしげに掲げてある。


さらに南下を続ければ、今度は東西の大幹線、大小路と交差。


そう、ついこの間走った気がする「西高野街道」のスタート地点なわけさ!!

もちろん今日はただの通過点。
南下を続ける。

阪堺電車の「御陵前」電停を過ぎるとすぐに同名の変更交差点があり、ようやくここで路面電車としばしのお別れとなる。
右斜め、薬局の脇から伸びるのが、いかにもそれらしい雰囲気を残す紀州街道。


そして左にカーブすれば、そこにあるのが「船待神社」


名前からして、この辺りまで海だったんだね。
そして神社前の紀州街道は、くねくねと独特のうねりを残していて、堺市の街中とは思えない静かさだ。


さあ、そしてここからしばらくはシャメする見どころもなさそうだが、1本道がくねくねと続き、足取りは警戒に進む。
時計はまだ13時半をまわったばかり。

師走のわりには暖かい日差しを感じつつ、南下を続けるコスモタイガーなのだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧紀州街道編①~前編

2024-02-19 | 旧紀州街道run/更新中

★関西ネタです

【2018年12月某日】

なんやかんやと高野街道1回目から1か月が過ぎ、師走に入った。
何かと忙しくなりそうな気配の中、家族と離れ、社宅で一人週末を寂しく…、なんてことはなく(笑)、天気も良さそうだし、旧街道を走りに行くか!!。

朝食と洗濯だけをササっと済ませ、着替えていざ出陣!

向かったのは自宅から徒歩5分、「高麗橋」。
旧街道runとしては、東海道(京街道)編最終回以来。

懐かし~、とはならないけどね、何せ徒歩5分のところに住んでてね。
買い物やら何やらでもう数えきれないほど前を通ってるからね(笑)

あれから約6年。
まさかこんなところに単身で住むことになろうとは思ってもなかったからなぁ。

ってなシチュエーションで、今更感満載だけど、とりあえず記念に写メしておこう。(冒頭写真)

そもそもいきなりなんで紀州街道?
高野街道は?

よーするに財布と気持ちの問題。
単身赴任の気ままさはあるものの、高野街道も河内長野過ぎると金銭的にもそこそこかかるし。
しかもその翌日に「りんくうパークマラソン(10km)」で準優勝したりして楽しんでるからね。

ということで、毒抜き?の気楽さを求め、並行する形で高麗橋発の紀州街道踏破を目論んだのさ。
何せ高麗橋スタートなら、往路の交通費は無料だからね(笑)

まだ10時をすぎたばかり。
まずは西へ。
毎日見ているような風景で何にも感慨はないが、「高麗橋1」の交差点で堺筋に出る。

左手角の北浜プラザが目立つ。
元々は三越大阪店だったらしいけれど、現在は高層マンションで、地下鉄北浜駅と直結している。

って、最寄り駅だし、社宅から徒歩2分ぐらいだよ(笑)
進むどころか戻ってる(笑)

ここで左折、つまり堺筋を南へ。
汗かく間もなく、道修町1の交差点の左手に時代を感じる和風建築。
こんな大阪の都心の真ん中だけに妙に目立つ。

旧小西家住宅ね。


そもそも小西家って何者?
簡単に言えばボンドや瞬間接着剤アロンアルファを作ったコニシ(株)の創始者ね。

道修(どしょう)町といえば、西日本を代表する古くからの薬の街。
今もなお、武田薬品や塩野義製薬等の大手製薬会社が本社を置いている。
接着剤にも薬品は利用されているだろうから、コニシ(株)もその流れを汲んで発展していったんだね。

なかなか前に進まんね。
とりあえずしばらくは堺筋がそのまま紀州街道で、南下するだけ。

御堂筋に次ぐぐらいの大阪の大幹線。
両側は巨大なビル街で面白みもないし、どこをどう走っても同じようなものだが、とにかく日本橋に到着。

かの有名な道頓堀川。

さすがにこの寒い中、飛び込む人はいない(笑)

ここを超えるとやっと旧街道らしい宝探し?のような場所が現れる。
道頓堀川から2本目の狭い道を右に入る。
芝居裏通などといかにもピッタリな名前が付いているようだ。

30mほどで、ビルとビルの間の極細の路地。

なんとこれが紀州街道の名残らしい。

路地を抜け、普通のアスファルト道になりホッとする間もなく、東西に走る大幹線に突き当たる。
千日前通ね。

といいつつ、大阪在住歴7か月。
通りの名前もリサーチしておかないとまだなかなか覚えられないんだけどね。

左手の「日本橋」の交差点に廻って横断し、またこの1本西側の道に戻って南下。
赤裏筋という名がついているようだ。

ちなみに日本橋は「にっぽんばし」ね。
江戸にある旧東海道や旧中山道の起点は「にほんばし」
その真ん中で生まれ育った名古屋人は混乱してしまうよね。

すごく遅いペースだが、いつの間にか中央区から浪速区へと変わり、ほんのわずかに右にカーブしている曲線に街道らしさを感じるものの、それ以外に古きを忍ぶものはない。

さらに進むと、若干道幅が広がり、ものすごい人だかり。
コミックかカードなのか、そっち系の人が群れを成していた。


赤裏筋もこの周辺だけは「オタロード」なんて通称で呼ばれているらしい。
コスモタイガーもある種のオタクの様なものだからなぁ…。

とはいえ、街道らしさもないからね、ちょっとベースアップして道なりに南下しよう。
JR大阪環状線の新今宮駅をアンダークロスし、さらに国道43号を横断。
西成区に入ったようだ。

ようやく高いビルもなくなり、都会のど真ん中間はなくなり、道の名前も「紀州街道」と、ところどころに案内されるようになった。


さらに南下すると右手に公園があり、何やら行列ができている。
配給?炊き出し?があるようで並んでいる。


あ、そうか、ここは「あいりん地区」最寄りの公園なんだね。
旧街道としてしかリサーチしてなくてね(笑)
予備知識なかったからビックリした(;'∀')

起伏もほとんどないから、走りやすさは感じつつ、南下を続けよう。

昭和の風情を感じる下町らしい通りだ。
天下茶屋地区に入ったようだ。

名前のとおり、天正年間には茶屋が開かれ、のちに豊臣秀吉お気に入りとなったため、「殿下茶屋」と呼ばれるようになった。
それが訛って天下茶屋になったとか。
鉄チャン的にも、南海電鉄本線と地下鉄堺筋線の乗換駅で、耳慣れた地名ではある。

その名も天下茶屋公園を右に見てそのまま進む。
大阪市内にも関わらず、旧街道らしい1本道として、紀州街道は南下を続ける。

約400m。
神社が左手反対側に見えてきた。
天満宮ということで、ご祭神は菅原道真だろうけれど、建物自体は昭和になってからのもの。

そしてこの目の前の交差点にあるのが「天下茶屋跡」の碑。

正確にはここから西へ30Mほど入ったところにある小さな広場が跡地として整備されているらしいけれど、単なる跡地ということで先へ進むとしよう。

すぐ先の信号に、大きな「阿部野神社」の標識が立っているから少しだけ寄り道。
左折して阪堺電車の線路を超えればすぐに行き止まり。
標識通りの神社が鎮座している。


西からだと貧相?ながら、正門であろう南からだと立派な神社らしく、御朱印もいただけるようだ。

再び街道に戻る。
南海電鉄高野線をアンダークロス、すぐに左から来た阪堺電車が合流し、ここから路面電車となる。
しばらくは路面電車と並走することになるんだね。

塚西という大きな交差点もそのまま直進。
この辺りから住吉区になるのかな?

おっと、目の前から路面電車がやってきた!

撮り鉄は専門外だけどね、とりあえず悠然と走る電車に思わず携帯を向けてしまった。


さあ、まだまだ路面電車との並走だ!
と思ってたら、薬局とクリニックが並んでいるところでいかにも旧街道らしい道が斜めに分岐。


もちろんここは斜めの道に入るのが正解ね。
すぐに視界が開け、南海本線粉浜駅前に出た。

和歌はあんまり詳しくないのでよくわからないけれど、たぶんこの辺りを詠んだものなのか、駅前には万葉歌碑が建てられている。


さあ、せっかく駅前だから!
とはならないのさ。
トレーニングとしてはまだ全然距離不足。
しかも時計はまだ正午前。

そのままコスモタイガーは南へと向かうのだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする