cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(20)追記

2014-09-30 | 旧東海道run!!
旧東海道編(20)の地図を作成しました。(ここをクリック

旧東海道編(20)本編末尾にも入口を設けました。
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(19)追記

2014-09-22 | 旧東海道run!!
旧東海道編(19)の地図、作成しました。(ここをクリック)

旧東海道編(19)の本編(後編)末尾にも入口を設けました。
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(24)

2014-09-17 | 旧中山道run!!


さぁ、中山道だ!
前回のゴール地点が下諏訪駅。
中山道的には、下諏訪宿入口というところ。

ここから次の宿場町、和田宿(長和町)までの約23kmが、昔も今も変わらぬ、中山道最大の難所!
23kmといっても、平地じゃないからね。
その間には、標高1600m、中山道最高点の和田峠が大きく立ち塞がっている。

本当なら一気に超えたいところだけど、往復の交通事情や、現地でのアクセスを思うと、かなり厳しいと言わざるを得ない。

頼りとする交通機関も、和田峠よりかなり手前の「樋橋」まで、1日8~9往復の、下諏訪町営バス「あざみ号」があるだけで、そこから先は、完全なる空白地帯だ。

いろんなHPを見ても、だいたいここは宿泊を絡めて一気に超える、というパターンが多い。
ここ下諏訪は温泉地としても有名で、旅館やホテルも結構あるからね。

それをわざわざ日帰りにこだわり、リサーチの段階で悪戦苦闘しているコスモタイガーの方が無謀とも云える。
でもさ、歩くのとは異なり、背負う荷物が増えると走りづらいしね~。

とりあえず細かいことは現地で臨機応変に、と思いつつ、8時前に家を出て、勝川駅コインPに車を置き、通いなれた?中央本線乗継で、塩尻駅到着。
ここまでは前回と全く同じ行動。
さらに「中央東線」にそのまま乗換、下諏訪駅前に降り立ったのは、12時半過ぎ。

もはや移動にばかり時間を取られ、駅前をのんびり散策…、などという余裕はない。
駅舎を写メに収め、早速本日のトレーニングスタート!
駅前通りをまずは直進。

300mほどで、前回のコースアウト地点、「下諏訪駅前」の交差点。
目の前の国道20号が、そのまま中山道だ。

右折してすぐの信号が、「大社通」。
国道20号は右折、直進の道は、ここから国道142号ってことになる。

中山道はそのまま直進、国142ね。

そう、これにて国道20号とはお別れね。
ここからのお供は、国道142号線。

左手の雑居ビルの奥みたいなところが、前回入浴した「菅野温泉」。
今日も帰りにタイミング合えば入りたいけど。
100mほどで、左斜めに分岐するのが中山道。

この辺りから下諏訪宿の中心ということになるらしい。
沿道には「時の科学館」や、歴史民俗資料館があり、のんびり散策したい衝動にかられるけれど、我慢我慢!

その隣の「まるや旅館」も、純日本風で、何やら趣がある。
で、ここがT字路になっている。

突き当たりに標柱がある。
「甲州道中中山道合流之地」。(冒頭写真)

そう、ここが中山道と甲州街道(正式名:甲州道中)の合流・分岐地点。
つまり追分ね。

甲州街道は、ここ下諏訪宿から、新宿経由で、日本橋を目指す、5街道の1つ。
国道20号と中央東線は、ここから相方を甲州街道に変えて、江戸(東京)へと向かっている。

甲州街道を少し行けば、荘厳な「諏訪大社下社秋宮」があるけれど、今は「中山道」モード全開!
そのまま標識に従い、左折する。

と思いきや、すぐに立派な遺構の和風建築がある。
「下諏訪宿本陣岩波家」。
名前の通り、岩波家が代々本陣職を勤めた。
「岩波書店」は、ここの跡取り息子が東京に出て造った会社なのさ。

一般開放されていて、中を見学できるらしいけれど、残念ながらトレーニング中だし、あんまりのんびりするのも不安だし。

ってことでそのまま素通りとする。
途中、右手に、「遊泉ハウス児湯」という、この辺りでは有名な公衆浴場がある。
菅野温泉よりはメジャーっぽいけれど、駅から少し離れてるからね~。

その先で、国142は右に緩やかにカーブ。
そこを直進する、やや狭い道が中山道やね。

何やら温泉街の古い街並みを散策しているような感覚で、走ってて楽しめる状況だ。
以外に車も人通りも多い。

右の高台に小さな「御作田神社」があり、手だけ合わせておく。

そこを超えると「下之原一里塚跡」。
残念ながら、それを示す小さな石碑が建っているのみ。

道なりに進むと、右にカーブする中山道。
でも正面に、大きな森があり、鳥居が見える。
ここは中山道沿いだから、お参りしていこう。

「諏訪大社下社春宮」といい、さっきの秋宮とsetみたいなものらしい。
7年に一度の奇祭、「御柱祭」で有名とのことだけど、あまり祭礼的なことは詳しくないため、説明書きは斜め読み。

そしてこの神社の最大のウリ?は、何といっても「万治の石仏」。
観光パンフレットなどにも記載される、有名な石仏だ。

境内を横切り、小さな川を渡った先にそれはあった。
案の定、数人の観光客が入れ代わり立ち代わり、写真を撮ったり手を合わせたりしている。

コスモタイガーも手を合わせたけれど、うっかり写メを撮り忘れ、去り際にあわてて携帯を石仏に向けた。
あ!動いちゃって、ビントがずれちゃった!

まぁいいや、先へ行こう。
中山道に戻ろう。
神社の脇を登るように、中山道は続いている。
でもすぐに国142に合流。
宿場の雰囲気は、ここで終了、という感じだ。

100mちょっとで、再び左に分岐。
特に見どころもなく、またしばらくして国142に合流。

さぁ、ここからはひたすら登るだけの国道run!
狭いながらも歩道はあるから、安心だけど。

600mぐらいかな?
今度は右の道に入る。
目に入る風景は、都会の喧騒を忘れそうなのどかさだけど、延々と上るため、息が上がる。

左に小川が寄り添ってきて、再び国道に合流。
中部電力の発電所を通り過ぎてすぐ、真正面に崖崩れの跡みたいな急斜面が…。

これは御柱祭の際の、「木落とし」という行事に使う斜面で、「木落とし坂」の名が付いている。
この斜面の上から、村の衆たちでエッチラオッチラと運んできた丸太を、春宮に向かって投げ落とす、お祭りのメインイベントらしい。

ちょうどうまい具合に?右に入る道があり、斜面の脇を通っている。
本来の中山道は、この木落とし坂の中を突っ切ってたらしいけれど。

見下ろすと…。
うわ~高いなぁ~!
落差100m以上あるらしいからね~。
高所恐怖症の人は、見ない方が良いね。

この坂の上で、道は2手に分岐するけれど、中山道は左だ。
100mほど先の分岐、今度は右。
この辺り、ちょっと分かりづらいけれど、右側に理髪店が現れたら正解。

国142にまたまた合流。
すぐに右手に変電所があるのが目印になるけれど、この辺りから、本来の中山道は左に逸れていたらしい。
現在、そんな道はすでに見当たらず、ここは国道をそのまま走るしかない。

リサーチによれば、途中、左側に「六峰温泉」という小さな温泉小屋?があるらしいけれど、どうやらそれらしき建物を発見したものの、人の気配はない。
閉鎖しちゃったのかな?
トレーニング中だから、やってたところで入浴はしなかったけどね。
それでもちょっと寂しさは感じる。

沿道沿いにごみ処理場のような建物があり、興醒めの感がある中、ひたすら国道は高度を上げていく。
消失した中山道は、このごみ処理場辺りで、今走ってる国道に合流するらしいけれど。

緑豊かな右に比べ、左は広い敷地を利用した工場がいくつか続いている。
ごみ処理工場の関連施設なのかな?

国道に合流して、1200~1300mぐらいかな?
数字上は大したことないんだけど、上り一辺倒だから、随分と長く感じられるけれど、小さな川を渡る。

中山道は、この辺りで再び左に逸れるらしいけれど、相変わらず、国142は1本道だ。
さらに300mほど先で、国道は左に大きくカーブする。

そのカーブの地点、左手には、「諏訪化学工業」の工場のようだ。
カーブを曲がり切ったところから、敷地内へと入る道が通じている。
数台の車が駐車しているけれど、周囲に人はいない。
まぁ、今日は休日だからね。

この工場の敷地の一部を中山道は通っていて、国142をショートカットする形になっているようだ。
たった今走ってきた、敷地内への進入通路も、その一部なのかもしれないね。
(※コスモタイガーの訪問した直後の2010年夏、地元の有志によって、旧中山道復元事業が行われ、随分と整備されたようです。もう少し遅く行けば、もっとスムーズに走れたのに…!)

国道に戻り、さらに200mほど進むと、家が数軒現れ、左に分岐する道がある。
これが中山道で、ちょうど朝顔の蔓のように、国142にクロスしている。
反対の右に分岐した道沿いに町営バスの「樋橋」停留所があった。

その樋橋のバス停の真ん前にある集会所が、かつての立場茶屋跡。
ここ樋橋は、小さいながらも、古くからの集落だったということやね。

さぁ、リサーチしたとおり、町営バス(あざみ号)は、ここまで。
ここから先、和田宿までは、公共交通機関皆無!

時計は14時半を過ぎたばかり。
でもさぁ、今ここでやめるにしても、まだ実走距離10kmにも満たない気がするし、次のバスが来るまでに、2時間近くもあるからね~。

さりとて今から和田峠を越えるのも厳しいしなぁ。
峠の向こう、和田宿までの難路は、かなり時間に余裕を見ておく必要がある上、和田宿からは、長和町巡回バスという、これまた名前からして、如何にもローカルで本数が少なさそうなバスで、今からじゃ、その終バスにすら乗り継ぐことは不可能だ。
無事和田宿に着いたところで、そこで途方に暮れることになってしまう。

仕方ない。
もう少し先まで中山道を楽しんで、適当なところで引き換えし、ここまで戻ってくるか。

この辺は信号もほとんどなく、車やトラックが快調に飛ばしていくだけで、木落とし坂以降、全くと云って良いほど、歩いたり走ったりしてる人なんて見当たらない。

樋橋集落はホントに局所的で、すぐに国142に吸収される。
と思ったら、100mちょっと先で、またまた右に入る。

で、またすぐに分岐点。
これも右。

この辺りは中山道を示す案内板もなく、事前のリサーチは不可欠だ。
小川を左に従える形で、くねくねと林道を走る。
この道は、中山道であると同時に、旧国道142号線だったらしい。

左側の一角に、お墓らしきものが並んでいる。
お墓には違いないけれど、ペットの霊園、だそうな。
中山道とは全く関係ない施設だけど、何もない山の中、良い目印ではある。

急激に左にカーブし、国142をトンネルで潜る。
潜った先がちょっとした広場になっており、そこにも墓標が建っている。

「浪人塚」。
幕末の水戸の浪士たちが葬られている。

1864(元治元)年というから、まさに幕末真っ只中。
諏訪・松本連合軍1,000人余りと、水戸藩士を中心とした天狗党と呼ばれる一団1,000人余りが、ここでいざ決戦!となったらしい。
その際、天狗党の戦死者10名をここに弔ったとされる。

当時は国道なんかあるはずもないし、現代以上に山深きところだっただろうに、こんなところで総勢2,000人以上もの人たちがやぁやぁとやりあったんだね~。
信じられないなあ…。

もう一回国142の下を潜り、左にカーブしながら、潜ったばかりの国142に合流する。
さて、ここからは約1.5km、国道run。

歩道はないけれど、交通量も気になるほど多いわけじゃない。
車に気を付けながらも、快調に足を進める。

これといったチェックポイントもない。
左側は山が迫ってるし、右手にわずかばかりの平地だけど、つぶれたホテル?のような建物があるだけで、人家すら見当たらない。
これじゃ、交通機関がないのも致し方ない。

走り去る車は気持ち良さそうに、飛ばしていく。
「こんなところを走ってる人が!」みたいな感じなんだろう。

国142は、左へ急激なヘアピンカーブとなる。
中山道は、ここから分岐し、正面の、獣道同然の山道を入っていく。
一瞬絶句するけれど、地元有志により設置されたと思われる、簡易道標が、そこに入っていくよう、示している。

リサーチは当然してあったけれど、実際それを目の当たりにすると、やっぱり不安になるなぁ。
そしてここからは、まさに和田峠を目指す本格的なトレイルランとなるわけだ。

半信半疑で迷いつつ、獣道に入った。
覚悟はしていたけれど、道幅は30cmぐらい?
雑草はボーボーだし、右側は崖になってて、落ちたら危険だし。
この何もない鬱蒼感は、テンションあげあげだけど、写メ撮ろうにも、何やら足元がおぼつかず、焦点合わないよ…。

正直、ここは走ることより、足元を確認しながら恐る恐る進み、歩くのに近い状態。
かすかに左の足元に、古い石碑を確認し、ここが旧街道であることが識別できた。

湧水なのか、ところどころ水たまりにもなっていて、靴を濡らしながら、分け入るように進む。
その先は沢になっていて、その中に石がゴロゴロ転がっており、その石を頼りに、バランス取りながら、やっとの思いで進む。

完全に国道敷設後は取り残され、中山道は獣道として放置されている感じだ。
残ってるだけでも奇跡なのかもしれないけれど。
(※この辺りも、コスモタイガー走行後約1年後の2011年春、地元有志の方々により整備され、随分と走り、もとい、歩きやすくなったそうです)

やがて車の排気音が聞こえてくることで、左上方に、国142が近づいてきたことがわかる。
と、そこに、いきなりボン!と、大きな石碑が現れた。
「一里塚」と大書されている。
「西餅屋一里塚跡」らしい。

この一里塚からは、突然道が広くなり、坂を上るとすぐに国道と合流。
といっても、人ひとりがやっと通れるぐらいの、ガードレールのわずかな切れ間をスルッと通り抜けないといけないからね。
そうと知らなかったら、行き止りと思ってしまいそうだ。

ってか、逆から来る人にとっては、国142からわずかなガードレールの切れ間を入って降りていきなさい!と、どのガイドブックやHPにも書かれてたりして、これはこれで、現代版中山道の名物になってるような感はある。

で、ガードレールの切れ間の反対側に、登っていく登山道?がある。
これが中山道なんだけどね。

登山道入り口に「西餅屋茶屋跡」の説明版もあり、ここが中山道であることを示している。
こんなところにかつては4軒も茶屋が並んでたというのも驚きだ。
茶屋どころか、人家すら見当たらないけれど。
さらに驚くのは、まだ周囲には、残雪が見られるってことなんだよね。

さて、気持ちはこの先、どんどん山の中分け入りたいところだけど、さすがにそろそろ戻らないとやばい。
すでに15時半を過ぎた。

次回、ここまでどうやって来るんだ?という懸念はあるものの、今はそれを考えてる場合じゃない。
とりあえず、樋橋まで戻るしかない。
中山道としては、今日はここで終了とする。

乗り遅れるわけにもいかないからね、戻りは中山道じゃなく、ひたすら国142沿いに、気持ち良く降りていく。

車仕様のため、途中、大きく迂回(ヘアピンカーブ)するけれど、それでもあの中山道の悪路を悪戦苦闘するよりは断然速い。

恐らく5kmぐらい?
ひたすら国道を下ると、そこは見覚えのある「樋橋」集落。
とりあえずここを本日のゴールとする。

起伏や変化に富んだせいか、随分走った気分だけど、中山道だけなら10kmにも満たないかも…。
樋橋まで戻ったことを考慮して、全部で15km前後といったところか?
今回は、かなり効率悪い一日だけど、仕方ない。

残念ながら自販機もないため、リュックの中のすっかり常温になったお茶で一服し、わずかばかりのバスまでの時間を過ごす。
名古屋では完全に散ってしまった桜も、ここではまだほとんど蕾なんだね~。
疲れた身体に、咲き始めの桜が癒された。

予定より数分遅れて、「あざみ」号がやってきた。
こんなところで見慣れない顔の客が乗ってきたから、運転手さんも若干驚き顔だ。

下諏訪町内にいくつか路線がある町営バス「あざみ」号だけど、この「萩倉・樋橋・星が丘」線は、下諏訪駅~樋橋を循環ということになっているけれど、往路と復路で少しづつ経路が違うだけで、実態は、下諏訪駅~樋橋間を往復している形態に近い。

途中で2~3人の地元客を乗せただけで、30分弱で、下諏訪駅到着。
まもなくやってくる電車に乗ってすんなり帰っても良いんだけど、折角だから、今日も温泉入ってさっぱりしてから帰ろうか。

ってことで、またもや菅野温泉に入浴。
やっぱり走った後の温泉は最高だね!

でもさ、ここまで来ると遠いねぇ。
にも関わらず、鈍行乗継を選択し、長い長い中山道runのこの先の資金繰り?を考えるコスモタイガー。

勝川駅に到着したのは、22時過ぎ。
さらにそこから車だよ。

さすがに疲れたなぁ。
中山道も、下諏訪宿を超え、ますます過酷な?日程となっていくはず。
何よりも、融通が利かない行程。
往復ともに、決められたバスや電車に乗る状況になってきて、そのプレッシャーとの戦いが始まったということだ。
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(3)追記

2014-09-08 | 旧美濃路run!!
旧美濃路編(3)、地図を作成しました。(ここをクリック)
旧美濃路編(3)の本文の末尾にも入口を設けてあります。
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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(4)

2014-09-03 | 旧伊勢街道run!!


桜は散ってしまったけど、今まさに春爛漫。
窓を開ければ、穏やかな春の日が差し込み、素晴らしい天気だ!

今日は平日なんだけど、勤務の都合で、コスモタイガーは休日だ。
そして、夜7時からは名古屋駅近くで別件の野暮用がある。

ということで、中山道は後日にして、前回、途中打ち切り状態のようになってしまった伊勢街道の続きを走ろう!

目指すは前回のゴール、JR「高茶屋」駅。
でも残念ながら平日だから、青空フリーは使えないのさ。(旧東海道編19参照)

ということで、市バスと地下鉄で名古屋駅に出て、近鉄に乗換える。
JRだと第3セクター伊勢鉄道が足かせになり、割高なんだよね。

「津」駅はJR駅の中に近鉄が間借りする形で、双方の乗換には実に便利だ。
JR紀勢本線の鈍行で10分足らず。
高茶屋駅に着き、写メを撮ったりしていると、11時近くになってしまった。

駅前の道を100mほど直進したところで伊勢街道にぶつかる。
さぁ、本日のトレーニング開始!

すぐに国道165の下を潜り、今乗ってきたJR紀勢本線の踏切を渡る。
そのまま道なりに、右方向へ。

いきなり静かな集落を縫うような感じで、くねくねとうねりながらの1本道が続く。
こんな風景は、走ってても楽しいなぁ。
「島貫」という地区らしい。

県道と交わる信号もそのまま直進。
しばらくすると、ひっそりと残る古い道標を確認。

さらに進むと、目の前は一段高くなった堤防にぶつかり、道は行き止りに。
堤防に駆け上がると、目前に流れる大河?は「雲出川」。

ここはかつての「小野古江(おののふるえ)の渡し」で、当時は舟で渡河してたらしい。
現在は、舟はなく、200mほど右に大きな「雲出橋」がある。
県道413号にもなっている、立派な橋だ。

さぁ、橋を渡ろう!
と思ったら、その入口の角には、常夜灯が…。

1835(天保5)年のものらしいけれど。
ただ今居る場所は、伊勢街道から外れてるわけで、元からここにあったはずはなく、本来は、さっき堤防を駆け上がった辺りにあったものをここに移設したということだ。

渡り終わった対岸は、松阪市。
津市側と同じように常夜灯があるけれど、こちらも恐らく移設したものやろね。
まぁ、渡し舟無き今、「この橋を渡れ」と主張しているようで、道しるべ代わりになって、ありがたいことではある。

で、ここで左折し、堤防沿いに200m弱。
階段を下りると、旧街道が復活。

本楽寺、貴船神社と、いかにも旧街道を今に伝える史跡が続く。
またすぐに左側、ちょっと目立つ感じで古民家が構えている。

「松浦武四郎生家跡」。

松浦武四郎は、蝦夷地の探検家。
昔、北海道マラソン後に、道内旅行した際、このおっさん(失礼!)にまつわる史跡が点在してたのを思い出す。

その蝦夷地に「北海道」という名前を与えたのもこの人で、いわば「北海道の名付け親」ということになるね。

しばらくはまた、静かな道なりを走る。
右手に金剛寺、反対側には常夜灯。
この辺りは神社やお寺も多くあり、伊勢街道を意識できるエリアだ。

でもここを過ぎると、静かな住宅街を走るだけで、見るべきポイントはなくなり、runに集中。

1.5km弱走っただろうか?
突然、大きめの道標が見えた。
すぐ脇には常夜灯もあり、思わず足を止めた。

道標の字が達筆すぎて、解読できないけれど、右の道行くと「なら」、このまま直進すると「さんぐう」に行くという趣旨は何となく理解できた。

ここは伊勢街道最大の追分とされ、「月本追分」と呼ばれている。(冒頭写真)
当然、コスモタイガーは直進。
「さんぐう」の方に向かうわけなんだけど。

その先、紛らわしい二股。
でも、雰囲気的に、左の道だろうことは、今までの経験で判る。

100mほど先の十字路で右折。
ここにも道標や常夜灯が残されている。

直進は「香良洲(からす)道」。
名前の通り、香良洲町へと向かっている。

国23中勢バイパスの上を通過した地点にあるのが、「小津一里塚跡」。

ん?
確かリサーチした資料には、伊勢街道には一里塚が整備されなかったとあった気がするけれど…?
それに一里塚は、当然ながら「どこから一里なのか」を示すために築かれたわけで、そのためには2つ以上ないと意味ないしさ。

ちょっと疑問には思ったけれど、まぁ、走ってる最中だし、先へ行こう!

「小津西」の信号もそのまま直進。
左手には小さな郵便局があり、旧街道であることを確認できる。

小さな川(三渡川というらしい)を渡ったところにも、道標と常夜灯。
ここから右に行くのが「初瀬(はせ)街道」。
「六軒追分」と称されている。

「初瀬」は「長谷」とも表記され、アジサイで有名な長谷寺も、名字としての、長谷部さんや長谷川さんにも通じているとされる。

右奥、400mほどにある「常福寺」に寄り道。
立派な境内を持つ、曹洞宗のお寺だ。
伊勢街道沿いにあった道標の一部が、ここに集められ、現存している。

街道に戻り、しばらくは道なりだけど、ここからの街並みは、江戸の面影を色濃く残し、素敵な空間だ。
「市場庄」集落で、地元松阪市としてもそれなりに力を入れているのか、説明板も建てられている。

こういう、全国的には無名だけど、地元で静かに守られている街並み、好きだなぁ。
東浦町の緒川村を連想させる。(気になる古道たち10参照)

切妻造というのかな?
江戸から残る古民家もところどころに残り、道標・常夜灯が静かに鎮座している。

JR紀勢本線をアンダークロス。
すぐに枡型かな?
左折してすぐ右折。
ここにも常夜灯やお地蔵さん(庚申堂)が並んでいる。

さらに道なりに走る。
県道756号の下を潜り、すぐにT字路。
右の道がいかにも街道らしい雰囲気だから、ここも迷わないけれど。

右手に薬師寺。
いかにも古刹の雰囲気で、立派な仁王門が印象的だ。
本堂・仁王門ともに、松阪市の指定文化財となっている。

街道をそのまま進む。
突き当りに古民家があり、ここを左折。
そしてまたすぐ右折。

100mほど先で再び左折。
要するに、またまた枡型になってるわけね。
そしてここからの道は、狭いながらも県道24号に指定されているらしい。

しばらくはこの県道を走り、一気に松阪市の中心へと入っていく。
ペースも自然と早くなる。

小さな橋を渡ってすぐ、左手にあるのが、「商人の館」。
江戸の豪商、小津家の旧宅を資料館として保存・維持している。
残念ながらトレーニング中のため、写メだけ撮って、足を進める。

松阪といえば、何といっても「松阪牛」!のイメージだけど、実は江戸の頃から、商人の街でもある。
近江商人(旧東海道編19、旧中山道編4参照)とともに、全国的に有名だっんだね。
あちらは、西武グループの堤家や、伊藤忠の伊藤家を輩出しているけれど、松阪も負けてはいない。
三井グループは、この松阪商人がルーツなのだ。

その三井家発祥の地が、その先100mほどの「本町」交差点の手前、左手にあった。

さて、リサーチによれば、この本町交差点右手300mほどで、松阪城址に至る。
気になるところだけど、今日はまず伊勢街道に集中!
お城散策はまたの機会にする。

ただどうしてもチェックしておきたいスポット!
そのお城に向かって右折。
すぐの道を右へ。
そこに説明版があり、目の前の空き地?が「本居宣長旧宅跡」であることを示している。

そう!
学校の歴史の授業にも出てきた、本居宣長さんも、この松阪出身だったんだね。

旧街道に戻ってすぐ、「日野町」の交差点。
ここに大きな石の道標が残されている。
和歌山街道との追分で、ここを右折すれば和歌山であると示している。

伊勢街道はそのまま直進。
ここからは見どころもなく、商店街の中を走るイメージで、「愛宕西」の信号も、そのまま直進。

お店の数も減り、やがて左後方からやってきた道と合流し、そのまま旧街道は右へと続いている。
すぐに歩道橋があるのが目印だ。

200mほど先で、右に分岐する伊勢街道。
再び街道らしい雰囲気になり、右側に「信楽寺」。
すぐ隣の閻魔堂ともども、結構な歴史があるようだ。

その反対側(左側)には、こんもりした森があり、こちらは神戸神社。
良いねぇ、街道イベントが一気に現れた感じだ。

地味ながら、道沿いには常夜灯や庚申堂もあり、街道オーラを満喫しながら、淡々と走る。

と思ったら、目の前に踏切が現れ、その右手には、小さなJRの駅が。
紀勢本線「徳和」駅。

時間はまだ13時過ぎたところだし、実走距離も15~16kmといった感じ。
しかもほとんど平坦だし、中山道に慣れた?体には、少々物足りなさもあったりするけれど、先述の通り、今日は別件で約束があるからさ。

名古屋駅なんだから、帰路ついでに…、としたいところだけど、ランニングとは無関係の話のため、この走った後のむさくるしい恰好では少々厳しい。

いったん帰宅してさっぱりしたいからさ、いつもよりかなり早いけど、今日はここをゴールとする。

徳和駅は、普通しか停車しない無人駅。
幸い、すぐにその普通列車がやってきた。

隣駅「松阪」まで、わずか5分弱。
そこで近鉄の急行に乗換、名古屋駅経由でいったん帰宅。
1時間ほど寛いだものの、再び名古屋駅に向かった。

1日に2回も自宅~名駅を往復し、何とも非効率かつ慌ただしい一日だったけど、予定通りの行動でもあるため、自宅~名駅間は、今朝購入した、1日乗車券を利用。
こちらの方は、実に有効活用したことになるわけだね。

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