★関西ネタです。
西国街道と一口に言っても、広義には古くからの五畿七道の1つ、山陽道(京都~下関)の別称とされる場合もあるようだ。
豊臣秀吉により大坂(現在の大阪)が大きく発展することにより、山陽道の役割は大坂~下関に移り、京都~西宮間6宿約55kmが独立?して、西国街道と称されるようになった。
このブログでの「西国街道」は、この狭義の意味で使用することとしたい。
東寺の参拝を終え、南大門(プロローグの冒頭写真参照)を出れば目の前は現代の東海道、国道1号線。
そしてここからが旧西国街道だ。
西に向かえばすぐに「京阪国道口」の大きな交差点で、左折する国1と直進する国171に分かれるが、西国街道は直進だ。
約300mで、羅城門跡。
平安京の南側の大門だったとされている。
何より芥川龍之介の小説「羅生門」のモデルになったことでその名が知られているが、現代では小さな児童公園に石碑が建つのみだ。
しばらくは京都市街地ど真ん中の国道run。
九条新千本とか九条七本松とか、京都特有の交差点名を楽しんだりする。
後でわかったから仕方ないけれど、本当はこの辺り、北上約200mほどで、「西寺跡」が公園として残ってるらしいんだけどね。
知らない街の街道を走ることばかりに気を取られ、リサーチ不足で素通りしてしまった。
東寺があれば西寺もあった、と考えるのが普通だよね!
「九条御前」の交差点で、斜め左の狭い道に入るのが正解らしいが、案内板もなくわかりづらい。
まぁ、国道よりマシではあるが、住宅街の中を直線的に走るだけ。
さっき別れた国171を斜めに横断。
南西にそのまま進む。
右手に「日向地蔵尊」。
体が温まってきて、リズムに乗ってたこともあり、無礼にも素通り。
坂を登れば桂川に沿う形になり、国171にぶつかる。
ここで右折して、久世橋を渡る。
ここはかつては渡し舟の区間だったのさ。
渡ったらすぐ左折。
といっても直接は無理だから、いったん右の道から降りてって、橋の下を潜るんだけどね。
堤防沿いに走れば、道は右へカーブ。
体育館を左に見て進む形。
くねくねとしたラインは旧街道らしいけれど、立ち止まるほどのポイントもなく、足取りは快調に進む。
「久世殿城」の交差点に出た。
目の前はまたしても国171。
ここで旧街道は消滅しているらしい。
きっと左斜め前方の町工場の方ににそのまま続いてたんだろうね。
仕方なくそのまま直進(西)へ。
新幹線の下を潜り、さらに直進。
コンクリート工場?
数台の大型トラックが止まってて、一瞬途方に暮れるが、よく見れば地下道があり、ここで東海道本線を潜るんだね。
潜って今度は左。
線路沿いに南下。
この辺りで京都市から向日(むこう)市に代わるらしい。
JR向日町駅の前を通り、道なりに右へカーブ。
この辺りからは案内板も整備され、迷うこともない。(冒頭写真)
さらに反対車線にも、ここがかつての向日町駅だったことが詳しく解説されている。
向日市、頑張ってます!
続いて阪急電鉄東向日駅。
このJR向日町と、阪急東向日駅は、徒歩6~7分。
隠れた乗換ルートとして、鉄ちゃんネタなんだけどね。
地域住民にとって抜け道になってるのか、交通量が多いのが気になるけれど、踏切を渡れば3叉路。
そこには歴史を感じさせる大きな常夜灯が建っている。
築榊講(つきさかこう)常夜灯、と称する。
街道は左の道ね。
ゆるやかな登りになった。
石畳を思わせるカラー舗装が施され、街道らしい雰囲気が残っている。
しばらくは街道風情を楽しくrunすれば、再び交差点に出て、常夜灯で別れた県道67と再合流。
ここには向日町の道路元標が設置され、さらに正面にあるのが、京都府の指定も受けている「旧須田家住宅」。
右手に鳥居が現れた。
長~い参道が続いている。
迷ったけど、この辺りの名刹だから、お参りしていこう。
向日神社。
可愛らしい科学館も併設され、市民の憩いの場所にもなっているようだ。
神社の歴史は718(養老2)年まで遡るとか。
初宮参りかな?
玉のような小さな赤ちゃんを抱いたご一家がお参りしていたのが印象的だった。
今となっては懐かしいなぁ。
県道に戻ってすぐ、「五辻」の交差点。
名前のとおり、5つに分かれており、常夜灯が目立っている。
関西に来ても街道センサー?はちゃんと働くよ。
左斜めの狭い道が旧街道なのは間違いない。
由来は知らないが、「アストロ通り」の看板がかかっている。
ここでちょと寄り道ね。
ここまで来たら外せないスポットがあるんだよね。
案内板があるからね、左折。
2本目を再度左折、案内板に従えば、「太極殿公園」。
何を隠そう、ここはまさにかつての長岡京跡。
長い日本の歴史の中で784年からわずか10年間、ここが都だったんだね。
そして794年、教科書にも出てくる平安京へ遷都されることになる。
(鳴くよウグイス平安京、で覚えました♪)
しばし歴史の余韻に浸り…と言いたいところだけど、トレーニング中だからね♪
すぐに五辻交差点に戻り、アストロ通りを登っていく。
登りきったところにあるのが「石堂寺」。
創建は1310(延慶3)年、要するに鎌倉時代の終わり頃というからここもやっぱり由緒あるお寺なのだ。
ここからは緩やかな下りとなり、街道らしい道が静かに続いている。
再び寄り道。
案内板に従い、すぐの道を左折してしばらく進んだところにあるのが、「朝堂院公園」。
一見するとただの児童公園だけど、ここも長岡京の一部なんだね。
説明書きによれば正確には「長岡京朝堂院西第四堂跡」。
難しいな。
要するに首都機能を持った建物の1つってことだね。
旧街道に戻り、先へと進む。
再び県道と合流し、阪急京都線の下を潜り、また右へと分離。
ここでまた風格ある邸宅が!
「中小路家住宅」。
現在は喫茶店として営業もしているらしいが、入り口は別にあるのか、それらしき雰囲気はない。
左手にガソリンスタンドが現れたところで、変則の5叉路に出た。
「一文橋」の交差点だ。
信号を渡れば、その名の通りの橋があるけれど、その手前には橋の由来名が書かれた碑が建っている。
橋の下は小畑川。
市境になっていて、ここで長岡京市に入ったんだね。
つまり長岡京跡は長岡京市ではなく、今まで走ってた向日市にあるわけで、不思議な話だけど、とにかく長岡京市に入った。
そしてそれはコスモタイガーにとって、職場に近づいていることを意味する。
まだ着任して2週間余りとはいえ、馴染みのある空間に突入!
でもまだ体は元気!
トレーニングは続くのだ。
(後編に続く)