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コスモタイガー漂走記~旧西高野街道編~(後編)/最終回

2023-07-21 | 旧西高野街道run!!

相変わらず曇天が続いている。
街道らしい雰囲気と、右に左に点在する小さな地蔵尊が楽しませてくれる。
しばらくは堺市と大阪狭山市の境界runだ。

はい、しばらくすると一里塚代わりの「女人堂十一里道標石」。


さらに南下すると、「岩室」の交差点。
ここは歩道橋で渡ることになる。

歩道橋の上から、ここから走る道を眺められる、というより確認できる。(冒頭写真
歩道橋降りて、今確認した道をひたすら南下。
約300mで、Yの字に分岐している。

ここは天野街道追分というらしく、名前の通り、右の道がその天野街道ということのようだ。

その天野街道もどうやら散策路として整備されているらしく、魅力的な演出をされてはいるけれど、今は西高野街道love!!
ということで迷わず左の道へ。

左に緩やかにカーブしながら、民家の間を縫うように道は続く。
2分ほど走ると、道も若干広くなる。

前方、急な下り坂になり、一気に視界が広がる。
今ではマンションやビルなんかに若干遮られているものの、かつては絶景だったに違いない。
おわり坂という名前がついているらしい。
思わず写メを切る。


坂を下り切ったところがその名も「おわり坂」交差点で、そのまま目の前の歩道橋を渡る。
そういえばコスモタイガーは名古屋人だから、「尾張」と何か関係あるのか?とも思ったりもするが、おそらく関係ない。
ここからしばらくは大きな葉服もないから、文字通りここでひとまず終わり、という意味なんだろう。


現代では車がメインの変則5叉路になっているので、旧街道はいったん焼失し、ぱっと見、わかりにくいが、反対に目を向けると、案内板と道標も設置されており、安心できる。


小さな川を渡る。
渡ってすぐ右折し、川沿いに南下。
約100mで右斜めへ分岐する小道。
ここで旧街道は復活だ。

何やら両側竹藪になり、不安になるが、すぐに途絶えて視界が広がり、新興住宅街。
その住宅街にポツンと忘れ去られたように祠が残る。
「三津屋地蔵尊」。


約400m。
路地同士が重なるような変則の十字路を右折し、すぐに左へカーブ(南下)する旧街道。
突き当れば左へ。

100mほどの十字路を右折するけれど、その角にあるのが「茱萸木(ぐみのき)大師堂」

ここから再び南下。
両側、大きなお屋敷が多いのが旧街道らしさを伝えてくれる。

とにかく道なりに。
信号もそのまま直進すると、やがて右手に「酒かけ地蔵尊」。

正式には「玄唱法師地蔵」というらしい。

その隣は立派な運動広場で、テニスコートも設置されている。
南青少年運動広場で、もちろん歴史的には何もないけれど、良い目印にはなる。

十里道標石を過ぎると、信号があって道は2手に分岐。
案内板は右斜めを指しているけれど、ここは地図見る限り直進が正解。

そして川に遮られて行き止まり。
だから現代の案内板は右に行けとしているんだね。

仕方なくいったん信号まで戻り、案内板に従って進む。

「く」の字型になって天野橋を渡った先で、いよいよ最後の市町村、河内長野市となり、そこには西高野街道の詳しい案内板があり、ホッとする。

この辺りで直進してきた西高野街道と合流するんだろうね。

再び道なりに。
またまた緩やかに2手に分岐があり、ここも迷うところながら、雰囲気的に右側の道。
まぁどっちみちすぐに合流するんだけど。

その合流地点にあるのが松林寺という立派なお寺。
本堂は江戸時代後期のものとか。

さらに約400mほど走れば、変則十字路となり、これまた雰囲気ある道が左後方から合流、そこに立派な地蔵堂と常夜灯が安置されている。


合流してきた道は中高野街道で、ここはその追分となるわけで、反対側の角に丁寧な案内板も設置されている。


この中高野街道も、京街道(東海道)守口宿を起点にして、ここで西高野街道と合流する、結構気になる街道ではある。

道なりに直進。
やがて片側1車線の広い道路との信号交差点で、この道は千代田あいあい通りなどという愛称が付いているようだ。
名前の通り、ここを左折すれば、南海電鉄高野線の千代田駅がある。

千代田駅の次は河内長野駅。
…ということは、西高野街道のゴールももう少しなんだ!

旧街道はもちろんこのまま直進だ。
しばらくは所々にいかにも歴史ありそうなお屋敷があり、くねくねと旧街道の雰囲気を残す1本道。
自然とペースも上がる。

約1km。
右側に石塔を発見。

晴明塚。


明らかに陰陽師安倍晴明にまつわるものであることは想像できる。
きっとこの道を晴明さんも歩いたってことなんだろう。

さあ、足を進める。
国170バイパス(大阪外環状線)の効果をくぐり、道なりに。

すぐに常夜灯のある十字路で、ここを左折するようだ。
いったん、国310に出るわけね。

ドラッグストア過ぎた辺りで左斜めに分岐する「らしき道」を行くわけだが、恐らくさっきの常夜灯付近で本来の街道は消失してて、ここで復活してるんだろうな。

あとは道なりにまっすぐ走る。
いよいよ街並みが密になり、河内長野市中心街が近いことを感じさせる。

またここで左手、常夜灯に出会う。
隣接するのが「延命子育地蔵尊」。


ここで旧街道は道なりに右へ90度転進し、商店街へと入っていく。

そしてつい先日見たばかりの懐かしさ感じるショッピングモールが視野に入る。
「ノバティながの」という通称があるらしい。

そのノバティながの前の十字路。
確実に見覚えある十字路!

そう、ここが東高野街道との交点!
前回は左の道からやってきてここに出たんだね。

はい、ここからはほんの100mほど前回と重複。
東西両高野街道重複道を走れば、はい、これまた高野街道モニュメントに再会!


はい、これにて西高野街道完全走破!
そして本日のトレーニング終了。

多少の迷走?寄り道含めて走行距離20kmちょっとというところかな?
良いトレーニングになりました。

そして前回と変わらぬ静かな駅前ロータリーの向こうには、河内長野駅が佇んでいる。


時計はまだ14時半を過ぎたところで、これまた前回の東高野街道ゴール時と似たような時間帯だ。
近鉄長野線と南海高野線、どちらでも大阪市内には帰れるから、趣向を変えて近鉄で帰ろうか、と思ってたんだけどね。

いざ改札まで行くと、やっぱり大阪市内に入ってから社宅までの乗換のスムーズさを思い、南海高野線を選択してしまった。
天下茶屋駅で大阪メトロ堺筋線に乗り換えるだけだもんな。

さて、ここから先。
迷うなぁ。

大阪周辺~河内長野間には、他にも中高野街道や下高野街道なんてのもあるらしいからさ。
もちろん気にはなるけど、同じエリアをチョコチョコ動くばかりってのも何だかね。

それよりここから先、1本になった「高野街道」を進みたい気持ちも強い。
でも確実に高度を上げつつ山深くなる。

…などと車中でいろいろ思い悩み、社宅に戻るコスモタイガーであった。
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コスモタイガー漂走記~旧西高野街道編~(前編)

2023-06-02 | 旧西高野街道run!!

電停の道が紀州街道で、それを横切る大小路筋。
この大小路筋を東へ向かってスタート!

今も立派な幹線道路で、かつての街道を忍ぶ雰囲気ではない。
阪神高速をくぐり、何やらエレベータまで設置してあるヘンテコな形の歩道橋も超える。

しばらくすると右手に立派な高層ビルが現れる。
堺市役所ね。(冒頭写真

最上階(地上80m)は展望ロビーになっている。
名だたる古墳群を一望できる人気スポットで、しかも無料!
「あべのハルカスや通天閣よりお値打ちだがゃ~」と感じるし、ぜひ行きたいところではあるが、まだトレーニング開始したばかりだしね…。

大きな交差点は「堺東駅南口」で、その名の通り、正面には南海電鉄高野線の堺東駅。
南海本線堺駅に準じる、もう一つの堺市の玄関口である。

この交差点を右折し、市役所に沿って南下。
50mもするとコンビニがあって、その裏へ入っていくような小道、これがかろうじて残る西高野街道だ。

都会の雑踏から一気に街道らしい道になる。
この瞬間がたまらんな~。

ペースが少し上がる。
変則の5叉路にはお地蔵さんも建ち、正面電柱には「←竹内街道」とあるから、迷うこともない。

南海高野線を踏切で越え、道なりに進む。
市内中心に近いのに、くねくねとうねり、小さな祠があったりと、いかにも旧街道らしく、大阪市内の暗峠越奈良街道を思わせる雰囲気ではある。

やがてYの字分岐となった。
右手には祠が建つ。
「高野山女人堂十三里道標石」なるもので、いわば私設の一里塚といえようか。

江戸末期の1857(安政4)年、地元のお百姓さんたちにより、高野山まで約1里ごとに13基建てられたという。
そしてその全てが現存しているというから素晴らしい。

さらに正面の分岐点には石柱が建ち、ここで竹内街道と西高野街道が判れることを示している。


後ろ髪を引かれるようだが、ここは予定通り、右の西高野街道へと進む。
しばらくして街道は南海高野線をオーバークロス、設置された道標を見逃さないよう走る。
歩道橋を渡り、降りたところが国道310号で、その歩道が旧街道ということになるようだ。

さて、右側には立派な堀があり、その向こうに大きな森が鎮座している。
実はこれこそ、あの有名な前方後円墳、仁徳天皇陵であり、その一部をなす(陪塚)茶山古墳がコブのように出っ張っている。
(翌2019年7月、「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産に登録されました)


さらに100m少々走ったらまた別のコブがある。
大安寺山古墳、という名がついている。


国道をそのまま走り、JR阪和線を陸橋でまたぐ。
左手には三国ヶ丘駅だ。

この辺りで旧街道は完全消失しているようで、しばらくは国310を走るしかないんだよね。
左手にはジョーシン電機が見えるけど、恐らくこの辺りで左にカープし、ジョーシンの敷地内を通っていたんだろうと推測…するしかない。

消失してるからどこで左折してもいいんだけど、国道走っててもつまらないからね。
最初の道を左折して1本東の道を走る。
すると200mほどで互い違いの十字路になるからそのまま直進。

ここからが旧街道復活、となるようで、急に道がそれっぽくなる。
国道310に近づいたと思ったら街道はT字路となり、左折する。

さらにくねくねと市街地の中を走る。
御廊表塚古墳なんてものもあったけど、古墳の看板があちこちあって、気にしてたらキリがないから先へと進む。
この辺は旧街道らしい雰囲気ではある。


数分で中百舌鳥駅が少し離れて見えてくる。
このまま道なりに進む。

さらにくねくねと走れば、国360に再合流。
目の前は大阪公立大学(旧大阪府立大学)である。

きっと旧街道は大学のキャンパス内を通って、左へカーブしてたんだろうな、と地図を見ながら思ったりする。
だからキャンパスの正門(多分…)前の信号から再び左に入る道が旧街道だと、何となくわかる。

ロータリーのような円形の交差路をそのまま進み、左手には立派な公園があり、癒しの風景。
白鷺公園、というらしい。
池を中心に整備され、グラウンドや野球場もあるようだ。
小さなお子さんを遊ばせている家族連れも散見される。

1本道で迷うところもなく、ペースが自然と上がる。
左にため池を見てさらに直進。

左側に見えてきました、祠と道標。
高野山女人堂十二里道標石。

ついさっき見た十三里道標石から約4km走ったことになるね。

旧街道は直線的にひたすら南南東へ向かっている。
大きな鳥居があって、これは出雲大社大阪分祠ということだけど、いずれぜひ本物の出雲大社を拝んでみたいなぁ、と思ったりする。

右手、街道沿いに「惟妙寺」(ゆいみょうじ)。

謂れとかはわからないけれど、静かな佇まいのお寺だ。

すでにランチタイム真っ只中。
でもこんなところでランチタイムなんてするわけない。

立派な高架の下をくぐる。
阪和自動車道だ。

さらに300mほど南下すれば、中茶屋の法界地蔵尊。

新しく手向けられた花が、地域の人たちに愛さているんだなぁと感じさせる。

「中茶屋」の地名からして、この辺りにはかつて茶屋があったんだろうね。
街道ばかり走ってると、地名だけでそんなことを連想するようになる。

くねくねと古い住宅街の中を分かりやすく道は続いている。
800mぐらいか?
Yの字分岐となり、そこに当時のままの道標と祠が建つ。
「延命地蔵菩薩」

ここで視線を道に移すと、旧街道らしい趣ある町並みがかなり残っていて、なかなか楽しく走れる一角ではある。


快調に足を進める。
中茶屋の町並みを出てしまえば、街道らしい雰囲気は残るものの、これといったシャメスポットもなく、快調に足を進める。
「福田南」の交差点で国310を横断し、そのまま直進。

どうやら福田という町(集落)に入ったようで、右手、福田公園という名の児童公園を過ぎ、さらにぽつんと小さな福田地蔵尊。
その先で、さっきの延命地蔵菩薩のところで分岐した道と再合流する。
ここからしばらく、この旧街道は市境の道となり、右側が堺市、左側が大阪狭山市、ということになる。

どこからか、13時の時報を指す鐘?が聞こえてきた。
ちょうど中間点を過ぎた辺りであろうか。
まだまだコスモタイガーのトレーニングは続いていく。

(※次回へ続く)
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コスモタイガー漂走記~旧西高野街道編~(プロローグ)

2023-04-19 | 旧西高野街道run!!
★関西ネタです

【2018年10月某日】
走りやすそうな秋晴れのなか、今日も平日ながらお休みとなったコスモタイガー。
単身赴任も半年を過ぎ、多少の慣れは出てきたものの、相変わらずこんな日に社宅で1日過ごすのはもったいない。
貧乏性だけは直らないようだ。

ということで、かねてより下調べしてあったあの街道だ!
洗濯や掃除をササっと済ませ、走る用意をして社宅を出る。

最寄りの北浜駅から地下鉄に乗り、恵美須町駅にて下車。
そして楽しみにしいた路面電車!阪堺電車に乗換。

路面電車、久しぶりだなぁ~。
途中、「安孫子道」電停で乗換、降り立ったのは「大小路」電停。(冒頭写真)
電停の名前が示す通り、軌道を横切る真ん前の道路こそ、「大小路」で、その由来書きも建てられている。

何と言ってもこの道こそかつてのメインストリートであり、和泉国と摂津国の国境にもなっていたらしい。
だから「堺市」というわけさ。

ぶっちゃけ、所要時間を優先するなら、難波か天下茶屋で南海本線に乗換、堺駅で降りて徒歩10分ほどの場所。
絶対その方が速いんだろうけどね。
まぁそこまで急ぎの移動でもないから「路面電車」に拘って、ゼロクリアの状態でスタートしようと思ったのさ。

そう、ここが本日のスタート地点!
実はここ、どっちかというと街道ファンなら「竹内(たけのうち)街道起点」として有名な場所だ。
西高野街道と竹内街道は、ともにここを起点とし、しばらくは重複区間なのさ。

平安時代から存在する日本最古の国道、竹内街道。
そりゃ興味ありありで、ぜひとも走ってみたい街道ではあるけどさ。
そもそも「旧街道run」のコンセプトは江戸時代を1つのキーワードにしているし。
前回「東高野」を完走した以上、その流れで「西高野」を走りたい!

ということで、今回は「西高野街道」としてここに立っている。
河内長野まで約20km!
1回で終わらせたい!と思いつつ、本日のトレーニング開始!

(前編へ続く)
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