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コスモタイガーのつぶやき(12)~掲示板

2017-10-13 | つぶやき/更新中

今ではすっかり主役の座をブログやfacebookに奪われた感のある「掲示板」。
でも今から15~16年ほど前は、かなり盛んだった気がする。

地域や職場等、あるいはサークルチーム等で、何か共通の連絡事項などあったりすると掲示板に書き込めばいいからね。
もちろん堅苦しい連絡事項ばかりじゃなく、今でいう「つぶやき」的なヨタ話もお互い書いたりして、随分と有効なコミュニケーションツールとして愛されていたと思う。

今回はその「掲示板」にまつわる実体験。
といっても掲示板全盛期?の15~16年前の話だけどね。
たまたま最近、この掲示板のあり方について、ある会合で話題になったので、思うところを書いてみようと思う。

とあるランニングサークルの掲示板。
サークルといっても総勢50人以上の大所帯。
当然、様々な価値観を持った人種がいる。

今度こういうイベントあるから希望者は何時にどこそこに集合、といったいわゆる連絡事項も多いけれど、なかには自分も含めて少し砕けた感じの世間話的なものもあったし、「子供が生まれました」的なおめでたい話もあり、素直にめでたいと祝福したりと、楽しいやりとりであった。

市民ランナーの大半は、「走る」ことは趣味であり、それ以外の部分は普通に仕事をし、それぞれの家庭生活を営んでいるわけで、それなりに悩んだり悲しんだり、また些細なことで幸せを感じたりしながら、日々を送っていることは言うまでもない。

そんな人間同士が、週に1回程度しか会えない仲間たちと掲示板上でワイワイガヤガヤ。
実に楽しく、有効なコミュニケーションツールとして活用されるのは、素晴らしい事だと思ったりする。

ところがこれまた、難しいことを言い出す人間が現れる。
まぁ、どこの世界にもありうる話なのかもしれないけれど…。

そしてまた、えてしてこの種の輩は、つぶやき(9)の音頭取り型の人物と共通していることが多いと感じる。
コスモタイガーからすれば、「何様のつもりだ!」と言いたくなる話なのだ。

仮にI氏としよう。
そのI氏が突然「陸上競技以外のことを書き込むな!」と掲示板を仕切り出した。
風邪を引いたとか子供の病気・個人の悩みなど、陸上競技とは何も関係ないプライベートな話、我がサークルの活動には関わりがない、というのがその根拠らしい。
(ちなみにI氏は掲示板の管理人でも何でもない、サークルの一メンバーである)

ネット上の話である。
いろんな人がいろんなことを書くのは当たり前である。
そりゃ、中には自分にとってはさして関係ない話題もあるだろう。
おおかたの人間は、興味がなければスルーするだけの話ではなかろうか。

彼にとっては、走ることだけに特化したお付き合いを望んでいたのかもしれない。
それなら、自分の関係したところだけで絡めば良い話であり、わざわざ波風立てる話ではない。

話を変える。
例えば映画館で映画を見ていたとする。

X氏はその映画を見て物凄く感動している。
逆にY氏は、「なんだこりゃ、つまらん!」と思うかもしれない。
どちらが正解という話ではなく、個々人の好みという他はない。

そしてつまらなければ黙って退場すれば良い話。
真剣に見入っているX氏に対して「こんな映画のどこが楽しいんだ!」と罵倒するなど論外だ。
X氏の楽しい時間を奪う権利など、誰にもない。

自分がつまらないということを「わざわざ公言する」するような人たちの心境がコスモタイガーには理解しがたい。
その行為にどんな「得」があるのだろうか?
むしろ特定の個人を罵倒することの方がはるかに問題視すべきものであるはずだ。

さらに別の例を出す。
TVを見ていたら、自分にとっては何の利益もない番組が流れていたとする。
おおかたの人間は、「つまらない」と思ってチャンネルを変えるか電源を消す。
ただそれだけの話のはずである。

そりゃそうだ。
自分にとってつまらなくとも、他の誰かはそれを面白いと思って見てるわけだし。

それを、「つまらん番組を流すな!」とわざわざ方々に触れ回り、番組を作成したTV局に直接抗議に乗り込んでいくんだろうか?

彼の掲示板での言動は、まさにこれと同じことだと思う。
そしてその行為を正当化し、後押しする人間の感性も理解しがたい。

TV局側からすれば、もちろん少しでも良いコンテンツを提供しようと努力はしているだろうけれど、現実問題として、全ての視聴者を満足させる術などありえないだろうし。
ましてやいちいち特定の個人の要望や都合などきくわけにもいかない。

情報は受け取る側の都合だけじゃなく、流す側の都合だってあるのだ。
というより、イニシアチブを取ってるのはむしろ流す側であり、視聴者が受け手として取捨選択するというのが実態ではなかろうか。

「面白い」「つまらない」は、人それぞれの感性であって、どちらがどうだという話ではない。
ただし、自分がつまらないからといって、面白いと感じている人たちの楽しい時間を奪う権利はない。
何とも自己中心的な話で、ただただあきれ果てるばかりだ。

さて、このブログ。
今さらの話ではあるけれど、自分が好きなことを書いてるし、それに対してコメントいただくのも素直に嬉しい。
(いろんなコメント、本当にありがとうございます)

そして自分の心は自分のもの。
公序良俗に反するようなものは論外だけど、そうでなければ今後も自分の心に従って書くまでである。

とはいえ、指摘されるまでもなく、このブログは、マニア色が強い。
ネットサーフィン中にたまたまこの屈ブログに迷い込んだりする人もいらっしゃるだろう。
その人が、歴史にも鉄道にも、そしてランニングにも興味がなければ、自分のブログはこの上なくつまらないだろうと思う。

その場合、黙って立ち去ってもらいたい。
わざわざ「興味がない」ことを強調されても、対応しようがないし、対応するつもりもない。
このブログを楽しみに読んでくださる他の方にも迷惑である。

誤解されると困るが、「批判するな」と言ってるのではない。
コスモタイガーも一介の小市民。
間違った見識や欠点もある。
「そこはコスモさん、違うよ」「その部分は自分はこう感じる」など、建設的な批判(とでも云えばいいのか?)や議論を戦わせることはもちろん大歓迎である。

ただ捨て台詞のように、「興味がない」「面白くない」といった類の、冷やかし的・自己中心的なコメントは、固くお断りする。
興味がなければ、最初から絡まなければいいだけのこと。
いたって当たり前の話をしているつもりである。

つぶやき(9)の続きみたいな話になってしまったけれど、この手の輩は、共有とかチームワークというものを履き違えてるんだろうね。
そして妙な正義感を振りかざしてみたりする。

でもさ、何が正義かなんて、それこそ人それぞれで、彼らに「これが正義だ」と勝手に決めつけられる筋合もない。

知人に話したこともあるけれど、一緒に映画を見に行くことはできるけど、感動や笑いのポイントまで一緒にするなんてことは絶対に無理。
当たり前だよね、別々の感性を持ってるんだから。

コスモタイガー自身も友人と映画を見に行ったことも当然ある。
1つの例として、随分昔だけど、「タイタニック」。
こんなロマンスいっぱいの映画を、オールナイトで、しかも野郎2人で見たけどね。

コスモタイガーは感動いっぱいで涙ボロボロだったけど、友人は「何だこりゃ、こんな恋愛映画とは思わんかった!」とガックリしてた。
でも男2人で熱い?夜を過ごして楽しかったけどね~。

おっと、話がそれちゃった。
コスモタイガー的には、「一緒に行く」だけで充分にチームワークは成立してるはずなんだけど、彼らはそれだけでは足りないらしい。
一緒に笑い、ともに涙する、というシーンをどうしても演出したいんだろうね。

無理に「演出」したところで、真の心は別のところにあるのだから、何の意味もないことに気付けないのは愚かなことだ。

人の「心の中」にまで入り込もうとするから、こんな過ちを犯すことになる。
心まで支配することなどできるはずもないのだ。
ましてや皆が同じ価値観・同じ心を持つことなどありえない。
チームワークや仲間を重んじるのであれば、なおのこと、「程よい距離感」が大切なのだ。

掲示板。
いろんな心を持った人・さまざまな境遇の人たちが集い、いろんな書込みをするからこそ面白い。
そして書き込みが多ければ、第三者的には、そのサークルの活発さ・元気さを窺い知ることが推測できる。
(逆に言えば、書込みが特定の話題に特化し、減少すれば、「このサークルは元気がないな」と思われるだけである)

余談であるが、上記のI氏。
「ランニング以外書込み禁止」と勝手に仕切るだけ仕切っておきながら、その数日後、自分の子供が生まれた際には、嬉々として「子供が生まれました~♪」と書込んだことを付記しておく。

コメント (4)
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