cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧高野街道編(1)~後編

2023-12-07 | 旧高野街道run!!/更新中

紀見峠!
ここは県境で、ここから和歌山県、いわゆる紀伊国に入ったってことね。
行政区域的には橋本市になるようだ。

何気に道は二手に分岐。
右の道のほうがいかにもメインルートっぽく、環境庁と和歌山県が設置した「紀見峠」の表示板が誇らしく断っているけれど…。
旧街道は左の登り道らしいんだよね。
表示板の背後を行く形になるから不安だけど。

でも50mも走れば「高野山女人堂六里道標石」の石碑があってホッとする。(冒頭写真)

すぐ隣といっても良い場所に、「数学者岡潔生誕の地」という碑が建つものの、ごめん、知らない人だ。
理数系は大の苦手でさ。
それにまつわる人にもあまり興味を持てないコスモタイガーなのだ。

これを超すと、いかにも山中の集落という1本道が静かに続いている。
実は紀見峠宿といって、かつての宿場だったらしい。
旅籠や茶屋が建ち並び、300人近くが宿泊できた、ということらしいけれど、目の当たりにする光景からは信じられない。


随分高度を上げてきたんだね。
家並みの隙間から見える遠景は素晴らしい。


気になる案内板に従い、苔むした小道を分け入るとすぐに愛宕神社。


鳥居と祠だけ、本殿もない小さな神社になぜ寄ったのかというと、腰痛にご利益があるということだから。
そう、学生時代から走ってる蓄積なのか、腰が悪いんだよね。

小道を戻って再び高野街道を走る。
ただ1本の道がくねくねと続いているからね、迷うことはない。
右側、時折視界が開け、絶景を拝めることが良いアクセントになる。


少しづつ高度を下げ、道幅も狭くなり、竹林と笹の中へと続く1本道の旧街道。


走りも軽くなり、リズムが出てきた。
どれぐらい走っただろうか。
急カーブのところにポツンと祠があって「阿弥陀堂」というらしい。

で、この阿弥陀堂を過ぎると少し広い道に合流。
広いといっても軽トラ1台がやっとの広さではあるけれど。

T字路になって突き当たったら右折。
だんだん集落らしくなってきたのは良いけれど、特段見どころはなく、ペースが自然と上がる。

「慶賀野」の交差点で、立派なバイパス、国371に吸収されてしまうのさ。
おそらくこの辺りは消失区間、しばらくは国道runとなる。

ここは変則交差点でね。
隣り合うようにもう1つ信号があってさ。
そこから南に分岐するのが旧街道ね。
道に入ってすぐ左手に「太子堂」があれば正解。

Yの字分岐は左。
軽トラ1台がやっと狭路ながら、独特のうねりと威厳あるお屋敷が旧街道らしさを演出して、飽きない風景が続く。
適度に田畑も広がるのも癒される。


さらに進むと道端に小さなお地蔵さんがあり、二手に分岐。
この道はここで一気に90度左に折れ、東へ向かってしまうからNG。
右の道を選択し、ヘアピンカーブで坂を下りていくのが正解らしい。

こんなヘアピンカーブが当時あったとは思えないからね。
きっと本来の旧街道はお地蔵さんのところを直進していたんだろうな。

ヘアピンが終わると再び国371に出た。
このまま国道沿いに続くのが高野街道なんだけど、時計はまもなく16時になろうとしている。
11月の日は短い。

一応調べはついていて、近くに南海高野線「林間田園都市」駅がある。
ヘアピンを下りて国道に合流したという、何の変哲もない場所ながら、高野街道としては本日ここでコースアウト。
ここが次回のスタート地点だからね、一応備忘録代わりに?写メでも撮っておこう。


さあ、あとは国371を逆向きに走り、最初に現れる道で左折(歯科医院が目印)、これまたヘアピンカーブでひたすら下っていけば、そこにお目当ての駅が現れた。


南海高野線、林間田園都市駅ね。
何だか東京の田園調布を連想させるお洒落な駅が、まさに林間にデンと構えてることに不思議な感覚がある。
そして本日のトレーニング、これにて終了!

後半結構迷ったからね~、20kmぐらい走ったと思うな。
高野街道としては16~17kmというところか?
トータルで登りというのもあって、距離の割には良いトレーニングになったかと。

時計はすでに16時を過ぎている。
さぁ、今日はもう1つ目的があってね。

やってきた南海電車に乗り、一路難波駅へ。
その理由は…。

映画さ、映画!!
大好きな某アニメ映画を楽しむのさ。

そしてその続きが来年3/1なのね、なんてチェックする。


そう、コスモタイガーは、単身赴任生活を謳歌しつつある…。
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コスモタイガー漂走記~旧高野街道編(1)~中編

2023-10-27 | 旧高野街道run!!/更新中

国371を走ってしばらく、「新町橋」の信号を通過する。
さらに進むこと約100m。

ここで右斜めに向かって一気に登る急坂道を発見!
紛れもない、旧高野街道だ。

高度を上げつつ、右に左にカーブする。
国371バイパスの上を通るのは珍しい風景だ。

この辺り、案内板も目印もなさそうだけど、まぁ、道なりだからね。
街道らしいくねくね道を上っていけば迷うことはない。
ただ延々と集落中を上ってる感覚で、すぐ近くに国道が通っているとは思えない雰囲気ではある。(冒頭写真

石仏寺という小さな古寺で下り坂となる。
突然視界が開け、「石仏南」という変則交差点に出て、国道に突き当たる。


国道といっても2つに分岐してるからね、ややこしいけれど、どっちの道も国371なのさ。
このまま右に進むのが旧道で、左のいかにも走りやすそうな道が新道(バイパス)ということらしい。

で、このまま右の旧国道がそのまま旧街道をリ・ユースしたものなんだろう。
しばらくは旧国道run。
歩道もないけれど、旧国道ゆえ交通量が少ないのが救いではある。

左手には天見川が流れ、右には人を寄せ付けない鬱蒼とした森。
実はかつてこの森の上に石仏城などという、これまた楠木正成のお城があったらしいけれど、それを感じさせるものは何もない。

国道を1km以上走ったかな?
突然右に激しく上る小さな道!

これこれ!これが高野街道さ。

国371を左下に見下ろす感じで、軽トラがやっと走れる程度の道を走る。
500mほどの道のりで、再度国道へ吸収。

と思いきや、100m少々進んだところに郵便局があり、ここで左折して急坂を降りるのが旧街道らしい。

いよいよ周囲はのどかな山間部の雰囲気となってきた。

道なりに右折した先には「御所の辻」で、現在も文字通り分岐路になっている。
「大神宮の常夜灯」が今も残り、ここは右の道であることを教えてくれる。


山あいの旧街道は静かだ。
誰にも会わないね~。

道なりに進むと突然頭上に橋脚が。
南河内グリーンロードという広域農道らしい。

そこを過ぎると右側にポツンとお堂が建つ。
松明堂。


弘法大師がこの地で夜を明かした際、松明に火をつけて地面に突き立てた。
そうしたらあら不思議、そのまま根を張り、大木になったという言い伝えから、この名がついている。

天見川を右にして、鬱蒼とした未舗装道となり、しばらくすると再び国道に合流。
国道runでちょっと不安になるが、右手に細長い七里道標石の石碑を発見し、ホッとする。

500mほど国道を走れば、右へ分岐する道があり、さらにそこから天見川沿いを走る小道がある。
これが高野街道らしい。


苔むした石垣と緑の木々に囲まれた涼しげな道は約600mほど。
再び国道が見えてきた。

合流…と言いたいところだが、その手前に急な階段!
ここを登るのが正解らしい。

そしてすぐに歩道橋となって、国道の反対側へ。
もちろん本物の旧街道に歩道橋なんぞあるわけないが、安全のためにもここは歩道橋利用だよね。

すぐに運動場らしきものが左手に。
天見小学校の校庭で、校庭に沿って左斜めに下るのが正解…と思われる。

思われる、というのは資料によってはこのまま国道を走ることになってるからさ。
でも現地をつぶさに見ると、何というか、街道跡らしき道が、下った正面の古びたビルの駐車場を突き抜けている気がする。

そしてその先は獣道状態となり、消失しているようだ。

資料の世界だけではなく、ここは実際にあちこちの街道を走ってきた自分の感性を信じたい。
とはいえ、行き止まりはほぼ確定なため、道なりに左へカーブして、すぐの角を右折。

天見川をヒョイと渡れば左へカーブ。
消失した高野街道はこの辺りで復活してるんじゃなかろうか。

で、天見温泉南天苑という、素敵な1軒宿の裏庭のような道を上れば、南海電鉄高野線の天見駅前に出る。

確信は持てないが、こっちが高野街道だと思うけどなぁ。

というより、肩身の狭い思いをして殺風景な国道を走るより、絶対こっちのほうが良かった!
国道が高野街道としている資料でも、この裏道を進めてるぐらいだからね。

そして気になってしまい、いつか泊まってみたい南天苑への道が出ている。
少し寄り道で、立派で伝統を感じる建物も写メしておく。


駅を過ぎてすぐ、Yの字の分岐は右側で、ここからは下り坂。
そして再度国道に出会うのは、文字通り「「出合の辻」という交差点。

誰と誰が出会ったのかは知らないけれど、ここで信号を渡ってから国道沿いの狭い歩道を走るのさ。


そしてすぐに右斜めに激しく登る狭い道!
そう、これが高野街道ね。

400mほど、民家の裏道のようなところを走り、再度国道へ合流。
「島の谷」という信号交差点に出る。
手元の資料はこのまま国道沿いに…、と案内しているが、リサーチ通りここは左の道を選択。

はい、右手苔むした石垣の上にあるのが「大神宮の常夜灯」。

これが旧街道であることを証明してくれている。
山深き旧街道を照らしてくれていたんだろうね。

道はこのまま左へカーブしながら下っているけれど、恐らく旧街道は真っすぐ進んでいたんだろうな。
要するに消失しているんだけど、真っすぐ進んで国道へ合流する感じだったんだろうね。

仕方なく「島の谷」まで戻って国道を走る。
一瞬、100mにも満たない小道に入るものの、基本は国道run。

左側には再び南海高野線が寄り添ってくる。
と思ったら右斜めに分岐する山道が分岐。
ここから難所の1つ、紀見峠越えとなるんだよ。
後ろを振り返ると温度計が17℃を指している。


気になるのは「大阪府河内長野市」の看板。
え?ここが境界?

うーん、手元の地図によれば、紀見峠の頂上が大阪府河内長野市と和歌山県橋本市の県境となるはずなんだけどね。
まぁ、この先国道371はすぐにトンネルに入るから、ここにしか設置できなかったのかな?

1本道をくねくねと走る。
国道は足の下をトンネルで一直線なんだけどね。
かなりのヘアピンカーブは明らかに自動車を意識したもので、街道というより旧国道の雰囲気。
多分、本当の旧街道は山の中、自然に還ってるんだろうな。

途中、案の定、ここが「旧国道」であることの証跡が!


さらに旧国道を走れば、比較的真っすぐ進む形になり、恐らくこの辺りから旧街道=旧国道になっているのではなかろうか。

やがて「ダイヤモンドトレイル」の丁寧な案内板。

どうやらこの辺りの山々を繋ぐ本格的なトレイルコースがあるらしい。
恐らく関西地区の市民ランナーがクロカン走るなら、高野街道よりこっちを選ぶんだろうな(笑)。

コスモタイガーも自然を感じながらのクロカンは決して嫌いではないけどね。
今は旧街道モード!

そしてそこから100m少々。
紀見峠の頂上だ。


そう、これにて大阪府は終了!
ここからは旧街道run初の和歌山県(橋本市)だ!

とはいえ、トレーニングだからね。
写メだけ撮って足を止めることはないコスモタイガーなのだ。

(※次回へ続く)
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コスモタイガー漂走記~旧高野街道編(1)~前編

2023-09-14 | 旧高野街道run!!/更新中
★関西ネタです。

【2018年11月某日】
大阪の単身赴任生活も5か月がたち、徐々に慣れてきた。
秋も深まれば、ランニングもトラックシーズンはほぼ終了し、マラソンやロードレースがメインとなる。

公認のトラックレースに出るための競技者登録を愛知で申請しているため、ここまで帰省のタイミングと絡めて出場していたところではあるが、明日は関西地区の某ロードレース(10km)に申込んであり、単身赴任後初の関西地区でのレースを控えているのだ。

というわけで、前日の今日は社宅で1人。
朝から布団や洗濯物を干し、部屋をササっと掃除…だけで終われる性じゃないんだよね(笑)

もはや何かに魅入られたかのように着替えて社宅を出発(笑)
地下鉄と南海電鉄高野線を乗継、正午前に河内長野駅に降り立った。

何しに来たかって?
結局いろいろ考えて、やっぱりこのまま「高野街道」を進もうと。

大阪市内からここ河内長野まで、ここまで走ってきた東高野や西高野以外にも、中高野とか下高野とか、いくつかのまだ未走の街道もあるけどね。
似たようなところを行ったり来たりも何だかね…、と思ってさ。

さて、1本にまとまった高野街道。
名前の通りで、ここを起点にして高野山を目指す信仰の道で、現代では並走する国道371号がそう呼ばれることもある。

見覚えのあるショッピングモール「ノバティながの」で軽くお腹を満たし、駅前跨線橋からスタート記念?の写メをとる。(冒頭写真)
そして前回ゴールの高野街道モニュメントへ移動し、本日のトレーニング、高野街道編スタート!

幸いにして道標が整備されている。
まずは見慣れた変則交差点で、跨線橋を左に見つつ、直進となる。


と、すぐにあるのが高野街道碑。
まだ汗もかいてないけど、一応写メしておく。


何やら道の左側には楠木があって、河内長野市の天然記念物となっているらしいが、街道runとしては特に感慨もない。
ただ良い目印にはなるよね。

で、旧街道はそこを右に折れる。
200m弱でT字路となって右折(西)となるが、その角にあるのが「西城蔵」(西城合資会社)だ。
創業は1718(享保3)年で、まさに江戸中期。
暴れん坊将軍吉宗さんが、「享保の改革」に邁進していたころ、ということやね。

この酒蔵付近には、もっとPRされてもいいのに…、と思うぐらいの素敵な街並みとなっている。

反対側(左手)も。


すぐに左折して、小さな水路を渡る。
やがて国371、現代の車版の高野街道に合流し、そのまま斜めに横切るようだ。

叢の中を駆け上がるかのような狭い道で、別久坂という名もついているようだ。
道なりに走ること数分。

右側に小高い山が見えてきた。
そこにある神社が烏帽子形八幡神社で、本殿までは結構な階段である。


それもそのはず、背後の山は烏帽子形山といい、北斜面は古墳らしいが、南半分はあの楠木正成が築城したお城の1つ、烏帽子形城の跡なのだ。
大好きな武将の1人だし、その人の城跡となれば、スルーするわけにもいくまい。

ってことで登ったところに城跡を示す案内板。


さあ、山を下り、元に戻って高野街道の続き。
この烏帽子形山の稜線にそって高野街道は南下する。

十字路を過ぎるとYの字のように分岐し、右は上り、左は下っている。
ここは右が正解。

で、この辺りからが三日市宿ということのようだ。
しばらく進むと、高札場が復元されている。


突き当りを左折し、国371を横断。
集会所の前のT字路を右折すると、古き面影を残す三日市宿の町並となる。

案内板も整備され、迷うこともない。
何より観光地化されておらず、ひっそりとした佇まいは素敵だ。

加賀田川を渡ってさらに進めば、左手にひときわ重厚な屋敷が現れた。
旧八木家住宅。

かつての木綿問屋ということらしいが、現在も個人宅として普通に生活してらっしゃるらしく、こうして外から拝見するだけである。

そのまま走って何やら突然視界が広くなり、駅前のようなロータリーに出る。
南海高野線の三日市駅だ。

予想していたより立派な駅前にちょっとびっくりする。

このロータリー、つまり駅の真ん前を突っ切れば、ちょうど180度反対側ら旧街道が復活。
いかにも街道らしい揺らぎの道だ。
そしていよいよこの辺りから、見た目にも明らかな登りとなる。

すぐに絵入りの可愛らしい案内地図が掲示されているが、それによれば、この道のもう少し西側を「く」の字型に迂回していて、現代では民家があって通行不可、としている。
ほんの数十mでまたこの道に戻るようだけどね。

どっちにしても道なりに進むこと約100m。
またまた高野詣で恒例?の「高野山女人堂八里道標石」。

文字通り、目指す高野山(女人堂)まで8里、約32kmということだね。

でもさっきの掲示されたルートだと、この八里道標石を通らないことになる。
うーん、ここはこの1本道を行くのが正解だとは思うけどなぁ。

あるいは八里道標石を後世に移動させた可能性もあるけれど、それならその旨の案内があっても良さそうなもの。
自分としてはこの道を素直に行くのが正しいと信じたい。

すぐに小さな川を渡り、左手に西片添公民館。
さっきの案内図によれば、この辺で迂回ルートと一緒になるわけね。

さあ、そしてしばらく道なりに走れば、やがて国371、現代版高野街道に吸収される。
そしてここから約2kmほどは国道run。

といっても交通量はそんなに多くない。
少し西に離れたところに、同じ国371でも綺麗で走りやすいバイパスが通ってるからね。

とはいえ、途中からは歩道もなくなるからそれなりに注意してのランとなる。
左手に南海高野線が寄り添ってくれるのが嬉しい。

時計はちょうど13時を指している。
高度を上げながら、ひたすら足を進めるコスモタイガーなのだ。

(※次回へ続く)
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