cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~暗峠越奈良街道編(3)~後編/最終回

2021-11-30 | 暗峠越奈良街道run!!

緩やかに下る道をまた進み、小さな川(富雄川)を渡ったところにあるのが「間男地蔵尊」。(冒頭写真
イケメンなお地蔵さんと言われているらしいが、コスモタイガーにはよく分からない。
まぁでもちゃんと手を合わせて挨拶だけはしておく。

その先すぐの交差点の名前「砂茶屋」。
きっとここに茶屋があったであろうことは簡単に連想できるけれど、見渡す限り、らしき史跡は何もない。
ここからしばらくは見所もないが、道としてはくねくねと続き、旧街道(国308)は判りやすい。

しばらく走ると右手に「赤膚焼窯元」の看板が立つ。
そんな名前の焼き物あるんだね~。
ごめん、そっち系の話はからっきし興味なくてね…。

再び第二阪奈道路をくぐり、道なりに。
国308をひたすら進む構図は変わってないから、悩むことはない。

道幅が広くなり、通行量も増加。
急に市街地っぽくなってきた。

左側には大きなため池が見える。
新池というらしい。

池に沿って左へカーブ。
いろんな脇道があって、変則5叉路もあってややこしいけれど、とにかく国308に沿ってりゃ間違いない。

何の変哲もない住宅地の中、立派な祠が出現し、ここが古くからの街道であることを教えてくれる。


さらに進んだ先、左側にこんもりとした森。
バス停に寄り添うように、「垂人天皇陵飛地」の標柱が立つ。


飛地ということは、本地、メインの場所があるわけね。
で、視線を反対側に移せば、道路反対側に小高い丘陵地。

これが垂人天皇陵で、少し進んだところに案内板があり、それに従って奥に入れば天皇陵の至近距離。


再び街道に戻り、足を進めれば、近鉄尼ヶ辻駅の北側を素通りし、いよいよ奈良市内の中心へと入っていく。
さぁ、もう奈良街道も終わりが近い!

右後方から同じ国308でも随分立派なバイパスが合流。
もはや街道の面影はない。

前方に国道24号奈良バイパスの高架が見える。
国308は完全に奈良市内の幹線道路と化し、酷道のイメージはない。


国308としては、このバイパスとの交差点、「三条大路2丁目」が終点らしいけれど、奈良街道は県道1号としてそのまま直進。
三条栄町で2手に分岐するも、ここは左を選択し、そのまま東へ向かう。
奈良市民の方なら、この辺は「三条通」と呼んでいるんじゃなかろうか。

JR奈良駅に到着。

鉄チャンネタとして、そもそもJR路線自体通っていない沖縄県の那覇市を除けば、46都道府県で唯一、新幹線を含むJR特急列車が全く発着しない県庁所在地駅として有名?ではある。

そう、こうして街道を走るコスモタイガーのホームグラウンドは、時刻表なのさ(笑)。
でも今は頭の中は奈良街道!
もとい、奈良街道を利用したトレーニング!

さらに東進。
右に某電話会社の奈良三条ビルが目印で、その反対側にあるのが浄教寺。
山門は江戸末期のものが残り、登録有形文化財に指定されている。

変わっているのは本堂前の大きなソテツ。

ソテツというと、南国のイメージがあるから、奈良の街中にあるのも不思議だ。
それに加えて、ぎっしりと生い茂るソテツは周囲約6.5m、25本の幹がありながら、1つの株からできているとかで、その珍しさから奈良市の指定文化財となっている。

上三条町の交差点を過ぎれば、両側に立派な歩道も設けられ、観光客を意識した感じになっている。
街並みを意識した立派な建物は南都銀行本店。

さらに進んで「奈良県里程元標」。

明治になってからは、ここを中心に奈良近辺の道路が整備されていったんだね。
そしてそれ以前の江戸期、ここは高札場でもあったわけで、何だか明治と江戸が混在して残されている。

背後にはかの有名な興福寺の広大な境内が広がってるわけなんだけど、今は眼中に無し!
というより、寄ってしまったら長くなりそうだからね。

はい、猿沢池到着!

諸説あるようだが、いろんなHPや資料を見ると、一応この猿沢池が、ここから伊勢神宮まで続く伊勢本街道のスタート地点としているようだ。
つまりここから約300mほどは、奈良街道との重複区間。

この伊勢本街道もいずれ走ってみたいけれど、とりあえず今日は奈良街道!
そしてそのまま300mほど進めば、春日大社一の鳥居。


ここが奈良街道のゴール地点!
はい、暗峠越奈良街道完全走破!
そして本日のトレーニングもここで終了!
奈良街道だけで14~15km、寄り道迷走含めれば実走16~17kmかな?

1つの街道を制覇した寂しさと充実感は何度経験しても心地良い。
これはやめられそうにない。

さて、時刻はまだ14時を回ったところ。
そしてここから先、かの有名な奈良公園が広がり、名物の鹿さんたちがそこかしこで戯れている。
このまま帰るのはもったいない。
少し観光していきましょう!

奈良公園は若草山を中心とした巨大公園。
まさに全国に名の知れた超有名観光地。
全部見たけりゃ、1日じゃ無理だろうからね。

メインとなるのは、公園の西側、世界遺産になっている春日大社・東大寺・興福寺になると思うが、今の時間からじゃ、この3つすら見ることも厳しいな。
ってことで、とりあえず春日大社だけでも行っておこう。

境内に入ってすぐ左にハイカラという表現がぴったりな奈良国立博物館。


そして鹿におせんべいあげて楽しむお嬢さん。


はい、世界遺産の証拠?がデン!と鎮座しています。


そして春日大社本殿。

もちろんちゃんと手を合わせます。
無事奈良街道を完走できたことに感謝!

ここで引き返すことも頭をよぎったけれど、やっぱり奥の方へ見行きたくなる。
そして通称奥の院。

正式には紀伊神社というらしい。

はい、文字通り駆け足でのプチ観光を楽しめば、すでに時計は15時を過ぎている。
2日間まるまる遊んだし、明日からまた仕事だし。
ベランダに干してきた洗濯物も取り込みたいし。

修学旅行以来の東大寺も、そして未訪の興福寺も、見学したいのは山々だけど、またの機会にするとして、そろそろ引き上げるとしましょうか。
近鉄奈良駅までのんびり歩き、あとは近鉄奈良線の快速急行。
充実感とともに、次回どの街道を攻めようか、などと考えつつ、寄り道もせず社宅に戻るコスモタイガーであった。

<完>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~暗峠越奈良街道編(3)~前編

2021-10-15 | 暗峠越奈良街道run!!

★関西ネタです!

【2018年7月某日】

はい、昨日の続き。
そう、つまり2日続けての奈良街道run。

天気が良いとさ、社宅に1日いるのは苦痛なのさ。
洗濯や掃除を簡単に済ませ、つい昨日の午後にゴールしたばかりの南生駒駅に再び降り立った。(冒頭写真

すでに時計は11時を過ぎている。
昨日の今日だからね、何の感慨もないからね、すぐに本日のトレーニング開始!

道のりは今日も比較的簡単で、大半が国308がベースになっている。
南下して竜田川沿いに走れば2度踏切を渡り、国308の看板、通称「おにぎり」に従って左折。
この「おにぎり」がなかったらとても国道とは思えない、ただの生活道路なんだけどね。

え~、いきなり登りだよ!
昨日の暗峠で燃え尽きた感じのところに現れたからね。
心凹むなぁ…。

大瀬ふれあい公園の脇を通る。
ここで道は少し広くなり、右へとカーブ。
大瀬中学校の大きな校舎が左手に。

どうやらこの辺りは左手高台にある「南山手台」と呼ばれる宅地開発によって、正確な旧街道は消失しているらしい。
ってことで、200mほど先の交差点を左折、国308に沿って走るのが無難だね。

この辺りの国308は結構道幅広い。
少しづつ高度を上げ、十字路に出たと思ったら、大きな福祉施設が目の前に!
道路の反対側には東屋があって、どうやら「歓喜の湯」という名前の無料の足湯サービスとなっているようだ。


うーん、足湯、浸かりたいなぁ。
でも今トレーニング中だからパスだなぁ…。

それよりも地図見る限り、消失した旧街道は、この辺からは国308そのものとなって復活していることになるんだろうな。
福祉施設を廻り込むように高度を上げれば、国道は再び狭くなる。
行政区域的には生駒市と奈良市・大和郡山市が入り組んでてややこしい。

登りきったところが「榁木峠」の頂上!

本日一番の高所!

市境にもなっていて、左側が奈良市で、右側は大和郡山市になるのかな?
ここからは当然下りだ。

恐らくボランティア伊だとは思うが、伊勢本街道保存会の方が作成した道標が我々余所者にはとてもありがたい。
なぜ伊勢?と一瞬思うものの、当時から大都市だった大阪の人たちがお伊勢参りしようとすれば、この奈良街道を通って、その先伊勢本街道を通行することになるわけだね。

すぐに気になる古い道標を発見!

弘法大師も通った由緒ある道は充分理解できるけど、こんな所に「名古屋」の文字があるのがものすごく不思議…。

そしてふと視線を上げれば、ちょっと雲が多いけど、これから向かう奈良市方面の素晴らしい眺望にしばし感動~!


で、少し山を下れば、犬の鳴き声がやたらに聞こえてきた。
郡山警察犬訓練所。


そういえば中山道でも瑞浪市の山の中に同様の施設があったことを思い出す。
鳴き声を気にする方もいるし、広大な敷地も要するから、市街地で運営することはかなり厳しいであろうことは容易に推察できる。

左側が奈良市、右側が大和郡山市という市境上をしばらく走る。
すぐに道は2手に分岐。
ここに叢に隠れるように古い道標が残されており、左の道を示唆している。

ま、すぐ隣に現代の道標が併設されてるし、国308もこっちだからね。
そしてこれは完全に奈良市に入ったことを意味するわけね。

道なりにしばらく走れば、左側に見えてくるのが「追分神社」。

残念ながら詳しい由緒等はわからない。

軽くお参りだけして先へと進む。
ここから歴史を感じそうな屋敷がポツポツと増えてきて、宿場町のような素敵な一角だ。


奈良街道は幕府指定の主要街道ではないからね、公的な形で認められたわけではないけれど、追分宿として発展したらしい。
榁木峠を越えてホッとする人、さぁこれから登るぞ!という旅人達が多く利用したんだろうね。

そういえば中山道にも同じ名前の宿場があったなぁ、と感慨に耽る。(※旧中山道編28参照

すぐに十字路に出ればここにあるのが、追分本陣旧村井家住宅。

文字通り、追分宿で最も格式のある宿場であり、奈良市の指定文化財となっている。

とにかく国308=奈良街道、が続くから、狭くて曲がりくねってはいるけれど、1本道ではあるからね。
迷うことはない。

やがてYの字分岐。
青空が少しづつ広がってきて、ここでも眺望は良い。

手元の資料によれば、ここで一瞬、国308と別れ、右の白くて綺麗に整地された方が奈良街道。
でも設置してある伊勢本街道のボランティア道標はこのまま左手の狭い(小型車がやっと1台通れる程度)国308を走れと指示している。

迷ったけど、道のうねり具合も考慮して、自分の下調べを信ずることとしよう。
それにしても狭い方が国道、というのも不思議な感じだ。
まさに酷道の面目躍如といったところである。

さらに100mほどでまた別のY字。

今度は左の狭い道を選択。
まるで民家の裏庭に入っていくような形だが、先方に第二阪奈道路の高架が見えるのが目印だ。

第二阪奈道路をくぐって再び国308に合流。
ここからはまた狭い1本道。
奈良市街地に向かって下りが続いている。

やがて視界が開けたところで十字路に差し掛かった。
立派な灯篭がまだ残っていて、ここがかつての街道であることを教えてくれる。

周囲は田んぼや荒れ地、ポツンポツンと新築らしい一戸建てが建ち、いかにも奈良市郊外の雰囲気だ。
長く続いた下り坂もようやく終焉を迎えようとしているのか、随分と平坦になってきた。

時計はまだお昼を少し過ぎたばかり。
市街地に向かってコスモタイガーの足は快調に進んでいる。

※後編に続く。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~暗峠越奈良街道編(2)~後編

2021-08-03 | 暗峠越奈良街道run!!

右斜めには、さっき「箱殿」で合流したばかりの国道308が分岐。
旧街道は真っすぐ進む狭い道。

奈良街道はここからは全く別の姿となり、高度を上げていくんだね。
まさに長かった序章が一転、一気にクライマックスを迎えるのが奈良街道の魅力なのだ。

500mほど進めば、すでに市街地の雰囲気はなく、かつての街道らしさを偲ばせる。

そしてここで右折。
次の角にあるのが「子安地蔵尊」。

ここで左折し、「箱殿東」で別れた国道308と再合流。
国道といっても、車がすれ違うのがやっとの登り坂。

近鉄奈良線のガードを潜れば、ますます傾斜は激しくなり、こんなところが国道なのか?と思ってしまう。


この国308は、旧街道フリークだけじゃなく、酷道ファンにも有名な道だからね。
電柱見ると、間違いなく国道であることを認識できる。

道はさらに狭くなり、車1台が恐る恐るやっと通れる程度。
しかも物凄い坂道とヘアピンカーブ。

行政区域的にはまだ東大阪市なわけなんだけど、もう完全に山の中。
法照寺、なんて名刹もあり、その裏はもはや小さな滝?簡易ダム?状態。

終わることのない登り坂。
両側は山深き森の中。

さすがに足が動かなくなってきた。
悲しいな。
いくら登りが苦手とはいえ、それでもこの足で、東海道も中山道も走ってきた。
鳥居峠、和田峠、碓氷峠も駆けてきた。

50を超えたおじさんランナーになった今、こういう起伏にめっきり弱くなったなぁ。
途中からは歩くのとたいして変わらない状態で、情けない。

ヘロヘロになり、左手に見えてきたのが「観音寺」の石碑。
もっともこれは参詣者用駐車場(というよりただの広場?)で、お寺は右側の一段下がったところにひっそりと佇んでいる。

そしてここからまた延々と山登り…。

こりゃもう、酷道としか言いようがない。

歩くのに毛の生えたような走りで着いたのが、鎌倉時代にはすでにあったとされる卒塔婆と弘法水。

古くから伝わる湧き水で、きっとこの登りでコスモタイガーのようにヘロヘロになった旅人たちの喉を潤してきたんだね。
もっとも現代では飲料不可だから、あらかじめ買っておいたペットボトルのお茶飲むしかないんだけど。

さらに苦しむこと10分。
空が広くなり、民家が沿道沿いにチラホラ見えてきた。

急に緩やかになり、右手に矢田山出迎地蔵尊、というらしい祠が建つ。
足元は石畳に。

着いた!やっと着いた!!
ここが標高455m、暗峠の頂上だ!

大阪府(東大阪市)と奈良県(生駒市)の境界を示す看板が「お疲れさん」と出迎えてくれる。

そして奈良県側にある茶屋の前。
振り返ればそこは、パンフレットや様々なHP等で見たことのある、あの構図だよ。(冒頭写真

酷道ブームの影響なのか?こんな狭い道に、バイクツーリングする人たちやドライブする若者グループがチラホラと休んでたりシャメしてたりする。
50過ぎのおじさんが汗ダクダクになってる様は、少々かっこ悪いなぁ…。

ここからは下りなんだけどね。
信貴生駒スカイラインの下を急坂を落ちるように潜る。
あまりの狭さとカーブのため、1.8m以上のロングボディー車は通行禁止の看板が立つ。

100m弱下ったところの左側民家の庭にあるのが「本陣跡」の石柱。

そしてここから望む奈良盆地の風景!

この風景と頂上の懐かしい光景がセットになれば、若者受けする理由がわかる気もする。

ここでYの字に分岐しており、国308は右ながら、街道は左で一瞬だけおさらばするけど、100mもしないうちにまた合流。
あとは当分1本道だから、ベースアップして一気に下る。

昔は下りが得意だったなぁ。
中山道も鳥居峠なんかはかなりのペースで下った記憶があるものの(※旧中山道編20参照)、膝痛を抱えつつある今となっては、そこまでの快走は見込めそうにない。

黙々と下って10分少々。
案内板もなく不安になるが、名もなき?お地蔵さんを発見し、旧街道らしき風景にホッとする。

さらに下ると再びY字型分岐。

何と!ここは狭いほうの鬱蒼とした右の道が正解!
鎖がかかり、車は通行禁止。
国道308の標識(通称おにぎり)がなければ怖気づいてしまう。

まぁね、国道は単に「国が管理する道」であって、車の通行を保証するものではないからね。
全国に目を移せば、青森県には階段国道(339号)もあるし、鳥羽と伊良湖を結ぶ国道42号は船でしか渡れないし。

この狭い道沿いに藤尾阿弥陀堂というお堂が安置され、間違いなく街道であることを教えてくれる。
さぁ、少しづつ人家が見えてきて、クライマックスの終焉を告げている。
それでも延々と続く下り坂は健在で、前方に遠かった奈良市街地の遠景も随分近づいたようだ。

道が広くなり、左手に池が見えてきた。
家並みも増え、次のY字路は左へ。
これまた違った意味での街道らしい風景になった。
前方にはくそ暑い中、地元のランナーがゆっくり走っている。(人のこと言えんけど…)

暗峠の案内板は不足してるけど、国308を走ってれば間違いないから、迷うことはない。

生駒南小学校の前を通れば、まもなく「小瀬町西」の交差点は、久しぶりの信号だ。
交わる広い道は、国道168号ね。

竜田川を渡れば、そこに近鉄生駒線の南生駒駅がある。
とはいえ、改札口は残念ながら線路の反対側、東口にしかないらしい。

まだ時刻は14時過ぎだけど、暑い中結構走ったし、何より峠越えたからね~。
でも数字上は恐らく13~14㎞かな…。

奈良県に入ったとはいえ、完全に大阪の通勤圏。
これぐらいならまたすぐ来れるしね。

ってことで、奈良街道はもうしばらく国308と一体になってるんだけど、本日はここでコースアウト。
踏切を渡り、南生駒駅東口ロータリー?をゴールとする。

残念ながらビール売ってそうなコンビニも見当たらないからさっさと帰りましょう。
旅情を求めようとすれば、王子行に乗って大和路線で…なんて方法もちらつくけどさ。

オーソドックスに生駒駅に出て、けいはんな線→大阪メトロで帰るとしましょうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~暗峠越奈良街道編(2)~前編

2021-06-18 | 暗峠越奈良街道run!!

★関西ネタです!

【2018年7月某日】

近いって素晴らしい!
前回から約1週間後の土曜日午前11時過ぎ。
大阪メトロ(地下鉄)と近鉄けいはんな線を乗継、再びコスモタイガーは吉田駅に降り立った。(冒頭写真

さして特筆するような駅でもないからね、サッサとトレーニング開始しましょ。
でも暑いな!
開始早々、すでにじっとりとした汗。

前回の逆、南下して10分もたたぬうちに、はい、前回のゴール地点、花園図書館前ね。

少し涼んでいきたい気持ちもあるけどさ、それじゃここで一日読書して終わってしまいそう。

ここからが旧奈良街道ね。
前回同様、府道702が旅のお供です♪

最初の信号、「花園ラグビー場前」の交差点。
そこから奈良街道が左に分岐することは、街道を走り(歩き)慣れた人ならすぐに判別できる。


もちろんこの左の道を行くわけなんだけど。
やっぱりここまで来た以上はね。
道路反対側にある広大な「花園中央公園」に寄り道しないとね。

花園中央公園は、要するに東大阪市立の都市公園。
親子で遊べる遊具もあるし、野球場・陸上競技場なども揃う総合公園。
もっとも有名なのがラグビー場で、ラガーマンたちの聖地になっているというわけ。

まぁ名古屋市民的には、瑞穂公園の中に瑞穂ラグビー場があるようなものだけど。
こっちの方が完全に車をシャットアウトしてるからノビノビできるイメージはあるかな。

ちょいと脱線だけど、折角だからね、綺麗な公園の中をのんびりジョグ。
まずはミーハー根性丸出しで、ラグビー場。

我々の年代だと、あの名作ドラマ、「スクールウォーズ」を思い出すよなぁ~。
劇中では「川浜高校」、実在の伏見工業を扱った感動の物語。

で、次。
やっぱりチェックしちゃうよね、陸上競技場。

なかなか立派なトラックだ!
最近流行り?の青のタータン。
地元愛知だと、豊橋の競技場を思い出す。

日本庭園もあり、小川のせせらぎに癒される。
親子連れ何組かが遊ぶ児童公園ものんびり通過、反時計回りで元の場所(花園ラグビー場前交差点)に戻れば、約20分ほどの公園runとなった。

奈良街道runに戻りましょう。
交差点から斜めの道を行けば、ここからは街道らしい道が見事に続いている。

道なりに左折すると、正面に小学校があって、街道は90度右へ折れる。
この地点にあるのが、松原宿跡の碑。


奈良街道唯一の宿場町として栄えたらしく、今も古い史跡が点在しているが、残念ながら宿場そのものは残っていないようだ。

またすぐに左折すれば南横町地蔵尊、なんてのがあって、そこからさらに100mほどでまたお地蔵さん。
「松原観音堂」というらしく、今も千羽鶴が奉納され、地域の方に厚い信仰が根付いていることを物語る。


50mほど先の次の角に古い道標があり、「右いせなら道」とある。


手元の時計は、ちょうど正午を指している。
暑いけど、曇ってるだけマシかな?
道標のとおり、右折ね。

200mほどで道なりに左折して、すぐに右へ。
これは枡形かな?

しばらくは直線。
町工場らしきところで行き止まりになるけど、ここも枡形なのか?
いったん右折してまた左折し、再び直線。
この工場の脇にも名もなきお地蔵さんが安置されてたりして、旧街道がうまく溶け込んでるよね。

立派な幹線道路を歩道橋で渡る。
大阪外環状線、要するに国道170ね。
一瞬、現代に還った気持ちになる。

しばらく道なりに直進すると、やがて右斜めにいかにも旧街道らしいカーブで、正面に立派な門構えのお屋敷。
視線を左に移せば、そこにあるのは宝箱地蔵尊。

こりゃまた意味深な名称だな。
開けたらおじいさんになってしまいそうだ。

その先で府道20=旧国道170にぶつかって、いったん府道702と合流。
交差点名が「箱殿」ってのは、さっきの宝箱と繋がっているのかな?

その次の交差点、「箱殿東」は変則の5叉路。

実はここ、旧奈良街道と旧東高野街道の交差点という重要な場所で、かつての道標と地蔵尊が残されている。


奈良街道は真っすぐ東へ進むけど、ここからまたまた道は狭くなる。
そして、いよいよ!!

ここからなんだよね、上り坂。
ここから「暗峠」を目指して少しづつ登っていく。
まさしく、「The!暗峠越奈良街道」ともいうべきクライマックスはここからなのだ。

(後編に続く)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~暗峠越奈良街道編(1)~後編

2021-04-23 | 暗峠越奈良街道run!!

そのまま府道702を東へ。
沿道には道標も丁寧に設置されている。(冒頭写真

「布施柳通」の交差点だ。
ここに奈良街道を偲ぶ句碑が建てられていて、道標代わりになっている。

この句碑に従って伸びるうねり道を迷わず選択。

左手に児童公園が目印で、その先の十字路は枡形だったのかな?
いったん右折し、すぐに左折。
再び旧街道らしい道が続く。

約300m。
高井田地蔵尊。
さらにその先に、西岸地蔵尊。


それにしても東大阪市に入ってからは、旧街道らしい史跡が何気なく残っている。
交通量の多い府道702の1本北、というだけなのに。

小阪北口という交差点で、再び相方?の府道702と合流。
というより、ここでいったん消失する、という方が正解かな?

そのまま府道を100m少々、左手に某電話会社の北布施ビルが建つ。
この真ん前の歩道橋を渡りきって降りたところから旧街道は復活!
左(西)へくねくね続く道だからね、すぐにピンと来る。

ここから先しばらく、これといった目印はないけれど、街道らしいカーブの道が続き、懐かしさを残す風景が続いている。
御厨西の信号で府道702を斜めに横切り、そのまま道なりに進む。

やがて左手にこじんまりとした祠に納められているのは、御厨地蔵尊。
正面には御厨行者堂もあり、この一角だけがタイムスリップした雰囲気だ。

実はここから西方約100mには、天神社という、創建不詳の古刹もあるようだけど、トレーニングだからね♡
先を急ぐとしよう。

で、奈良街道自体はこの行者堂を正面に見て右折。
というより、道自体右折してるから迷いようがないけど。

今度は右手。
明らかに他と違う古い豪邸は、東大阪市指定文化財「植田家住宅」。
トレーニングでなければゆっくり拝見していきたいところ。

こんな町中によくぞ残ってたなぁと感心するぐらい、奈良街道は続いている。
第二寝屋川を小さな橋で越え、そのまま道なりに快走すれば、壱岐部小学校前という交差点で再度府道702に合流。

しばらくは府道run。
やがて南北に走る大幹線、府道2号線と交わる。
頭上は阪神高速だ。

それにしても南1km弱のところに近鉄奈良線、北も1km弱のところに近鉄けいはんな線が並走し、奈良街道(または府道702)はよりによって鉄道空白地帯を選ぶように走っている。
しばらくこんな状態が続くんだよね。

600mほど府道702を走れば、奈良街道は右斜めに分岐する。
その先の十字路の片隅に、古い道標が残されている。


さらに200mほどで、道開地蔵。
ほんとにこの辺はお地蔵さんが多く残されているんだよね。

再び府道702に出て、ここを斜めに横断する。(信号ないから迂回してネ)
そのまままっすぐ行ってしまいそうだけど、ここはステーキ屋さんの駐車場に沿って左の道を選択するのが正解。

すぐに街道名物?の公民館を過ぎて十字路を右折。
変則枡形といった感じだ。

「菱江北」の信号で府道21号を横断。
しばらくして右に現れるのが「もちの木地蔵尊」。


さっきの交差点名にある通り、この辺りは古くは菱江村。
街道の旅人だけじゃなく、きっと村人たちに厚く信仰されていたんだね。

さぁ、今日のラストは近い。
またまた府道702に合流すれば、とりあえず今日はこの府道を走るだけだ。

約800m。
東大阪市立花園図書館前に到着!


目の前の交差点は、「花園ラグビー場西」!
あのラグビーの聖地は、目と鼻の先だ。

完全にラグビー場だけが超有名になってるけど、ホントは「花園中央公園」といって、子供も遊べるアスレチックスや遊具もあるし、野球場や陸上競技場もある広大な公園だ。
公園の施設の1つとして、ラグビー場があるだけなんだけどね。

この公園を楽しんで、少し距離を稼ごう、なんて思いもあったんだけどね。
まだ12時にもなってないけれど、暑くて疲れたからね。
それは次回にまわすとしましょうか。

それに図書館なら、休憩&情報収集にはもってこいの場所だ。
ってことで少し短め(13~14km)だけど、ここをゴールとしよう。

図書館で少し読書しながら休憩。
さぁ、帰りましょ!

でもここ、ちょっと中途半端な場所なんだよね。
約1km南下すれば、近鉄奈良線東花園駅。
逆に約1km北上すれば、近鉄けいはんな線の吉田駅。

並走する2つの路線の中間なんだよね~。
ラグビーで鍛え上げた若き高校生諸君にとっては散歩にもならない距離なんだろうけど、走った後のおじさんには長く感じるなぁ…。

どっちのルートでも構わないんだけど、せっかくなら乗ったことないけいはんな線で帰ろうかな。
ってことで吉田駅を選択。
長田駅でそのまま大阪メトロに乗り入れてるから便利だし。

14時前には社宅に到着。
社宅スタートだったから、金銭的にも時間的にも嬉しいな。
溜まったブルーレイでも見ながらのんびり過ごすとしましょうか。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする