自宅から名古屋市営バスに乗り、「原」駅で市営地下鉄鶴舞線に乗換。
そのまま相互乗り入れしている名鉄犬山線に入り、「岩倉」駅下車。
1週間経ち、再び岩倉駅前に立つコスモタイガーなのだ。
すでに夕刻近く、15時半を回ろうとしている。
約1週間後に今年のメインと位置づけたフルマラソン(泉州国際市民マラソン)を控えているため、すでに調整の段階で、本格的なロング走を行う時期ではない。
また、ここの所何かと忙しく、丸一日空けることも、スケジュール的に厳しい。
ということで、2週続けての岩倉街道なのだ。
まぁ、岩倉街道なら、何か用事済ませた後でも、こうして気楽に走れるからね。
駅前を直進すること約300m。
前回コースアウトした「神明生田神社」。
ここから前回の続きってことで、さぁ、今日のトレーニングスタート!!
すぐに道が升形になっていて、左・右とカーブ。
思いっきり旧街道の雰囲気だ!
中本町の信号を直進すると、左手にこれまた随分と立派な神社。
「神明大一社」ということらしい。
岩倉市のほぽ中心を走ってるんだけど、良いねぇ、岩倉市。
街道オーラを残しつつ、町が発展した感じだ。
突き当たりに「光照寺」。
ここを左折。
手元の資料に寄れば、さらに100mほど進んだすぐの道を右折することになっているけれど…。
自分のカンを頼りに、ここはこのまま直進。
右にある松栄寺を見て、すぐに右折。
確信ないけど、たぶん升形だったのかな?
すぐに左手、證法寺。
こっちの方が確実に旧街道っぽいんだけどなぁ。
それに地図に掲載されている住所(あるいは字名)が、「こっちが旧街道だよ」と囁いている気がする。
この道を境にして、左が南廻間、右が東廻間、になっているようだし。
さらに道なりに進み、県道25、国道155号を横断。
やがて右手やや奥に「覚順寺」。
ここも字名は、道の左が「往還西」、右が「往還東」。
「往還」とは、当然岩倉街道のことを指しているんだろうから、ここが旧街道だと確信する。
右手に「石仏」駅図見えてくると、すぐに旧街道は「名神高速道路」の高架をくぐる。
「石仏駅北」の信号もそのまま直進。
ここからは再び県道157に合流。
そのまま、というか、いつの間に、というべきか、道なりに走ってると、行政区域は岩倉市から江南市になったらしい。
県道157は、ほぼ完全に車仕様になっていて、旧街道らしさは偲ぶべくもないけれど。
「小折」の交差点を過ぎたすぐのところ、足元にひっそりと、道標が残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/13/b71b4d6029e17fbd929663dd2ba468f6.jpg)
100mほど進むとJAがあり、その後方から左に分岐する狭い道が伸びている。
これ、岩倉街道やね、間違いない!
すぐに御嶽神社があり、ここで案内板に従い、寄り道ということで、左折。
県道172の信号を渡った先に、市立の布袋保育園がある。
実はここが「小折城跡」。
別名「生駒屋敷跡」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/31/6108db5612ed6cc457c948837081000a.jpg)
名前のとおり、織田家の有力家臣、生駒氏の居城跡だ。
その生駒氏の名が知られているのは、何と言っても、織田信長が最も愛した側室とされる、吉乃さん(吉乃の方)が生駒氏の出身ということ。
吉乃の方様は、嫡男信忠、次男信雄を出産。(他に姫を一人)
信長の寵愛を受け、その影響力は、子供のできなかった正室濃姫を凌駕していたとされる。
さぁ、再び旧街道に戻り、先へ進もう。
御嶽神社から約200m。
正面には「般若寺」。
1391(明応2)年の創建という古刹。
当時からここが道、つまり街道であったことの証左やね。
ここは升形になっていて、右に行ったらすぐ左。
そのまま進むと、すぐに国道155号にぶちあたる。
ここで旧街道はどうやら消失しているようだ。
仕方なく、右折してすぐの交差点。
「南山町」の名が付いている。
100mほど先、2本目の狭い道を左に入ると、また100mほどで、右へ行くくねくね道が・・・。
たぶんこれが旧街道だ。
地図上でも、さっきの国道155号とぶつかった道の延長線になっている。
もっとも「復活」するのはごくわずか。
400m先のT字路で終了。
再び右折して、県道157に舞い戻る。
東海道や中山道と違って資料が少ないんだよね。
だから、ある程度の推理を駆使して、オリエンテーション感覚で楽しむのが、「脇街道の走り方」なのだ、
でも神社とか、お寺、そして昔から地域の人に利用されている公民館(寄合所)などを辿っていけば、そんなに大幅に外れることはない。
これも旧街道runの蓄積された経験からはじき出されるのさ。
そして舞い戻った地点に津島神社があり、ここもかつての街道だったことが推測できる。
しばらくは直進。
地味な県道runながら、右側に地蔵寺。
そこから100mほど進み、何の目印もないけれど、直感で右折。
すぐに左折して、そのまま進んで県道157を横断すると、「朝熊神社」の脇を通り抜け、若宮八幡宮の前に出る。
その若宮八幡の裏手から、くねくねっとした感じで右へ細い道が分岐している。
旧街道オーラ満載!
迷わず足を踏み入れる。
かつてはこの八幡社の境内を素通りしていたのかもしれないね。
「力長北」の交差点を過ぎたところでいったん県道157に合流するものの、次の「前野南」で再び左側に古道らしき細道を迷わず選択。
200mほど先で、街道はそのまま直進だけど、ちょっと寄り道。
左折して、最初の信号で県道179に出る。
ここを左に折れ、さらに少し裏道に入ると、「旧前野家住宅」。
前野家は、織田・豊臣・徳川に仕えた名門一族。
現在もその家系は、連綿と続いている。
旧街道に戻り、さっきの道をそのまま進むと、大きな工場に遮られて終了。
「オークマ」の江南工場とのことで、旧街道は本来直進していたんだね。
現在はこの工場により、消失したことは間違いない。
仕方なくそのまま道なりに右折し、すぐに広い道(県道157の延長」に出る。
工場に挟まれて単調だけど、ここはもう道なりに進むしかない。
工場を過ぎた辺りからは、恐らくこの道がそのまま旧街道になってるんだろうな。
わずかばかりのうねりを感じる。
「柏森」駅前を通過。
駅から最初の信号が「柏森西屋敷」、
何となくごちゃごちやした感じの交差点。
でもここがかつての高札場の跡らしい。
そしてこの道は、そのまま県道159、ということになる。
そのまま古い商店街のイメージの街を直進、「柏森辻田」の交差点。
県道159としては左折だけど…。
コスモタイガーはそのまま直進。
すぐに左斜めに分岐する細い道が、岩倉街道やね。
300mほど進んだところで、扶桑(ふそう)中学校に行く手を阻まれて行き止まり。
かつての岩倉街道は、このまま直進していたんだろうけれど、現在は中学校の運動場に化けてしまったようだ。
仕方なく右折し、すぐにさっきまで走ってた広い車道に出る。
「高木白山前」の信号に出た。
恐らく旧街道は、中学校の敷地を突き抜けたのち、この辺りに出てきたんだろうと推測。
現在は、街道の面影はない。
いつの間にか、名鉄線が右に寄り添っている。
そのまま名鉄の線路に沿って走ること、約400m。
「扶桑」駅のロータリーに出た。(冒頭写真)
便利だから、本日はここをゴール!
街道だけで12~13km、実走はもう少し長く、14~15kmってところかな?
陽も随分と西に傾いている。
帰ろうっと!
そういえば前回も今回も、切符を買ってない。
改札では手元のユリカを通してただけだから、それ自体、いかにも「地元ウロウロ」感なんだよね。
それはそうと、このユリカに代わる、非接触型ICカード(manaca)が、発売されたばかり。
アナログ人間だから、まだそのメリットにピンと来ないけれど、近いうちに変更しないとなぁ…。
などと思いつつ、帰路につくコスモタイガーであった。
(※そのmanacaをこの直後に購入、現在は毎日普通に利用しています。東京大阪等国内各地で利用できる他、コンビニ等での買い物もでき、便利なのは言うまでもありません)