cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(1)

2012-06-28 | 旧美濃路run!!

え?突然どーしちゃったの?美濃路?東海道は?
まぁ、ぶっちゃけ、金欠ってのも確かにあるけど・・・。

2007年5月の、とある平日。
業務の都合で昨日は宿泊となり、今日は午前中で終了。
まっすぐ帰るのも勿体無く、かといって、もはや東海道は半日では無理な状況。
それに、数日前まで風邪をひいていたため、体調も万全ではないから、近場で気軽に走りたい気持ちもあったりする。
そこで思いついたのが美濃路。

そもそも美濃路って何?って話だけど。
東海道編(5)や(9)でも少しだけ触れているが、美濃路は美濃街道と称することもあり、宮宿のほうろく地蔵追分から分岐し、名古屋城下、大垣を経由し、中山道の垂井宿を結ぶ脇街道だ。
現代表記で約57km、宿数は7次。(起点の宮宿と終点の垂井宿を除く)

七里の渡しは、海さえ穏やかなら近くて速いものの、海が荒れて足止めされたり、船酔いの心配もあった上、水難事故も度々あったらしい。

その点、美濃路は、遠回りになるとはいえ、峠越えや大きな難所もなく、比較的予定通りの移動が保障されるため、人気の高いルートであったらしい。

関が原の合戦の際、勝利した徳川家康が利用したのもこのルートのため、縁起の良い道として「吉例街道」とも呼ばれ、江戸幕府も五街道に準じて重視し、整備に力を入れた街道の1つである。
現代、東海道本線や名鉄名古屋本線が美濃路に近いルートを辿っていることからも、その重要性が理解できる。

そんなわけで、過度の起伏もなく、並行する交通アクセスにも恵まれているため、歩かれる方も多いようで、ガイドブックやHPなどで詳細な情報も得られやすい。
初心者向き?で、気軽に走れる(歩ける)旧街道の1つではある。

ロッカーで着替え、遅めの昼食を済ませた後、名鉄の堀田駅に出る。
ほうろく地蔵なら地下鉄伝馬町駅が最寄駅なんだけど、堀田駅からスタートし、東海道を経由して美濃路に入ることにした。

ほうろく地蔵追分を右折。
ここからいよいよ美濃路だけど、単なる街中で、感慨は何も無い。
すぐに幅広くなっている国1に出て、歩道橋を渡り、先ほどの道を直進する形で進むと、正面に超有名な熱田神宮だね。
ちなみにこの歩道橋は、交差点4箇所全てが渡れるようになっているから、すぐ判るけど、まさしくここは現代でも「追分」になっている。
東西に走る国道1号、国道19号は北へ、国道247号は南へ、それぞれここが起点となっている。

神宮には寄らず、左折すると、再び片側4車線(だったかな?)の大幹線に出る。
今度は国道19号、名古屋市民的には伏見通やね。

この伏見通こそ、旧美濃路そのものなんだけど、主な史跡は道の左側(西側)に集中しているから、さっきの歩道橋にいったん戻って渡っておいた方が良い。

こんな広い大幹線が、旧美濃路とは、信じられないけれど、走っていくと確かにらしき痕跡?ともいえる神社やお寺などが多いことに気付く。
いくつかある中でも最も気になるのが、誓願寺。
鎌倉幕府の祖、源頼朝公誕生の地なんだよね。

織田信長や豊臣秀吉ばかりが有名で、(しかも何故か三河出身の徳川家康を入れて「三英傑」なんて呼んでるけど・・・)意外に知られていないけれど、源頼朝はバリバリの名古屋人。
お母さんの由良御前※が熱田神宮の大宮司の娘さんだったからね。
(※2012年現在、大河ドラマ「平清盛」にて田中麗奈さん熱演中)
実際の由良御前や頼朝さんは、「どえりゃ~うみゃ~」なんて会話してたのかも?

さらに行くと熱田球場があり、すぐ隣のこんもりした山が断夫山古墳。
東海地区最大の前方後円墳で、旧美濃路よりもさらにずーっと昔の史跡だけど、その頃から人々がこの辺りで生活していた証だ。

ちょっと街道からは外れるけど、「新尾頭」の交差点を右折して100mほどのところに、「金山神社」がある。
何の変哲も無い小さな神社だけど、この辺りの「金山」という地名の由来となっている。

再び伏見通に戻って、左側の歩道を走ると、次の信号が「金山追分」だ。
道路の反対側に大きなホテル(グランコート名古屋&名古屋ボストン美術館)。
良く見ると、目の前に古い道標がある。
左折するのが佐屋街道で、美濃路はそのままさらに伏見通を走る。

この辺りで右側(東側)の歩道に渡っておこう。
で、よーく観察しながら走ってると、花壇の中に木製の小さな札が建ててあり、「古渡一里塚跡」と書いてある。(上写真)
これは中々探せないよ~。

「古渡町」の交差点を過ぎてすぐ、右斜めに分岐する道が旧美濃路。
大須商店街を横切ると、大須観音が近いけど、残念ながら街道からは少し外れている。

若宮大通りに差し掛かると、左前方に白川公園がある。
名古屋市民なら馴染みあるところで、公園内には名古屋市科学館・同美術館があるね。

そのまま直進すると、名古屋の東西の大幹線、広小路通に交わり、右側に三菱東京UFJ銀行名古屋営業部。
と言われてもやっぱり名古屋人の俺にはピンとこないんだよな~。
要するにかつての東海銀行本店!
貨幣資料館(入館無料)が併設されており、以前見学した際、東海道53次の浮世絵が展示され、意外に面白かった記憶がある。

さて、夕暮れも近そうだし、体調がまだ万全でないため、実走距離はまだ8km前後かと思うけど、この辺りで自重しておこうか。

広小路通に沿って徒歩7~8分、地下鉄伏見駅は近い。


※2014.6.20追記。
地図を作成しました。(ここをクリック)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(13)

2012-06-22 | 旧東海道run!!

やっぱり良いねぇ~、内部線♪
今日も近鉄名古屋本線から内部線を乗継ぎ、またまた内部駅に立っているコスモタイガー。

この内部駅が内部線の終着駅。
ということは、ここで線路は途絶えるわけで、しばらくの間、旧東海道は、事実上、鉄道空白地帯となるけれど、トレーニング的には良いプレッシャーかもしれない。
もっとも、国1に沿う形で三重交通のバスが2時間に1本程度の頻度であるらしいけれど。

駅前の郵便局の前の道を行く。
しばらくして川(内部川というらしい)にぶち当たり、行き止まり。
国1に出て内部橋を渡る。

渡ってすぐ、東海道っぽい案内標示があり、「平成内部の一里塚」なる表示がある。
矢印の通り、右折して一里塚に到着。
ただの広場?みたいで、肝心の一里塚はどこにも無い。
ただここに一里塚があるということは、これが東海道と信じて、前の道をそのまま走る。
1キロ近く進んだがどうもおかしい。
全然街道らしくなく、どう見ても新しい普通の道だ。
周囲の地名等を確認するとやはり違うような気がする。
ということで、内部橋まで再び戻る。

トイレも行きたいし、地図で再度確認したいと思い、国1の反対側に見えるマックスバリューを目指すそうと思うが、横断歩道も無いため、内部橋もさらに戻って、堤防沿いの道から迂回してようやく国1の反対に回り込めた。
さぁ、とりあえずマックスバリュー。
と思ったらその途中にあった!
旧東海道を示す小さな案内板。
このマックスバリューの前を行く道こそ、旧東海道だったのだ。

じゃー、あの「平成内部の一里塚」は何だったの?
全然東海道に沿ってねぇし。
よく考えりゃ、位置関係的にもこんなところに一里塚があるわけねぇし。

釈然としないまま、そのまま進み、すぐに激しい坂(杖衝坂)を駆け上がる。

納得できず、帰宅後調べてみると、やはり惑わされている方もおられるようだ。
要するにこの辺りの地域のコミュニケーションの場兼歩行者用の休憩所として整備されたらしく、旧東海道とは何の関係も無い施設らしい。

それにしても「なんちゃって一里塚」を国道1号からも見えるように案内し、肝心の旧東海道の案内板は国1を渡らないと発見できないとは・・・。
しかも横断歩道もないし、ちょっとこの辺り、何かが違う気がする。

そのまま旧道っぽい道を進むと再び国1に合流、すぐに反対側にガソリンスタンドがあって、そこに「采女一里塚跡」の碑が遠目に見えるが、ここも横断歩道がなく、反対側に行く手段が無い。
(どうしても渡ろうとすると、国1を500mほど西に進み、「采女南」の交差点を渡って戻ってくるしかない)

この辺り、国1以外はそれなりに旧道の面影もあり、史跡も残っているし、緑も多く、雰囲気は悪くないんだけど、旧東海道に対する思い入れがあまり無い気がして、本当に残念だな。

「采女南」を過ぎ、さらに500mほどで左に分岐するのが旧東海道で、ここで四日市市から鈴鹿市に。
国1に再び合流して、信号で反対側(右側)に渡っておく。
再び右に分岐するのが旧東海道。
そして石薬師宿が始まる。

閑静な佇まいの住宅が並び、やがて右側に小沢本陣址がある。
すぐ南側に佐々木信綱記念館。
佐々木信綱って誰?
まったくの初耳だが、石薬師出身で明治から大正にかけて活躍した歌人らしい。
ささきいさおの歌なら大好きだけどね(爆)(さらば~地球よ~♪)
(↑ってか「歌」の意味違うだろ~!)
というわけで、申し訳ないが記念館、興味ないからパス。

道なりに進むと宿場名の由来となった、石薬師寺を右に見て、やがて宅地の切れ目みたいなところで小さな川を渡って、石薬師一里塚。

で、ここで旧東海道は消失する。
正確にはこのまま直進する道らしいが、久々に巡り合うJR線にすぐに阻まれ、行き止まり。
仕方なく左折してJR線をくぐって右折。
国1に出てそのまま進むのが無難らしい。

と書けば簡単なんだけど、コスモタイガー、極力忠実に東海道をたどろうと一里塚を直進し、その上、どうせ消失してるなら、この辺りの町並みを堪能しよう、とか、変な色気を出してしまい、気付いたら大きくコースアウトして加佐登(かさど)集落の中心に出て、ウロウロするはめになってしまった。
(ただこの加佐登地区、なかなか歴史を感じさせる佇まいで、意外にも楽しく走れた。)

結局元に戻って国1を進み、「庄野町北」の信号で右折すると、すぐに庄野宿の入口に到着する。
ここには丁寧な案内板が立っているからすぐ分かるけれど、ここに辿り着くまでの案内が不足している気がする。

宿場町を走って約200m、庄野宿資料館(旧小林家住宅)に到着。(上写真
ここをゴールにして、見学したかったけど、すでに閉館していたから仕方ないね。
今日は道に迷いすぎて、少々疲れた。
予定ではもっと先まで考えていたけれど、日も傾きかけ、時間的にもちょっと厳しい。

鈴鹿川を渡って2kmほど走り、近鉄鈴鹿線平田町駅に出る方法もそそられるが、また迷うのも嫌だしね。
ということで、戻る形になるけど、500mほど道なりに北上し、JR関西本線加佐登駅まで走ってゴールとした。

先ほど迷いこんだ加佐登集落の中心駅。
駅前にはコンビニも何も無いが、飾り気の無いのどかな駅で、癒された気がする。
直線的には10kmあるかないかだと思うけど、かなりド派手に(しかも2回も)迷ったから、疲れたなぁ。
15~16kmは走ってるかな?
距離以上に疲労感を感じつつ、さすがに今日は弥富で下りるなんて色気も起きず、そのまま名古屋駅経由で帰宅したのであった。



※2014.6.6追記 本記事の地図を作成しました。(ここをクリック)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(12)

2012-06-18 | 旧東海道run!!

「もうこの辺で終わりにしよう」と何度も思いつつ、やっぱり時間がたつと好奇心が勝ってしまい、困った性格だね俺も。

というわけで、晴れ渡る空、若干の暑さを感じつつ、コスモタイガーは再びJR高塚駅に降り立ったのであった。
今日は政令指定都市になったばかりの浜松市の中心部を通り抜けるルートのため、鄙びた感はまったく期待してないけれど、街の賑やかな「顔」が見られることは別の楽しみではある。

で、高塚駅からすぐ、国道257号(旧東海道)に出て、東に進む。
とりたてて特徴の無い住宅街が続く中、二ツ御堂や若林一里塚跡など、それなりの史跡もあって気分転換にはなる。

新幹線の高架をくぐり、「西浅田北」の交差点へ。
走りやすいからついそのまま国道257号を突っ走ってしまいそうで、ネット等では多くの方が間違えているようだ。
実際コスモタイガーも事前にリサーチしていたはずなのに、間違えてしまい、あわてて逆走して戻ってきた地点だ。

「西浅田北」から国道257号を進むのは良いが、すぐの道を左折し、東海道本線の高架をくぐるのが正規の東海道。
そのまま進むと「菅原町」の交差点に出る。
で、一番広い道(県道62号雄踏街道)を東に進み、「成子」の交差点で再び国257に巡り合う。
左折してそのまま国257を進むわけだね。

百貨店のような大きな建物が右に見えると「伝馬町」。
どっかで聞いたような名前だけど、全国各地の城下町によく見られる町名だ。
簡単に云えば、城主が手紙を出したり物を運んだりするための馬を置いておく町を指している。

ここからが浜松宿の中心になる。
浜松は若かりし徳川家康が過ごした由緒ある城下町であると同時に、宿場町としても大きく発展した。
本陣6軒は、東海道最多を誇る。
目の前の旧東海道は、現在は大手通と呼ばれているらしく、まさに浜松市のメインストリートと思われるが、その左右の歩道には「川口本陣跡」「杉浦本陣跡」「佐藤本陣跡」などの案内板もあり、歴史に興味ある人にとっては楽しいストリートランとなる。

今日はお祭り?あるいは祭りの予行演習?でもあったのか、あちこちに山車が出ている。
普段見られない山車を街中で見られるのはラッキーだけど、それを見に来ている観客もいて、かなりの人手だ。

「連尺」という交差点に出る。
そのまま直進すると市役所や浜松城に出るわけで、特に浜松城は見たい気持ちが強いけど、そこだけで終わってしまいそうな気配なので、やむなくパスする。
右折して、国道152号を行くのが旧東海道。

しばらくはこの道をずーっと走るだけ。
途中、遠州鉄道の高架をくぐり、右側には「アクトタワー」と云うらしい高層ビルが見える。
(あとで調べたら45階建てらしい)
この辺り、いわゆる再開発というやつで、道路も広く、旧街道らしさは皆無に近い。

旧東海道が街のど真ん中を突っ切っている上、太平洋戦争時の空襲で、中心部が壊滅的な被害を受けた浜松市。
街道らしさを望むのは酷な話だ。

そうは言っても、この道が東海道であることは間違いなく、とにかく進むと、「子安」の交差点。
国152は、左斜めに行くけれど、そのまま直進する。(県道312号)
この辺りからちょっとだけ静かな雰囲気も出てきた。

「天龍川駅入口」という交差点に出る。
ここを右折して、天竜川駅をゴールすることも考えていたけれど、まだ全然余裕あるし、この道は遠鉄バスが多く走っていることは走りながらチェックしており、予定変更。
遠鉄バスにも乗ってみたい。

やがて国1浜松バイパスをくぐり、そのまま進むと、「薬新町」というバス停があり、すぐに道が二手に分岐する。
左の道がメインらしく、バスもこちら側を通るようだが、東海道は右の静かな道の方だ。(県道344号)

で、分岐点からホントにすぐの地点、左のフェンス際に小さく「安間一里塚跡」の碑(というより柱?)が建っていた。

時間的にも体力的にもこのまま先へ行く余裕はまだまだあるけれど、ここならバス停も近いし、天竜川の手前と云う事で1つの区切りとしたい、と思い、ここでゴールとした。

実走距離13~14kmぐらいかな?
「薬新町」バス停まで歩いて戻る。
浜松駅行のバスは、休日昼間にも関わらず、概ね15分間隔で運行されており、かなりの利用があるようだ。

遠鉄バス、いつ以来かなぁ~。
遠鉄でも鉄道線なら何度か利用しているけれど、路線バスとなるとねぇ。
中学生の頃?父に連れられ、国鉄二俣線(現天竜浜名湖鉄道)を旅した際に、沿線の観光に利用したかも?

今走ってきた道を戻るだけなんだけどね、それでも日頃乗らないバス路線には何だかワクワクしちゃうね。
鉄チャンと言えど、鉄道に乗る機会は多くても、下車してその街の路線バスをじっくり味わう機会なんてそんなにないからね。
でもその街の素の姿が見えて、結構楽しかったりする。
地元の方しか乗らない(多分)路線バスの中で、ひそかに楽しみながら帰途につくコスモタイガーであった。


(2014.5.16追記)地図、作成しました。(ここをクリック)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(11)

2012-06-12 | 旧東海道run!!

JR新居町駅に降り立ったコスモタイガー。
空は白い雲にすっぽり覆われている。

いったん、前回の新居関所跡まで戻って本日のランのスタート、東に向かう。
といってもこれから走る道はしばらく東海道ではない。
新居関所(新居宿)からお隣の舞阪宿(正確には舞坂宿)まで、東海道は浜名湖を船で渡っていたからね。
海上一里、「今切の渡し」やね。

まぁ、なかにはここから1駅お隣、弁天島駅まで東海道本線でワープ?する(熱田~桑名をワープするのと理屈は一緒だけど)手もあるんだけど、現代では橋もかかり、歩道も整備され、何より左右に浜名湖を見て、抜群の眺めだし、走っていくことにする。
これで晴れていれば、なお素晴らしいんだけど。

西浜名橋・中浜名橋と渡り、浜松市に入る。
最近まで舞阪町だったんだけど、平成の大合併でここから浜松市になったわけだね。
左に弁天島駅が出現。
すぐに右に分岐する道を選び、弁天橋を渡ると旧東海道が復活し、舞阪宿に突入だ。

ここの脇本陣は、当時の建物を復元し、中も見学できる貴重なもので、コスモタイガーも道草したい心境やまやまだけど、トレーニングの真っ最中(!!)のため、外見だけ楽しんで素通り。
また日を改めてゆっくり拝見するとしよう。

宿場でもっとも格式高いのが「本陣」。
大名行列などでお殿様が宿泊するのはおおむね本陣らしい。
それに準ずるのが「脇本陣」で、主に重臣クラスの方がお泊りになる。
その他大勢や庶民は「旅籠」(はたご)に宿泊するってことね。
まぁ、旅籠といってもピンキリだったらしいけど。
(4)に出てきた「大橋屋」は旅籠やね。(多分グレードの上の方)

やがて舞阪一里塚跡を右に見て、すぐに今日の一番の見所、舞阪の松並木に入る。
約700m残っているらしい。
安城・藤川に続いて3つ目の松並木、案外残ってるものなんだ。

松並木が終わると、残念ながらこれといった見所はなく、街道らしさも若干乏しくなる。
普通の住宅街という感じかな?
途中、反対車線(右側)に篠原一里塚跡があったらしいが、見逃したようだ。
ランに集中しちゃってね~(笑)。
特に単調と思われるところは、若干ペース上がって、快調に?走ってしまうからね。

そのまま道なりに東進すると、国道257号に合流。
すぐに高塚駅を示す標識が見えてくる。
この後も、浜松市内を走ることになる東海道だが、今日はこの辺でゴールにしておこう。

住宅地の中にある高塚駅から東海道本線で帰宅。
景色は素晴らしいけれど、前半は東海道じゃなく、浜名湖ランだし、後半も舞阪宿以外に見所なく、ちょっと地味な印象の今回だった。
今日もウロウロしてるから、実走距離は13~14kmぐらいかな?



【2014.5.13追記】地図、作成しました。ここをクリック。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(10)

2012-06-06 | 旧東海道run!!

旧街道ラン久々の晴天だ。
今日も西へ向かおう。
でも近鉄は前回も乗ったし、これが最後でも無いし、というわけで、またもマイカー利用で、近鉄富田駅へ向かう。

前回のゴール地点、JR富田駅まで5分ほど歩いて移動し、本日のトレーニング?のスタート。
これといって見所があるわけじゃないが、所々に街道らしき雰囲気を残し、結構楽しめる。

突き当たりに「力石」なるものがあって、昔、この辺りの村人が、この石を持ち上げて力自慢をしたらしい。
左折してすぐ右折。

やがて国1に合流し、しばらくすると左側やや奥まった感じで某電話会社の三ツ谷ビルがある。
そのまま直進すれば海蔵橋だけど、手前で左斜めに分岐するのが旧道。
すぐに突き当たってしまうけれど、小さな公園みたいになっていて、そこに「三ツ谷一里塚跡」の碑がある。

かつてはこのまま直進する形で橋がかかっていたんだろうね。
現代では国1に戻って海蔵橋を渡るしかない。

渡ってすぐ左に降りて南下するのが旧東海道。
もう1つ橋(三滝橋)を渡るが、橋の上からの景色がなかなか良い。
帰宅後調べて判ったことだけど、安藤広重の四日市宿の浮世絵は、ここから描いたものらしい。
先入観なしでビビッと来て立ち止まって写真(上)まで撮ったコスモタイガー、意外と絵心あったりする・・・わけねぇよ!
美術技術の類で良い思いした経験は皆無に近いからね(というよりはっきり苦手)、単なる偶然だ。

やがて左側に「笹井屋」さんが見えてくる。
あの有名な「なが餅」の老舗やね。

そのまま四日市市の中心部へ。
国道164号を横切ってすぐ、道はゆるやかに右へカーブしている。
このまま直進するのが旧道だけど、今は建物により分断されて直進不可。
仕方なく回り込んで国1を渡ると、四日市駅前商店街がある。
この商店街を貫くのが旧東海道となる。
すぐに諏訪神社。
三重県の最大都市四日市市※の繁華街なわけで、かなりの人だかりの中、走るには若干の恥ずかしさはあるけれど、この道が東海道である限り、走るしかない!
(※県庁所在地は津市だが、人口では四日市市が最大)
当然ながら、飲み屋やお店が並ぶだけで、街道らしき雰囲気はない。

JRと近鉄の四日市駅を結ぶ中央通りを横断すると、繁華街は終わり、いきなり旧街道の顔に戻る。

浜田町辺りからの街並は、宿場の面影を残していて、本当に良いねぇ~。
近鉄名古屋本線のガードを潜るが、これが名古屋本線とのお別れ。
そのまま道なりに進むと、今度は別の小さな路線が寄り添ってくる。
近鉄内部線。
鉄チャンならビビビッと来る路線だ。

赤堀駅を過ぎると、古い家並みが続き、ますます街道らしい雰囲気が感じられ、楽しい気持ちになる。

日永駅前の信号を直進。
左折すると中央緑地公園(陸上競技場)だけど。
何度か走ったこともあるから、若干ながら土地勘ないわけじゃない。
でもこんな近くにこんな素敵な道があったなんて、感動だ。

小さな橋を渡る。
天白橋というらしい。
ちなみに下を流れるのは天白川。
どっかで聞いたような名前だけど。

泊駅の看板を過ぎると国1に合流、すぐに道は二手に分かれる。
その正面に何やら史跡らしきものが。
有名な「日永の追分」だ。
追分というのは、分岐点、という意味。
直進(つまり国道1号)は伊勢街道、右に分岐する(県道407号)のが旧東海道。
しかもこの追分、湧水が出ていて、あちこちからいろんな人が汲みに来ている。
国道と県道に挟まれ、かなりの交通量の中、綺麗な湧水スポットが現存することに不思議さと感動が入り混じる。

コスモタイガーは当然右の県道へ。
追分駅前を通ってすぐに左に分岐する狭い道が東海道だね。
お寺や神社もあって、本当に落ち着いた感じの道が続いている。

やがて小木曽3丁目の交差点に出た。
正面に小木曽郵便局、左に目を移すと内部駅がある。
名前の通り、内部線の終着駅だ。

ここまでの走行距離、多分12~13kmぐらいで、まだまだ全然余裕だし、先に行きたい気持ちも大いにあるけど、何より内部線に乗りたい!!
ここで内部線を無視したら、鉄チャンの名が廃る!
ということで、あえてここをゴールとする。

さぁ、内部線、近鉄四日市~内部間5.7kmのミニ路線で、軌間762mmの特殊狭軌路線。
新幹線や近鉄名古屋本線は1435mm(国際的には標準軌)、JRの在来線や名鉄他、日本の大多数の路線は1067mm(国際的には狭軌)、この内部線はそれよりずっと狭くて小さい。
紆余曲折あるため、詳細は省略するけれど、内部線の歴史は古く、1912(大正元)年、三重軌道(三重交通の前身)により軽便鉄道として建設され、現在もそのままの軌間で残されている。
今では近鉄グループのバス会社となっている三重交通が長く経営していた路線だったけれど、分離・合併等を経て、現在は近鉄の路線となっている。

まるで遊園地の子供列車のような可愛らしい車両が、ゆっくりした足どりで民家の軒先・庭先のようなところをかすめるように走る光景はたまらんな~。
いろんな物がすごく近く感じて、乗っていて超楽しい!

日永駅で八王子線も合流、こちらも同じく762mm。

はしゃぐ心を抑えつつ、四日市駅に到着、名古屋本線に乗換え、富田駅から車にて帰宅。

四日市~内部間の旧東海道&内部線のセットは、ちょっとしたテーマパークみたいな感覚で、鉄道好き・歴史好きにはお奨めの空間ではある。
まぁ、流行りのテーマパークよりずっと静かで落ち着きあるけどね。



(2014.4.23追記 地図、作成しました。→ここをクリック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする