cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(4)追記

2015-12-14 | 旧美濃路run!!
旧美濃路編(4)の、(3)の続きの部分を、地図を作成しました。(ここをクリック

※本編末尾にもリンク先を設けました。
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(3)追記

2014-09-08 | 旧美濃路run!!
旧美濃路編(3)、地図を作成しました。(ここをクリック)
旧美濃路編(3)の本文の末尾にも入口を設けてあります。
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(2)追記

2014-06-27 | 旧美濃路run!!
旧美濃路編(2)の地図、作成しました。(ここをクリック

旧美濃路編(2)本編末尾からも入れます。
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(1)追記

2014-06-20 | 旧美濃路run!!
旧美濃路編(1)の地図、作成しました。(ここをクリック)

美濃路編(1)、本編末尾にも入口を設けました。
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(6)

2013-02-14 | 旧美濃路run!!

美濃路と聞くと、ホッとするね~。
さすがに今日は豪雪の心配ないからね。

大垣から名阪近鉄バスで墨俣バス停下車。
概ね40分間隔で運転されている。
ここでコスモタイガー、小さなミステイクを発見!

旧墨俣町は、2006年に大垣市に編入。
だからつい、「大垣」の意識が強すぎちゃってね。

良く考えたら、名鉄&JR双方の岐阜駅前から墨俣行の路線バスが30分間隔で運転されていたことに気付いた。
「先入観はダメ」なんて言いながら、自分もすっかり「大垣」の先入観を持ってしまった。

ましてや、名鉄の方が家から近く、利用しやすいことを考えると、岐阜駅前からのバス利用が自然で、わざわざJRで大垣まで来たのはミステイク。

近すぎて、かえって気が抜けちゃったかな?

まぁいいや、バス停を降りて北東に向かうと墨俣小学校。
さらに北東に向かうと、前回の終了地点、墨俣宿の中心街に出る。

本陣跡を再度確認してから、本日のrunnigを開始!
そのまま道なりに西へ。

この間のおじさんに見つかりませんように。(美濃路編(5)参照)

高札場跡も再度確認し、脇本陣跡の素敵な建物の前を通る。

小さな電気屋さんの角を右折。
突き当たり、正面に犀川(長良川の支流)。
左手に小さな神社があって、土手を左に駆け上がっていくのが旧美濃路だ。

200mほどで、分岐があるからね、左の太い方を選択。
しばらくは堤防に沿って走る。

目線は左に気を配りながら走る。
気持ち良く走ってると見落としそうだけど、一段低い所に一里塚跡の碑と祠が祀ってある。
「東結の一里塚」。

しばらくは道なりに走るだけで、やや単調だ。
白山神社が脇にあるから、目印にはなる。

左手に「町屋観音堂」がある。
説明板によると、小栗判官と照手姫にまつわる史跡らしい。

鎌倉時代の人物やね。
残念ながらあまり詳しくないけれど、そのころからこの辺りには人々の生活があった証左でもあるわけだ。

美濃路から少し北にはずれたところに、結(むすぶ)神社があるから、寄って行こう。
由来書きによれば、創建は1169年。というから、由緒ある神社らしい。
名前から想像できる通り、縁結びの神様らしい。

そしてこの神社の奥には「さざれ石」がある。
君が代の歌詞にも出てくるよね。

再び町屋観音堂まで戻り、美濃路を進むと、すぐに行止り。
土手に上がると目の前は揖斐川だ。

かつては「佐渡の渡し」と呼ばれ、ここは舟で行き来していた。
現代はすでに渡し船は無く、500mほど北にある、新揖斐川橋を渡るほかはない。

橋を渡って反対側の堤防道路を500mほど南下、さっきの町屋観音堂と揖斐川を挟んで対の場所に出るから、ここを右に降りて行くと美濃路が復活。
降りる手前には、佐渡の常夜灯があるから、目印になるね。

降りて再び西へと向かう旧美濃路。
道はそのまま左折し、すぐに右折する。
いかにも旧街道、枡型やね。
途中、いかにも歴史を感じる、大きな造り酒屋が印象的だった。

200mほどでまた道なりに右折。
小さな水路に沿う形で、西を目指す。

小野小学校を右に見ながら、直進する。
「小野」の交差点も渡ってそのまま直進。
残念ながら、この辺りに来ると、街道らしさは失われ、特段見所もないけどね。
左手には、大垣市の現代の象徴?ソフトピアジャパンセンタービルが見えている。

道は緩やかに左にカーブ。
この辺り、資料によると、右手に「今宿城跡」があったらしいけどね、それを思わせるものは何もない。

またすぐに右へカーブし、道なりに進む。
閑静な住宅街に入ってきた。

案内板を見落とさないようにしないと!
右側にJR東海道本線が近づいてきたら、左折する。
正面に接骨院があるのが目印かな?

そのまま南下し、600mほどで信号のある交差点。
ここを右折。
そこに「三塚一里塚跡」の碑が建っている。

随分と、大垣市の中心に近付いてきたことを実感するね。
住宅よりも、事務所やビルが増えてきた。

このまま素直に西へ直進したいところだけど、資料や様々なHPによれば、一里塚跡からすぐの道をいったん左折するのが美濃地らしい。
そしてすぐに(20~30mぐらい)で小さな川(水路?)があるけど、この水路に沿うような形で、美濃路は存在していたらしい。
残念ながら現在、そんな道は存在しない。

せっかく曲がったのに、すぐに途絶えてしまった美濃路。
仕方ないから水路を越えてすぐの道を右折、東中学校の北側の道を行き、すぐに突き当たりを右折する。

歩道橋のある交差点に出て、さっきの一里塚跡の広い道に合流。
現代はこうするしかないけれど、この辺りを美濃路はくねくねと通り、この交差点あたりで、この広い道と再び重なるわけね。

東小学校の前を通る。
さらに直進し、どんどん街中へ。

「伝馬町」の交差点で、国道258を渡り、さらに西へ直進。
「伝馬町西」の交差点を過ぎるとさらに道は広くなり、やや右へとカーブしている。
いかにも大垣市の中心部に突入したことを実感。

それもそのはず、歩道の正面に「東総門(名古屋口)」の立看板。
ここが大垣城下、そして大垣宿の東の入り口というわけだね。

ここからは正真正銘、大垣市の街中を走ることになる。
名古屋口を左折して南へ。

大垣は、戸田氏10万石の城下町というだけでなく、美濃路最大の宿場町としても繁栄した。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒を数える。

岡崎の27曲には及ばないものの、大垣10曲といわれ、美濃路は城下町内を右折左折を繰り返しながら進んでいく。
案内板があるからね、見落とさないように走る。

すぐに右折し、また左折。
右手に脇本陣跡があり、さらに直進。

まぁ確かに、岡崎市内を走ってた感覚に似てるかな?
広い県道を渡り、すぐに右折、また左折。

左側に産婦人科があり、そこを右折し、今度は西へ。
問屋場跡。
さらに進むと右手に「竹島会館」という、地域の集会所?がある。
これが大垣宿本陣跡。
看板も建っている。

すぐに大通りに出ちゃうからさ、それをちょっとだけ南下して、また右に入る。
すると、何やら古めかしい建物が目立っている。

垣羊羹本舗「槌屋(つちや)」。
創業1755(宝暦5)年、という由緒ある和菓子屋さん。
名前の通り、垣羊羹(かきようかん)が名物らしい。

突然道が広くなって、すぐに信号がある。
ここを左折。

京口門跡。
さっきの名古屋口の反対側の出入口ってことやね、
宿場はここで終了ということさ。

船町道標が残っている。
右京道、左江戸道、と書いてある。

水路のような川が寄り添う。
水門川と言うらしい。

すぐに大通り(県道18号)に出る。
水門川を「高橋」で渡る。

ここは見所満載の地点やね。
船町港跡。
水運豊かな大垣、ここから桑名や伊勢方面への水運が盛んだったとされる。

と同時にここは「奥の細道むすびの地」でもある。(写真)
それを示す碑もあり、奥の細道資料館もある。

あの有名な松尾芭蕉の旅は、この大垣の、この場所で終焉を迎えた。
そう、美濃路と城下町、そして奥の細道。
ついでに「西濃駅伝」(2月)と「水都おおがきハーフマラソン」(10月)。
大垣は実に魅力的な街だね。

この県道をそのまま西へ向かうのが美濃路。
途中で養老鉄道線を越え、「久瀬川町4」の交差点を渡ると小さな水路がある。
そこを左に入るんだね。

正面に「徳圓寺」が見えたら正解。

道なりに右折して川を渡る。
杭瀬川、というらしい。
橋の名は塩田橋。
左手に常夜灯も見える。

渡ったら右へと進む。
左右にはそれらしき寺や神社があって、街道の雰囲気をかすかに伝える。

県道はそのまま直進する。
1本入ると、左(西)に向かって、いかにも旧街道らしき道が。
本能?のまま左折するとすぐに「久徳一里塚」。
南側のみだけど、現存する貴重な一里塚だ。

そのまま美濃路は西へ。
静里小学校前を通過。
右手に大きな工場があり、美濃路はその先、再び行止り。

仕方なく工場の正門前から、さっきの県道(31号)に出て、再度西へ向かう。
手元の資料によれば、「中曽根町西」の交差点から、右斜め前方へと美濃路は向かっているらしいけれど、現在は該当の道は存在しない。

ということで、そのまま直進し、次の「荒川町東」を右折し、自動車学校に沿って1本目を左折し、西進。
この辺りから美濃路は復活することになるようだ。
左手に「白髭神社」があるからホッとする。

「大谷川」にぶち当たる。
県道に出て橋を渡る。

渡ってすぐ、右に降り、北へ向かうのが美濃路らしい。
「林松院」というお寺が目印になる。

変則の5叉路があり、左折。
この辺りは、いかにも旧道の名残があって、楽しいね。
古い道標も残っている。

T字路を右、北上し、やがて国道21号にかかる。
ここで美濃路は再び消滅。
しばらくは国道を走るしかないんだけど。

この国21を、現代では「中山道」と便宜的に称しているんだけど。
確かに少し北側には本物の?中山道もあるんだけどね。
でもね~、中山道というより、明らかに美濃路に沿って作られた国道なのに、変な感じ。

大垣市から垂井町に入ってすぐ、「綾戸口」という交差点から、美濃路が復活、右に入る。
ここまで来ればゴールは近い!

綾戸集落を走る。
これといった見所は無いけれど、神社やお寺が残り、気持ち良く走る。
若干、交通量が多いかな?

東海道本線の踏切を渡る。
さぁ、ラストスパート!
両側に松並木が残っているんだね。
「美濃路松並木」あるいは「綾戸松並木」と呼ばれているらしい。

松並木を快調に走る。
すでに時計は17時を過ぎ、夕暮れの雰囲気だ。
自然とペースは上がってしまう。

「流」の交差点もそのまま直進、右側に垂井郵便局、左手に「中山道ミニ博物館」を発見。
美濃路を走ってきたし、しかも美濃路沿いにあるから変な感じだけど、ここはすでに垂井の町。
垂井は中山道の宿場町なのさ。

さらに100mほど走ると、小さな交差路。
右手に看板と道標が!

「ここは追分、←中山道、→美濃路」
垂井追分にめでたく到着!
ここが美濃路の終点だ。

コスモタイガー、東海道に先んじて、美濃路を完全走破してしまった!
東海道の合間のプチ企画として始めたのにね、まぁ、東海道に比べりゃ、近いし、距離も短いからね。
当然と云えばそれまでだけど、1つの旧街道を最初から最後まで踏破したのは、ラン・ウォーク問わず初めての経験。
感動だぁ~!!

何だかんだと、良い練習にもなった。
20kmぐらい走ってるかなぁ?

写真をバチバチ撮って、周囲を散策してても、何やらテンションが高いまま。
気がつけば辺りは真っ暗になってしまい、後ろ髪ひかれる思いで、徒歩5分ほどの垂井駅に向かうコスモタイガー。

垂井と言えば、かつて「新垂井駅」があり、この垂井駅と新垂井駅は、セットみたいなもので、マニアとしては忘れられないネタなんだけどね~。
もう夜だし、ちと疲れた!

何も考えず、素直に帰ろうっと。
今日は美濃路制覇の余韻に浸りたい。

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