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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(34)

2012-12-27 | 旧東海道run!!

年は変わって、2008年になった。
正月早々、沼津駅に向かっているコスモタイガー。
もう、麻薬のようなもので、旧街道runの魔力から逃れられない。
幸い、天候は穏やかな晴れ空だ。
富士山も期待できそうだ。

沼津駅に到着し、コンビニで軽く腹ごしらえ。
すでにお昼を回っている。
乗継もここまで来ると大変だ。
土日フリー切符も、片道だけで元取ってるからね、物凄い有効活用だ。
(豊橋~沼津間片道2940円)

さっそく駅前をスタート、駅前通を南下、大手町交差点を左折すると、前回のゴール地点(歩道橋)にすぐに到着。
先々を考え、ここは歩道橋を渡って、右側の歩道を走った方が良いね。

三園橋の交差点も直進。
すぐにまた歩道橋があり、右に分岐する道が。
もう完全に感覚を掴んでるからね、迷わず右の道を選択。
すぐに日枝一里塚跡がある。
江戸から30里、とあるからね、残りすでに120kmを切ったんだね。

再び県道に合流。
それにしても富士山が今日は綺麗だな~。

今度は「東下石田」の交差点で再び右に分岐。
でも少し行くと、黄瀬川の土手にぶち当たって行き止まり。
階段あるからね、、土手を上がって橋を渡って反対側へ。

そのままさらに進むと、「対面石」の案内板がある。
少し街道をはずれるけど、案内板に従って左手奥に入ると、八幡神社があり、その境内に対面石がある。(写真)
平家追討の狼煙を上げた源頼朝、そして奥州から駆け付けた異母弟の義経が初対面した場所とされる。
兄頼朝は涙ながらに喜んだと云われている。
(※2012年大河ドラマ「平清盛」でも紹介された。対面シーンに涙はなかったけど)

東海道に戻る。
しばらくは道なりに走るだけ。
一応、県道145号となっているらしい。

「八幡」の交差点を越えると、すぐに両側に一里塚がある。
不思議なことに右と左で名前が違ってて、左が「玉井寺一里塚」で、右は「宝池寺一里塚」と称するらしい。
パッと見、宝池寺の方が綺麗だけど、逆に不自然すぎる。
案の定、復元されたもの。

左の玉井寺の方は、木々が生い茂り、少々見栄えしないけど、こちらは現存する一里塚だ。

さらに道なりに走る。
「千貫樋」の交差点を過ぎてすぐ、小さな川(境川)を渡る。
この橋が、千貫樋というらしく、武田・今川・北条の3国同盟に由来するらしい。

そしてこの小さな川で沼津市から三島市に入った。
長かった長かった、駿河の国から、伊豆の国に入ったってこと。
でも静岡県はまだまだ続くんだけどね…。

正面に電車が走っている。
近づくと左手に「三島広小路」駅。
伊豆箱根鉄道(駿豆線)だよ。
これまた無性に乗りたいけど、道草ばかりじゃ先進まないからね、今回は断念。

ちょっとした商店街っぽくなり、正月早々、凄い人だよ。
両側に本陣跡があるはずだけど、人だかりでそれどころじゃないんだけど。

左手に大きな神社。
三嶋大社ね。

まぁ、正月にこんな有名な神社の前を通れば、そりゃ、走れんわな。
初詣はすでに済ませてあるけどね、せっかくだから三嶋大社に寄ってお参り。
給水ということにして、甘酒をゴクリ。

さぁ、人込みを何とか抜け、再び東海道runを続ける。
県道はそのまま右にカーブするんだけど、直進する細い道がある。
これが東海道。
そしていよいよ、ここから長~い箱根峠とのお付き合いが始まるのさ。

さっそく道は緩やかに登っている。
今井坂、というらしい。
途中、JR東海道本線を越える。

「歴史の道百選」にも選ばれた有名な箱根越えの道だからね。
さすがに案内板は整備されているから、迷うことはないけど。

そして長く寄り添ってきた東海道本線とはしばしお別れ。
JRはこの先、熱海、真鶴と海沿いを行くからね。

逆にいえばここからしばらく、アクセスはバスのみ。
しっかりリサーチしておかないとね。

「五本松」の交差点で国1に合流。
しばらくは国1を緩やかに登っていく。
といっても、国1の上り線がそのまま旧東海道だからね、歩行者用に遊歩道っぽく整備されているから安心だ。

錦田一里塚。
両側とも現存する貴重な史跡だ。

左に某電話会社の小さな交換所があり、そこを過ぎると左折して登っていく道が東海道…。
のはずなんだけど、何と!通行止めの上、進入禁止のバリケードが立ててある。
まぁ、リサーチはしてあったけど。

仕方なくすぐの信号(塚原新田)を左折し、すぐに突き当たったところで左手から来る東海道に合流、こちら側もやっぱり進入禁止になっている。
どうやら高速道路の建設中らしい。
まぁ、たかだか100mぐらいのことなんだけど、残念だなぁ。

右手少し離れたところに国1が並走するものの、静かな集落の中を東海道は箱根に向かって登っていく。
案内板さえ見落とさなければ気持ち良く走れる。

途中で左に分岐し、うっそうとしたクロカン道。
案内板によると、「臼転坂」というらしい。
かなりの急坂だ。

すぐにまたさっきの道に合流。
法善寺という静かなお寺の前を通る。
すぐに道は左右に分岐、ここは左を選択。

ここから駆け上がっていく階段があって、東海道はここを登るらしい。
これが「題目坂」。
登りきったところに幼稚園と小学校がある。

左折して小学校の脇を走り、少し広い道に合流。
しばらくはこの道を走る。
「三ツ谷新田」というらしい、静かな集落を走り抜ける。

正月早々、こんなところ走ってる奴なんていないしね、静かだなぁ。
そもそも峠の反対側(東側)では、つい先ほどまで華々しく箱根駅伝が開催されていたのに(今日は復路)、よりによって峠の反対側を登ってるわけだからね~。
こんな自分がとても大好きだ。

右の高台に小さな神社がある。
案内板に従い、ここで左に分岐する小道を入っていく。
「こはめし坂」。(こわめし坂)
箱根峠西側ではもっとも険しい坂とされている。

いや、これは確かにハードな登りで、良いトレーニングだ。
両側に家がそれなりに建っているものの、周囲はもう完全に山の中の雰囲気になってきた。

国1と交差する。
ここに「笹原」のバス停がある。
そのまま国1を横断し、直進。
石畳が整備されている。

すぐに案内板があって、奥まったところに目立たない形で笹原一里塚がある。
右側のみ現存している。

さて、本心はこのまま箱根峠の頂上まで行きたいんだけどね。
時計を見るとすでに15時半を回っているからね、そろそろ帰路に付かないと厳しいな。
それに前述したとおり、ここまで来るとアクセスはバスのみだからね、中途半端にチャレンジすると、路頭に迷うことに成りかねない。

ていうか、今日のコースは当然ながら、全体的にひたすら登ってた感じで、ちょいと疲れた。
基本、登り苦手なんだ。
とはいえ、箱根の登りはまだまだ続くんだけどね…。
でもまぁとにかく、アクセスも考えて、今日はここで終了だ。
何だかんだと寄り道もしてるし、実走距離、18~19kmぐらいかな?

先ほどの国1との交差地点に戻り、「笹原」バス停にて三島駅行パスを待つ。
運行は「沼津登山東海バス」。
何やら聞き慣れない長い名前だけど。

要するにこの辺り一帯で活躍する東海バスの子会社ね。
そしてその東海バスを運営する持株会社が東海自動車。
細かな歴史的背景や紆余曲折は省略するが、東海自動車は現在、小田急のグループ会社ということになっているらしい。
ということは「沼津登山東海バス」は、まぁ簡単にいえば、小田急の孫会社みたいなものやね。

行楽シーズンでもないこの寒い季節に、駅伝関係者でもない者が箱根走ってるから仕方ないけどさ。
この時期、バスは概ね1時間に1本。

でも初体験(だと思う)の「沼津登山東海バス」にもテンションはあがるけどね。
三島駅行のバスの中は暖かく、ホッとした。

約30分で三島駅に到着。
さぁ、またこれから、長い乗継で帰宅するぞ。



※2015.11.23追記:地図を作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(33)

2012-12-19 | 旧東海道run!!

世間はクリスマスムード一色の中、コスモタイガーは全く無関係に今日もJR東海道本線を乗り継いで東に向かっている。
若干雲が多いけれど、この時期にしては暖かい日が差し、ランニング日和。
家にいたのではもったいない!

前回終了地点は「東田子の浦」駅だったから、当然、今回もそこからスタートするのが妥当なんだけど。
前回、宿場町でもないこの駅をゴールにした時点から、腹案があってね~。

そもそもリサーチによれば、今日は旧東海道としては比較的単調な区間で、少々物足りないコースらしいし。

ということで、コスモタイガー、1駅手前の吉原駅下車。
前回、すぐ近くを走って通過しているわけなんだけど。

吉原駅からは、待ってました!「岳南(がくなん)鉄道」の旅。
吉原~岳南江尾間を結ぶ9.2kmの小さなローカル私鉄。
今日はこれが最大の楽しみ。

吉原駅構内をいったん外に出て、100mほど西へ戻ると、可愛らしい岳南鉄道の駅舎がある。
いや~、楽しみだなぁ、ドキドキする。
ローカル私鉄大好き!!

テンションMAX状態のコスモタイガーを乗せて、電車はゆっくり進む。
すぐに東海道本線と別れ、北に向かう。
工場街を抜け、最初の駅「ジャトコ前」を過ぎるとすぐ、「吉原本町」駅。

前回、この脇を走ったよね。
さすがに吉原宿の中心だけに、乗降客もそれなりにある。

あとはこの吉原の町をチョコチョコ走って、町を抜けるとのどかな農村風景。
そして目の前には富士山。
これは素晴らしいシチュエーション!!

これだけ富士山を堪能できる路線はなかなかないよ。
終始飽きることなく、約20分、終着駅「岳南江尾」に到着。

これがまた渋い終着駅で、ちょっとした車庫も兼ねているし、江尾集落ものどかで歩けば結構楽しそうだ。
すぐ東側には、小公園もある。

駅のすぐ北に新幹線が通ってるからね、断続的に「ビューン」と音がするけど、それ以外は本当に静かな集落だ。
スタートする前にちょっと散歩、そして何枚か撮影する。
もちろん岳南鉄道の写真も。

いつまでも走り続けてほしい、岳南鉄道。
富士山を眼前に控え、風景も素晴らしく、もっと雑誌等で紹介されても良い気がする。
といいつつ、観光鉄道化されず、普段着のままトコトコ走ってるところが素晴らしいってのもあるけどね。
コスモタイガーもお奨めの路線だ。

(※2012年3月、財政悪化により貨物部門が廃止。2014年までは富士市が補助することが決まっているものの、それ以降は未定のため、廃止の可能性もある。乗るなら今のうち!)

あ!思い出した。
旧東海道やね。

岳南江尾駅自体は、残念ながら東海道とはまったく関係ないからね。
まずは東海道に出ないとね。
とりあえずこの江尾駅前を今日のrunスタートとする。

小公園の脇を通って、江尾団地の前を走る。
こんな田畑に囲まれたところにも団地があるんだね。
きっと住民の多くが吉原駅周辺の工場街に通ってるのかな?
岳南鉄道利用してあげてね。

後ろ髪ひかれる思いだけど、団地の前の広い道から、南に向かうまっすぐな道がある。
これをひたすら走れば、東田子の浦駅に出ることはリサーチ済みなのさ。

両側には収穫後の田畑があって見通しは素晴らしいけど、背後にそびえる富士山の巨体に追われているようだ。
ペースは自然と上がってしまう。

ホントに行けども行けども真っすぐ、3km余りで東田子の浦駅の東側に出ましたよ~。
東海道本線をくぐってすぐの信号を右折(つまり東海道を少し逆走)、一応、駅前に出て、前回の終了地点に挨拶しておく。

隣は前回、高校生カップルがデートしていた六王子神社。
由緒ある神社らしく、境内は意外に広く、鬱蒼としている。

さぁ、今度こそホントに東海道だ。
神社の前の道を走る。
東柏原の信号で二手に分岐するけど、左が東海道ね。
東海道本線を斜めに渡り、そのまま線路沿いに進む。

噂に違わず?確かに単調だな~。
この道(県道163号)に沿って走るだけ。

「原駅入口」の交差点。
文字通り
右手に入っていくと原駅があるわけだね。

いつも通勤で利用している駅と同じだからね(2007年時点、名古屋市営地下鉄原駅を乗換に利用していたんで…)、不思議な気もする。

すぐに原宿(はらしゅく)本陣跡の碑がある。
単調すぎて気付かなかったけど、いつのまにか宿場内に入ったようだ。

ってか、原宿なんて東京の若者の街をイメージするけどね、もちろん直接の関係はない。
でも語源は似たようなものかな?

あちらの原宿(はらじゅく)は、旧鎌倉街道の宿場だったことに由来するからね。

全国津々浦々にある「宿」の字の付く地名は、かつてそこが宿場だった可能性が高い。
「名は体を表す」の言葉どおりなのさ。

有名なのは「新宿」ね。
言わずと知れた東京の副都心。
ここも甲州街道の「新しい宿場」として設置されたのが由来。

江戸初期の甲州街道は江戸から最初の高井戸宿まで距離があり過ぎたため、行き交う人々の利便性を考え、内藤家の領地内に設置された新しい宿場。
正式には「内藤新宿」なんだけど、頭の部分を略して単に新宿と称するようになったらしい。

名古屋市名東区にも「新宿」がある。
こちらも語源は同じと思われる。
高針街道(現在の名東本通)に栄えた高針宿。
その高針宿が徐々に広がったため、新しい部分を新宿と呼んだんだろうね。

交番を過ぎるとすぐ、白穏禅師の碑。
ごめん、全然知らないんだけど。
後で調べたところ、一休和尚や沢庵和尚と並び称される、有名なお坊さんらしい。

これまたすぐに、右手奥、松蔭寺。
白穏禅師ゆかりの寺らしいけど。
広い境内が印象的。

それにしてもひたすら県道ランで、確かに少し単調だな。
実は今日の「東海道として」のスタート、東田子の浦駅からは、旧街道に拘らなければ、海に出て、海岸沿いを行く方がはるかに景色が良いらしい。
「千本松原」と呼ばれ、綺麗な松並木と海岸のウォーキングコースが、沼津市内まで整備されているらしい。

旧東海道に拘るコスモタイガーは、敢えて単調な県道を走ってるけどね。

再び東海道本線を渡り、さらに走り続けて、今度は左手奥に片浜駅を見る。
「連窓寺」を過ぎると、やっと街道らしい史跡が。

「松長一里塚跡」。
久々にみる一里塚跡、新鮮だねぇ。
ホッとした。

すぐに「沼津藩領境傍示」の案内板と、脇に「従是東」の石碑。
ここから沼津藩の領地に入るわけだね。

どんどん市街地に入ってくることを実感しつつ、県道ランは続く。
「西間門」の変則交差点に出た。
ここもそのまままっすぐね。

浅間町の交差点から1本右入ると「乗運寺」。
庭園が素晴らしい!!(写真)

周囲はもう完全に沼津市の市街地に入っている。
浅間町に戻り、ここで県道が163から160に番号が変わるようだ。
1本先の交差点を左折。

次の大きな信号の交差点を右折。
すぐ次の信号(通横町)を左折。
枡型やね。

右手に静岡銀行があるんだけど、その脇の狭い道が東海道。
この道の左側が沼津城本丸跡らしく、それをぐるっと回る感じで、道は左にカーブしている。

約90度曲がりきった所で広い県道(360号)に出ると歩道橋がある。

歩道橋に上ると、この先の東海道(といっても単なる県道だけど…)が見える。
「まだまだ先に行きたい!」と好奇心を掻き立てられる。

でも今日はこの歩道橋をゴールにする。
実走距離、東海道自体は14~15km、岳南江尾からのオプションも含めて18~19kmぐらいかな?
まだ時計は15時を回ったところだけどね。
体力的にもまだ余力あるけどね、これから名古屋まで戻るんだよ!
なんてたって沼津だよ沼津!
この辺で終わりにしないとね。

歩道橋降り、県道を逸れて、適当に北西へ向かうと、徒歩5分ほどで沼津駅前に出る。
さすが沼津市の玄関口。
たくさんの客待ちタクシーが並んでいる。
東海道runのスタート・ゴール地点としては、久々の大きなターミナル駅だよね。
ここんとこ、小駅ばかりだったから。

着替えてから小腹を満たした。
さぁ、乗継いで今日も帰宅だ!



※2015.10.21追記/ルート地図、作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(32)

2012-12-12 | 旧東海道run!!

冬の青空が広がる一日。
久々の東海道runを決行するには良い天候だ。

さぁ、今日もいつもの乗継で、東海道本線を東へ。
清水駅を過ぎた辺りから、車窓には海が見え、退屈しないんだけどね。
特に由比海岸の美景は、思わず首を後ろに傾げてしまう。

浜松以東の列車は、ほとんどがロングシート車(地下鉄みたいに横長の椅子が並ぶタイプ)。
せめてクロスシートかBOXシートにしてもらいたいよね~。

静岡県内の東海道本線は、余所者からすると、随分と殿様商売だな、という感想だ。
快速新快速の種別もなく、ロングシート車の各駅停車が走っているのみ。
それでもこの区間、列車利用なら(新幹線を除くと)東海道本線以外に選択の余地がなく、ライバルが存在しないからね~。
富士山があり、海があり、のどかな茶畑も広がり、車窓はそれなりに良いから、観光列車を走らせれば楽しいと思うけれど。

富士駅で身延線に乗換、1駅。
「柚木(ゆのき)」駅下車。
何の変哲もない郊外の高架無人駅。
名古屋市内だと、名鉄瀬戸線の尼ケ坂駅や清水駅に似てる気がしないでもない。

ただいざ現地に来てみると、残念ながら晴れてはいるものの、雲が若干多く、富士山は隠れてしまっている。

駅のすぐ下を通る旧東海道。
しばし周辺をウロウロして本日のrunningを開始!
すぐに右に分岐するのが東海道ね。

初っ端からうねりのある、いかにも旧街道らしい道だ。
富士市の市街地を、微妙なカーブを描きながら走る。

左に小学校、右手に大きな王子製紙の工場に挟まれた旧東海道。
ここに元市場一里塚跡の石碑を発見。

交差点に出て突き当たるけどね、分岐する道の左の狭い方が東海道ね。
特段見所ないけれど、案内板は整備されていて助かるなぁ。

小さな川を渡ってすぐの小道を右折して、県道(396号)に出る。
ちょっとだけ県道走って「高島」という五叉路の交差点に出る。

左斜めに行く最も狭い道が旧東海道ね。
これまた完全な市街地を、斜めに進んでるような感じ。

「錦町」という交差点で、国道139号に合流。
左手やや離れたところに富士市役所がある。

正直、この辺りまでは見るべきものも少なく、市街地を淡々と走る感じだけど、交通量の比較的少ない裏道的なところが多く、走りやすさはあるけどね。

そもそもこの辺り、何といっても最大のウリは富士山だ。
それだけに富士山が見えるか否かによって随分印象が違う気がする。

すぐ次の信号(錦町北)を右に分岐するのが東海道ね。
で、まもなく、吉原宿西木戸跡。
つまり吉原宿西側の入り口ってことだね。

吉原宿内も案内板が整備されていて、余所者にはやさしいな。
宿場町お決まりの「枡型」もあるからね、案内板ないと厳しいよね。

最初の信号を左折。
いかにも(良い意味で)田舎の商店街的な感じで、走ってて楽しいけれど、残念ながら江戸時代を思わせる史跡はほとんど残っていないらしい。
さらに次の信号を右折するのが東海道だ。

あとはしばらくまっすぐ。
踏切を渡って「吉原本町」駅のすぐ脇に出る。

「岳南鉄道」の駅やね。
乗りたいなぁ…!

でも今日のところはグッとこらえて先に行く。
どうせ乗るならこんな途中駅より、始発(吉原駅)から乗りたいしね。

小さな川を渡った交差点のところに「平家越」の石碑がある。(写真)
「富士川の合戦」というやつだね。
ここで源氏を相手に陣取った平家軍。
水鳥の飛び立つ音を、源氏の奇襲と勘違い、あわてて逃げ帰ったというおそまつな話。
(※2012年大河ドラマ「平清盛」で、先々週だっけ?まさにそのシーンだったね)

ほとんど貴族と化していた平家一党。
実戦経験ほとんどなく、その後源氏を相手に敗北を重ね、壇ノ浦で滅亡の道を歩むことになる。

またこの小さな川の辺りが、かつては富士川だったという証拠でもあるわけだ。
川の流れは変わるからね。

交差点をそのまま進み、道は南へとカーブする。
やがて「左富士」の碑。

江戸から京に向かう場合、唯一この地点だけ、左側に富士山が見えたそうだ。
残念ながら今日は雲に隠れてしまっている。

国1バイパスを潜ってすぐに、国道139に合流。

すぐの信号が「吉原駅入口」の交差点。
これを右に分岐するのが東海道。
この辺り、工場が多く、旧道の雰囲気はない。
というより、完全に工業地帯の中を走ってるイメージ。

河合橋を渡って「吉原駅北口」の交差点。
ここで東海道本線と再会し、線路沿いに走ると日本製紙の工場前で線路をくぐり、反対側に出る。

本当はこの線路を斜めに横切っていたことは容易に推測できる。
渡り切ってから西から来た道が旧東海道やね。
その道を少し戻ると「木之元神社」が小高い丘の上にある。

再び線路沿いを進む。
この辺りから再び街道オーラを感じる風景に戻った。

右手に妙法寺という立派なお寺。
足の悪い人には御利益があるらしい。

コスモタイガー、ありがたいことに足は悪くないけれど、もっと丈夫な足でありますよう、手を合わせておく。
ちょっと変わった雰囲気のお寺なんだけど。
どうやらインドのラマ教の流れを汲むらしい。

そもそも吉原宿は、もともとこの辺りにあったらしいけど、度重なる津波の影響で、さっき通った本町地区に移転したとか。

右側に小学校があって、過ぎた辺りから南の方に向かうと、「田子の浦」という万葉集にも謡われた有名な海岸があるんだけどね。
東海道とは直接関係ねぇしな。
断腸の思いでパスする。

「檜」の信号で、県道380号と合流。
後はしばしこの道に沿うだけ。

普通に車の走る県道で、東海道の雰囲気はほとんどないけどね、それでも道の左側(北側)には忘れた頃に神社があって、ここが東海道であることをかすかに忍ばせてくれる。

立円寺。
立派な山門が印象的。

そこから300mほどで「東田子ノ浦駅前」の交差点。
今日も所々で道に迷い、なんだかんだと20km程度は走っている。
先に行けないこともないけれど、しばらく単調なコースらしいし、次回の腹案を決行するにも都合が良いため、ここをゴールとする。

名前の通り、左に入ったすぐのところに駅はあるけれど、県道沿いに雑貨屋(酒屋?)があるだけで、他に商店らしきものは何もない、静かな駅前だ。
すぐ脇に六王子神社なる由緒ありげな神社があり、下校途中の高校生がラブラブデートしていたのが印象的であった。

邪魔しちゃ悪いからね、神社見学は次回にして、とっとと帰ろうっと。
東海道乗継も、ここまで来ると長いんだよね~。


※(2015.9.21追記)地図を作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(31)

2012-12-06 | 旧東海道run!!

もう西側はゴールしちゃったし。
残すは東、ひたすら江戸を目指すのみ!
ってか、ここまで来たら「お気楽モード」から「本気モード」に突入?
すでに途中で止める気持ちは無く、「行けるところまで行くぞ!」と気合入れているコスモタイガー。

例の割引切符を豊橋駅で購入、毎度おなじみの乗継で今日も由比駅に降り立った。
ここは静かな駅前だ。
天下の東海道本線の駅とは思えない、独特の鄙びた感がある。

そして今日は見事な秋晴れ!
前回見えなかった富士山の姿が、この東海道runで初めて見えた。
やっぱり綺麗だね~。

実は前回「駅前が東海道」と思い、気持ち良く帰宅したものの、何かしっくり来ず、再度様々なHPや書籍などを閲覧してみると、やはりちょっと違っていたらしい。

ということで、200mほど戻り、歩道橋のある分岐点をスタートとする。
前回、ここを右の小道(つまり今戻ってきた道)を選んで駅に出たわけなんだけど、ここは左の広い方の道が正解らしい。
左の道は旧国1で、車もそれなりに通っている。
右は鄙びた生活道路の雰囲気。
雰囲気的にはどう見ても右なんだけどね。

でもまぁ、リサーチしたことを信じ、左の旧国1を選び、本日のトレーニング開始!
要するにこの辺り、諸説あるようで、根本的には今走っている旧国1(県道396)を拡張・整備した際に、旧東海道は削られたり無くなったりして、完全には残っていないことが原因らしい。
確かにね、地図をよく見ると、2本の道が不自然に微妙なカーブを描いている気もする。

「北野神社」が左に見えてくる。
その前に民家の間を抜ける、超極細の道。
それが東海道らしい。

抜けると駅前から来た小道に出る。
コスモタイガーはこっちの説を採用したけれど、北野神社手前に「平」というバス停があり、そこにこれまた極細の道があって、すぐ左折、民家の軒先を駆け抜けてくる道を東海道としている説もあるらしい。

しばらくはこの道に沿う。
静かな街並みが続く。
相変わらず、そこかしこに「桜エビ」の看板が目立つ。
由比の名物だからね。

1kmほどで川を渡るけれど、その手前に右に分岐する小さな道が。
本来はこれが旧道なんだけど、すぐに行き止まり、その先は現存していないため、直進する。

渡るとすぐに、脇本陣、続いて左手に本陣。
本陣は由比本陣公園として整備され、敷地内には「東海道由比宿交流館」「広重美術館」を併設し、ちょっとした観光スポットになっている。
コスモタイガーも興味ないわけじゃないけど、出だしで何やらごちゃごちゃして時間食っちまったし、まじめな練習中だから!(もういいって)

それより興味あるのは、道路の反対側に目をやると「正雪紺屋」。
由比正雪の生家だそうな。
江戸前期の反乱者として有名だけど、このおっさん、本職は紺屋(染物屋)だったんだね。
いまも末裔が代々店を継ぎ、営業しているそうだ。

しばらく進むと今度は左手、案内板があるのみだけど、「お七里役所跡」。
紀州藩が独自に設置した連絡所みたいなもの。
名前の通り、主要街道沿いに、七里ごとに置かれたという。
七里衆と呼ばれた者たちが常駐し、幕府の内情やら各藩の動向など、いろんなことを連絡し合ってた。
どの藩にも似たような制度があったらしいが、もっとも力を入れ、徹底していたのが紀州藩。

だからのちに徳川宗家の世継ぎ問題になっても、御三家筆頭の尾張藩を出し抜き、紀州藩の当主吉宗公が8代将軍に就いたことに繋がったんだろうと想像できる。

逆に肥沃かつ広大な濃尾平野を持ち、比較的豊かな尾張藩。
紀州藩に丸裸にされているとも知らず、のんびり楽観的に構えてたんだろうね。

まぁ、こんな「最後の詰めが甘い」地域性は、現代でも名古屋オリンピックの誘致失敗にも繋がってたり、ドラゴンズが50年以上日本一から遠ざかってる原因になってる、なんて書いてある本もある。
(そのドラゴンズ、2日前に53年振りの日本一になった!!超感動!最後は山井→岩瀬の完全リレー!)

吉宗公は将軍になってからも「お庭番」(要するに戦国期の忍者みたいなもの)を設置し、各藩の動向を探るのに最も心を砕いていた人物だからね、個人的に暗いイメージがある。
「江戸幕府中興の祖」などと持ち上げられ、大河ドラマの主人公にもなったけれど、個人的にはそれはちょっと買いかぶりすぎたろうと思ったりする。
実際、「享保の改革」も成功したとは言い難い。
ただ、お庭番を駆使し、情報戦に長けた人であったことは間違いなく、この辺りを面白おかしく脚色したのが時代劇「暴れん坊将軍」というわけだ。

おっとっと、どえりゃ~話が逸れちゃった。
先に行かないと。

由比一里塚跡。
由緒書の案内板が残るのみ。

で、そこからはしばらくはこれといった見どころなし。
左からやってきた県道に吸収され、すぐに東名高速の下を潜る。

JR蒲原駅前を通過。
旧街道らしい雰囲気は残ってるからね、走ってて退屈はしないけど。
案内板も整備され、安心して走れる。

やがて左右に分岐する。
どっちか一瞬迷うけどね、どっちも×。
実はそのすぐ手前を90度左折するのが正解らしい。

ここが西木戸跡。
つまり蒲原宿の西の入り口ってことだ。

行きあたって今度は右折。
志田邸、旧五十嵐歯科医院、磯部家、平岡本陣跡と、旧跡が続く。
蒲原宿内は、古い建物が良く保存され、なかなか楽しい一角だ。

東木戸跡を過ぎると、右手に蒲原一里塚跡。
小さな祠が建っている。

思わず直進して、そのまま県道に合流してしまいそうだけど、その手前を左にカーブするのが東海道。
東名高速に向かって北上する形になる。

道は緩やかに左にカーブし、東名高速の上を渡るとT字型に突き当たり、そこを右折。
恐らくかつてはここを斜めに突っ切る形だったんだろうと推測できるけれど、現代ではすでに消失している。
道なりに左にカーブし、下り坂を駆け降りる。
眼前に富士山が見えて素敵な光景だ。

独特のくねくねした道はいかにも東海道やね。
新幹線のガード下を階段でくぐってさらに直進。

再び東名高速に巡り合い、道なりに左折。
すぐまたT字路で、左前方に小さな神社があるのが目印で、ここを右折して東名高速の下を通る。

すぐに紛らわしい分岐もあるが、道なりに素直に左を選択。
気持ち良く道なりに走ってたら、コスモタイガー、どうやら大きくコースアウトしてしまったらしい。
気づいたらJRの線路沿いに出てしまった。
ここで少々ロスを食ったけれど、正解は県道(168号)との交差点を左折するらしい。

この辺り、見所も目印も少なく、わかりづらいため、多くの街道ウォーカーが間違えているようだ。
300mほど進むと右側に某電話会社富士川電話交換所の小さな建物が見えたら正解だ。

この県道、今も昔もこの地域のメインストリートらしく、かなりの交通量だ。
ちょっと走りづらい。
右にカーブするところが、富士川第一小学校&富士川町役場。(2007年時点)

道は突然左に90度左折。
そこに岩淵一里塚がある。
両側とも現存する貴重な一里塚で、静岡県の指定史跡にもなってるらしい。
次々と車が通る中、この一角だけが不思議な空間を醸し出している。

そのまま進むと600mほどで4ツ角になり、県道は右折になるけれど、東海道はそのまま直進。
「岩淵小休本陣」。
中を見学できるらしいけれど、コスモタイガー、残念な思いを胸に先へ進む。

もっともこの岩淵集落、正式な宿場ではなく、有松同様「間の宿」だからね、本陣といっても、茶屋本陣ってやつなのかな?
文字通り、小休止した場所なんだろうね。

枡型を過ぎると左に清源院という由緒ありげなお寺。

ここでまたコスモタイガー、大きくコースアウトしちゃったけど、正確には右折して坂を下り、小さな五叉路に出て、左斜めの道を選択、川に向かって駆け降りるのが本来の東海道らしい。

大きな川に出た。
富士川だ。
右に目をやると、大きな富士川橋がかかっている。

富士川は江戸時代、舟渡しだったんだね。
少し北側に渡船場の跡を示す公園と常夜灯が残されている。

富士川橋上からの富士山も絶景だ!
思わずシャッターを押す。(上写真)

橋を渡ると今度は水神社。
こちらにも簡単な渡船場跡の碑が建っていた。

ここまで来たら今日のゴールは近い。
歩道橋が目印で、そこを左に入る道が東海道。
小さな川のところで右折して、再び県道に出る。
この県道、多分旧国道1号だと思うけど。

「橋下」の交差点を通過。
すぐに右側、高架になったJR柚木駅。
本日、ここをゴールとする。

今日は随分コースアウトしちゃってるからね~、実走距離20kmは超えてるかな。
移動距離も長くなってきてるしね。
何よりコースアウトが大きかった時は、気持ち的にも疲労感を感じるよね。

柚木駅はJR身延線の駅。
ここをゴールにしたのは、ただそれだけの理由なんだけど。
身延線なんて、いつ以来だろう?

すでに16時を過ぎている。
日が短くなってきた。
柚木駅からの西日差す富士山の眺めもなかなかのものだ。

せっかくの身延線だけど「つまみ食い」で、たった1駅、東海道本線富士駅に出ておしまい。
とはいえ、東海道本線ばかりの乗継の中で、ちょっとした変化球で、楽しめた。

あとはいつもの東海道本線乗継だけ。
電車内で舟を漕ぎつつ帰宅するコスモタイガーであった。



※H27.8.18追記/地図、作成しました。(ここをクリック)
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