cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(5)追記

2014-02-27 | 旧東海道run!!
旧東海道編(5)の地図を作成しました。(ここをクリック

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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(4)追記

2014-02-25 | 旧東海道run!!
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(15)

2014-02-21 | 旧中山道run!!

世間ではお盆真っ盛り。
特に地元愛知県は、某自動車メーカーの影響大なのか、この時期、大型連休となり、バカンスや帰省モードの方が多かったりするけれど。

幸か不幸か、コスモタイガーの会社は、通常のカレンダー通りに動いており、8月はただ暑い日が続くだけの毎日だ。

とはいえ、折角の週末、何もせずぐったりしているのももったいない。
何といっても、予定では、いよいよ今回で、美濃路を制覇し、木曽路の山中に入って行くことになるからね。

ここらで中山道全体の行程を再チェック!
すでに最初のターニングポイント「御嵩宿」を越え(旧中山道編11参照)、今まさに美濃路最後の宿場、落合宿に差し掛かっている。
この後、第2のターニングポイント、となると…。

「下諏訪宿」(JR中央本線下諏訪駅)になるのかな?
そこまでは、所々で付いたり離れたりしながらも、まぁそれなりにJR中央本線に沿って走ることになり、それほどの不便も感じることなく走れそうだけど。

様々なHPや資料を参考にしていると、皆さん、下諏訪宿から先は、それはそれはかなりの苦労されているようだ。
何せ公共交通機関皆無に近い状況が長く続く上、険しい峠越えを強いられるからねぇ…!

時刻表オタクの自分ですら、下諏訪から先のアクセスを思うと、頭痛がしてくる。
旧東海道やここまでの中山道など問題にならない、超難関区間だ。
まぁ、今のうちからじっくりと時間をかけて、アイデアを温めていくしかない。

とはいえ、まずは今回!
新たな拠点?「勝川」駅に車を置き、中央本線で「中津川」駅下車。
ただでさえのんびりなのに、ここでまたさらに軽食で腹ごしらえ。
どうもこの中津川までは、「名古屋圏」のイメージがあるからね~、無意識にのんびりしてしまうよ。
中央本線の列車も、一部の臨時列車と、ワイドビュー「しなの」以外は、この中津川で必ず降りないといけないしね。

北恵那交通バスで、前回のゴール地点、落合宿の入口(落合村役場跡)に降り立ったころには、時計は13時を指していた。
まぁいいけどね、ここは散歩しないから!(理由は前回の中山道編14参照)
写真だけ収めて、すぐにスタート。

落合宿は、400mほどの小さな宿場だったらしい。
走りだしてすぐ、約200mぐらいかな?
「落合宿本陣跡」。
現在も当時の門と塀が残され、かなり目立った存在となっている。

間髪入れずに「脇本陣跡」。
こちらは面影なく、それを示す碑が建っているのみ。

さらに200mほどで、常夜灯も残されている。
上町常夜灯といって、1792(寛政4)年製のものらしい。

わずか400mながら、凝縮された感のある街並みで、なかなか渋い味を出している落合宿だけど、とにかく先に行きたい。

県道7号と斜めに交差し、そのまま山中に入っていく中山道。
交差した地点が、かつての高札場跡らしい。
落合宿、これにて終了!

300mほどで、左に分岐するのが中山道で、すぐに落合川を橋で渡り、本格的な登り坂が始まる。
「十曲峠」の入口ということらしい。

二又になっているところを右へ。
すぐに「医王寺」に到着。

枝垂れ桜で有名なお寺らしいけれど、残念ながら今は季節外れ。
とはいえ、静かな山寺の雰囲気は、なかなかに趣ある。

案内板も整備され、迷うことなく進めるのはありがたいけれど。
とにかく登りが延々と続く。

すぐに山中に入っていく形となり、石畳になった。
中津川市の観光ガイドやHP等には必ずと云って良いほど掲載されている、「落合の石畳」やね。(冒頭写真)
両側が緑に囲まれ、マイナスイオンたっぷりの中、見事な石畳が続いている。
予備知識があってもやっぱり本物は美しいね~。

何もない森の中を走る。
これは見た目には涼しく、気持ち良い。

今度は下りになり、やがてアスファルト道(車道)に出て石畳終了。
ここは「新茶屋」という小さな集落で、山中のオアシス的な場所になっている。

すぐに「新茶屋一里塚跡」の石碑を見つけた。
左右両側に、復元されている。

そして大事なのは、そのすぐ隣に建つ石柱。
「信濃・美濃国境」と書いてある!
さらに「是より北、木曽路」の大きな碑もある。

そう、ついに国境。
これにて「中山道美濃路」も制覇!

美濃国って大きいんだなぁ。
柏原宿を越え、「寝物語の里」を越えたのは随分前だった気がするけれど。(旧中山道編6参照)

でもこんなので驚いてちゃ駄目だよね。
この先の木曽路や信濃路の方がはるかにスケール大きいんだから!

そして実はここ、つい最近まで、岐阜県と長野県の県境でもあったんだけどね。
岐阜県中津川市と、長野県木曽郡山口村の境だった。
ところが2005年、全国では珍しい「越県合併」で、中津川市に編入された。

もともと山口村の所属は、お上の都合?によって、変転流浪している。
細かく説明すると長くなるけれど、かつては信濃国の時期もあったらしいが、江戸期は概ね、尾張藩の管轄だったらしいし、明治になると再び長野県に属することなった。
そうはいっても、地域住民は、お上の都合とは関係なく、県をまたがって中津川市との繋がりが深かった。

当時の新聞記事などを思い出すと、この山口村、これから訪問する「馬籠宿」という有名な観光地を保有していただけに、周辺市町村や長野県を巻き込んで、かなりの議論になっていた記憶がある。
地元住民にも、様々な意見があったらしい。

結局、紆余曲折の上、日常生活で結び付きが強い、中津川市との「越県合併」の道を選んだということやね。

そういえば、この辺りを網羅する路線バスも、さっきコスモタイガーが乗ってきた、「北恵那交通」(つまり中津川駅発着!)だ。
途中、「落合」で下車したけど、行先は「馬籠行」だったからね。

某電話会社的にも、長野県だと基本、東日本の管轄になるけれど、この辺りの市外局番は「0573」で、中津川市と同一、つまり西日本の管轄ということになる。

さぁ、木曽路だ!
「木曽路は全て山の中である。」
島崎藤村の「夜明け前」(だっけ?)で有名な、あの木曽路だ。

でもごめん、夜明け前どころか、島崎藤村すら読んだことないんだよね。
時刻表なら、朝飯前だけど。

木曽路は、木曽街道の別称もあり、中山道でももっとも険しい区間とされていたらしい。
ここから馬籠峠に向かって、再び登る感じのルートになる。

そのまま進むと、正岡子規の句碑があった。
句碑自体はたいして興味ないけどさ、ちょっとした絶景ポイントで、思わず足を止める。

再度下りになり、ちらほらと歴史を感じさせる建物も見られて、視覚的にも楽しい区間だ。

右手にこんもりした森がある。
これは諏訪神社。
その入口にあるのが「島崎正樹翁碑」。

島崎正樹って誰や??
説明書きによると、島崎藤村のお父君で、「夜明け前」のモデルになった人だとか。

さらに100m少々で、馬籠城跡。
説明書きによると、元々は室町時代のものらしい。
詳細は省くとして、その後、1548(天正12)年、島崎重通という武将がこの城を守ることになった。
島崎藤村の祖先ということらしい。
この辺りでは「島崎」は名家ということやね~。

やがて右側突然そば屋が現れ、県道7号と交差。
ここで今までの流れが一転、急に騒がしくなった。
そば屋の隣は、大きな駐車場になっていて、観光バスも停まっている。
中津川駅行のバスも、ここから発着しているんだね。

そしてここからが有名な「馬籠宿」の始まりだ。
「木曽十一宿」の最初の宿場にあたる。

馬籠宿は、馬籠峠に向かう急坂の途中にあるため、いきなり凄い登り坂なんだけど、両側は復元された建造物&土産物屋が建ち並び、多くの観光客が買い物&散策している。
なかにはペット連れのカップルもいたりする。
ワンちゃんにも中山道の素晴らしさが理解できるのか?

京都から走ってきて、これほど観光地化された宿場町は初めてだ。
ちょっと走るには気が引ける状況ではあるけれど、初志貫徹!
っていうか、もう、旧東海道のころからの蓄積で、免疫?が出来てるからね~。
まさに「旅の恥はかき捨て」だ!

すぐに枡型になり、その突き当たりには、大きな水車が回っている。
さらに「清水屋資料館」。
ここも藤村の小説に出てくるらしいけれど。

中には掛け軸とか焼き物等の貴重な資料が陳列されているらしいけれど、トレーニング中だし!
馬籠宿も素晴らしいことには違いないけれど、あくまでも大半が「復元されたもの」。
もちろん、ここまで復元したこと自体、見事なんだけどね。
心の中では「早く次の妻籠宿へ」と楽しみにしてたりする。

次、本陣跡ね。
島崎家が代々その役を務めた。
もちろん、さっきから出ている島崎さんね。
要するに、ここは藤村の生家ということにもなる。
ということで、現在は藤村記念館として、公開されている。
藤村は、結構なお坊っちゃまだったんだね。

ここも見学はせず、先に行く。
隣の酒屋さんも伝統を守っていそうな立派な佇まいだ。

次!
脇本陣ね。
ここも資料館になってるよ。
キリないから先行くよ。

両側からは、五平餅やみたらしを焼く匂いが食欲をそそるけど、お付き合いしてると練習にならないからさ、先に行こう!

ここで県道7号に再びぶつかる。
県道は車仕様で、カーブしながら大回りしてるところを、中山道はショートカットしてるわけだ。
高札場も復元されている。
馬籠宿はここまで、ということらしい。

こちら側にも観光用駐車場があって、逆コースも可能ってことやね。

さぁ、ここからはいよいよ峠を目指す。
馬籠宿~妻籠宿間は、旧中山道がハイキングコースとして整備されており、案内板も整備されているから、迷う心配は少なくて済む。

すぐに「上陣場跡」。
何と!豊臣秀吉と徳川家康が戦った、小牧長久手の合戦ゆかりの場所らしい。
徳川方の、菅沼・諏訪・保科の各氏の軍が陣を張った場所、とある。

え~、そりゃ随分遠いところに陣を張ったね~。
小牧長久手は、我が愛知県の地名。
名古屋市のすぐ隣、長久手町(現:長久手市)には「長久手古戦場跡」がある、あの戦いだ。

ここは高台になっていて、景観は素晴らしく、現在は展望台になっている。
実にありがたいことに(苦笑)、今日はカンカン照りで、見通し抜群だ!
恵那山が眼前に広がっている。

まぁでも、標高もかなり上がってきて、名古屋よりは確実に涼しいはずだけど、何せ汗ダクダクで、よ~わからん!

さて、この先、資料によれば、展望台から右の狭い道を選び、古い民家の庭先!を抜けるようになっている。
案内板に従い走ると、その民家は改装?工事中なのか、進入禁止になっていて、少し大回りする形で迂回路が設けられていた。

ここからは完全に登山道状態。
ハイキング&クロカントレーニングには最高だ!

県道7号を再度交差し、石畳を走る。
いくつもの小さな峰を登っては下り、を繰り返し、標高を上げていく。
「梨の木坂」の名前もあるらしい。

何度か県道と交差しつつ、黙々とクロカントレーニング。
どれぐらい走ったかな?

そしてまた県道に合流。
着いた!
標高801m、「馬籠峠」!

そして、山口村の越県合併後の現在、ここが岐阜県と長野県の県境になったわけだね。
某電話会社の東西の壁にもなっている。
行政区域は、長野県木曽郡南木曽(なぎそ)町。

いや~、結構ボリュームあったな~。
でも中山道全体からすれば、馬籠峠なんて序の口であることを、後々知ることになる。

馬籠峠自体、周囲は山に囲まれ、特段見通しが良いわけでもなく、小さな休憩スポットがあるのみ。
ここからハイキングコースの案内板に従い、再び県道をはずれ、下っていくクロカン道を走る。
再び山の中。

途中、ポツンと1軒だけ、古い民家がある。
かつての立場茶屋跡らしく、かつては数件あったらしいが、現在は牧野家住宅のみが残っているらしい。

続いて白木番所跡がここにも。

どんどん標高が下がり、綺麗な石畳に再び巡り合う。
右手に小川が寄り添い、真夏の暑さを和らげてくれる。
途中、樹齢300年のサワラの大木、なんてのもあったりして、かなりの山深さを実感する。

小川を渡り、再び県道に出て、しばらく走ると、これまた案内板は右に分岐する小道を行けと言っている。

水音が聞こえてきた。
格好の納涼スポットに到着。
ほんの少しだけ寄り道になるけれど、音に導かれて左に行くと、大きな滝だ!
「男滝」というらしい。
いや~、これは気持ちいいなぁ。

そしてすぐ隣には「女滝」。
こちらも見事な滝で、しばし足を止め、リラックスタイム。

さぁ、足を進めよう。
中山道に戻った所にある小さな神社が「倉科祖霊社」。
倉科七郎左衛門という武将が、ここで討ち死にし、祀られているらしい。

しばらくは山中を道なりに下る。
石畳が始まる。
この辺りの石畳は保存状態が素晴らしく、観光パンフレットやガイドブックの挿入写真にも度々使われているところだ。
山深き中、左右にまっすぐ伸びる木々が、さらにそれを引き立てている。

県道にまたまた合流し、すぐ左に分岐。
数軒の家が並び、ちょっとした集落になっている。
ここも古くからの集落らしく、「大妻籠」と呼ばれている地区だ。

何やら300mほど奥まった所に「藤原家住宅」という17世紀中ごろの史跡があるらしいけれど、まだ先は長いしね、遠慮しておく。

県道にランデブーだけしてすぐ左折。
山を下りきった感じで、平坦になり、ちらほらと人家が増えてきた。
いずれもそれなりに歴史と威厳を感じる。
どうやら旅館を営んでいるらしい。

途中、案内板がなければ気付かないような石の道標を発見!
明治になってからのものらしいが、「左旧道」の文字が。

え?左?
なんか民家の庭先のような道だけど…。

でもこれが正解。
こんな地図にもない民家の間を行くのが、中山道の魅力なのだ。

何やら半信半疑のような狭い道を走ると、すぐに大きな駐車場が右手に見えてきた。
まるで駐車場の横をすり抜けるような状況だ。

国道256に交わった。
またまたここで一気に賑やかになった。
駐車場には多くのマイカーや大型バスが停まっている。

さぁ、ここからが今日のクライマックス、妻籠宿!
馬籠宿とsetで?木曽路の代表的な宿場町として有名だけど、この妻籠宿こそ、正真正銘、かつての宿場町の面影を残しているんだよね。
「復元」じゃないんだ、そのまま残ってた、いや、地元の皆さんが大切に残してきたんだよね。

そんな地道な努力は、1976(昭和51)年、「重要伝統的建造物群保存地区」の第1号に指定され、大きな花を咲かせることになった。

今でこそ、あちこちで「保存」が叫ばれ、大内宿(福島県)や白川郷(岐阜県)が観光地としても有名になり、なんやかんやと日本国内で104カ所も存在する「重要伝統的建造物群保存地区」だけど。
(白川郷なんか、世界遺産にまでなっちゃったし)
その発端というか、火を点けたのは、この妻籠宿なんだよね。

今では完全に観光地となり、かなりの人混みで、馬籠宿同様、ちょっと走るのに戸惑う状況ではあるけれど、目の前の町並はまさに壮観だ。

まぁ、丸1日ぐらいかけてじっくり拝見したいぐらいのボリュームなんだけど、そんなわけにもいかないからね、文字通り駆け足で、ちょっと勿体ないけれど。

まず最初は尾又。
説明板によると、飯田道との追分で「今も道筋を辿ることができる」なんて書いてあるから、興味本位で少し入ってみる。
でもだんだん狭くなったし、リサーチもしてないからすぐ引き返す。

上嵯峨屋。
かつての木賃宿(現代風に云えば、素泊まり専用の民宿?)らしい。
その先の下嵯峨屋も歴史を感じる。

枡型を過ぎると、本陣跡。
その斜め前に脇本陣。

本陣は復元だけど、脇本陣は明治10年に建てられたもので、こっちの方がメインらしい。
中に入りたい気持ちは山々だけど、汗ダクダクだし、まだこの先も頑張って走りたいから、涙を飲んで遠慮しておく。

見どころ満載過ぎて、本当に後ろ髪引かれる思いだけど、先を急ごう。
高札場を過ぎると、「鯉ヶ岩」。
かつては鯉の形をしていたものの、明治24年の濃尾地震により、変形してしまったらしい。

観光客はだいたいここら辺りで引き返す感じで、一気に人気が減少。
案内板に従い、再び静かな山道へと進む。

何度かアスファルト道と重なりつつ、降りて行くと、左に「妻籠城址」の看板。
ここも小牧長久手の合戦と関係あるとか。

結構な山城らしく、「主郭まで徒歩10分」とある。
いや、これからまた10分も登るのはきついな。
ごめんね、また寄らせてもらうね。

JR東海の「さわやかウォーキンク」も、定期的に開催されるため、案内表示は親切だけど、なかったら絶対に迷いそうだ。

やがて両側にこんもりした塚が。
「上久保一里塚」。
江戸当時のままの姿を留めているらしい。

ここまで来るとあとは基本、下るのみ。
ゴールを意識できる感じになり、足取りも軽く、どんどん標高を下げる。

次の目印は「かぶと観音」。
木曽義仲の兜の中にあった十一面観音を祀ってあるとか。

ここはちょっとややこしいな。
何といっても6叉路やから。

リサーチしたとおり、観音様のすぐ右の狭い道を降りて行くのが正解。
しばらく走ると、今度はちょっとした広場が出現し、何と嬉しいことに、SL(蒸気機関車)が飾ってある。
「D51」(通称デゴイチ)ね。

動輪が4つあるからD。
3つならC。
実在云々は別にして、2つならBだし、1つならA。
簡単でしょ?

で、一般論として、動輪が多けりゃ多いほど馬力があるわけで、そのため「D51」は、主に貨物列車用機関車のエースとして、全国で大活躍したんだね。

逆にスピード重視のC型機関車は、主に旅客列車用で、そのエース格が「C62」(通称シロクニ)。
そのスピードは、光より速く、宇宙を走り、アンドロメダ星雲まで到達する…わけないけど、「銀河鉄道999」のモデルになった名車両だ。

おっとっと、また話が逸れちゃった。

そのまま走ってると、左下にJRの「南木曽駅」が見えてきた。
中山道はこのまま直進だけど、今日はここを左に折れ、線路を回り込む形で南木曽駅前に出たところでゴールとする。

中山道だけで17~18km、その他のロスも入れたら、20km超。
でもさ、相変わらず上り下りの繰り返しで、距離以上の結構な練習だった。

南木曽駅前を少しだけ散策。
ここまで来ると、名古屋の匂いはかなり薄らぎ、完全に山里の集落のイメージだ。
駅舎は中山道を意識してか、和風建築を意識しつつ、「南木曽驛」と、旧仮名遣いになっている。

実はここ南木曽駅も、中山道関連の史跡に溢れてたりするんだけど、それは次回以降に持ち越すとして、今日は疲れたし、そろそろ帰ろう!
すでに17時近い。

南木曽駅からの普通列車は、車窓から右に左に木曽川の渓谷美を楽しめる。
中央本線(西線)は、中津川駅を境に、まるで別の路線のようだ。

中津川駅に戻って名古屋行快速に乗換。
さぁ、ここから勝川まで約1時間。
結構疲れたようだ。
車内では、うたた寝で過ごしたコスモタイガーであった。

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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(3)追記

2014-02-10 | 旧東海道run!!
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(14)

2014-02-07 | 旧中山道run!!


先日、仕事で春日井市周辺をうろついた際、素晴らしい発見!
JR中央本線勝川駅近くに、何と!500円のコインパーキングを発見!

勝川駅は、快速も停車する、主要駅の1つ。
にも関わらず、こんな便利な所に破格のパーキングがあることに感動!

この勝川駅、自宅からも、時間こそ車で40~50分かかるけれど、ひたすら国道302号を北上するシンプルな道順で、今までの大高駅利用&金山乗換より速くて便利そうだ。

ここで500円は安いわ!
JRの運賃も安くなるしね。
(ちなみに大高~恵那間1,280円、勝川~恵那間950円。)

幸い、しばらくの間、中山道runは、中央本線のお世話になるからね。
というわけで、勝川駅が当面の間、拠点となりそうだ。

曇天のはずなのに、夏真っ盛り。
じっとしてても汗が出る。
何やら外出するのも億劫になる。
でもせっかくの休日!と思い、重い腰を上げる。

そんなこんなで案の定、かなり遅めの出発となり、勝川駅から快速で約45分、恵那駅に着いたのは、13時過ぎてしまった。

小腹が減ってるからね。
恵那名物栗きんとんを購入し、頬張りながら周辺を散策したり写真撮ったり。
うまいんだよ、これ!

さて、遅くなっちゃった。
そろそろ始めようか!

恵那駅前をスタート。
駅前通りを南下し、「中央通1」を左折。
ここから中山道やね。
といっても、600mほど先の「ひし屋資料館」までは、前回の重複だけどさ。

資料館は前回見学したからさ、そのまま素通り。
100m先、T字路を左に折れる。
この角が、大井宿の本陣跡らしい。

「延寿院横薬師」なるお寺の前に出て、ここを右折。
ここから道は一気に登り坂。
すぐに左手、高札場が復元されている。

実は前回、十三峠をようやく走り切り、大井宿に辿りついて「やれやれ」のはずなんだけど。
今日も起伏に富むコースらしく、いきなりの登り坂だ!

第3セクターの明知鉄道の線路をくぐってすぐ、「上宿の石仏群」。
名前の通り、石仏がいくつも並んでいる。
ここが大井宿東の端らしく、ここで病魔を断つために建立されたとか。

続けざまに、馬頭観音・菅原神社があり、いかにも旧街道の雰囲気だ。
階段を上って、右手後方からやってきた、県道401に合流し、そのまま中央自動車道の上を渡る。

県道は左にゆったりとカーブし、T字路の交差点に出る。
正面に「正善寺」なるお寺があるのが目印だ。

このT字路をショートカットして右折する道が中山道。
そのまま県道410を辿ることになるらしい。

この辺りから道が狭くなり、坂を登りきった辺りに、「関戸一里塚跡」の碑を発見!
「江戸より八十七里」の表記もある。
あと、340km超、ということやね。
まだまだ遠いなぁ…。

今度は下り坂。
甚平坂というらしい。

すぐに右側、根津神社。
詳しくは知らないけれど、源頼朝の御家人の一人、根津甚平なる人物の墓があるらしい。
だから甚平坂なんだね。

今度は道路の反対側(左側)が、公園になっていて、そこに「馬塚」「犬塚」が並んでいる。
甚平さんが飼っていた、馬と犬が葬られているらしい。

すぐ脇に階段!
この階段を下り、県道をショートカットするのが正解らしい。

一気に下っていく感じで、しばらくは道なりに。
何やら静かな山間の集落に入ったらしく、家並みが増えてきた。
信号のある交差点名が、「岡瀬沢」。
そういう名前の集落らしい。

この辺り、特段足を止めるようなスポットはないけれど、ため池が多く、蒸し暑さも少しは和らぐ気がする。

そのまま道なりに走り、行政区域は中津川市に入る。
と同時に、「茄子川」集落ってことらしい。
古い家並みも、想像以上に散見され、なかなか楽しく走れている。

この茄子川は、大井宿と中津川宿の中継点的な場所として、御小休所(武士や公家の休憩所)として発展したらしい。

その御小休所の中心、茶屋本陣篠原家が、右側にデン!と現れた。
丁寧な案内表示もあり、思わず足を止めてしまう。
奥には同名の歯科医院があるから、もしかしてご子孫の方なのかも…?

その先で、道は二手に分離。
県道410は左らしいけれど、中山道はそのまま直進だ。

「尾州白木番所跡」の碑に出会う。
尾州とはもちろん、尾張のこと。

実質的に、この東濃地区や木曽の山々は、尾張藩の領地だったからね。
豊富な森林資源を盗伐されないよう、見張りを付けた。
それがこの白木番所で、ここから先、随所に見られるらしい。

今でも東濃地区は、便宜上?岐阜県に所属するものの、県都の岐阜市より名古屋との結びつきが強いイメージがあるのは、そんな歴史背景が深く関わっている気がしたりする。

そのすぐ先の、変則五叉路には、高札場跡の石柱。
そのまま直進。

小さな川を渡ると、突き当たりを左折。
今度はすぐに右折。
もしかしてかつては斜めに橋が架かってたのかもね。

立体交差になっていて、上は県道420号らしい。

約100m、坂を登ると、少し広めの道路と交わるけれど、その少し手前には「坂本立場跡」があったらしい。

のどかな農村風景の中、右にカーブしながら道なりに600mぐらいかな?
田んぼの隅っちょに、寂しく建つ立て札を見つけた。
「三ツ家一里塚跡」。

静かな農村をひた走る。
1kmぐらいで、常夜灯があって、目印にはなるけどさ。
もう、東海道も含めて、これだけ旧街道を走ってると、常夜灯ぐらい、珍しく何ともなくなってきてるんだよね。

左側に中央本線が近づいてきた。
恵那駅をスタートして以来の再会だ。

左にまっすぐ伸びる道がある。
中央本線を越えた向こう側に、何やら由緒ありげな神社が。
「坂本神社」というらしい。

ちょっと寄り道。
ここ坂本神社は、松風義校というかつての学校の跡らしい。
古い常夜灯も静かに残っている。

この辺り、周囲の看板等を見ると、「茄子川」と「坂本」の地名が混じっている。
簡単にいえば、茄子川は、中山道の地名だけど、坂本は東山道時代からの地名。
最寄りの中央本線の駅名も「美濃坂本」を名乗っている。

何だか久々に東山道が出てきたよ。
東山道と中山道は切っても切れない縁だってこと、思い出した!(旧中山道編3参照)

東山道は、ここ坂本から、厳しい神坂峠で恵那山の北側を越え、現在の昼神温泉郷の辺りを通っていたらしい。
現在もその道の一部は残っているらしく、魅力的ではあるけれど、とりあえず今は中山道やね!

しばらく走り続けると、国19に再び遭遇。
さらにその向こうには中央自動車道が姿を現し、中津川ICとなる。

どうやら本来の中山道は、ICの敷地内を通過していたらしいけれど、当然現代では無理。
その横を、インターの進入路に沿って走る。
左には中央本線が寄り添ってくる。

で、すぐに国19に吸収される。
その先約200mで、4方向に緩やかに分岐する。

メインの国19がそのまま王道を行く感じで直進。
一番左側、中央本線に沿って、国道257が分岐。
その真ん中に、良く見ると何やら街園のようなところが道になっている。
これが中山道ね。
すぐに階段があって、ここを下りて道は続いている。
そこにあるのが、「小石塚立場跡」の案内板。

500mほどでS字のカーブをする。
いかにも旧街道らしい無駄?な曲折だ。

1km以上は走ったかな?
JRや国道からも離れ、静かな集落の雰囲気が戻ってきた。

左手にこんもりした茂みが…。

「上宿一里塚跡」。
北側のみ、原寸の1/3で、1934(昭和9)年に復元されたらしい。

今度はすぐに突然行き止まりのようになってしまった。
ここは「苗木道」との分岐点(追分)らしい。
標識に従い、中山道は右折。

車はS字のヘアピンカーブで下りていくようだけど、良く見るとショートカットする形で階段が設けられている。
これが中山道。

さらに50mほど先でもう一回、階段でショートカット。
再び道なりに進む。

500mほどでT字路になる。
ここにあるのが、駒場村の高札場跡。
そして、左折。
すぐに道は90度右へとカーブする。

左、右とカーブしながら、だけど、とにかく道なりに。
所々、古い建物が残り、かつての街道の面影を伝えている。

「中津川橋」を渡ると、一気に雰囲気が変わり、中津川宿だ。

交通量も多くなく、案内板も整備され、快適なジョギングコースだ。
右手には、卯建(うだつ)のある、立派な造り酒屋さんがある。

ここからは枡型になっているらしく、まずは左折。
かの有名な「川上屋」の本店がここにある。(冒頭写真)
中津川のみならず、東海地区を代表する銘菓、栗きんとんの名店として、メジャーな存在だ。

さらにその先を道なりに右折。
この角にも旧家があって、かつての庄屋さんを務めた家らしい。

100m少々で、今度は左手、本陣跡。
残念ながら、案内板と石碑が建っているだけ。

道路の反対側には、やや大きめのビルがあり、何やら目が点になる状況に…。
どうやら某電話会社の中津川ビルらしいんだけど、建物の大半が改装され、「中山道歴史資料館」になっているらしい。
ちなみにここが脇本陣跡らしいから、資料館の場所としてはありがちなんだけど、元々のビルがビルだけに、オシャレと無粋が入り混じって、不思議な状況になっていた。

とりあえず、ビルの脇に隠れるように建つ「脇本陣跡」の碑をパチリ!としておく。

中津川市中心の商店街にもなっており、新旧入り混じった感じの、中津川宿の中を走る。
ところどころに中山道を示す看板があったりして、街中にもかかわらず、気持ち良く走れる。

駅前に近付き、愛知銀行が近づくと、駐車場の前に「前田青邨生誕の地」の碑。

ごめん、画家ってことぐらいはどこかで聞いて知ってるけど、絵の世界は興味無くって…。
とりあえず有名な画家らしい彼は、中津川市出身なのであった。

「新町」の交差点も直進、右手に大型スーパー「アピタ」を見て進む。
左に折れると、すぐに中津川駅に出る道だけど、まだ走行距離短すぎるしね~。

突然、道は途切れる。
ここにかつての高札場が復元されている。

途切れたと思った道は、実は左に折れ、そのまま坂を登っている。
そして高札場の横に休憩所があり、その脇から階段がある。
この階段を登る。

すると広い道路に出て、歩道橋が目の前だ。
歩道橋を渡ると和風のレストラン(料亭?)があって、そのまま左に。
50mほどで、右に行く小道に入る。
わずかながら石畳になっている。

舗装道に出たところに、芭蕉の句碑あり。

ここからまた急に、街中の喧騒から離れた感じになり、旧街道らしいうねりが続く。
江戸時代は、この辺りから「上金村」と呼ばれていたらしい。
途中、再び白木番所跡の碑も発見!

国19に出る。
地下道が設置されているから安心して渡れるね。

100mほどで、変則の4ツ角。
ここは鋭角に左折するのが正解らしい。

すぐに「子野地蔵堂石仏群」が現れる。
名前の通り、仏様がいくつも祀られている。

この石仏群の前も二手に分岐しており、ここは左の道へ。
あとはひたすら、道なりに。
左遠方から、国19の車の音が聞こえるものの、それ以外はすれ違う人もわずかで、実に静かな集落だ。

御嶽神社がある。
ここから下り坂になった。

右手に子野一里塚跡。
今はひっそりと碑が建つのみ。

今度はまた登り坂。
さすがにきつい!

登りきった所に「与坂立場跡」。
要するにかつての休憩所。
かつては茶屋もあったらしい。

そりゃ、これだけ登れば、休憩したくなるよね~。
現代では、茶屋どころか、自販機すらなく、案内板が建つのみで、悲しい。

さらに進むと国19とクロスする。
「与坂」のバス停があるのが目印だ。

おそらくかつては国19を斜めに横切る形だったんだろうね。
現在ではバス停前を通り抜けるとそのまま国19の下を潜る道があるから、そこを通るしかない。

案内板に従い、T字路を右折、国19の、さっきのバス停の反対側に出る。
ここから左の道に入り、S字を曲がり終えたあたりからが再び中山道らしい。

右にカーブしてすぐに、国19と再びぶつかる。
道は国道を横切り、まっすぐだけど、信号も横断歩道もない。

すぐ左に陸橋があるから、そこを目指して左折。
その途中にあるのが、「落合五郎城跡」。

はじめて聞く名前だけど、木曽義仲の四天王の1人、ということらしい。
現在は神社&公園になっている。

公園の手前を右に曲がり、陸橋を渡ると、めでたく中山道とおぼしき道に再会だ。
陸橋の上からは、国19の壁に、「中山道落合宿」と大書されたプレートがはめられている。

200m少々、静かな集落の中を走ると、T字路に差し掛かり、左に小公園。
中山道の案内板と、「落合村役場跡地」の大きな石碑が建っている。

正面は、落合宿の入口といわれる「善昌寺」。
創建は1600(慶長5)年とされる。

このT字路を右折して、落合宿を通り、再び山中に分け入るのが中山道なんだけど。
次の馬篭宿までは、これまたひたすら登り坂一辺倒!
そして並走するバス路線からも、一時的に離れてしまう。

コースの条件や交通の便も考えれば、この辺りを今日のゴールにしておくのが無難と判断。
実走距離も、17~18km程度。
起伏も考えれば、まぁ、それなりに良い練習にはなったかな。

本当はちょっと腹ごしらえとか散策とかしたい心境なんだけど、ゴール地点からの町並みの写真だけ撮ってそそくさと退散!

理由?
実はここ、上司の家が近いんだよ。(2009年現在!)
はっきりとした場所は知らないけれど、恐らく徒歩10分圏内。

ここから名古屋に通うってのも凄いけど。
そんなことより、この汗だくの状況で、偶然にも鉢合わせしたら、何やらみっともないし、「なんでここに居るの?」と聞かれても説明に困るしなぁ…!
別に悪いことやってるわけじゃないけどさ、こう見えても恥ずかしがり屋なんだよ、俺(爆)。
とっとと帰るよ!

T字路を左に100m。
19号に出る。
歩道橋が左にあり、その下がバスやトラックの待避所?になっていて、そこに「落合」のバス停がある。

北恵那交通のバスで、中津川駅行は、概ね30分ごと。
すぐ近くにサークルKがあるから、そこで給水&時間つぶしをして時間調整。
あんまりウロウロしたくないからさ!

北恵那交通ねぇ~…!
昔は「北恵那鉄道」があってね~。
中津川市北部の付知峡近くまで走ってたんだよね。
廃線直前、まだ小学生だったけど、親に連れられ、乗りに来た記憶がかすかにある。
現在は「北恵那交通」に名を変え、バス会社になってるってことさ。

さっき走ったばかりの中津川に戻ってきた。
少し駅前を散策しつつ、軽く腹ごしらえ。

中央本線で勝川までは、約1時間。
車に乗換、本日のトレーニング、終了!!
コメント (1)
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