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10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(2)~後編

2020-05-16 | 旧西国街道run!!

駅前広場?を抜けてすぐ、西国街道に再開。
やっとここからが前回の続き(笑)で、右(西)へ向かう。

旧街道らしい雰囲気がかなり残ってはいるものの、府道67号にもなっているらしく、抜け道になっているのか、そこそこの交通量もある。
すぐに升形。
左手に大きな祠みたいなものがあって、関大明神と称するらしい。
ここが県境になっているらしく、大阪府三島郡島本町に代わるんだよね。

直線になってみれば、いかにも街道らしいうねった道が続いている。(冒頭写真

通勤ランで何度か走ってる道。
しかも1本道だから、地図も見ずに一気に走る。

懐かしい雰囲気の住宅街と個人商店が続く。
飽きないなぁ。

JR東海道本線が近づいてくると、旧街道は左へ緩やかにカーブ。
通勤者用かな?
自転車置き場と公園がある。
公園に隣接して、JR島本駅。

この公園こそ、旧桜井駅跡史跡公園。
桜井駅なんていうと、「島本駅の旧称?」なんて思われそうだが、鉄道の駅じゃないのさ。

この西国街道は、古代律令時代の五畿七道の山陽道が再整備されたもの、とされる。
その山陽道時代に設置された駅(または駅家)の跡であり、ここで馬を取り替えたり休ませたりしてたんだね。

そして有名なのは「桜井の別れ」。
公園の片隅にひっそりと祠が建てられている。
足利尊氏を討つべく、湊川の合戦を前にして、死を覚悟した楠木正成が、ここで息子正行と涙の別れをしたんだね。

数々の書物はもとより、大河ドラマ「太平記」でもこの名場面は大切に扱われた。
武田鉄矢さんの熱演が印象に残っている。

戦前の歴史の教科書ではかなりのヒーロー扱いだったらしい楠木公も、現代ではチョロッとしか扱われないからね~。
損得抜きで自らの信念を貫き通す。
コスモタイガーは大好きなキャラなんだけどなぁ。

島本駅前を通過。
ここにも「歴史文化資料館」なんてあったりするけど、さすがにキリないからね、素通り。

右手に大きな団地。
唯一の紛らわしい地点がココ。

Yの字型になっていて、左に進むのがメインらしく、人も車も左を選びがち。
なぜならその先に阪急電鉄の上牧駅があるから。

でも西国街道は右を選んでね。
すぐにキリスト教の教会があり、その先でJRの線路をくぐることになる。

しばらくはJR線に沿う。
案内板もないが、この辺りで行政区分は高槻市に。
右側には小さいながらもお寺と集落が点在し、街道らしさを演出してくれる。

梶原集落。
その真ん中あたりにひっそりと「梶原一里塚」が案内されている。

この道は高槻市営バスも走る生活道路になっているから、バス停が良い目印になる。
街道らしくうねりながら、高槻市の中心を目指して走ることになる。

「梶原」停留所の前にあるのが畑山神社。
1872(明治元)年の神仏分離令により、こう名乗ることになったが、元々は永福寺。
さらに昔は梶原寺と称されたらしく、神社でありながら山門を有している。

府道79号の陸橋を潜れば一気に市街地の雰囲気となり、道幅も広くなった。
左手には立派な関西大学の高槻キャンパスのビルが建つ。
隣接するのが高槻市立図書館。

さらに進んで、左手には西武百貨店。
まさに高槻市の中心街で、この交差点を左に折れればJR高槻市。
右に顔を向けると立派な鳥居が姿を現す。

この鳥居の先、約300mほど北にあるのが「上宮天満宮」。
天満宮の名前からして、菅原道真公を祀ってることは容易に想像がつくけれど、何と創建1000年以上!
天満宮としては九州の太宰府に次ぐ歴史があるらしい。

残念ながら旧街道から外れてるからさ!
この大鳥居からのお参りで許してもらって、先へ進もう。

さすがに市街地だけに、いろんな道があるけれど、とにかく西国街道は直進している。
深く考えず道なり進むだけ。

変則5叉路も道なりに。
200mほど先でT字路となっているが、いわゆる升形で、道なりに左折。

すぐにアーケード街と交わるけれど、そこにあるのが「芥川仇討ちの辻」の立て札。

簡単に言えば石見国で稚児の取り合いで殺し合いになり、殺された藩士の息子がここで仇をとった、ということなんだね。
当時は仇討ちが美化された時代だったんだね。

ほとんど隣と言ってもいいような、次の曲がり角にあるのが、芥川一里塚跡。
そしてここはかつての芥川宿の中心でもあったらしい。

西国街道はここで右に折れ、西向きに。
しばらく走ると小さな川を渡るけれど、その手前にあるのが橋詰地蔵尊。

こういうのが結構町中に残ってるんだよね。
だから旧街道runは止められない!

さらに足を進める。
気になる看板を発見!
矢印に従って少し寄り道。

「今城塚古墳」。
江戸よりはるか昔の前方後円墳。
第26代継体天皇の墳墓とされ、国指定史跡となっている。

天皇陵であるにも関わらず、古墳の周囲は公園として整備され、1周できるウォーキングコースも整備されている。
暖かい春の日差し。
のんびり過ごす家族連れが多い。

せっかくだから1周走ってみる。
反対側は立派な堀になっていて、壮大さを確認できる。

さぁ、街道に戻ろう。
って戻ったところにも残ってるんだね、史跡が。
ここが江戸時代には、妙見道との追分になってたんだね。

1kmぐらい走り、途中で行政区域が茨木市に変わってしばらくすると、また同じような古墳がある。
こちらは「太田茶臼山古墳」。

実はこちらが最近まで継体天皇陵と思われていて、今なお宮内庁の書類にもそのように登録されている。
ところが再調査などを行った結果、現代ではさっき訪問した今城塚古墳が継体天皇陵というのが通説となりつつあるわけさ。

その結果、太田茶臼山古墳は正規の?天皇陵で立入禁止!
宮内庁未公認?の今城塚古墳は事実上の天皇陵でありながら、敷地内を堂々と散策できるわけなんだね。

そうは言ってもこちらも立派。
じゃ、誰が葬られているの?という素朴な疑問も生じるけれど、どうやら諸説乱立状態らしい。

太田地区を走り抜けると、街道はいったん消失。
目の前の安威川を橋で渡り、名神高速の下を通った先に、左斜めに伸びる道があり、ここで旧街道復活となる。

まぁ、慣れてくるとね、感覚的に橋のむこうとこっちで繋がってることがわかるからね。
「耳原交番北」の信号に出たら正解だ。

ここからはまた1本道で、地図もいらないぐらい。
左手に耳原小学校を見てしばらくすると、府道110号と交わり、交差点になっている。
右に目をやると阪急バス「中河原」のバス停がある。

実はここがかつての中河原集落の中心で、交通の要衝だったんだね。
それを示す道標と案内板が建てられている。


さらにここ中河原集落は、戦国武将中川清秀の生誕地でもあったらしく、それを示す案内板も一緒に建てられている。

さて、予定ではここからもうひと踏ん張りして、大阪モノレールの「豊川」駅辺りをゴールに考えてたんだけどね。
お腹すいちゃった♪

左手に「アルプラザ」なんていうショッピングセンターがあるからね。
それに交通アクセスに困る場所でもない。
誘惑に負けました。

これでも結構頑張ったんだよ。
西国街道だけで15~16km?
その前に天王山のクロカンやってるからね。
この時期のトレーニングとしては充分だわ。

アルプラザで遅い食事とビール♪
その間に路線バスの時刻表なんかを調べてみると、さっきの中河原停留所より、府道110号を1区間分南下した、「中河原南口」の方が系統も増えて本数が多いことを発見!
ほろ酔い加減でトボトボと5分ほど歩けば、国道171号と交わる「中河原交差点」の東側、某電話会社郡ビルの前あたりに目指すバス停があった。

ここから阪急「茨木市」駅まで、バスは1時間に5~6本もあるからね。
次回ここに来るにも便利なのさ。

まだ十分に明るいけれど、帰って社宅でゆっくり過ごすとしましょうか。
コメント (4)
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