cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

身近な気になる古道たち⑥

2013-06-28 | 身近な旧街道run!!

★名古屋市千種区(一部名東区)星ヶ丘周辺

以前の勤務地だった星ヶ丘。
現在は名古屋市東部の高級住宅街として発展しており、M百貨店星ヶ丘店も有名だ。

旧街道や地名にある程度詳しいと、この「○○ヶ丘」(あるいは○○が丘)や、「●●台」というのが、歴史も由緒もない、新しい地名の可能性が高いことは想像できるけど。
この星ヶ丘も、案の定、戦後に名づけられた地名だ。

昭和30年に、住都公団により大規模団地(現在のアーバンラフレ星ヶ丘)が建築され、小高い丘の上にあったことから、「名古屋近辺でもっとも星に近い」という意味で、「星ヶ丘団地」と名付けられた。
ついでに?地名も「星ヶ丘」に。
それが定着し、現在に至ってるらしいけど。

それにしても「星に近い」とは随分大きく出たものやね。
間違っちゃいないけど、物凄くミクロな距離の話だよ。

東山公園や平和公園など、この辺りは起伏も多く、クロカンコースも整備され、走るには絶好の環境だ。
特に南側、東山のクロカンコース(東山一万歩コース)周辺は、かつての尾張藩の御料林で、一帯を御殿山とも呼んでいたらしい。
ここで伐採された材木が、名古屋城下へと運ばれたりもしたらしい。
そうした人々の往来により発展したのが高針街道、現在の広小路通になるわけだね。
昔も今も、名古屋の東西の大幹線ということやね。

さて、その星ヶ丘。
旧地名は、ズバリ「追分」だ。

旧東海道にもたびたび出てくる「追分」。
全国各地に散見される地名だけど、要するに「道が二手に分岐するところ」のことを指す。

星ヶ丘の交差点に立つと、現代もここが追分の機能をそのまま持っていることがすぐに解る。
名古屋城下からやってくると、ここで大きな道が二手に分岐している。

直進する「グリーンロード」(長久手道)、斜め右に行く「名東本通」(高針街道)。
実にわかりやすい「追分」だ。

かつての分岐点は、正確には現在の分岐点のやや西、ちょうどバスターミナルの辺りだったと言われてるらしいけど。
そのバスターミナルを斜めに横切り、広小路の1本裏の道がかつての街道だったのかな?

またすぐに広小路通(この辺りでは東山通と呼ぶのが一般的)に出て、西、つまり名古屋中心部の方に走ろう。

旧街道は、某電話会社東山ビルの裏の道を行き、千種図書館の裏を通っていたらしい。
この千種図書館裏の道は、旧道らしい雰囲気があり、そのまま東山動植物園の駐車場へと抜ける。
東山通の反対側には千種スポーツセンタ及び新池が広がる。
かつての新池は、この動物園の駐車場まであったらしいけど。

で、駐車場(かつての池)をぐるっと廻り込んで、東山通に出て、反対側の歩道に渡り、西に行くと「ことわりの松」なる史跡がある。
枯れてしまったため、現在は新しく植えられた4本の松が大切に育てられている。

「本山」の交差点を過ぎてしばらく、右手にこんもりとした森が。
「城山八幡宮」やね。
ここは名前の通り、かつての城跡、「末森城址」なんだけど。

末森城。
織田信長の弟、織田信勝が居城したところやね。

東山通に戻り、「末森通2」の交差点を左折し、すぐの道を右折。
田代小学校のすぐ北側を通るこの道が、わずかに残る旧高針街道らしい。

道が狭くなり、下っていくと再び東山通に合流、地下鉄覚王山駅だ。
ちなみにこの坂が「月見坂」という名前だったらしい。
かつてはこの辺り、のんびりお月見できるほどの景観だったんだね。

こののち、高針街道はほとんど「らしきところ」はない。
「広小路通」と名を変え、大都市名古屋の中心街を行くことになる。

というわけで、ここでルートを変えよう。
覚王山の交差点を超えると、左手に郵便局がある。

この郵便局の裏から、街道オーラ出しまくりの、斜めに走る小道がある。
「四観音道」だ。

尾張四観音をめぐる、巡礼の道なのだ。
ちなみに四観音とは、名古屋城から見て鬼門になる4つのお寺のこと。

荒子観音(中川区)、甚目寺(あま市)、竜泉寺(守山区)、笠寺観音(南区)の4つやね。
で、この四観音道も、一部しか残ってないけど、その一部がここに綺麗に残っている。
ここは竜泉寺から笠寺に向かう部分やね。

1本道で綺麗に残ってるから、しばらくは迷うことはない。
右に丸山神明社。

「丸山」の交差点。
この辺り、古道らしい雰囲気が残ってる。

都市高速高針線(及び並行する幹線道路)を横切る。
(信号まで迂回してね♪)
やかで国道153号線にぶつかる。
この辺りでは「安田通」と呼ばれているようだ。

残念ながら「四観音道」はここで消失。
無理に辿っても、全然街道らしさはないからさ。

153号のすぐ西に「安田通1」の信号があるから、そこを渡って、引き続き南進する。
そうすると「塩付通2」の信号に出る。
変則の6叉路だ。

ここから右斜めに、物凄く狭い道が出ている。
これが、塩付街道やね。
並行する「塩付通」も、当然、これが由来となっている。

江戸時代、星崎村(現在名古屋市南区星崎町)が塩の産地で、その「塩」を内陸に運んだかつての古道だ。

すぐに広路通に出た。
左に正覚寺という小さなお寺がある。
きっとそれなりに由緒あるに違いない。

西友の脇を縫うように走り、突き当りを左折、すぐにマックスバリューね。

さらに南下し、「石仏町」という町名が、いかにも歴史を感じるね。
白山社も右にあり、この辺り、落ち着いた気分で走ることができる。

とにかくこの辺り、まっすぐ進むのが塩付街道。
幹線道路(藤成通)にぶつかっても、迂回して信号渡り、とにかく道なりにね。

すると右前方に巨大な建物が。
名古屋市立大学病院だ。
その手前の小さな交差点には、お地蔵さんもある。
「みやみち地蔵」として、長く信仰を集めているらしい。

また、塩付街道の説明板も設置してあり、ここが旧街道であることがはっきり確認できる。

高校野球で有名な、享栄高校を左に見る。
反対側に視線を移すと、目立たないけど「馬頭観音」が祀られている。
街道の道中安全を願ったものらしい。

さらに進むと、やがて住宅地のど真ん中で突然行き止まり。
ここは左折する。
すぐに信号があるけど、そこからまた明らかに他とは違う超狭い道が分岐している。
接骨院の裏を行く感じだ。

かつてはもっと自然に?くねくねしながら繋がってたんだろうね。
左手100mほど奥にあるのが「汐路中学校」。
北側にほぼ隣接する形で「汐路小学校」もある。
どちらも「汐の路」、つまり塩付街道に由来する名前なのだ。
そして、街道ネタとしては関係ないけど、フィギアスケートの小塚崇彦選手の母校やね。

道沿いに1本だけ、松の木が残っている。
しばらくして左手奥、50mほどのところに「村上神社」。
ここは古墳の跡らしい。
「おどり山古墳」というらしい。

さらに進んで、名古屋女子大付属高校・中学の裏を突っ切る。
さらに気持ち良く走ると、正面に「瑞穂公園野球場」(通称:瑞穂球場)に見え、道はそこで片側1車線の道路にぶつかって終了。

史実的にはまだ続いてるけど、広大な瑞穂公園に吸収されちゃったんだね。
事実上、ここで「旧街道run」はお終いだ。

さて、左には、ランナーにはお馴染みの、瑞穂公園の一角、瑞穂北陸上競技場(通称:キタリク)がある。
ここからは普通に街中を通勤ランするか、まだキタリクが開いている時間なら、ここで流し程度の練習をして帰宅するコスモタイガーなのだ。(平日は20時半まで一般開放)
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(1)

2013-06-18 | 旧中山道run!!

JR在来線乗継で三条大橋に向かうには、京都駅ではなく、その1つ手前、山科駅利用が一般的だ。
山科駅で京都市営地下鉄東西線に乗換、「三条京阪駅」で下車。
地上に上がり、目の前の幹線道路を西に向かえば、すぐに目的の三条大橋がある。

記念に写真を何枚か撮影し、いざ、東に向かってスタート!
プロローグで述べた6区分でいえば、まずは「近江路」を走ることになった。

とはいえ、すでに前述の通り、ここから草津追分までは、東海道との重複区間。
早い話、「旧東海道編30」のコースを逆に走るだけなんだけど。

ということで、詳細な道順はちょいとばかし、端折るとしよう。

スタートしてすぐ、橋を渡ってすぐ、「駅伝の碑」。
これも旧東海道編30の際に見たんだけど、長距離ランナーの1人として、とりあえずもう一度見ておこう。

この幹線道路、行政的には「京都府道37号」ってことになるらしい。
伝統ある呼称として「三条通り」の方が一般的かな?
下にはさっき乗った地下鉄東西線が走っている。

見覚えのある道だけど、逆走も目線が変わって楽しいね。
やがて起伏が始まる左手に、「南禅寺」。

前回も寄りたかったんだけどね。
あまりに有名すぎる観光スポットだし、広大な境内を有するため、「ちょっとだけ」というわけにもいかなさそうなので、今回も素通りする。
勿体ない!!

東海道run同様、主人公は「道」そのものだからさ、一ヶ所でじっくり…ということなら、改めて訪問するしかなさそうだ。

南禅寺の真ん前にあるのが地下鉄東西線「蹴上(けあげ)」駅。
三条通りは少しづつ登っていく。
右手に蹴上浄水場を見てさらに進む。

見覚えのある小道が右に分岐している。
そうそう、「日ノ岡峠」やね。
三条大橋発で江戸を目指す場合は、中山道的にも東海道的にも最初の峠越えになるわけだね。

裏路地のような不思議な空間を、11ヶ月前とは逆に、今、コスモタイガーは登っている。
でもこの道、一方通行ながら、一応、車も通れるんだね~。

やがて「亀の水不動尊」。
江戸時代は、ここで旅人たちが喉を潤したんだね。

さらに走って400mほど。
某宗教の教会があるんだけど、資料によればこの辺りに、最初の一里塚「御陵一里塚」があったらしい。
残念ながらそれらを示す案内板や史跡は何もないけどね。
ただ、この一角、地名として「御陵」と呼ばれているようだ。

突き当って三条通りに再び合流し、右折。
道路の反対側にあるのが天智天皇陵。
「御陵」の由来は当然これやね。

東海道本線をくぐってから左に折れる。
旧東海道編の記憶は新しく、この辺り、迷うこともなく走る。

で、しばらくはこの道路をひたすら東に進むこともわかってるからね。
特段大きな見どころもなく、さっき地下鉄乗換で利用した山科駅前を通過。

400mぐらいかな?
何やら法隆寺の夢殿を連想させる御堂がある。
ちょっとした憩いのスポットになっていて、ほっこりした気分になる。
すぐ後方は「徳林庵」という古いお寺らしい。

左に京阪「四宮」駅を見て、さらにこの道を走るんだった。

左手にスーパーがあり、その前に古い道票が。
「小関越え」といって、ここから山越えで大津宿を目指すルートもあったらしい。

やがて国1を斜めに渡り、住宅街の中を走ると、さぁ着いた!
「山科追分」。

ここも旧東海道編30で既出の通り、京都府・滋賀県の県境。
つまりこれにてまずは京都府完全制覇!
あっけないね。

で、この追分、振り返って今来た道と、そのまま進むのが中山道(東海道)、南西に分岐するのが京街道ね。

そして当然そのまま道なりに進むけど、この道の真ん中が県境という状態がしばらく続くから、不思議な体験を味わえるね。

左手が滋賀県(近江国)、右が京都府(山城国)。
標識も滋賀県と京都府がコロコロ変わるから楽しいね。


交番があって、そこで国1に合流ね。
地図なしでもスルスル行ける。
好きなことは、たった1回でも、なかなか忘れないものだね。

名神高速を潜り、緩やかに登りながら、国1沿いに走る。
沿道に咲く黄色の花が綺麗で、目を奪われる。(冒頭写真)

道路沿いに「月心寺」。
あ、ここも前回、降りてくる際の目印にしてたな。

そんでもって、この月心寺、今コスモタイガーの居る道路沿いは滋賀県だけど、敷地に入ると京都府らしい。

さらに資料によれば、この辺りに2つ目の「走井一里塚」があったらしいんだけどね。
何もないみたいだけど。

歩道橋で反対側に渡って、大谷駅の前の路地を通る。
この辺りも前回同様、不思議なのどかさを感じる。

今回も老舗の「かねよ」は素通り。
走ってる最中だもんね。

国1に合流したところが「逢坂の関跡」。
ここももう一度、写真取っておこうっと。


一応、ここも立派な「逢坂峠越え」なんだけど、大幹線国道1号で、車がビュンビュン走り、その歩道を走ってるだけだからね、実感が湧かないね。

ちなみに逢坂の関は、江戸時代よりさらに以前のもので、中山道の前身、東山道の関所としてここに設けられたらしい。

さぁ、ここからは下り坂。
気持よく降りていきましょう。

京阪電車の線路がトンネルから現れ、右手に寄り添い、コスモタイガー的には楽しい風景。
やがて国道が左右に分かれる。

右に行くのが1号、左が161号。
で、中山道(東海道)は161号だね。
ここも忘れてはいない。

このままどんどん走って、大津市の中心部に入っていく。
途中から京阪電車が路面電車になるんだよね。

気持ち良く走ってたら、行き過ぎてしまい、「浜大津」駅まで来てしまった!
いけねぇ、いけねぇ。

浜大津も、大津市のもう1つの玄関口といえるターミナル駅で、ここはここでぶらついてみたいエリアではあるけれど、今は大人しく戻ろう。

「京町1」の交差点。
ここがかつての大津宿札の辻。
降りてきてここを右折しなきゃいけなかったんだよね。

今度はこの道としばらくお付き合い。
交通量も多い裏通りだけど、滋賀県の県庁所在地大津市の中心部だからね、当然やね。
ただところどころに街道らしさを残しているから、走ってて苦にはならない。

右手奥に見覚えのある洋風の建物。
滋賀県庁やね。
案外、素敵な建物だ。
東海道のときには、何も感じなかったけどなぁ。
やっぱり2度目、どこかに余裕があるのかな。

少し走って右手奥に平野神社がある。
この辺りに「石場一里塚」があったらしいけど、案の定、らしき標識も案内板も見当たらない。

京阪の線路を越え、ちょっと走ったら、これまた記憶に残る「義仲寺」の前に出た。


義仲寺。
すでに拝観済だし、余力もまだ残るけど、次回の行程との兼ね合いもあり、本日、ここをゴールとする。
実走15kmぐらい。

何のことはない。
要するに旧東海道編30を逆走しただけ。
スタート・ゴールをまるまる逆にしただけだ。
でも目線が変わってそれなりに楽しかったけど。

徒歩で膳所駅に向かう。
普通にJR東海道本線で帰れば良いものを、止せばいいのにまたまたお気に入りの京阪電車(石山坂本線)を楽しみ(旧東海道編28参照)、石山駅に出て、そこから東海道本線に乗る、変人コスモタイガーであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近な気になる古道たち⑤

2013-06-05 | 身近な旧街道run!!


★名古屋市緑区大高地区

とある日のコスモタイガー。
自宅から走って、名鉄鳴海駅前に出た。

東海道鳴海宿。
旧東海道編でも走ったけど、それ以前に普段からたまに走っているエリアではある。

高架化も完成し、駅前はきれいに整備された。
もっとも駅前がそれまでの反対、南側になっちゃったけど。

「駅裏」になってしまった北側をしばらく進むと「本町」の交差点。
ここを東西に横切るのが東海道ね。

このまま直進し、すぐの小道を左折すると、奥まったところに小さな公園がある。
「鳴海城跡」。
別名を根古屋城とも言われたとか。

ときは戦国、駿河の盟主、今川義元配下の岡部氏により治められていた城なのさ。
今川方の勢力が現代の名古屋市緑区にまで進出していたってことやね。

清州城の織田信長、それを黙ってみているわけにいかず、一気に形勢逆転!
それが桶狭間合戦ということやね。

本町に戻って、東海道を西に向かう。
「作町」の交差点。

ここが常滑街道との分岐点(追分)と思われる。
道なりに進み、右にカーブするのが東海道ね。
左折し、南下するのが常滑街道。

さて、このまま南進しても良いんだけど、残念ながら旧道の面影は皆無だから、ちょっと寄り道。

すぐに扇川に出る。
小さな橋を渡ってすぐ左折、川の右側に沿って走るとしばらく、川が2手に分岐する。
左手が主流の扇川、右が支流の手越川。

左折して小さな橋を渡る。
2つの川の中州に出るわけなんだけど。

3軒目か4軒目の民家の庭にあるのが中島砦(とりで)。
道案内もあるけど、あまり目立たないから、よほどその気がないと見落としそうだ。
それ以前に、こんな普通の民家の庭にあるなんて、誰も思わないしね~。

この中島砦が、さっきの鳴海城を監視するために織田信長が作ったものなんだよね。
砦(とりで)というのは、お城ほど本格的じゃないけど、主に防御を目的に作られた簡易な要塞のようなもの。

他にも丸根砦とか鷲津砦等を築き、鳴海城を包囲していたんだね。
この辺りの砦巡りも楽しいけれど、またの機会に譲るとして…。

再び鳴海駅方向に戻ろう。
すぐの道を左折し、線路をくぐる。

そのまま進むと目の前に墓地がある。
墓地の中を行く。
左手には善明寺というのがあるらしい。

この辺りから急に古道の雰囲気になる。
国1を渡る。
(信号まで迂回してね♪)

(東海地区では有名な)カレーのチェーン店の横を通り、斜めに通り抜ける道だ。
「丸内古道」と云うらしく、歴史ある道らしい。

突き当って右折すると、作町からの常滑街道(県道23号)に出る。
そのまま県道を横断し、鳴海八幡宮の前に出るんだけど、その手前の喫茶店の植木鉢の中に隠れるようにある、可愛らしいお地蔵さんもチェックしておこう。

この辺り、「前之輪」集落といって、風情ある一角だ。
古文書等にもその名前が散見されるらしく、古くからの集落であることは間違いない。

しばらく走ると左右に分岐するむど、ここは右を選択。
左はすぐに県道23に出てしまう。

そのまま直進を続け、JR東海道本線&新幹線の高架下をくぐる。

たぶんここで旧道は消失してるような気がする。
恐らく左前方に伸びていたのかな?

仕方なく、左折し、「大高西」の交差点に出る。
ここを右折すると、再び古道らしき雰囲気が復活。
八幡神社がある。

建物は新しくなってるけど、古くから存在している雰囲気がある。

小さな橋を渡ってすぐ、突き当ってT字路になる。
左折やね。

すぐにまたT字路。
角に小さな神社がある。

そのまま直進するのは師崎街道らしい。
右折するのが常滑街道ね。

どっちも魅力的だけど、まぁ、どっちかっていうと右折かな。
古くからの大高集落の中心に向かう形になるからね。

100mほど進むと、左手奥に大高城跡を示す案内板がある。
魅力的だけど、後回しにして、まずはそのまま直進。

さらに200mほどで、道はそのまま左に90度カーブ。

そうそう、ここがネットやパンフレット等でも見どころとして案内されているスポットね。
萬乗酒造ね。

素敵な酒蔵と建物で、歴史を感じさせる重厚さもある。
国の登録有形文化財にも指定されている。

名古屋市民にすら意外に知られていないが、大高地区は、かつては日本酒の産地だったため、現在も酒蔵が多く残り、(良い意味で)名古屋らしからぬ、まるで別世界のような懐かしい風景に出会える素敵なスポットだ。

現在も、江戸・明治から続く3軒の酒造会社(萬乗酒造・山盛酒造・神の井酒造)が頑張ってるから、そっち系が好きな人にはたまらない場所やね。
山盛さんと神の井さんは、月に一回程度、試飲もできるらしいから、調べてから訪問するとラッキーかも。
(ただしランニング中の試飲はお薦めしません!)

ここ大高は、東海道からは外れていたけれど、鳴海宿から分岐した常滑街道や師崎街道は、知多半島方面に向かうための重要な道だったため、その入り口として、そして交通の要衝として発展したんだね。

さぁ、そのまま道なりに進もう。
右手に春江院が見えてきた。
1556(弘治2)年、大高城主水野大膳により建立、ということらしい。
素敵なお庭と辺りの静けさが印象的だ。

道の左側には保育園があって、そこを過ぎたところから、案内板に従い、狭い道を入っていくと、大高城跡公園に出る。

ここも桶狭間合戦直前には、今川の支配下だったからね。
桶狭間対策?として、合戦直前に、若かりし松平元康(のちの徳川家康、当時は今川方の一武将)が、兵糧を運び入れたことで有名なお城なのさ。

結構大きな城で、いろいろ巡ってると楽しい。
国指定史跡にもなっていて、ところどころに詳細な案内板も設置されている。

再び保育園まで戻って、旧街道を走る。
左手には大きな集合住宅、市営森の里団地やね。
県道23が左から合流してきて、直進すると大高中学校を左に見て走る形になる。

残念ながら旧道はこの辺りで再び消失し、大高地区の「別世界」もここでいったん終了。
仕方なく、来た道を再び萬乗酒造まで戻る。

萬乗酒造で左折し、さらに1本目を左に。
そのまま直進するこの道も、なかなかにgoodだ。

大きな幹線道路に突き当る。
国道23号バイパスやね。
上の高架は、都市高速&知多半島道路の大高IC分岐がちょうど始まるところ。
明らかに旧道は、バイパスを超えて続いてるんだけど。

ここは信号ないから、50mほど右手にある歩道橋を渡る。
歩道橋からも、旧道がこの先、わずかに残っていることがわかる。

その旧道が途切れたところの角で左折。
この道は、行く先に鬱蒼とした森が見え、わかりやすい。

森に向かって走る。
やがて大きな神社が両側に見えてきた。

「氷上姉子神社」(ひかみあねごじんじゃ)

熱田神宮の摂社(支社みたいなもの)で、創建は西暦195年と、物凄く歴史ある神社なのだ。
道の左手が本殿で、右は「元宮」と呼ばれ、690年に移転されるまではこっちが本殿だったらしい。

もともとこの辺りは「火上の里」とよばれていたんだね。
大高もかつては「火高」だった。

それが室町時代前期、文字通り?この神社は本当に火事になってしまい、シャレにもならないってことで、「氷上」になり、地名も「大高」に変更されたらしい。
ちなみに詳しい地図を見ると、この神社の建つ地は現在も「火上山」となっており、かつての名残が残っている。

両方の神社を楽しむと、これまた意外にボリュームがある。

さてさて、随分と足を運んでしまった。
この辺りでそろそろ帰らないと…。

ちょっと長めのジョグになった。
LSDってやつだね。

ワンウェイコースだと、この氷上姉子神社の先、「平野池」を見て、東海市名和町に抜けていくコースも楽しいんだけどね。
またの機会にするとして、今日はこのまま自宅に戻るとしよう。

帰りはどこにも寄らず、家までなるべく最短距離を走って戻るコスモタイガーであった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする