cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(30)

2012-11-26 | 旧東海道run!!

予定通り、であれば、今日、西側がついにゴール!のはず。
ゴールの三条大橋まで、資料によれば約15km。
もちろん東側はまだまだ先は長いけど、とりあえず1つの区切りにはなるのかな?

大高駅より、いつもの乗継でJR膳所駅に降り立った。
軽い食事を済ませ、前回の終了地点、義仲寺前に徒歩移動。

せっかくだからね、中を拝見していくことにする。
木曽義仲の墓、その脇に松尾芭蕉の墓。
薄暗い庭の中にひっそりと建っている。

お寺の前の道をそのまま西へ進む。
1本道だから迷うことはないかな。

京阪の線路を越える。
やがて左側に何やら洋風の建物が見えてくる。
滋賀県庁だ。

大津宿に入ってきたかな?
直進を続け、国道161号と交差。
ここが大津宿の札の辻で、左折するんだけどね。
国道161の真ん中に、路面電車になっている京阪電鉄(京津線)。
この道沿いが大津宿の中心街かな?
本陣跡の案内板などが建っている。

路面電車と化していた京阪電車はここで緩やかに右に分岐し、専用軌道になる。
東海道はそのまま国道ね。

専用軌道となった京阪線が右に寄り添うと、すぐに蝉丸神社(下社)。
踏切を挟んで建っている光景は、ちょっと不思議だ。

国1が左側から合流してくる。
その少し手前に、「逢坂(おうさか)の碑」、安養寺と、見所も多くて飽きないけど。
ただ、どっちの国道もかなりの交通量があって、歩道も右側はここで途絶えてしまい、走りづらい。
何とか次の信号で左側の歩道に渡ったけど、見所は右側の方に集中してるからね~。
ただ、京阪線がいつのまにか左側を走ってるから、電車を見るには最高のシチュエーションだけどね。

右側に再び蝉丸神社(上社)。
国道runが続くけど、景色は悪くない。

逢坂峠のピークを越え、下りに入るとすぐ、またまた右側、逢坂の関跡。
で、そこから分岐する小道が東海道。
「かねよ」という老舗のお食事処があるんだけど、トレーニング中のため素通りね。

右側に蝉丸神社(分社)。
ところで蝉丸っ何よ?って話だけど、平安時代初期の盲目のお坊さん兼歌人としか、俺も知らない。
あんまり和歌とか興味ないし。
確か百人一首にも入ってたっけ?
坊主めくりで何度か巡り合った気がする。
そんな俺でも知っている「ゆくもかへるも逢坂の関」(だっけ?サビの部分しか知らない…)は、蝉丸さんの作品だから、この辺りに縁があるってことやね。

京阪の大谷駅。
何気にポツっと立ってて、良い感じ。

すぐに国1に合流、歩道橋があるから、渡って道の反対側(左側)へ。
下って行くと左手に「月心寺」。
走井餅という、何だかピッタリのネーミングの名物菓子が有名らしい。

名神高速をくぐり、交番が見えてくると、左に分岐するのが東海道。
ここから再び街道らしさが復活。
100mほどのところに、「京都市」「大津市」の看板が乱立?している。
この道がちょうど、京都市と大津市、京都府と滋賀県の境なんだ。
道の右側は滋賀県、左側は京都府という状態が続き、地番表示を見ているとちょっと楽しいな。

右手一段低い所に国1と京阪線が寄り添う。
道が二手に別れるところに昔の道標がある。
現代の標識もあって、大津市と京都市の境であることを示している。
有名な「山科追分」(または髭茶屋追分)だ。

直進が東海道ね。
ちなみに左に行く道もそそられる。
これは京街道で、秀吉公が作った商業都市大坂(現在は大阪と表記)へと続く。

実はこの京街道も、広義の東海道と称する考え方もあり、その際は「東海道57次」になるらしい。
とりあえずコスモタイガーはノーマル?な「53次」を尊重し、直進。

いったん滋賀県に戻り、国1を斜めに渡ってしばらく、念願の?京都府入り。
あとは道なりに走るだけさ。
右手やや奥に山科駅を見て、そのままさらに直進。

信号のある交差点で広い道に出る。
「三条通」というらしいけど。
ここを右折し、少しだけ三条通を走る。
ここは道の左側に渡っておいた方が良い。

といいつつ、右側に公園らしき場所。
天智天皇陵。
興味ないわけじゃないけれど、ちょっと時代的にね~。
ということでパス。

ちょっと目立たないけど、すぐ左折する小道がある。
これが東海道。
そして西側、京の都を前にして最後の峠、「日ノ岡峠」。

裏道というか、散歩道とでも云うべきか、
素敵な小道やね。

亀の水不動尊。
かつては湧水があって、旅人の喉をうるおしていたらしい。

くねくねと下って行くと、再び三条通に合流。
さぁ、もうあとはこの道を行くだけだ。
ゴールは近い!!

蹴上(けあげ)浄水場を左に見て、どんどん降りていく。

右側にかの有名な南禅寺があるけれど、寄ってしまったら何だかそこで終わってしまいそう。
またの機会にするとして、先を急ぐ。

南禅寺の前が「蹴上」の交差点で、地下鉄の駅もある。
ここも道なりに左へ。

京都の街中らしくなってきた。
ここも南側に、知恩院という有名な観光地があるけどね、キリないからね。
あくまでも目的は東海道、じゃなかった、マラソン練習の一環!

小さな川を渡る手前を左折すると、明智光秀の首塚。
山崎の合戦で敗北した光秀は、途中で名もなき農民に討たれ、家来によりここまで運ばれて葬られた。

もう残り1kmもないよ。
東山三条の交差点。
地名からしても、ゴールは近い!

三条京阪駅の看板が見える。
その先にある川が、京都を代表する鴨川。
そしてそこにかかるのが「三条大橋」。

待って!
ゴール前にまだ1つ見ておきたいものがある。

橋の右手前、ランニングを愛する者として、これは見ておかんとね。
「駅伝の碑」。

1917(大正6)年4月27~29日の3日間にわたって、我が国初の駅伝大会が開催された。
スタートがここ三条大橋で、ゴールが東京は上野の不忍池。
その名も「東海道駅伝徒歩競走大会」
それを記念して建てられている。

なぜ「徒歩」が入ってるのかよくわからないけれど、何とも壮大な駅伝大会だ。
現実には厳しいだろうけど、復活したら面白いだろうなぁ。
どうせなら、旧東海道をそのままコースにしたいよね。

さぁ、橋を渡ってゴールとしよう。
高山彦九郎なる人物の銅像がある。
さらに橋を渡りきったところに、弥次さん喜多さんの像。
記念の写真を何枚か撮影し、周辺を散策。(写真上)

来ちゃったよ、ついに西側、ここまで来ちゃったよ。
NHKの街道てくてく旅のような出迎えはだ~れもいないけどね。

ランニング日誌によると、2007年10月27日、コスモタイガーはこうして東海道西側を制覇したのであった。

で、これで終わらないのがコスモタイガーの旅。
普通に京都駅に出て、新幹線か名神高速バス、が一般的なんだろうけどね。
さっき通った三条京阪駅に戻り、地下鉄東西線に乗る。
そのまま京阪京津線に相互乗入しているからね、

ついさっき走った道を見ながら追分駅、大谷駅を過ぎ、途中、大津市内中心部は路面電車になり、石山坂本線に入って、膳所の街中をのんびり走る。
復習編みたいなもので、変化に富んで楽しいなぁ。

JR石山駅に着いた。
ここでやっと気持ち的に旅は終了。
あとはお決まりの東海道本線乗継だ。


2015.7.14追記 地図、作成しました。(ここをクリック)
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(29)

2012-11-15 | 旧東海道run!!

朝、目が覚めて空を見ると曇天。
うーん、今日は晴れてほしかったなぁ~。
今日は東海道でも有数の名所を通るからね~。

でもまぁ、雨は降ってないし、予報でも雨ではないらしい。
じゃ~、行くしかないよね。

ということで、今日も名鉄で豊橋へ。
豊橋で「休日乗り放題切符」を購入、早い話、前回と同じ行動パターンってことだけど。

清水駅に降り立った頃にはお昼を過ぎていた。
駅前を少々散策後、本日のrun開始。
前回の終了地点、「江尻東」の交差点から北に向かう。

前回の江尻宿までは、少々単調だった感が否めないけれど、今日は変化に富んでるコースらしく、期待感あるんだけどね。
で、いきなり「江尻宿東木戸跡」と「一里塚跡」とだて続きに遭遇。
ともに、汚れて見にくくなったせいか、由緒書を印刷した紙が張ってあった。

やがて「辻町」で国1に合流。
この合流地点が「細井の松原跡」。
要するに松並木のことなんだけどね。
全盛期には両側合わせて200本以上あったらしい。

残念ながら、太平洋戦争時、航空機の原料となる松の油を取るために、そのほとんどが伐採されてしまったとか。
現在は平成に入ってから植樹された1本が記念碑的な感じで残っているだけだ。

まぁ、戦争を知らない世代だからね、大きなことは言えないけれど、当時の世相を思えば「松並木の保存」どころじゃなかったんだろうね。
つくづく平和はありがたいことだ。
もっともどこかの市は、平和時にも関わらず、宅地造成と称して松並木、つぶしてたけど。
よほど油が不足してたのかな?

しばらくは国1をひた走る。
2km少々走ったかな?
左側に「東光寺」。
お庭が整備され、綺麗なお寺だ。

さらに国1runが続く。
左手に「延命地蔵尊」、この分岐を右に。
踏切を渡ってしばらくして左折。
静清バイパスの高架下をくぐり、国1に出て右折、小さな川沿いを行く。
「波多打川」と呼ぶらしい。

国1もここまでくるとのどかだねぇ。
特に左手には丘陵地がせまり、緑が多い。

しばらくして右側に「坐漁(ざぎょう)荘」。
明治の政治家、西園寺公望(さいおんじきんもち)公の別荘ということらしい。
いかにも年代を感じさせる建物で、中も見学できるらしいけど、これは忠実に復元されたもの。
ちなみに本物は我が愛知県の、明治村に移築されてるそうな。
じゃ、またの機会に明治村行こうっと。
まぁそれに、東海道的にはちょっと時代も違うしね。

今度は左手、道の反対側に、「清見寺」。
東海道でも有数の名刹で、約1300年の歴史があるらしい。
階段を上ると広大な境内なんだけど、その中をJR東海道本線の線路が通っている。

しばしお寺を見学していると、静寂の中、すぐ前を電車が疾走していく。
良いねぇ!

再び国1runを続けると、もうそこは興津宿に入る。
西本陣跡の碑もあるしね。

脇本陣水口屋跡、東本陣跡と続けざまに史跡があり、ついでに某電話会社の興津交換所もあった。
興津駅前の交差点もそのまま直進、やがて興津一里塚の跡。
さらにその先、「身延山道標」。

要するにここがかつての追分で、左に伸びていくのが「旧身延道」。
身延山久遠寺への参詣道ということやね。

「興津中町」の大きな交差点に出る。
国道1号から国道52号が分岐している。
この52号を現代では「身延道」とも呼ぶらしいけどね。
あくまでも車社会特有の便宜的なもの。

その次の「興津中町東」の信号もそのまま直進。
さぁ、いよいよです!
今日のクライマックス!

すぐのところに、3つに分岐する地点、一番左の狭い道が東海道だ。
いかにも旧街道らしい、微妙なカーブを描いているからね、すぐにわかるけど。
左に東海道本線が寄り添ってきたと思ったら、川(興津川)に突き当たった。

仕方ないから、広い道(旧国1?)に出て、橋を渡る。
渡り終わって、うーん、迷うなぁ。

何を迷うかと云えば、ここで東海道は幾筋かに別れるからね。
江戸期以前からあったとされる古道「地蔵道」、江戸初期の「中道」、天和年間に朝鮮通信使の往来のために追加された「上道」。
さらに安政の大地震で隆起するまで、波打ち際を命がけで通ったとされる「下道」とあるからね。

もっとも楽しそうな(というかアドベンチャー的要素が多いというべきか?)中道を行こうと決断したものの、上道も気になる。

橋渡ってすぐ鋭角に左折するのが上道らしい。
右斜めの道を行くと「瑞泉寺」。
上道の最大のウリがこのお寺。
ひっそりとした雰囲気のあるお寺だ。

残念ながら事前の下調べによると、「上道」はここから先、街道らしさがあまり残っていなさそうだ。
で、ここで引き返して、鋭角カーブまで戻る。
100mほど進むと、国1に合流するんだけど、そのほんの少し手前、左に入る狭い道、これが旧東海道中道だ。

何を隠そう、これから登るのは、かの有名な「薩埵(さった)峠」。
歌川広重の浮世絵、そして観光本・HP、様々なところで紹介されているあの風景が待っているのさ。

せっかくの中道だけど、すぐに東海道本線に遮られる。
戻って国1の左側を100m少々進むと、左折する小道が。
いかにも地元の方の生活道路っぽいが、ここに「薩埵峠官道中道」の案内板。
以降、しばらくはこの案内板が手掛かりとなる。

地元でも一応、この「中道」を正規の東海道としているのかな?
もっとも案内板が整備されていると思われる。
とはいえ、アドベンチャー要素盛りだくさんだけどね。

海岸寺、白髭神社と、斜面のわずかなスペースに建てられている。
一気に高度を上げたため、海が見えて見通しは良い。
もうここまで来たら案内板に従うだけ。
路面は完全にクロカン状態。

さすが静岡県、所々みかんが生っている。

自分以外、誰もいない、山の中のクロカンだ。
ひっそりとした墓地に出る。
その墓地の横の獣道のような斜面に階段があり、懸け登って行くのが東海道。


凄いねぇ!!
天下の東海道が、こんな所を通っていたんだ!

鈴鹿峠を思わせるクロカン道をひたすら登る。
こりゃ、ええ練習になるわ!

汗ダクダクになり、登りきってしばらく、「薩埵峠」の表示がある。
この辺りが峠のピークなのかな?

でも目的の風景はもう少し先らしい。
何度か登り下りを繰り返し、展望台らしきところに出た。

着いた!!
この景色だ!
パチリ。(冒頭写真)
(ちなみに左側線路が東海道本線、真ん中が国道1号、右側海に張り出してるのが東名高速)

残念ながら、富士山が見える天候じゃないけれど、それでも充分に感動できる風景だ。
写真やHPでは何度も見た景色だけど、やっぱりリアルは良いねぇ。
しばしrunを忘れ、立ち尽くした。

ちょうど反対側から歩いてきたと思われる男性に遭遇。
お互いに写真を取り合って別れた。

さぁ、良いrestになった。
ここからは下りだ。
所々で右手に海が見える、最高のロケーションの中、標識に従って走る。
といってもしばらくは1本道だから、迷うところじゃないけど。

やがて小さな分岐点があるけれど、当然右側の下りて行く方が正解。
すぐに西倉沢の集落に出る。

「西倉沢一里塚」。
その反対側には、山岡鉄舟ゆかりの「望嶽亭藤屋」という古い建物がある。

どうやらこの辺りは、間の宿として栄えたらしく、旧街道らしい街並みが何気に続いていて、それでいて車も人通りも少なく、静かでホッとする空間だ。

1kmぐらいそんな感じが続き、左手に「東海道名主の館小池邸」。
中は休憩所?みたいになってるらしいけど、道そのものが走ってて楽しいからね、パスして先へ行く。
町並みは続く。
いいねぇ、飽きないねぇ。

歩道橋を渡って右側の狭い方の道を行く。
まぁ、慣れてきてるからね、何となくオーラで分かるけど。

そこかしこに桜エビの看板が目立つ。
この先の由比宿は、桜エビが名物らしい。
と思ったらすぐに右側、JR「由比駅」。

東海道本線とは思えない静かな駅で、のんびり過ごせそうな感じだ。
しかも駅前がそのまま旧東海道という、最高のロケーションやね。
本日、ここをゴールとする。

今日はきつかったなぁ!
薩埵峠、楽しかったけど、ボリュームあった。
実走距離17~18kmぐらいかな?

駅の隣が小さなグランド(児童公園?)になってるのも嬉しい。
のんびりストレッチで体をほぐし、帰途につくコスモタイガー。
またまた東海道本線乗継だ。



※2015.5.29追記:地図、作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(28)

2012-11-07 | 旧東海道run!!
今日は当初出掛けるつもりなかったんだけど、予定のキャンセルなどがあって時間が出来た。
幸い、西側なら時間的に余裕あるため、今からでも充分行けると判断し、急遽走る用意をして家を出た。
大高駅に車を置き、東海道本線を乗継、南草津駅に到着したのは14時過ぎ。

駅前をぶらつくほどの時間的余裕もないので、早々にrun開始。
西に向かってすぐ、走れば2~3分で国1の「野路町」の交差点に出た。
この交差点のすぐ西にある小さな公園が前回のゴールだったね。
「野路一里塚跡」の存在を再確認。

すぐ前の広い道を横断し、南へ向かう小道が旧東海道。
ゆるやかに右にカーブし、街道らしい雰囲気を残す道だ。
しばらくして地下道で県道を渡る。

50mほどで、右側に「野路萩の玉川」と呼ばれる史跡が残っている。
かつては湧水があり、それを囲むように萩の花が咲き誇る名所だったらしい。
現在は史跡として整備されているだけで、水は湧いてないけど。

しばらく行くと住宅地の中に、突然右手に池が現れ、良い気分転換になる。

西側もこの辺りは、起伏らしい起伏もなく、穏やかな市街地runが主流だけど、その分史跡が多く、退屈はしない。
月輪寺という、小さな、でも歴史を感じるお寺が左側にある。
この辺り、地名も「月輪」と称するらしい。
町並みにも歴史を感じつつ、気持ちの良いランニングだ。

信号がある。
その向こうに池がある。
月輪大池というらしく、周囲は「一里山公園」として整備されているらしい。

ということは、「一里塚」があるはず。
まずは池の前に「東海道立場跡」の石碑。
そのまま道なりに600mぐらいかな?
あったあった!
交差点の角に「一里塚跡」と大書された大きな石が建っている。
「月輪一里塚」の跡やね。

ここも道なりに直進。
西側もここまで来ると、京都に近いからか、東海道ははっきり残っている気がする。
所々のポイントだけを把握しておけば、そんなに迷うところはない。

そのポイントにやってきた。
右手奥に瀬田小学校。
ここを左。
ちなみにまっすぐ行くと「山口病院」があるから、それは間違いね。
一応、案内板もあるから、注意してればOKなんだけど、見落としやすい。

しばらく南下することになるけど、今度は右折して、再び西だけど、ここもわかりにくい。
目印としては、仏壇店が左にあるぐらいかな。
案内板に注意して走る。

今度はしばらくして広い車道に出る。
多分、旧国1かと思うけど。
ここを左折して、しばらくこの広い道沿いに走る。

石材店があり、左に分岐する道がある。
良く見ると正面に「左東海道、右瀬田唐橋」と書かれた道標がある。
石材店のサービスかな?

表示に従い、左の小道へ。
すぐに県道16号に突き当たる。
東海道はここを左折し、そのまま県道16号を行くんだけど、目を左に向けると、大きな神社らしきものが。
少し東海道からはずれるけど、癒しを求めて少し寄り道。
「建部大社」といい、源頼朝も伊豆配流の折に立ち寄ったということらしいから、由緒ある神社なんだ。(写真)

東海道に戻ってそのまま県道16を走る。
400mぐらいかな?
大きな川を渡る。
瀬田川ね。
そしてこの橋こそ有名な「瀬田の唐橋」。
「唐橋を制する者は京を制す」と云われ、防衛上重要な橋だったとされる。
「びわこ毎日マラソン」でもお馴染みの橋だ。

橋の上からの景色が素敵だなぁ。
広々した感じで、気持ち良い。
晴れてたらもっと良かったんだろうけど。

橋を渡ると電車の線路に遭遇。
「京阪電鉄石山坂本線」ね。
左側に「唐橋前」駅があり、横切ってすぐの交差点(鳥居川」を右折。

ここからしばらくは、この京阪電鉄石山坂本線と旧東海道が寄り添う関係となる。

再び京阪電鉄線を渡ると、「松原町西」の交差点で、左側に「京阪石山」駅がある。
(JR東海道本線石山駅と隣同士。)
本来の東海道は、ここから左折し、双方の石山駅構内を通り、北口のロータリー辺りに出るらしいけれど、事実上通行は不可能。
直進し、東海道本線の踏切を渡るのが無難。

300mほど走ったところで、左から来る道があるけど、これが東海道なんだ。
可能な限り東海道にこだわりたいからね、一応この道を走っておく。
といっても、北口ロータリーにすぐに出て、行き止まりだけど。

すぐに引き返し、さっきの道をそのまま北上。
この辺り、左右ともに工場街で、街道らしさは無い。

「晴嵐」という変わった名前の交差点に出る。
ここもそのまま直進。

まもなく右側の普通の民家の入口に「膳所城勢多口総門跡」。
京阪電鉄を再び渡ると、若宮八幡宮があるから、そこを右折する。

この辺り、膳所(ぜぜ)の城下町の雰囲気が残っており、落ち着いた街並みが続く。
素晴らしい!
そして城下町特有の右折左折が多いのも、ありがちな特徴やね。

で、また京阪電鉄線。
瓦ヶ浜駅前を通過。
ちょうど電車が来たところで、良いねぇ、乗りたい!!

でもまだ先に進むよ。
乗るにしたって、もっと先から乗りたいし。

気持ち良く走ってると思わず直進し、そのまま突き当りを道なりに左折してしまいそうだが、ここは注意。
正確にはその手前の「光源寺」を左折し、境内を通り抜け、さらに「篠津神社」の境内を通り抜けるのが、旧東海道らしい。
そして中ノ庄駅前に出る。

ここで右折し、北へ向かう。
信号のある交差点に出た。
標識を見ると、右に向かうと、琵琶湖湖畔に建てられた「膳所城址公園」がある。

調べたところによると、藤堂高虎によって建てられた名城の1つで、琵琶湖の中に石垣を築いたため、「膳所の浮城」などと呼ばれたらしい。
残念ながら、現在は石垣を残すのみだけど、市民公園として整備されているようだ。

大いに興味ありなんだけどね、あくまでも目的は真面目な練習!ついでに東海道だから!(え?)
ということで、ここも直進。

和田神社のところで道は分岐するけど、ここは左。
突き当りを右、すぐまた左、と道はややこしいけど、案内板は一応整備されているから、注意してれば大丈夫。
そして何より、街の雰囲気が素晴らしい!

あとは道なりに走るだけ。
さらに1kmぐらい走ったところで、左にこじんまりとしたお寺が現れた。
「義仲寺」。

名前のとおり、木曽義仲(源義仲)の墓があるらしい。
そして義仲を尊敬していたとされる松尾芭蕉も、遺言により、義仲の墓のすぐ奥に建てられているらしい。
いかにも自由な俳諧人、芭蕉らしいね。

さて、本日はここをゴールにしておこうかな。
実走距離、14~15kmといったところかな?

いかにも住宅街の中だけど、南へ徒歩5分くらいで、JR「膳所」駅と「京阪膳所」駅に出る。
隣接してるから、どっちに乗るか迷うんだけど。
料金と時間を取るならJRだけどね。
前回同様、米原までの切符を買えば良いわけだから。

でも「楽しさ」なら圧倒的に京阪電車でしょう!!
さっき通った膳所の街並みをゆっくりと走る。

ということで、京阪を選択。
地元客が多いんだろうなぁ。
時間がゆっくり流れているような車内、静かな城下町をコトコト走って、「京阪石山」駅下車。
ここから先、石山寺まで線路は続いていて、乗りたい心境は山々だけどね、これ以上楽しんだらバチ当たりそうだし、そろそろ帰路に付かなきゃね。

ここもさっき迷いながら通った駅だよね、石山駅。
JRに乗換、東海道本線乗継で今日も帰宅。

ちなみに京三条大橋まで、大雑把にあと15kmぐらいかな?
次回、恐らく西側がゴールになりそうだ!


※【2015.4.17追記】 地図、作成しました。(ここをクリック)
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