cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(21)

2014-05-30 | 旧中山道run!!

いざ、中山道へ!
今日もコスモタイガーは、10:10発の松本行普通列車に乗り込んでいる。
ここまでお世話になった「青空フリー」も、今日が最後かな?

青空フリー切符は、今日の出発駅「奈良井」の1つ先、「木曽平沢」までがフリー区間。
帰路は確実にフリー区間を飛び出すことになり、その部分だけ別途支払いになるからね。

11:30過ぎに、コスモタイガーは奈良井駅に降り立った。
今日は前回やり残した、奈良井宿散策から始めよう。

奈良井宿は、京都から来ると、木曽路最後の宿場町。
南西から北東へと続く大きな宿場町なんだけど、JRの駅は、その北東端に位置しているため、京側へ戻る形で、南西に歩く。

で、実は駅前の道は厳密には中山道じゃない。
少し戻ったところから、左の崖に上がっていく未舗装のトレイル道、これが旧中山道らしい。
現在は残念ながら途中で行き止まりらしく、観光客も入って来ず、この一角だけがひっそりとしている。
見事な杉並木となっており、「二百地蔵杉並木」と称するらしい。(冒頭写真)

先へ少し進むと、名前の通り、お地蔵さんがたくさん並んでいる。
で、リサーチ通り、道はここで行き止まり。

戻ってさらに宿場の中心へ。
隅から隅まで約1kmあるとされる奈良井宿、両側には江戸の街並みが保存され、土産物屋や民宿が並んでいる。
妻籠宿同様、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。(旧中山道編15参照)
今じゃすっかり有名になった奈良井宿、観光客もかなり多い。

「越後屋」
かつての旅籠で、今でも現役の民宿として利用できる。

「伊勢屋」
旧脇本陣で、こちらも現在は民宿。

そして重要文化財の「手塚家住宅」は、上問屋の跡で、中は資料館になっているらしい。
当然見たい気持ち山々だけど、見所満載の奈良井宿、1つ1つ丁寧に見学していたら、ここだけで1日が終わってしまうからね。

写真を撮ったり、途中でみたらしを頬張ったりしながら、南西の端、「鎮神社」に到着。
1時間弱の超駆け足ながら、これにて観光終了。

今日のトレーニングの無事を祈願し、この神社を本日のスタートとする。
といっても、ここから駅までは、前回と重複だけどね。
観光客の行き交う中を颯爽と?走るのも、前回と同じだけど。

ただ、前回のような慌ただしさはなく、ゆっくり宿場町の雰囲気を感じながら走る。
越後屋の前を再度通り、左手奥にある大宝寺も気になるけどね。
ここにも「マリア地蔵」がある。
これまた、隠れキリシタンに関係することは、間違いないけれど、構わず素通り。

左右ともに綺麗な宿場町を駆け抜け、さっきの崖道(杉並木)をやり過ごし、そのまま直進して、再び奈良井駅前に。
現在は、このまま駅前を通るしかないのだ。

そのまま線路沿いに進むこと約400m、右にカーブして踏切を渡る。
しばらくまた線路に沿って走り、再び右にカーブし、中央本線と離れると、今度は川を渡って、国19にぶつかる。

もっとも、本来の中山道は、ここをカーブせず、正面の体育館に向かって直進していたらしい。
現在では、行き止まりになり、その先は消失ということらしいから、資料に従い、いったん国道に出るのが無難なようだ。

地元の案内板は、ここから左の散策道に入るよう、指示しているけど、構わずしばらくは国19を走る。
「平沢南」の信号で、分岐を左に。

正面に踏切が見える。
この踏切の少し手前辺りから、旧中山道、ということになるようだ。

踏切を越えると、すぐに平沢集落に入る。
一気に旧街道オーラ全開の、楽しい空間となった。

宿場町ではないけれど、漆器の産地として古くから栄えた集落で、お隣の奈良井宿同様、重要伝統的建造物群保存地区に指定され、当時の町並が今も残る。
むしろ、観光客が少ない分、こっちの方が素敵かも。

旧街道から約50m、右に入った所にあるのが「木曽平沢」駅。
今日は素通りだけど、青空フリーは、この駅までが「フリー区間」になっているわけだね。

さて、町並みに戻る。
道の両側には、伝統ある漆器屋さんが軒を並べている。
もっとゆっくり見て歩きたいなぁ。

いかんいかん、トレーニング中だ!
雰囲気だけを楽しみながら、足だけはちゃんと進めないとね。

正面に諏訪神社が見えてくると、平沢集落の町並みは終わり。
で、その諏訪神社の境内を突っ切るのが中山道らしい。

突っ切った先にあるのが、塩尻市役所楢川(ならかわ)支所、かつての楢川村役場。
この前を走る県道257、実はさっき平沢集落を走ってた道なわけだけど、この県道で支所前を通過。

のどかな山村風景を楽しみつつ、道なりに走る。
右手に大きな駐車場付の建物が現れた。

「道の駅ならかわ」。
折角の休憩ポイントだけど、幸い給水も間に合ってるからね、素通りする。
とはいえ、1つのチェックポイントではある。

間違えやすいのは、その前に左に分岐する道がある。
つい癖で、そっちを選んでしまいそうだけど、ここは素直に道なりに進み、「平沢北」の信号で、国19にぶつかるのが正解らしい。

それよりも、国道を500mほど進んだところから、右に分岐する狭い道。
こっちこそ、まさに中山道だ!

「長瀬」という集落らしい。
特段、見所はないけれど、国道と中央本線に挟まれ、雰囲気ある静かな集落は、走ってても楽しい。
といっても、僅かな区間で、集落を抜けると、再び国19に吸収されるけど。

またしばらくは国道runだ。

中央本線の下を潜り、すぐに川を渡る。
「贄川(にえかわ)」というらしい。

すぐに右に分岐するのが中山道。
田んぼの中に「押込一里塚跡」の碑が見える。

ここからがちょっとややこしい。
思わず気持ち良く快適な道をそのまま進んでしまいそうだけど、資料によれば、実はこの一里塚跡脇の狭路に入っていく。

民家の間を縫うように走り、やがてアスファルト道は行き止まり。
…と思いきや、ほとんど獣道と化した踏み跡がかすかに続いている。

両側は樹木に覆われ、鬱蒼とした森の中、視界は全く利かない。
半信半疑、そして恐る恐る、先へ行く。
大丈夫か?

途中、怪しげな階段もあったりするけれど、丁寧に資料を見ながら、足を進める。
踏み跡がかすかに左に曲がり、やがて国19沿いの高い崖の上に出た。

車の側からすれば、我々を見上げることになる。
19号に沿って設置された土砂崩れ防止用の塀の上を、人が走る形で、結構目立つし、何やら恥ずかしい構図だ。
しかも「走ってる」からさ、野生のサルと間違われたりして。

でもここ、間違いなく「中山道」のようだ。
まぁ、「旅の恥はかき捨て」ってことやね。

降りたところが、「木曽路民芸館」を兼ねた漆器店の駐車場になっていて、そこからは19号を走る。

400mほど先で、中央本線がトンネルから出てきて、右側に寄り添う。
この辺りで中山道は、線路の反対側に出ることになっていたらしいけれど、現在、中央本線により破壊され、そんな道は存在しない。

仕方なくそのまま直進。
しばらく先に線路を渡る跨線橋があるから、それを利用し、そのまま狭い道を直進すると、突き当たったT字路で、いかにも旧街道然とした、静かな道に出る。
ここで本当の中山道に再び巡り合った。

何だか突然な感じだけど、この辺り、すでに贄川宿に入っているようだ。
残念ながら、お決まりの本陣や脇本陣は残っていないけれど、余分な音のほとんどしない静かな集落の町並みは、地味ながらも気持ち良く走れる風景だ。

その中でもわずかに目立ってるのが、旧深沢家住宅で、かつての商家さん。
現在、重要文化財になっている。

贄川宿は小さな宿場だったらしく、あっと言う間に家並みは途切れる。
そのすぐ先、道が左折しつつあるところの正面にある、可愛らしい木造建築が。

これが「贄川関所」やね。
木曽福島ほど大きくはないけれど、ここも資料館として復元・整備されている。

でも、毎度のことながら、トレーニング優先ね。
ぶっちゃけ、東海道の新居関も、箱根の関も、おおかたやってることは一緒なわけで。
ここまで来ると、資料館うんぬんより、道そのものに価値を見出してるからね~。

このまま直進し、坂を下りていき、中央本線を斜めに横切る形が正式な中山道らしいけれど、当然無理な話。
ここは関所前の道を左に行き、とりあえず19号に出る。

そのまま国道を走ると、すぐに中央本線贄川駅前に出る。
ここも普通しか停車しない静かな駅で、相変わらず人影が無さそうだ。

贄川駅前を通過してすぐ!
左に激しく登っていく分岐道がある。

あまり街道の雰囲気を感じないから、少し躊躇して迷ってしまったけど、リサーチによればこれが間違いなく中山道らしい。

駆け上がると、右に国19と中央本線を見下ろした、抜群の風景となる。
所々、紅葉しているところが、また素敵だなぁ。

T字路を右へ。
周囲は、農家が静かに佇むだけの集落で、案内板もなく、不安になる。

やがて下りになり、道は左にカーブするけれど、ガードレールの切れ間から降りていく獣道?がある。
リサーチニよれば、これが中山道らしい。

ここを下りると再び19号。
そしてすぐのところに、無茶苦茶判りにくい、というより、なんじゃこりゃ、というところにあるのが、「若神子一里塚跡」。

19号沿いに「一里塚跡はこの上です」と控えめな看板が出ており、見上げると、左崖の上に、案内板が立っている。
こりゃ、あらかじめリサーチしておかないと絶対に見つけられそうにない史跡だ。

再び左に分岐。
右に小さな集会所があり、かすかに街道であることを教えてくれる。
地元の方しか通らないため、交通量も少なく、この辺りは快適なランが続く。

19号に再び吸収され、しばらく走ると、「鶯着(おうちゃく)寺」。
これが目印で、ここを左に分岐し、100mほどでまたすぐに合流。

しばらくは国道runだけど、この辺りの国19、空が広くて明るく、視界的にも素敵な風景が続く。

「桜沢」という名の集落に入ったようだ。
今度は左側。
「明治天皇御休所」の碑。
かつての茶屋本陣、つまり、旅人がお茶する場所だったんだね。

この茶屋本陣が目印で、100mほど先で右に上る細い分岐道があるから、ここを登る。
ここも例のごとく、未舗装の悪路で、雑草もかなり生えており、走りにくい。

ほとんど獣道状態で、ホントに、これ、中山道?と思ってしまう。
周囲に人の気配もなく、少し下を走る国19に、たまに車が通り過ぎるのみだ。

ペースはガタ落ち、草をかき分けながら進むと、やがて左に急カーブ。
鋭角に曲がり、国19に再び降り立つ。

その降り立ったところにあるのが、「これより木曽路」の大きな碑。
そう、江戸からだとここから木曽路。
つまり、コスモタイガーにとって、これにて木曽路終了!

もっともこの碑、そんな説明書きはないけれど、この国道沿いに移設されたんじゃないの?
さっきの鋭角は不自然で、あの獣道はもっと自然な形でそのまま直進していただろうし、当然、境界を示す碑は、その道沿いに建てられたはず。

いずれにせよ、これにて木曽路制覇!
近江路・美濃路・木曽路。
6つのうち、3つを走破!(旧中山道編0参照)
ここからはいよいよ中山道最大の難関、信濃路だ!
国名でいうと、木曽の国から、信濃の国に入るという説明になる。

頭上には、「標高812m」の表示もある。
東海道の箱根峠とそんなに違わない高さにいるってことやね。

さぁ、国19を進もう。すぐに橋を渡る。
名前はそのまんま、「境橋」。

しばらくは国19をひた走る。
右に中央本線が寄り添う。
標高も徐々に下がり、気のせいか、信濃路になって急に空気が変わった気がする。

1.5kmぐらいかな?
気持ち良く走ってると、うっかり直進してしまいそうだけど、左右両側に、アスファルト道が分岐している。
右は、この国道19号の旧道に値するらしく、結構広いけど、左に降りていく道は狭そうだ。

小さな案内板を確認し、左の狭い道の方を選択、グルッとカーブし、国19の下を潜る。
インターチェンジを降りるような感覚だ。

すぐにさっき右に分岐した方の、少し広い道に合流。
ここからはこの道が中山道でもあるらしく、そのまま旧国道に沿って走る。
現在では、県道254号線、ということになっているようだ。

日出塩の集落に入ったようで、左右に民家が現れた。
旧国道ということで、たま~に地元の車両が通行する程度で、ひっそりとしている。

おっとっと!
右側、思わず見落としそうだけど、「→日出塩駅」の看板が出ている。
覗いてみると、一瞬、民家の裏庭?と思うぐらい、ひっそりと佇む無人駅で、面白そうだ。
それに、信濃路に入って最初の駅、というのも興味深いし、何となく気持ちの上で1つの区切りになる。

当初のリサーチでは、約5km先の洗馬駅まで頑張るつもりだったんだけどね。
次のターニングポイント、下諏訪宿(下諏訪駅)までのバランスも考えても、その方が良いんだけど。

実走距離は、ここまでで16~17kmで、まだ余力は充分あるけれど、時計は16時近く、日が傾きかけている。

と、まぁ言い訳はそれぐらい。
早い話、誘惑に負けた!
今日はここをゴールとする。

当然、鈍行しか停車しないため、利用客も少ない。
給水と着替えを済ませ、ホームに入ると、めずらしく!先客がいた。
残念ながら美女ではなく、60前後のおっさんだけど。

格好からして明らかに地元民ではない。
もしかして中山道がらみの旅なのか?
と思っていたら、相手は俺に「同好の士」のオーラでも感じたのか、親しげに話しかけてきた。

どうやらコスモタイガーとは逆コース、「江戸」から中山道を歩いてきたらしい。
そして今日はここをゴールにして、この先の奈良井宿で泊る由。

でもさ、おっさん、「同好の士」じゃないからね!
こっちは真面目なトレーニングの一環!として、「たまたま」中山道を走ってるだけだから!(ハイハイ)

といいつつ、話に乗っかってしまったりする。
カッコよく言えば、情報交換というやつだ。
「この先のコースはどんな感じ?」なんて聞いてくるから、「間違いなく、今まであなたの歩かれてきたコースよりは楽ですよ」と答えておいた。

電車がやってきた。
車内で「木曽平沢」までの飛び出し分を清算し、あとは「青空フリー」の旅。

晩秋の日は短い。
中津川駅で乗り換える頃には、すでに辺りは暗くなっていた。
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(12)追記

2014-05-16 | 旧東海道run!!
旧東海道編(12)の地図を作成しました。(ここをクリック

旧東海道編(12)本文末尾からもリンク貼ってあります。



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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(11)追記

2014-05-13 | 旧東海道run!!
旧東海道編(11)、の地図、作成しました。(ここをクリック)

旧東海道編(11)本文の末尾からも入ることができます。
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(20)

2014-05-09 | 旧中山道run!!

10月も終わりに近づいた。
やわらかな秋の日差しに誘われ、家を出る。

「青空フリー」を携えて、10:10中津川発の普通列車に乗車。
この列車は松本行のため、中津川から先、乗り換えることなく、塩尻や松本まで行ける。
時間に余裕がある人には、利用価値が高そうな列車だ。
案の定、始発の中津川では、結構な乗車率だ。

中津川から先の中央本線は、山岳路線の趣で、まさにハイキングと紅葉の見所満載で、数人のグループ旅行の乗客が多そうだ。

徐々に乗客を降ろしつつ、中津川から約1時間、原野駅にたったひとり、降り立ったコスモタイガー。
あのねこちゃん(多分…)が、今日も待合室で迎えてくれた。

人けもなく、商店もない駅周辺だけど、駅裏には木曽川が流れ、景色は悪くない。
少しだけ、散策してみよう。

まず目に入るのが、駅舎横の神社。
由緒や歴史などは不明だけど、きっと「中山道」時代から、この原野集落を見守っていたに違いない。

農地の脇を歩き、線路の反対側(北側)に廻り、川沿いに出る。
木曽川の支流だろうけれど、水が綺麗で、思わずほっこりと癒しの世界に入り込んでしまった。

おっとっと!
すでに12時近くなっちゃった。
ぼちぼち本日のトレーニング開始としますか!

何といっても今日の目玉は「鳥居峠」越え。
後半、かなりハードなクロカン(マラニック?)状態を想定すると、ここであんまりのんびりしちゃいられない。

駅にいったん戻り、目の前の道を進んで約100m。
前回のコースアウト地点に出て、ここからが中山道(県道267)ね。

何やらくねくねと微妙に曲がりくねっており、いかにも旧街道らしく、静かな集落の中を走る。

中央本線の上を通って、反対側へ。
資料では、この辺りに一里塚があったらしいが、判然としないまま、走り去る。

右に中央本線が沿う形で、しばらくは農村風景の中を走るのみ。
景色は良いけれど、これといった見所もない。

2km近く走ったかな?
左手に宮ノ越郵便局が見えてくると、建物が増えてきて、どうやら「宮ノ越宿」ということらしい。

残念ながら、まとまった形での「らしさ」は残ってないけれど、ここ宮ノ越は、木曽義仲公誕生の地として、ゆかりの史跡が点在している。

「木曽義仲」
本来は「源義仲」で、後に鎌倉幕府を興した源頼朝のいとこに当たる人物やね。
打倒平家の先鞭を切る形で、ここ木曽で旗揚げし、飛ぶ鳥も落とす勢いで平家を圧倒(その代表が倶梨伽羅峠の合戦やね)、一気に都入り。
ときに「旭将軍」と称されることになる。

すわ源氏の政権奪取なるかと思いきや、都での素行が悪く、評判が一気に急落。
「これでは却って源氏の評判を落とす」と懸念した頼朝(実態は弟の義経)率いる源氏本流の軍に攻められ、都を追われることになった。

もっとも「素行が悪い」といっても、何せ木曽の山中から突然出てきたわけで、都の優美な風習をまったくといって良いほど知らなかったことによるコミュニケーション不足とも受け取れるし、「庶流のいとこ」に先を越された頼朝の策略かもしれないしね。
歴史とは基本、「勝者」側の視点で語られているから、100%信じることはできないよね。

受験対策としての「歴史」なら、教科書丸暗記して、はい終了!なんだけど、歴史的価値ある史料なんて、だいたい勝者側のもの。
敗者側の史料なんぞ、時の為政者にとって都合悪いことこの上なく、破棄されたり処分されたりして、表に出ることなく消えていく。
敗者側のことを考察することも、本当の歴史を知る上で大切な作業なのだ。

いずれにせよ、源氏一党にとって、この義仲の行動で、「平家はたいしたことない」的な心理的効果は大きかったと思うよ。
その後、義経を中心とする「平家追討軍」が結成され、時代は一気に動いたからね。

本陣跡は明治になってからの再建らしいが、今も子孫の方が住んでいるらしい。

右に宮ノ越駅、その十字路を左折。
突き当たった所にあるのが「義仲館」(歴史資料館)。
隣接して「徳音寺」。
義仲公の菩提寺とされている。

資料館、見たい気持ちは山々だけど、これまた毎度のことながら、トレーニング優先の殊勝な?心掛け。
この手の史跡は、大好きだけど、それが災い?して絶対時間食っちゃうからね。

ただ、お寺には、義仲や奥さんの巴御前を含む一族のお墓があるとのこと、手だけ合わせていこう。

資料館の前で右にカーブする形で道は続いているらしい。
しばし、木曽川を右に見て、道なりに進む。
案内板もあるけれど、若干わかりづらく、何度も地図を確認する。

そのまま右にカーブし、橋を渡る。
左には小さな池(沼?)がある。

「巴ヶ淵」ね。
木曽義仲の奥さん、巴御前さん。
彼女はこの沼に住む竜の化身だったのだ!

って、もちろん実際にはそんなわけないんだけど、そんな比喩がされるほど、激しい性格だったんだね。
タッキー主演の大河ドラマ、「義経」では、小池栄子さんが巴御前をやっていたけれど、意外にはまり役だった気がする。

県道259に再び巡り合い、そのまま走ると、国19と交差。
何やら国道19号とも久しぶりの再会の気がしたりする。

ここでちょっと寄り道。
19号を右へ、約200m。

「南宮神社」。
ここで木曽義仲が旗揚げの際、戦勝祈願したとされる。
静かな山あいの神社で、人の気配はないけれど、宮ノ越宿を見下ろす、なかなかのロケーションだ。

再びさっきの合流点、中山道に戻る。
ここで直進する細い道もあるけれど、国19を左折するのが選択するのが正解らしい。
どうやらここからしばらくは、国道敷設に伴い、中山道はかなりの部分、消滅してしまったようだ。

「神谷入口」の信号に出た。
国19は直進、右にも大きな道が分岐している。
国道361号線、通称、権兵衛街道やね。
最近になって、ようやく全通し、伊那市方面に抜けられるようになった。

でもさ、国道361を権兵衛街道と呼ぶのも「車」を前提にした話。
これまた東海道や中山道同様、本来の権兵衛街道とは別物ね。

旧権兵衛街道なるものがちゃんとあってこそ。
この近くの神谷集落に住んでいた、古畑権兵衛さんが、こつこつと切り開いた道とされる。

何せ権兵衛さんと数人?の有志だけで手作業で切り開いた道だから、お世辞にも通行しやすいとは言えない悪路で、姥神峠、権兵衛峠を越え、やっとの思いで伊那方面に出ていたんだね。

それでも当時、ここ木曽と伊那を結ぶルートとしては、画期的な短縮路だったため、権兵衛さんの功績は大きかったんやね。
街道名になっていることからも、それが伺える。

残念ながら現在は大半が消失・若しくは獣道化しているらしいけれど、それでも一部は残っており、マニアな人々のハイキング?コースとなっているらしい。
そう言いつつ、こんなところまで走りに来てるコスモタイガーもマニアックなわけで、人のこと言えないけど。
いずれ、コスモタイカ゛ーも、チャレンジしてみたいものだ。

中山道runは当然このまま19号を行く。
といっても、交差点から左に分岐する、旧国道19がある。

入口はガードレールで塞がれ、車は進入禁止となっている。
もっとも、こんなところ、車以外で通行する人間なんて、極めてまれだろうから、事実上廃道に近い状態で、入るのにちょっと躊躇してしまいそうだけど。

でも入ってしまえば、車も来ないし、舗装もそれなりにされているし、紅葉が見事だし、実に快適なランニングだ。

途中、トンネルを出てきた中央本線が左手に現れた。
資料によれば、この辺りで、ほんの少しだけ、旧中山道=旧国道19、の状態となるようだ。

再び国19に合流、旧国道は約500m、意外に楽しい区間だった。
ここからは再び、国道runが続く。
左手には、中央本線が寄り添ってくれる。

木曽川が右から左に移ると、崖崩れ防止用のトンネルが現れる。
川に向かう方だけ、ホ゜ッカリ口をあけている。
「吉田洞門」といい、とりあえず1つの目印になる。

実際の中山道は、右側の山奥から、この洞門の下辺りを通り、あとは木曽川の絶壁に沿ってくねくね、という感じだったらしい。
現在はそれに当たる道が存在しないから、ここは国道を走るしかない。
まぁ、部分的には中山道がそのまま国19になってるところもあるんだろうけど。

さっきの旧国道との合流点からだと、約4kmぐらいかな?
やっと「薮原」の交差点に出た。

ここで左斜めに降りていく道がある。
地図見なくても、これが中山道であることは明らか。

200mほどで、中央本線「薮原」駅に出た。
案内に従い、駅の下を潜りぬけ、線路の左側に出てすぐ右折。

左手に蒸気機関車、D51が陳列されている。
南木曽でも見た、同種の機関車やね。(旧中山道編15参照)

で、その前に説明板があり、いかにも機関車についての詳しい説明でも書いてありそうな雰囲気だけど、実はこれ、「薮原一里塚跡」の説明板。

この組み合わせ、なんでや?と思ったりするけれど、多分深く考えてないんだろう。
まぁ、これもリサーチ済みだから、驚かないけれど。

駅に沿って走り、交番の前を通過。
残念ながら、薮原宿自体は、かつてを偲ぶものはそれほど残っておらず、足を止めずに素通りする。

JAを左に見て、次の角を右折。
中央本線を潜ってすぐ左へ。
本来の中山道は直進していたけれど、現在は中央本線に遮られているため、こうやって迂回しないといけないらしい。

ここからが一気に登り坂。
100mほど進んだ、坂の途中にあるのが、「飛騨街道分岐点」の碑。
要するに追分ね。
本来の分岐点は、もう少し手前、現在は中央本線の敷地内らしいけれど。

すぐのところに「尾張藩薮原御鷹匠役所跡」の案内板。
尾張藩の鷲の飼育所だったということらしい。

さぁ、どんどん高度を上げる。
小さな神社があり、その前は見事な紅葉につつまれており、思わず足を止め、カメラを向ける。(冒頭写真)

さらに登る。
いよいよ鳥居峠の始まりだ!

事前のリサーチによれば、熊出現の多発地帯でもあるらしく、今日はそのためにリュックに鈴をぶら下げてきてある。
それでもちょっと不安だけど。

でもほどなく「鳥居峠案内板」が現れ、そこには「クマよけの鈴」が常置されていた。

すぐに未舗装のクロカン道となり、続いて石畳となった。
完全にトレイルランモード突入だ。

でもクマに関しては、少し安心。
休日ということもあって、馬籠宿や妻籠宿ほどではないにせよ、意外に歩いている観光客が多く、クマよけは必要ないぐらいだ。
ここもハイキングコースとして整備されてるからね、案内板も完備され、迷わず先に進むことができる。

案内板の指示通り、ひたすら登るのみ。
一気に汗が噴き出す。
所々に湧水があったり、何やら石碑があったりするけれど、余裕なくってね。
登りはホント、苦手なのさ。
クマよけの鈴も、至る所に常置されている。
今日は天気も良く、休日だから、それなりにハイカーも居るけれど、そうでなければ、やはりクマ対策はした方が無難なようだ。

飛騨街道分岐からひたすら20分以上登ると、鳥居峠の頂上を示す石碑に到達!
標高は1197m!
いや~、いつの間にか1000mを越えてるんだね~。

ちなみに旧東海道の最高点、箱根峠は846m。
もうそれはとっくの昔に越えてるね。

ここが行政上の境界にもなっていて、木祖村から塩尻市へ入ったことになる。

木々の隙間から見える山の峰々が赤く染まっていてきれいだけど、標高が標高だけに、じっとしてると汗が冷えてきて、寒いんだ。

少しだけ寄り道する形になるけれど、案内板に従い、「御岳遙拝所」を目指す。
鳥居があって、神社になっている。
そうそう、だから「鳥居峠」の名が付いたんだね。

山の神様に手を合わせ、旅の無事を祈願しておく。

さて、そろそろ帰路の電車の時刻が気になる。
下りは得意なんでね、ペースアップして一気に峠を降りるとしよう。

膝が笑いそうな急坂を駆け下りる。
道は、人一人がやっと通れるトレイル道だけど、所どころにある落ち葉のクッションが足にやさしい。

途中、案内板が「葬沢」とあり、ここが武田勝頼と木曽義昌の合戦の跡、ということらしい。
名前からして、戦死者を弔った場所なんだろうけど、周囲は山の中、何にもない。
今走っているクロカン道が通っているだけだ。

幾人かのハイキング客を追い越し、どんどん降りる。
やや広い分岐点に出ると、今度は案内板が展望台の存在を示している。

すぐらしいから、ちょっと寄り道してみよう。
当たり前だけど、遠くが見渡せるものの、残念ながら、何やら霞がかかっているらしい。

ここまで来ると、いかにも「山を下りた」感じになり、すぐにアスファルト道に合流。
ここにも江戸から来た人のための親切な案内板が設置されている。

今走ってきた峠道を振り返ると、いかにも山に分け入る感じで、思わずカメラを向けてしまった。

右手にはホテルがあるけれど、中山道は左に向かい、アスファルト道に沿って降りる。
ここも本来は直線的に急激に降りてたんだろうね。

クルッと右にカーブしたところで、少しだけ中山道が復活し、アスファルト道をショートカット。
再び合流して、そのまま進むと、ようやく「奈良井宿」が見えてくる。

宿の入口には、小さな民俗資料館と、鎮神社が隣り合っている。
そのすぐ横が高札場跡らしい。

奈良井宿は、江戸から来ると、これから鳥居峠を越えることになったこともあり、木曽路十一宿の中では、最長の宿場を形成している。
その姿は「奈良井千軒」などと呼ばれたらしい。

現在も観光の目玉として整備され、目の前には、江戸期の素晴らしい町並が、保存されている。

当然ながら、ここはぜひともゆっくり散策!
と言いたいところだけど、時計を見ると、予定の列車時刻がせまっている。

奈良井散策は次回に回すとして、とりあえず町並の写真だけをササッと撮って、今日はこのまま一気に突き抜ける。
中央本線の「奈良井」駅は、奈良井宿の東のはずれ、この町並が終わったところにあるから、余計に慌ただしい。

予定していたコ゛ール地点、奈良井駅に到着!
時計は15時40分を指している。
何とか間に合った!
とはいえ、電車の時刻まで10分もない。

慌ただしく駅のホームへ。
やってきたのは、臨時快速列車「ナイスホリデー木曽路」号、名古屋行。

ハイキンク゛や行楽等の多客期の土日祝日を中心に、名古屋~塩尻間を1往復運転される。
快速だから、当然、特別料金なし!
普通乗車券のみで利用できる。
しかも、乗ってしまえば、名古屋まで乗換なしだから、すこぶる便利な列車なのだ。
これに乗りたくて、コスモタイガー、後半、ペースアップしてたのさ。
(※2014年現在、上り名古屋行は、1時間ほど時間が繰り上がってしまったため、この行程は無理なようです。)

予想通り、この列車の存在価値は、この先の木曽福島や南木曽辺りから発揮されるらしく、奈良井ではまだガラガラだ。

東海道本線に乗り換える金山駅まで、約2時間半、快適な快速列車の旅を楽しめた。
といっても、中津川からは、お馴染みの風景だから、ほとんど寝てたけど。

今日もこれだけ乗って、交通費支出は、青空フリーの2500円のみ。
随分、有効活用したものだ。

肝心の?トレーニングの中身。
中山道としては15~16km、実走17~18kmなんだろうけど、鳥居峠がかなりの強度だったため、良い練習になったなぁ。
何よりも紅葉の綺麗さが印象に残る1日だった。

コメント
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