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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(5)

2019-01-25 | 熊野古道伊勢路run!!

★ブログ上は2015年♪名古屋ネタです★

天気予報を念入りにチェックし、今日こそ!
と思い、家を出る。

今日はツヅラト峠!
前回とセットのようなものだ。

毎度のルートで近鉄松阪駅に到着。
さぁ、これまたお馴染みの三重交通「熊野古道特急バス」ね。

バスの時刻表を何気に見る。
「あ!!」

時刻改正されてる!
さっき発車したばかりだ!
2時間以上、次のバスは来ない!!

やっちゃったよ。
天気OKと思ったら、三重交通のバスのチェックを今度は怠った。
「どうせお馴染みのルートだから」と安易に考えてた。

旧街道runも倦怠期?なのか、最近ケアレスミスが多いねぇ。

どうしよ~、ここまで来たのにねぇ。
しばし呆然と松阪駅前で立ち尽くすコスモタイガー。

帰るのもアホらしい。
観光案内図を見て、とりあえず松阪城跡の見学でもするかね…。

駅から城跡まで、1.5kmほど。
歩く気力もないわ。
ってこれから走る人が言うセリフじゃないけどさ。

市内中心部はさすがにいろんな系統があってそれなりにバス便もある。
そのうちの1つに乗り「市役所前」で下車。

はい、到着♪
松阪城は現代表記で、正式には松坂城。

築城は蒲生氏郷。
江戸時代になると紀州藩領になったため、ここは城代が置かれただけ。

だから松阪は、商人の町としてはすこぶる有名だけど、城下町としては地味な存在だよね。
(※商都としての松阪は、旧伊勢街道編4を参照してね♪)

でも松阪牛は全国的に有名だし、最近の若い人なら、歌手の西野カナ(松阪出身)を連想するかもしれないね。

松阪牛は手が届かないし、西野カナは別にファンじゃないし、松阪城跡目的に来たわけじゃないから、粛々とシャメだけ撮って簡単に散策しましょう!







はい!散策終了。

さぁ、駅まで戻ろう!
さすがに今度は徒歩ね。

予想外の状況でお腹空いたから、コンビニで簡単に食事を済ませ、はい、いつもの特急バス。
ようやく乗れました。

目的地の梅ヶ谷停留所に再び降り立ったのは、すでに13時過ぎ。
えらいロスしちゃったよ~。

ついでに言うなら、あんなにチェックしてきた天気も怪しい。
暑さをしのげるのはありがたいけどさ、雨はもう勘弁して!

もうここは3回目。
感傷に浸る場所でもないし、時間もない。
さっそくトレーニング開始!

見慣れた交差点、国42をはずれ、右の県道758ね。
大きく「ツヅラト峠」と書かれた看板があるから迷わないけどさ。

JR紀勢本線を渡り、紀勢自動車道を潜ると、右手に大きな建物は老人保険施設。
ここに自販機があるから、給水ドリンクを購入しておく。
この先、峠に入ったら、給水できる見込みがないからね。

再び県道に戻る。
県道とは言いながら、車も人もほとんど通らない。

センターラインが消え、若干道が狭くなったと思ったら、熊野古道の案内板と幟を発見!
ここから左に入っていけ!と指示している。


右側に小川が流れる。
案内板が整備されてるから走りやすいね。

いったんアスファルト道に合流し、すぐに現れた橋の手前で分岐。

さぁ、ここからが世界遺産「ツヅラト峠」登山道!
すぐに舗装路から、トレッキング道になって、あっという間に山深き峠道。

両側に杉の木が並び、美しいトレッキング道が少しづつ登っていく。(冒頭写真

一気に高度を上げ、走れば走るほど山深き森の中に入っていく。
1人がやっと通れるほどの狭い道。
恐る恐る走りながら、目を左下に移すと、直線に伸びる杉の木が美しい。


はい、やっと登り切りました!
ここが峠の頂上です。

少し道から外れたところに「見晴台」。
要するに展望台のことね。


うーん、今日は雲が多いね~。
折角の景色もイマイチ。
降らないだけマシか。

地図上では梅ヶ谷バス停から5~6kmだと思うけど、もちろんそんな単純じゃなく、トレーニングとしてはかなりの強度。
太ももパンパンだよ。

さぁ、下ります。

登りもきつかったけど、下りは右に左蛇行して、これまた長いトレッキングが続く。
中山道の碓氷峠を思い出すなぁ。(旧中山道編29参照
「ツヅラト」の語源は九十九(つづら)折から来てるから、当たり前なんだけどね。

途中、「野面積み」という中世の石垣が垣間見つつ、ひたすら下る。。
あんまりゆっくり見てる余裕もないけどさ。

さすが世界遺産だけあって、案内板や説明版は整備されてるから、迷わず走れるのはありがたい。
どんどん高度を下げ、途中から簡易舗装になり、走りやすくなった。
自然とペースも上がる。

小川に沿って走る。
右側に公衆トイレも整備されている。
ここを過ぎれば、一気に視界が広くなって、集落が近いことを思わせる。

案内板に従い、いったん橋を右折で渡る。
さらに少し進んで、また次の橋で元に戻る。

少し広い道に合流。
って、これ、国道422だけどね。

寄り添ってきた小川もここで本流(赤羽川)に合流する地点だ。
ここからは国道run。

400mほどで国道が分岐。
右の旧道の方が正解。
直進はバイパスで、紀伊長島インターに出てしまう。

さぁ、もう一気に長島集落に向かうだけ。
見どころも特にない。
国422は、途中から左に分岐するけれど、熊野古道は赤羽川に沿ってこの道を走る。

国道42号、続いてJR紀勢本線を渡れば、十字路に出る。
右手は「長島橋」。

ここが前回の荷坂峠コースとの合流点。
このまま橋を渡っていけば、前回のゴール、古里温泉だ。

というより、予定ではそのつもりだったんだけどね。
松阪城観光で大幅に時間ロスしちゃってさ。

今から古里まで走って温泉入ってたんじゃ、帰りの「熊野古道特急」に間に合わないのさ。
古里集落は、JRの駅からも遠いしね。

ってことでここは左折して、前回のコースを逆走。

JR長島駅前。
ここをゴールに、ってことも考えたけど、まだ列車まで時間あるし、ロングシートってのも何だかね~。

ってことでもう少し頑張って逆走。
見覚えのある集落を快走し、国42を歩道橋で渡り、さらに足を進めれば、大きな池の畔にある「道の駅紀伊長島マンボウ」に到着!


峠越えとはいえ、ここまで14~15km程度と、旧街道runとしては少なめ。
池(片上池)の周囲を散策jogしたい衝動にかられるけれど、帰りの熊野古道特急バスの時間が迫ってて、そこまでの時間はない。
少し物足りないが、ここをゴールにして、今日のトレーニング終了としよう。

身支度を整え、国道反対側のバス停(「マンボウ」←そのまんま)へ移動。
しばらくしたら定刻通りにバスがやってきた。

あ~あ、約2時間のロス大きかったわ~!
古里温泉、入りそびれた。
代わりに松阪で行きつけ?と化している「ひょうたん湯」にでも寄って行こうか!

コメント (4)
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コスモタイガーのつぶやき(17)~中日ドラゴンズベストナイン投手編

2019-01-10 | つぶやき/更新中

2019年、あけましておめでとうございます。
更新がなかなかできないのが悩ましいですが、今年も屈ブログをよろしくお願いします。

新年だからさ、明るい話題から始めよう!

今シーズンから与田新監督!
そして昨年末のドラフトで、お隣岐阜県が生んだ怪童、大阪桐蔭の根尾君を引き当て、根尾フィーバーに湧く中日ドラゴンズ。
期待感いっぱいの中、そういえばやり残した企画が…。

ベストナインを指名打者制でやっただけで、投手のこと、まったく語ってなかったよ。(つぶやき10参照

ってことで、今回は投手編♪
ベストナインの際と条件は同じ。
与那嶺監督以前のドラゴンズについては、資料や記録でしか知らないため、除外ね。

以下、選手名・背番号・左右の別。

★ベスト先発 星野仙一・20・右

★ベストセットアッパー(中継ぎ) 岩瀬仁紀・13・左

★ベストクローザー(抑え) 郭源治・33・右

★特別賞 近藤真一・13・左

こんなところかな?

少し解説ね。

長いドラゴンズの歴史。
そりゃもうたくさんの候補がいるけれど、やっぱり背番号20を背負い、20年ぶりの優勝に先発抑えにフル回転!
この年の沢村賞にも輝いた、あの星野さん。

その後は監督してドラゴンズを2度の優勝に導いたことはすでに説明不要かと。

現在、6年連続Bクラス、と、まさに球団史を塗り替える長いトンネルの中にいるドラゴンズ。
一気に立て直すには「星野イズム」しかないと思ったりする。

その魂を受け継ぎつつ、キャンプは落合流と、良いとこ取りをする与田監督。
ドラゴンズの再生を期待します。

岩瀬仁紀。
愛知大→NTT東海、の経歴には親近感も湧くけれど、もちろんそんな理由で選んだわけじゃない。
球界初の400セーブ、1000試合登板の、前人未到の記録は例える言葉もないほど凄いけど、元々はセットアッパーとしてデビュー。
その1999年、正津(右)→サムソン(左)→落合英(右)→岩瀬(左)→ソンドンヨル(右)の、5枚看板の一角を担い、リーグ優勝に貢献。

5枚だからね、5枚!
他球団も含め、いろんな勝利の方程式があったけど、こんな凄い方程式は他に記憶にない。
5回・6回あたりでリードしてたら、あとは上の5人を順番に投げさせるだけ。

相手チームも仕方なく早めに勝負をかけて代打を送ってくるけれど、バランス良く左右交互に出てくるから、最後は代打の駒もなくなり、はい終了!という感じだった。

「中継ぎ」の重要さを野球ファンに認識させた優勝だった気もする。
それがきっかけになったのか、セットアッパーなんて言葉もこの頃から使われだした記憶がある。
ってことで、岩瀬はあえて「セットアッパー」としてランクインさせました。

コスモタイガーにとっての最高の「抑え」は、やっぱり郭。
1988年優勝時の胴上げ投手&MVP。

現在の「クローザー」は、9回限定などという暗黙のルールもあったりするけれど、郭投手の時代はそんなものはなく、7回ぐらいから普通に出てきて登板。
まさに「困ったら郭!」であり、文字通り相手を「抑え」た。
その結果としての、7勝37セーブ。

後に2010・2011年、浅尾→岩瀬の「勝利の方程式」で連覇を成し遂げたドラゴンズだけど、郭投手はこれを一人で担当したようなもの。

何となく外したくないのが、近藤真一。
活躍期間が短く、通算成績は大きく見劣りするけれど、何といっても1987年の、プロ初登板初先発でのノーヒットノーラン!!

それもペナントレースの大勢が決したあとの消化ゲームとかじゃない。
8月9日。
首位を行く巨人と2位中日の、天王山!

こんな時にルーキーを投げさせる星野監督も凄いが、臆することなく巨人に立ち向かい、1本のヒットも打たせなかった近藤投手。

まさに記録じゃなく記憶に残る熱投だった。

当時ナゴヤ球場でアルバイトをしていたため、目の前で起きたこの出来事は、昨日のことのように覚えている。

ま、こんなところかな?
まだコスモタイガーの頭の中は正月モード?
とりあえず今回は、明るく軽い話題で終了~!

(※文中、敬称略)

コメント (4)
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