cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

身近な気になる古道たち⑪

2014-01-29 | 身近な旧街道run!!

「土曜記録会」。
豊田市貝津町にある、中京大学豊田キャンパス内の陸上競技場で、春と秋を中心に、定期的に行われるトラックレースだ。
東海地区の、学生から実業団・一般ランナーまで、幅広い愛好家たちが参加し、記録を狙って走る。

学生時代を隣町「三好町」(現在、みよし市)で過ごしたこともあり、当時から気楽に参加していたから、相当に長く続いている大会であることは間違いない。
周囲を緑に囲まれ、良い意味でのんびりムードがあり、好きな大会の1つだ。

中京大豊田キャンパスは、体育学部も併設し、室伏広治や安藤美姫を輩出しており、東海地区では「スポーツの殿堂」的なポジションだ。
現在は、浅田真央ちゃんや小塚崇彦君も在籍しているらしい。

コスモタイガーが出場するのは、概ね、1500mか5000mなわけだけど。
ネットであらかじめタイムスケジュールを調べた上で、スタート時間の70~80分前ぐらいを目途に現地に到着。
受付やプログラムの確認等の諸々準備をサクッと済ませ、ウォーミングアップ開始!となる。
概ね、20~30分ぐらいのジョグで体をほぐすのが一般的だ。

数人で固まってアップする人、競技場内の外周を友人を応援しながらアップする人等、いろんなスタンスがあるけれど、コスモタイガーは、競技場を飛び出し、周辺道路を一人で走る場合が多い。
ここでもやっぱり「風景を楽しみながら」なんだよね。

元々幼少の頃、病弱で、入院にこそ至らなかったものの、ほぼ1日置きに通院し、1年間体育の授業も見学していた経験もあるコスモタイガー。
当時、かかりつけの医師にリハビリとしてジョギングを勧められ(命じられ?)、それが講じて、いつのまにか「陸上競技」の世界とリンクすることになってしまったけど。

ハナから「競技」として入ってきた人にはちょっと理解しづらい感覚なのかもしれないけれど、どんなにタイムが向上しても、「ジョギングの延長」「究極のリハビリ」の感覚を持ったまま走っているコスモタイガーなのだ。

レースだって、突き詰めれば「ジョギングの延長」!
アップであっても、風景を楽しみながら、リラックスして走ることで、なぜか落ち着いた感覚になれるよね。

中京大豊田キャンパスの南側には、旧飯田街道が通り、緑にも恵まれ、アップで走るコースには事欠かない。

大学の正門を出て、片側一車線の道を左折し、南下する。
緩やかな下り坂になっている。
第3セクター「愛知環状鉄道」(通称アイカン)の下を潜る。

200mほど下ると、この車道を狭いくねくね道が横切っている。
いかにも古道の雰囲気!
これが旧飯田街道だ。
誤って直進すれば、すぐに県道58号に突き当たるだけなんだけどね。

飯田街道の詳細は、「古道たち⑨」と重なるので省略ね。
名古屋市内の八事から、延々と続き、ここまでやってきたわけだね。
ここまでの詳しい道のりも、いろいろ楽しいんだけど、またの機会にして、今回はこの近辺のみの「プチ漂走記」。

まずは右に行ってみよう。
すぐに「海願寺」という古刹があり、県道58にすぐに吸収される。
その右手にあるのが「長善寺」。
浄土宗の古刹で、いかにも歴史を感じる佇まいだ。

真ん前には「飯田街道」の案内板も建っていて、詳しい由緒が書かれていたりする。

このまま県道を走れば、アイカンの保見駅に出るんだけどね。
保見駅周辺にも、飯田街道関連の史跡があったりするらしいけれど、今、アップ中だから、とりあえずここで戻ろうっと。

さっきのT字路に戻り、今度は左の道へ。

常夜灯も残ってたりして、なかなか見所ある一角だ。
すぐに「貝津神社」。
社伝によれば、平安時代後期の創建だとか。

そういえばさっき、海願寺もあったし、貝津という地名も古いことがわかる。
かつて、海が近かった名残かもしれないね。

そのまま道なりにくねくね走る。
その間にも、常夜灯があったり、古い民家があったりして、飽きないねぇ。
左手奥には「貝津駅」があり、中京大の最寄り駅となっている。
この貝津駅、2005年の愛知万博の際、豊田市の要望を汲み取る形で開業した「新駅」だ。

分岐路に差し掛かり、左を選択。
右にカーブして、県道58に合流するけれど、その手前にあるのが「報恩寺」。
禅宗のお寺で、ここもかなりの風格あるお寺だ。

思い出した!
今日はトラックレースだった!
今、アップ中だった!
そろそろ戻らなきゃ!

飯田街道は、もちろんこの先も続き、香嵐渓で有名な足助の町並みを通り、伊勢神峠を経て、根羽村で長野県に入り、飯田へと向かう。
国道153の基礎となっている旧街道で、いずれは完全走破してみたい魅力的な道ではある。

難点は、公共交通機関が著しく不便なこと。
そして資料や書籍が少ないこと。
自家用車利用が無難なんだろうけど、「走る」ことを考えた場合、今度は置いてきた車まで戻る手段も大切になってくる。

それでもやっぱり、魅力的な道の1つには違いない。

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身近な気になる古道たち⑩

2013-11-01 | 身近な旧街道run!!

★JR武豊線界隈(大府市・東浦町・半田市)

旅行気分を味わいたい!
ローカル線に乗りたい!

でも時間もお金もない。
そんな時、近場でフラッと立ち寄れる路線がある。

JR東海「武豊線」。
名古屋市近郊でありながら、いまだ非電化路線で、ディーゼルカーが、「ウィ~ン」と独特のエンジン音を響かせながら、走っている。

この武豊線にほぼ沿う形で通っている旧街道が「師崎街道」だ。

師崎街道の起点は、名古屋市緑区の大高。(古道たち⑤参照)
もちろんそこをスタートにする手もあるけれど、「武豊線」をメインに考えて、東海道本線と武豊線の分岐駅、「大府駅」東口周辺のコインパーキングに車を置き、今日のランニングをスタートさせるコスモタイガーなのだ。

ただ、師崎街道は、かなりの部分消失しているらしく、江戸期の道をそのまま辿ることは難しい上に、資料も少ない。
そりゃそうだ。
知名度も重要度も、主要街道に比べれば低いからね。

東海道や中山道のように「忠実さ」を求めるのではなく、オーラを感じつつ、気楽に走った方が楽しそうだ。

大府駅前(東口)のロータリーをスタート!
右手にミスタードーナッツがある。
この脇の道を進む。

200mちょっとぐらいかな?
いかにも旧道の感じになったところに「富士屋旅館」。
何だか大府市の中心とは思えない、昭和の雰囲気の和風旅館だ。

すぐに国道155の下を潜る。
何気に良いんだよね~、街中に埋もれた歴史の道、みたいな感じ。

広い主要道(県道50号)に合流し、そのまま右へ。
すぐに、右からやってきた別の主要道と合流したところが、「朝日町2」の信号だ。

そこには、大きな案内板とともに、いかにも古い井戸がある。
いまもわずかながらも水が出ているらしい。

「おしも井戸」
ここを通りがかった弘法大師さん。
宿泊場所もなく、困り果ててていたら、ここに住んでいた「おしもばあさん」が泊めてくれることに。
いろいろお話しているうちに、おばあさんが目を患っていること。
この辺りは海が近く、水の確保に難儀していることを知った弘法さん。
御礼にと、杖で地面を突き刺すと、井戸が湧き、その水でおばあさんが目を洗ったら、病は完治した上、水不足も解消し、めでたしめでたし、という話らしい。

真偽はともかく、随分と古くから親しまれていた井戸であることは確かなようだ。
こんな主要道の真ん中に残ってるってのも素敵なことだ。

そのまま県道50号を走る。
陸橋で、JR東海道本線を超え、間髪入れずに、今度は武豊線の下を潜る。

そのまま直進すると「東浦森岡」の交差点なんだけどね。
県道50号はここを左折するんだげ。
すぐ手前をショートカットする形で左折する脇道がある。
今までの街道ランの「カン」で、この道がいかにも旧街道っぽいなと。

で、しばらくは県道50をそのまま走る。
「森岡駅西」の信号を過ぎてすぐ、右斜めに入っていく狭い道を発見!
多分これが旧街道と思われる。

大型スーパーの裏をくねくねと走る感じで、交通量も少なく、旧道らしい雰囲気を残し、なかなか楽しい区間だ。

「岡田川」という、水路のような小さな川に出る。
橋を渡って左へ。

ちょっと街道から逸れるけど、川から離れてすぐ右折したところにあるのが、いかにも古刹という感じのお寺が。
知多四国8番札所「傳宗院」。

この師崎街道は、知多四国88ヶ所霊場巡りと部分的にかぶっており、参詣の道でもあるのだ。

手だけ合わせて、再び旧道に戻り、南下を続ける。
「入海神社」「了願寺」と、由緒ありげな建物が続き、ここが古くからの道であることを教えてくれる。
師崎街道に間違いない!

ちなみに入海神社境内からは、約7000年前の貝塚も出土しているらしく、そのころからここには人々の生活があったこと、そして名前の通り、ここが海に近かったことが推察できる。

さて、東浦町の中心に入ってきたようだ。
この辺り、かつての緒川村。
今日のランニングコースのクライマックスなんだけど。

周辺は、地元東浦町の人々によって、散策コースも設けられているらしいけれど、この緒川地区、昔の街並みや史跡を多く残し、何気に埋もれた「歴史の町」なのだ。
街道沿いには、雰囲気のある建物や、歴史ありそうな寺社が点在している。

緒川村といえば、何といっても徳川家康の母君「於大(おだい)の方」(伝通院)の故郷として有名だ。
「於大の方」は、緒川城主水野忠正公の娘とされている。

戦国期の宿命だったとはいえ、この於大の方も数奇の運命をたどった女性やね。
息子(竹千代→のちの徳川家康)3歳の頃に、実家水野家が、今川家から織田家に鞍替えしたため、嫁ぎ先と離縁させられ、竹千代と生き別れに。
のち、阿久比城の久松氏に嫁いだということらしい。

もっとも家康は、出世してから於大の方を母として厚遇し、父違いの弟たちに「松平性」を許して家臣同様に扱ったとされる。
判断が難しいところだけど、当時としては幸せな方なのかな?

ところで彼女の実家たる「水野氏」。
愛知県に多い苗字らしい。

諸説あるらしいが、大別して2つの流れがあるらしい。
桓武平氏を諸とする、水野氏。
瀬戸市や春日井市を中心に広がったとされる。

もう一方は、清和源氏を発祥とする、水野氏。
この緒川を中心として、知多半島全域や、対岸の刈谷市辺りを治めた武家の一門。
のちに江戸幕府の老中なども輩出した、名門とされている。

その緒川城跡は、実に分かりづらい場所にある。
細かい地図でこの辺りを見ると、「古城」という字名が、街道筋から右手奥に入ったところにある。
「名は体を表す」の言葉通りで、この古城地区にある小さな公園が、その城跡とされている。

とても楽しい癒し空間を走り、県道24号を横切る。(信号まで迂回してね)
やがて突き当たるのが、東浦町中央図書館。
きっと、かつての街道は、この敷地内を直進してたんだろうね。

ここでちょっと寄り道。
右折し、図書館本館の前をさらに右折。
さっき横断したばかりの県道24号に出る。

そのまま県道を西へ走ると、於大公園ね。
もちろん名前の通り、於大の方に由来するネーミングだ。

その隣が「乾坤院」。
これが緒川水野氏一族の菩提寺となっている。
水野氏歴代の位牌も安置されているらしい。

緒川地区には、まだまだ水野氏を偲ぶ史跡が多く残り、ゆっくり散策してみたいエリアなんだけど、トレーニングにならないからね、そろそろ先に行くとする。

図書館と中学校に遮られ、この辺り、旧街道は消失しているらしい。
仕方なく、国道366号を走る。

小さな川を渡ると、右に分岐する道があるから、それを選択。
そのまま進むと、JAの辺りから街道らしい雰囲気が少しづつ戻ってくる。

本来の旧街道は、図書館&東浦中学校の中を通り、JAの辺りに出るようだ。

しばらくは道なりに。
なかなか静かで、良い雰囲気の道だ。
くねくね感も、いかにも旧街道らしい。

「石浜駅西」の交差点で、国道366にランデブー状態になるものの、合流することなく、再び離れる旧道。

この辺も、何気に旧道らしさを残してて、楽しいね~。
裏路地のようにせまい道をくねくねと走ると、県道469号を横断する。

さらに進むと、三叉路に出て、ここは左に降りて行く感じ。
そうすると「生路集落」に出る。

ここがまた素敵なエリアで、懐かしさを感じる風景なのさ。

生路小学校前を左折し、いかにも旧道らしい路を駆け下りる。
途中、左手奥に入ると、「伊久智神社」。

創建は不明らしいけれど、相当に古い歴史があり、製塩の神様として、信仰されてきたらしい。

「生路」の交差点で再び国道に出る。
500mほど走ると、またまた右に緩やかに分岐する古い道。

小さな道標があり、右手に「安徳寺」。
知多四国11番札所になっているらしい。

小さな川にぶつかって、左折。
そのまま国道366を横切り、直進。
すると最初の角に常夜灯がある。

これまた如何にも古く、調べてみると寛政10年設置というから、江戸中期のものだ。
ここを右折し、南に向かう。

100mほどで国道に再び巡り会うけど、そのまま斜めに横断し、直進。
しばらくは道なりだ。

1km弱ぐらいかな?
県道23号に出る。

県道を渡ると、小さな池があり、そこを池に沿う形で走る。
この辺りで、行政区域が半田市に変わったようだ。

くねくねとのどかな風景を抜ける道で、快調に足を進める。

「有脇」集落に入り、右手に「蓮念寺」が目印だ。
すぐにT字路。

ここはどっちに行くか迷う。
どっちも魅力的な古道の雰囲気だもんな。

右を選択。
「福住寺」。
知多四国12番札所になっている。

公民館を左へ。
すぐに右へ鋭角に行く道があり、そこを右折。

随分楽しんだ。
さすがに見どころはこの辺で一服かな。

県道261に出て、「東生見町」の交差点に出る。
久々に片側2車線の大通りだ。(県道46号)

左折し、この幹線道路を走るだけ。
武豊線の高架をくぐるとすぐに「亀崎北浦」の交差点がある。
国道366号と交わっている。

右折し、国道を南へ。
1kmほど走ると、歩道橋のごとく、頭上を行く道がある。
階段をあがり、その道に出て、右に向かい、裏路地のような道を行くとすぐにJR武豊線「亀崎」駅に出る。

ちょっと走った距離は短めだけどさ、鉄チャンらしく、由緒あるこの駅をゴールにしよう。

亀崎駅。
名古屋人特有の「PR下手」のせいか、知名度はイマイチだけど、この駅は1886(明治19)年開業の、日本では現役最古の駅舎なのだ。
現在も、当時のまま利用される、貴重な文化財だ。

JR九州の「嘉例川(かれいがわ)駅」や「門司港駅」の方が、国指定の史跡になったり、観光地として売り出したりして、えらく有名になってるけど。

特に嘉例川駅は、「古さ」をウリにしてるけど、あちらは1903(明治36)年開業。
確かに歴史ある貴重な文化財には違いないけれど、「古さ」だけの比較なら、間違いなく亀崎駅に軍配が上がるわけで、もっと歴史的評価をされても良いはずなんだけど。

そして名古屋からも普通に通勤圏の範囲に、こんな素敵な駅舎が残ることに感動!

そもそも愛知県内で最初に完成した路線は「武豊線」だしね。
東海道本線より先だから。

しばし駅舎を楽しみつつ、車を置いた大府駅まで、武豊線の旅を楽しむコスモタイガーであった。


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身近な気になる古道たち⑨

2013-09-18 | 身近な旧街道run!!

★名古屋市内の飯田街道(名古屋市中区丸の内~昭和区八事)


コスモタイガーの日々のトレーニングの基本は通勤ラン(帰宅ランというべきか?)。
まぁ、普通に広い幹線道路を走ることもないわけではないけれど。
やっぱり退屈でね。
結局、夜にもかかわらず、やっぱり1本裏の生活道路を走ったり、古道らしき道を探したりしてしまう。
幸い名古屋市内は、なんだかんだと街灯りもあって、「闇夜」というほどでもなく、それなりに楽しめる。

そんな中、通勤ランで多用しているのが旧「飯田街道」。
名前の通り、名古屋と長野県飯田市を結ぶ街道だ。
現在では、国道153号線を便宜的にこの名前で呼ぶこともあるけれど。
もちろんそれは「自動車」を前提にした話。

ところで、「飯田街道」は、明治以降の通称のようなもので、江戸時代には、「伊那街道」あるいは「三州街道」の方が一般的な呼び方だったようだ。

とはいえ、様々な文献やHPでも、すでに「飯田街道」が一般化しているため、このブログでもそれを踏襲したい。

さて、旧飯田街道の起点についてなんだけど。
これも資料やHPによってバラバラではっきりしない。
というより、資料や情報そのものが少ないんだよね。

そりゃそうだよね、東海道や中山道のような、大幹線じゃないからさ。
でもまぁ一応、通説としては、堀川沿いの「伝馬橋」が起点らしい。
ちょうど、中区と中村区の区界にもなっているようだ。

地下鉄桜通線「国際センター」駅。
地上に出ると、難解地名として名高い?「泥江(ひじえ)町」の交差点だ。
背後には、駅名にもなっている、国際センターの高層ビルが聳え立っている。
目の前を東西に走るのは「桜通」やね。

さて、交差点を良く見ると、その桜通りから、右斜めに分岐している道がある。
これが飯田街道の起点、伝馬橋へと繋がる旧道。

200m弱で、目的の伝馬橋に着いた。
ここからそのまま東に向かって、走ることになる。

国道19号を横切る。(信号のあるところまで迂回ね♪)
「伝馬町通本町」の交差点に出る。

ここが美濃路編2にも登場した、名古屋宿札の辻。
といっても、飲み屋・事務所、そして風俗店が軒を並べ、煌びやかなお姉さんたちの姿が目立つのみで、かつての宿場の面影は全くないけどね。

そりゃそうだ。
ここは現代では「錦3(きんさん)」と呼ばれる、東海地区随一の繁華街。
歴史を偲ぶには、ちょっと無理があるね。

100m道路として名高い、久屋大通に出て、テレビ塔の下を通る。
目立たないけど、注意しながら走ってると、ここに「蕉風発祥の地」なんて案内板がある。

要するに松尾芭蕉にゆかりがあるわけなんだけど、残念ながらコスモタイガー、そっち系は全く興味ない。
ただ、こんな都会のど真ん中、テレビ塔直下にこんなものがあることは驚きだよね。

そのまま久屋大通を渡り切ると、左手に東海地区では有名なチェーン店、「コメダ珈琲店」があり、この辺りで緩やかに右にカーブしている。

このまま南東に向かう形になる。
地図で確認すると、名古屋市の中心街、基本的に碁盤目状に道路が交差しているけれど、不自然に南東に傾いている道がある。
今まさに走っている「飯田街道」がそれだ。

富士中学校の前を通り、都市高速の高架下を斜めに横切る。
(ここも信号はないから、「高岳南」の交差点を渡ってね)

ビルや事務所ばかりが立ち並ぶ中、それでも所々に古い民家が残ってたり、お寺が現われたりして、かすかにここが旧街道であることをアピールしている。
案内表示もあるから、注意して走ってれば迷うことはない。

ただね、東西南北に規則正しく交わる街の中を、この道だけが斜めに突っ切るから、不思議な感覚にはなるよね。

「広小路葵」の交差点の南側、ここも斜めに行く道を選択。
ここから国道153号線と重複することになる。

左手には「雲竜フレックスビル」。
24階建で、コンサートホールもあるとかで、結構有名なビルだけど、元々は「雲竜山乾徳寺」という、飯田街道沿いの名刹だったんだね。

ここからしばらくは、この国153を、南東に走る。
菊里町でJR中央本線の下を潜る。

ここまで来ると、繁華街の雰囲気はなくなるけど、コンビニやファミレスなどがあり、車も人もそれなりに通っている。

「古井ノ坂」を過ぎ、若宮大通(こちらも代表的な100m道路やね)に出た。
かつてはこのまま直進してたんだけどね、この若宮大通により、寸断されている。

そのまま横断歩道を渡り、すぐに「吹上公園」の信号を左折すると、これまた斜めに分岐する道がある。
これが飯田街道やね。
右手に石仏も祀ってある。

ちなみに吹上公園の向こう側にある大きな建造物が、「吹上ホール」やね。
かつての刑務所の跡らしい。

環状線(この辺りでは阿由知通)を斜めに横断し、商店街に入っていくけれど、頭上のアーケードには「飯田街道」と大書してあって、実に明快だ。

この辺り、この飯田街道が区界になってるようで、左側が千種区、右側が昭和区だ。
右手に、またまたお地蔵さんがあり、狭い古道が分岐している。

歩道もなく、ちょっと走りづらいけど、夜ともなると交通量も減少し、気にはならない。

走り続けてしばらく、左手に森が見えてきた。
「川原神社」ね。

火除けの神様として、古くから信仰を集めているらしい。
境内には池があり、真ん中にある弁天様を「川名弁天」というらしい。
だから地下鉄最寄駅も「川名」なんだね。

川原通を横断し、そのまま直進。
両側には、整備された公園があり、ちょっと解放された気分になれる。

「山中」の交差点は五叉路で、左後方からやってきた国153に合流する。
ここからは国153を走ることになる。

さらに言うと、この道の下には「地下鉄鶴舞線」が走るから、アクセスには困ることはないから、安心だ。

400mほどで、道は左右に分岐。
国道153としてのメインは右側なんだけど、飯田街道は左ね。

名古屋市民にとっては馴染み深い「杁中」やね。
飯田街道側は正確には「杁中東」という交差点名になってるみたいだけど。

左には聖霊病院。
さらに左手住宅地を入っていくと、野球や駅伝の名門、「中京大中京高校」、さらにその奥には「南山大学」。
逆に右奥には、南山中学・高校もあり、現代では学生や若者も多く行き交う街に発展している。

さて、再び国153に合流し、今度は右手に大きな池があり、公園として整備されている。
「隼人池」やね。

元々は江戸初期に、犬山城主の成瀬隼人正によって、農業用に造成された、ため池なのさ。
だから「隼人池」なんだね。

すぐに左側、「八事山興正(こうしょう)寺」。
五重塔は有名で、国の重要文化財に指定されている。

元々は、尾張藩2代藩主光友公が母の供養のために建立したとか。
それを代々尾張藩主が大切に保護してきたわけなんだけど。

特に厚く信仰したのが、7代藩主宗春公やね。
宗春といえば、8代将軍吉宗(旧東海道編31参照)の最大のライバルとして立ちはだかり、尾張名古屋を大きく発展させた、最大の功労者だ。

当時、江戸・大坂(現大阪)に次ぐのは、京都・金沢と云われていて、名古屋は格下の尾張の地方都市。
それが、いつの間にか、三大都市というと、東京・大阪・名古屋、みたいなランク付になったけど。
これは間違いなく、宗春さんの功績だ。
宗春さんがいなかったら、我が愛する「中日ドラゴンズ」も存在しなかったに違いない。

そんな彼の著書、「温知政要」は、宗春自らが政治理念を著したもので、コスモタイガーの自宅の本棚にも並んでいる。

江戸中期の、政治理念をめぐっての大バトル!
「吉宗vs宗春」は、大河ドラマにもなったけど、尾張人としての贔屓目もあるかもしれないけれど、コスモタイガーは、やっぱり宗春側を支持してしまう。

歴史上の著名人の中で、コスモタイガーが超大好きな人物の1人だし、数々の小説やドラマにもなるぐらいだから、書き出すと止まらなくなってしまいそうだ。
この辺にしておこう。

この興正時の裏山にも、散策コースが整備されているけれど、さすがにこんな時間からそこを走るのは厳しいな。

右に大型ショッピングセンターがあり、「八事」の交差点に出た。
ここで飯田街道は、いったん国153から外れ、地下鉄八事駅2番出口の横から愛知銀行の前を通る脇道となる。
でも今日の飯田街道runは、ここで終了。

通勤ランはまだ続くんだけどね。
飯田街道をはずれ、「島田」方面に向かって走り、帰途に付くコスモタイガーなのだ。
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身近な気になる古道たち⑧

2013-08-14 | 身近な旧街道run!!


★愛知郡東郷町祐福寺地区

今日も自宅から走ってきて、白土交差点に立つコスモタイガー。
岡崎街道を辿ってみよう。

この白土交差点自体、地蔵堂もあり、古くからの地名らしい。(古道たち②参照)
この白土を横切る県道56号を走ることにする。
この道が、岡崎街道なのだ。

岡崎街道。
江戸初期に、徳川家康が先頭に立って敷設したとされる、東海道のバイパスルートだ。
御三家筆頭の尾張藩、その中心、名古屋城下と、家康の故郷、岡崎を結ぶ。

言うまでもなく、徳川家にとっては由緒深い2つの街を結ぶだけでなく、名古屋城下からだと、東海道経由より近道だったため、かなりの需要があったらしい。
敷設以降も、家康の命により尾張藩が整備・管理した道だ。

いわゆる「藩道」というやつで、現在もそのまま愛知県が管理し、その大半が県道56号になっている。
昔も今も、尾張と三河を結ぶ、代表的な「県道」なのだ。

宿数は2次。「平針」と「堤」。
ちなみに名古屋札の辻から平針宿までは、飯田街道との重複にもなっているが、そこはまたの機会に走るとしよう。

「涼松」(すずみまつ)という地名が現われる。
かつてこの辺り、松がたくさんあって、旅人が涼んだところから、そのまま地名になったらしい。

さすがにかつての「近道」として敷設された道らしく、それなりに交通量もある。
コスモタイガーも、車で岡崎に出掛ける際、この道を使うことも多い。

しばらくは単調な県道runが続くけど、右手に「東郷製作所」の工場があり、「小坂」の信号を超える。

やがて両側に現われるのが、復元された「祐福寺一里塚」。
右側はちょっと貧相だけどね。

藩道とはいえ、前述の通り、重要路線だったため、一里塚や松並木も整備されたといわれている。
かつては平針宿内にも一里塚があったというから、平針からだと、この辺りが4kmぐらいってことになる。

さらに走り続けると「祐福寺」の交差点。
東郷町内では、主要地名の1つだ。
名鉄バスの拠点の1つにもなっている。

でもさ、地名としては結構耳にするけど、肝心のお寺は?
「祐福寺」という以上、そういう名のお寺、あるはずだよね。

今走ってきた道を少し戻ると、「岡崎信用金庫」があり、そこを左(北)に曲がるんだよね。
そのまま直進すると、正面にお目当てのお寺がある。

「祐福寺」
創建は1191(建久2)年というから、古いね~。
立派な門は「勅使門」といって、愛知県の指定文化財に登録されているらしい。

ちなみに「勅使」というのは、天皇や上皇の使者のこと。
室町時代に、その勅使をこのお寺に迎える際に、建立された門ということらしい。

ちなみにこの祐福寺から西に約4km。
ここもコスモタイガーのジョギングコースの1つだけど、お隣り豊明市にある「勅使池」。
最近になって整備され、1周2.7kmのジョギングコースも完成した。
緑に囲まれ、快適なジョギング(またはウォーキング)を楽しめる。

ここも祐福寺に来る途中、その勅使が立ち寄って、ため池を作る工事を監督(というより見学?)したとされ、それが「勅使池」と呼ばれるようになったとされる。

こんな身近なところにも、室町時代を偲ばせる史跡が残ってるということやね。
そしてまた、その頃から、この辺りにも人々の生活があり、行き来するための「道」があったということだ。

一見無関係な祐福寺と勅使池。
でも歴史を調べると、勅使さんを通じて1本の線に繋がっていく。
歴史好きの人間が、泥沼?にはまっていくのも、こんなところなんだろうね。

そして古くからの地名には、必ずと言って良いほど、意味がある。
疑問を持ちながら走っていると、かなり楽しい。

祐福寺に似たような例として、「高蔵寺」(愛知県春日井市)、「吉祥寺」(東京都)がある。
どちらも地名や駅名としてはかなりの知名度があるけどね。
いずれも紆余曲折はあるものの、同名のお寺が由来になっていること、そして肝心なお寺の存在はあまり意識されていないところは共通しているね。
地名になるぐらいだから、それなりの名刹であることは容易に想像できるけど。

話が逸れちゃった。
県道に戻って先に進む。
境川を超える。

名前の通り、かつての国境。
「三河」に入る。
現在の行政区分だと「みよし市」に入ったことになる。

相変わらず、小さな工場などがあったりして、単調な感じだけど。
やがて左にコンビニがあり、県道56は大きく右にカーブする。

ここで直進する、あきらかにマイナーな道の方が、岡崎街道。
実際にはこの辺り、すでに正確な道筋を辿ることは無理らしいけどね。
まぁ、比較的旧街道に近い形で走るということで納得するしかないね。

急に視界が広がった感じで、のどかになってきた。
左手に大きな工場。
トヨタ自動車明知(みょうち)工場。

「明知西山」の信号もそのまま直進。
両側は田んぼで、随分遠くに来た気がする。

岡崎街道はこの先も続くけど、そろそろ復路にしないとまずいよね。

ってことで、次の信号。
ここをそのまま入ってすぐ左にカーブする、いかにも古道らしい雰囲気の道があり、そそられる。
どうやら明知集落に入っていくらしい。

逆に信号を右折し、少し先で左に入ると「細口池」なる小さな池があり、周囲をとりまくように小公園がある。
「細口公園」というらしい。

この池を周回するか、明知集落めぐりをして、国境を再び超え、帰途に就くコスモタイガー。
これで概ね、120分LSDのマイコースなのだ。
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身近な気になる古道たち⑦

2013-07-12 | 身近な旧街道run!!

★刈谷市半城土(はじょうど)地区

またまたある日のコスモタイガー。
今日も前後駅に車を置き、LSDを敢行。

途中、刈谷市内の古道までは「身近な古道たち③」と同じなんだけど。
金勝寺、医王寺の常夜灯を見たら左折して、東海道本線に沿って走る。

といいつつ、たまたまコスモタイガーはそうしただけで、この辺は別に旧道でも何でもないから適当で良いけどね。
とにかく刈谷駅前を目指す。

駅の手前で、東海道本線をくぐる道があり、線路の反対側に出る。
大きな「アピタ」を左に見て走る感じ。
刈谷駅南口に出る。

駅前のメインストリート(県道48号)をそのまま走る。
方角的には南東に向かってることになる。

左手に「市営神田駐車場」が見えたら正解。
ちょっと進むと、右手に「刈谷市交通児童遊園」

親子連れには大人気の、行楽スポットだ。
様々なアトラクションに、格安で乗れるらしい。

名古屋市南東部に住む人間としては、激混みの名古屋市内をウロつくよりも、刈谷市内の方が落ち着いて楽しめる感がある。
自宅から車なら、30分圏内だもんね。

さらにそのまま進み、三ツ又橋渡り、刈谷北高校の横を通ると、「半城土町」の交差点に出た。

さぁ、ここからが素敵な一角なんだ!

県道はこのまま左折するから、車も大半は左折する。
そこを直進する、狭い道。
ここを進むのさ。

突然別世界のような雰囲気に。
刈谷市もこの辺り、「歴史の小径」として整備している。

入ってすぐ、さらに狭い小道を右折すると「勝宝寺」。
かつての「半城土城」の跡らしい。
野田太郎左衛門なる人物の居城だったらしい。

旧道オーラ満載の道だけど、ちょっと左に寄り道。
「願行寺」。
創建は1600年ごろ、つまり関ヶ原合戦の前後というから、古いね~。

元の旧道に戻って先に進むと、「昌福寺」。
かつて、百姓一揆の拠点になったらしい。

少し先の道を右折すると「野田八幡宮」
武士の神様として古くから信仰を集めていたらしく、歴代刈谷藩主はみな、ここに足を運んだとか。

他にも案内板があって、この辺り、ウロウロと走るのは実に楽しそうだ。

旧道を進むと「松栄町2」の交差点があり、左手にピアゴ(ショッピングセンター)がある。
ここまで来るとまた普通の市街地に戻る。

「東刈谷町」の交差点を左折すると、東海道本線「東刈谷」の駅に出た。
普通しか止まらない小駅だけど、ここをゴールにしよう。

あとは名鉄「前後」駅に戻るだけ。
一番簡単なのは、東海道本線で金山まで出て、名鉄名古屋本線で戻ってくるパターンだけど、なにせかなりの大回りだから、鉄チャン的には、相当バカバカしい。

2駅乗って「刈谷」駅。
ここで名鉄三河線に乗換、知立に出る。
名鉄名古屋本線の急行に乗れば、最初の駅が「前後」だね。(一部、豊明駅にも停車)

こうして今日も楽しいワンウェイコースを楽しんだコスモタイガーなのであった。
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